臼井君が晴香部長に恋心を抱く話   作:shin1

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1期のBD/DVDに収録されている「吹奏楽部の日常」の第3回「吹奏楽部男子の日常だボーン!」のあの場面です。



臼井君が晴香部長に恋心を抱く話3

「ひとし君、あのね、・・・別れて欲しい」

「え・・・何で?僕なんかしちゃった・・・?」

「そうじゃないの。ひとし君凄く優しくて、思いやりがあって凄く良い人。でもね・・・、ひとし君と一緒に居ても・・・全然楽しくない・・・。だからきっと、私たち合わなかったんだと思う」

「・・・ごめん」

高校2年生の7月半ば。梅雨も明けて間もない、痛いほどの日差しが過度に降り注ぎ、辺りの気温を容赦なく釣り上げる真夏の日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 昼の日差しが強さを増し始めてはいたものの、日が傾くと「肌寒い」と形容されるまでに気温が下がる5月末。宇治川沿いの木々は、その夕陽から発せられる太陽光を取りこぼすまいと葉の悉くを青々と茂らせていた。

 

「みんなの分買ってきたよ~」

ドリンクとフライドポテトが所狭しと載せられたトレイを両手に持ちながら、席取りをしていたクラリネットパートの面々に向かって歩を進める。

「ありがとー!さすが臼井!」

「臼井君やっさし~」

3年生の面々は、張り付けたような満面の笑みを浮かべて臼井に謝辞を投げつける。

「臼井先輩、いつもすいません・・・」

2年生の島りえが少し申し訳なさそうに、でもやはり笑顔で臼井に礼を述べた。

「いいよいいよ~、こちらこそ場所取りしてくれてありがと」

嫌々やってる訳でもないし、場所取りして貰ったのは事実なので、そう返しておく。普段から男子部員の地位は一部の例外を除いては総じて低い。特に臼井はクラリネットパートで唯一の男子部員なので、圧倒的に肩身が狭い。ただ、女子のコミュニティに於いて本当に嫌われた場合に受ける所業は、その対象の性別を問わず「無視」である事を臼井始め男子部員は良く分かっている。だから、こうして多少小間使いのような扱いを受けたとしても、ちゃんと集まりに呼んで貰えてるという事が「仲間として認識されている」という事実を客観的に証明している事に他ならない。

 

 この日は「クラパ2・3年生会議」と題して、その名の通りクラリネットパートの2・3年生が日曜の練習後にハンバーガー屋へ来ていた。会議と称されてはいるが、堅苦しい話を

する訳ではなく、最近の部活に対してざっくばらんに話すだけの会である。そして最初は1年生のフォローアップをどうしていくかの話だったのが徐々に逸れていく。『女三人寄ればかしましい』とはよく言ったものだ。

  

 

 

「ねー見て見て~、新しいカエルのぬいぐるみ買っちゃったんだ~」

「えー!超かわいい!ねぇねぇ!触らせて!」

 鈴鹿咲子と萩原笙子は最近ハマっているというカエルグッズの話に花を咲かせている。

「ヒロネ先輩!こないだ教えてもらった幸富堂の栗饅頭食べました!すっごく美味しかったです!」

「ホント!?良かった~。あれおいしいよね~」

 りえはパートリーダーの鳥塚ヒロネにピタッと寄り添っている。りえがヒロネを尊敬してやまないというのはパート内では有名な話だった。

 臼井はそんな2人に挟まれ、会話に入るでもなくそんな仲の良いパート仲間を微笑ましく思いながら一人ポテトを口に運ぶ。去年の事を考えれば、顧問の滝の指導によって活気を取り戻し、しかもこうしてパート仲間と和気藹々と出来る事を本当に幸せな事だと感じていた。

 

「それにしても、葵も色々大変だったのかな・・・」

 会話が落ち着いたころ、萩原笙子がおもむろにそう口にした。少ししんみりした空気になる。

 先日、サックスパートの3年生である斎藤葵が、合奏中突然受験を理由に退部を申し出た。部長の小笠原晴香が引き留めたものの、結局葵は退部してしまった。小笠原は、翌日学校を欠席していた。体調不良という事ではあったが、葵の退部騒動による精神的なダメージによるものだろうと推測されていた。小笠原は翌日無事に復帰し、部活開始時には小笠原に拍手が送られていた。小笠原の人柄を表す出来事である。

 クラリネットの3年生が代わる代わる言葉を発する。

「葵はこの所ずっと悩んでたみたいだしね。晴香は葵と仲良かったから、ショックもでかかったみたいだよ」

「でもさ、葵が辞めたのって受験が理由でしょ?今までも塾でちょくちょく部活早退してたじゃん。晴香がそんなに悩む必要無くない?」

「いや、確かに受験もあるだろうけど、去年辞めた子たちを止められなかったのをずっと気にしてたから、それもあるのかな」

「顧問変わって急にみんなやる気出したから引け目感じてたって事?」

「葵は真面目すぎるというか、考えすぎる所あるんだよねぇ」

「葵の気持ちも凄く分かるけど・・・。でも、これだけ部活の雰囲気がガラッと変わったのは、やっぱ滝先生のお陰かな」

「あれぇ?ヒロネったら一番最初『サンフェスを人質に取るなんて酷い!』って言ってたのに、もう心変わり~?」

 田中須加実が、ニヤニヤしながらヒロネに言葉を投げる。

「あ、あれはあくまで『そういうやり方が良くない』って言っただけだし!それに、確かに指導は悪魔かってくらいキツいけど、滝先生来てから部活の雰囲気変わったのは間違いないし・・・」

