未満以上未満以下   作:黒天気

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第六話 前編

 

 

 

 

 

 滲むように肌を伝う汗。

 着込んだ浴衣も直接地肌に触れる部分が纏わり付き、髪の毛さえも少し湿ったように感じられる。

 人の合間を吹き抜ける風も生温く、決して心地良いものではない。

 日が沈んでなお、気温は30℃を超え、真夏の太陽は例え姿を隠してもその影響力を知らしめる。

 しかし、昼間であれば愚痴をこぼしていたような不快感も、今は頭の隅へと追いやられてしまっていた。

 

 

「綺麗ね……」

 

「こればっかりは同感だなぁ……」

 

 

 夜空に大輪の花が咲く。

 次々と打ち上げられていく数々の花火。

 高く舞い上がったところで大きく傘を広げ、黒き夜空の中へとまるで幻であったかのように散り散り消えていく。

 地上まで届く音と光。

 瞳に映る景色は圧巻の代物。

 些細なことなど忘れてしまうほどの視覚的な衝撃に他ならず、多くの人々が圧倒される。

 

 首を後ろへ傾けて、見上げる夜空は星と花。

 衝撃に次いで生まれるのは、周囲からの歓声。

 そんな光景を二人は静かに、そしてどこかぼんやりと見ていた。

 

 色鮮やかな光に照らされる横顔は、光の化粧をされた、とても穏やかなもの。

 ただ隣にいるだけで、悪くない、と思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「氷室くん、明日の夜って時間あるかしら」

 

 

 高二の夏休み某日。

 忠次お馴染みの、いつもの喫茶店で話は始まった。

 

 店長の日替わりブレンドコーヒーと買ったばかりの新書をお供に、休日を満喫していた忠次。

 数瞬前までは優雅なひとときと言って過言ではない様子であったが、それもすでに過去の話。

 読んでいた本も付箋を挟んで閉じられ、ブレンドコーヒーも強めに効いている冷房に冷まされるばかりだ。

 

 読書に夢中になっている間に、増えていた相席者。

 忠次の対面の位置に座り込み、アイスコーヒーに浮かぶ氷をストローで転がして遊ぶだけであるというのに、なぜかサマになる美少女が一人。

 

 

「何でいるんだよ、お前」

 

「連絡入れたのに既読すら付かないんだもの。だから、本多くんに連絡したら、今日はたぶんここ、って返事が来たってわけ」

 

「速水と貴明に行動を把握されているっていうのはちょっと問題だな……」

 

 

 隠すまでもなく、速水奏である。

 ボーダーのTシャツに色の薄い細身のジーンズ、紺のキャスケット、オシャレなのか変装なのかわからない銀縁の伊達メガネ。

 アイドルのプライベートショットと言えば美味しい光景であるが、プライベートでの奏と邂逅率の高い忠次からすると、わりと見慣れた姿と言っていいものである。

 

 

「それで、答えはどうなの。明日の夜は空いているの?」

 

「その聞き方をするなら、まずその俺の埋められてしまう予定の中身を教えるべきだと俺は思う」

 

「むぅ……言い方に困るけれど、夏祭りはどうかしら、というお誘いよ」

 

「…………」

 

 

 瞬間、忠次の表情に警戒の色が差し込まれる。

 脳内に響き渡る警報のアラーム。

 何せ忠次の記憶にある限りでは、奏からの誘いで面倒臭い目に合わなかったことがない。

 

 

「誰の企みだ……?」

 

「誰でもないわ。それに怜と本多くんも呼んでいるもの」

 

「それはよかった」

 

 

 アラームは鳴り止み、零されるのは安堵の息。

 しかし、あくまでも厳戒態勢を解いただけ。警報は解除されたものの、未だに注意報は発令されている。

 

 

「んー、まあ、一応空いてるぞ。特に予定はない」

 

「そ。それは重畳ね」

 

「しかし、アイドルが夏祭りって大丈夫か?」

 

「そこは安心していいわ。普通の夏祭りじゃないから」

 

「普通じゃない……?」

 

 