 ヒロネは少しバツの悪そうな顔をしながら答える。

「というか、滝先生って乗せるの上手だよね。だって、あのホルンとかボーンがあれだけ練習するようになったんだよ?」

「分かる!あれだけ文句言ってた樹里も愛衣も、最近は素直に練習してるもんねぇ」

「このまま頑張れば、関西大会行けちゃったりして!」

「なんたって、粘着イケメン悪魔の指導に耐えてるんだし」

「ウケる!ホントそうだよね!」

「その分、晴香も大変そうだけどね。あすかのバックアップでどうにかなってるけど・・・」

「でも、晴香先輩は凄く頑張ってると思います!」

「まぁ晴香は頑張ってるけど、どうしてもあすかと比較されちゃうのがカワイソーだよね」

「どっちかというとあすかが凄すぎるんだよ。あすかはホント特別だからさ~」

「でもさぁ、男からはあすかみたいな完璧超人より晴香みたいな子の方がモテるんじゃない?」

「あー分かる!あすかくらい完璧だと男って返って引くよね。晴香みたいに隙がある方が男にモテるよね~」

「臼井どう?あすかより晴香の方が好き?」

「ぐほっ」

 急な問いかけに、臼井は思わず咳き込んだ。そんな臼井を見て3年生の女子たちはケラケラと愉快そうに笑った。

「ちょっと臼井ったら慌てすぎ~」

「え、何!?臼井ホントに晴香の事好きなの?」

 大口弓菜が意地悪な笑みを浮かべながら臼井の顔を覗き込む。

「そ、そうじゃないって!二人とも良い人だし楽器も上手いし、こう、人として尊敬できるって感じで・・・」

「うわー、優等生コメントだわぁ。そういうの要らないわぁ」

「だいたい、臼井には純子という掛け替えのない相手が居るでしょ~」

 弓菜が純子に振ると、純子はわざとらしく腰をくねらせながら口を尖らせた。

「もう!臼井君ったら~、私という存在がありながら!臼井君の浮気者~!」

 ドッと笑いが起こる。臼井はただその場で狼狽えるばかりだった。

 滝がコンクールメンバーをオーディションで決めると言った時は、また部内の空気がおかしくなるのではないかと心配していたが、クラパートは部内では比較的練習熱心な部員が多かった事もあり、滝の指導も相俟って皆でオーディション頑張ろうという空気が生まれていた。男子部員の立場の低さ故に、周りに上手く練習を促すことが出来ずに一人黙々と練習する事が多かった臼井は、この状況を非常に好意的に捉えていた。全国は無理でも、もしかしたら関西大会は行けるかもしれない。去年までは夢のまた夢だったそれが、今はっきりと実感出来ている。自分のバスクラがそれを支える事が出来る。高校最後の夏に、こんな経験ができるかもしれない。背中の奥がムズムズした。

 

 

 

 

 会もお開きになり、家の方向が同じである純子と弓菜と共に臼井は家路につく。

「じゃ、また明日ね~」

 途中で弓菜が別の道を進む。ここからは弓菜の家は右に曲がってすぐの所。純子と臼井は直進してしばらく進む。

「臼井!もう遅いんだから、ちゃんと純子を家まで送り届けるんだよ!」

「分かってるよ~、また明日~」

「弓菜またね~」

 弓菜は笑顔で手を振り右の道へ進み、すぐに「大口」と書かれた表札が掲げられている門の中へ吸い込まれていった。

「もうすぐオーディションだね」

「何?臼井は不安なの~?」

「だって、滝先生の事だから、もしダメだと思われたら3年生でも容赦なく落とされるよ・・・?」

「臼井はきっと大丈夫だよ~。いや、絶対大丈夫。前からずっと真面目に練習してたじゃん」

「部活の時間内ではね。でも、前は部活が休みの日も多かったし、やっぱり不安・・・」

「もう臼井は昔から弱気だよね~。臼井がやばかったら、私なんてどうすんのさ。私の方が絶対ヤバいし。あ~あ、こんな事ならもっと前からちゃんと練習しとけば良かったなぁ」

「でも、純子最近凄く上手になったよね。指が滑らなくなってきてるし、音程も安定してきたよ!」

「そう?ありがと!・・・、ねぇ臼井」

「ん?」

「私、頑張るから・・・、オーディション絶対受かろうね。最後のコンクール、絶対2人でバスクラ吹くよ」

「・・・もちろん。やっぱり北宇治のバスクラは2本無いとね!」

 住宅街をうっすらと照らす月と、決して多くは無い数の星々が、所々に雲を携え、宇治の夏の夜空に幕を張ったように薄く引き伸ばされながら広がっていた。


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