 忠次の疑問に対する返答は更なる疑問を生む。

 勿体振った表情の奏に忠次は視線で続きを促した。

 

 

「会場が美城プロなの」

 

「と言うと?」

 

「アイドルを始めとして芸能人ってやっぱり人の多いところには行きにくいし、何より行ったとしても騒ぎにくいでしょう?」

 

「まあ、そうだろうな」

 

「そこで考えてくれたらしいのよ。行けないならやっちゃえばいいや、と。ついでに選別した関係各社も呼んだイベントにしてしまえば営業にもなる、と」

 

「お金持ってる企業は考えることが違うな」

 

「恩恵を受ける身で言うのも憚れるけれど、私もそう思うわ」

 

 

 お互いに呆れ顔でコーヒーを一啜り、同時にカップを机において、同じように溜息を吐く。

 

 

「おーけー、事情はわかった。何やら面倒の匂いもあるけど、アイツらもいるなら俺もお呼ばれするよ」

 

「まあ、聞いている限りでは普通に楽しめると思うわ。というわけで、はいこれ」

 

「ん?」

 

 

 差し出されたのは一枚の紙きれ。

 どうやらチケットらしく、手の込んだデザインに「美城大感謝祭 in Shibuya Summer」の文字が飾られていた。

 通し番号に加えて「K.Hayami」の刻印も入っている。

 

 

「気合の入ったチケットだな」

 

「まあ、参加者に取引先もいるらしいから、配るならそれ相応にってことでしょうね。

 なくさないようにしておきなさいよ。私が配れるのは氷室くんに渡したものを含めて三枚だけだから」

 

「配れる枚数に格付けでもあるのか?」

 

「単純に一人につき三人までっていうだけよ」

 

「大女優なら何枚、下っ端は三枚とかなら面白かったんだけどなぁ」

 

「誰が下っ端よ、失礼ね」

 

 

 チケットを受け取り、財布の中へ滑り込ませる。

 これで財布を失くす、当日忘れる、なんていうポカをしない限り忘れることはない。

 

 

「ついでに聴いておくと、必要な持ち物とかはあるか?」

 

「そのチケットと財布さえあれば大丈夫よ」

 

「ふーん」

 

 

 コーヒーを一口。

 チケットを入れた財布を眺めながら、明日の情景を想像しようとする。

 が、テレビで映る範囲しか美城本社を知らない上、普通とは違うと銘打たれた以上なかなか光景が思い付かない。

 しかし――――

 

 

「なるようにはなるか」

 

 

 対面の奏に聞こえない声の大きさで手元のコーヒーへとポツリと呟く忠次。

 何のかんのとある程度は厄介事になるのだろうな、と一つため息を零すのであった。

 

 

「ところで氷室くん、続いて尋ねるのだけど、この後はどういう予定?」

 

 

 閑話休題。明日の話はこれでお終い、と奏は話題を変える。

 話は明日の話から今からへ。

 いつも通りの余裕たっぷりスマイルである。

 

 対する忠次は渋い顔。

 最近の友人らの行動から、すでに質問内容の続きにまで思考が行き着いてしまった。

 

 

「家の近所のスーパーで晩飯の準備買ってから帰るだけだけど」

 

「私も付いていっていいかしら」

 

「その心は?」

 

「本多くんの、あの、憎たらしい煽り顔を惨めな敗北者の表情に変えてやらないと、私の夏は終わらないわ……!」

 

「アイドルの夏の終了条件、あまりにも微妙だな……」

 

 

 多少演技も入っているのだろう、悔しそうな表情と握り拳を作るというオーバーなリアクションを見せる。

 

 

「お前、本っ当に負けず嫌いだよな」

 

「やるなら勝つ、勝利の美酒に酔う。これが嫌いな人類はいないでしょ」

 

「そんなもんかねぇ」

 

「貴方だってそうでしょう? と言うか、私と怜が早々に脱落したあと、本多くんと一対一でやりあってるし」

 

「まあ、そう言われたらそうだろうけどさ」

 

「負けたくない理由は他にもあるけれどね。さて、氷室くん、飲み終わったのなら行きましょう」

 

「はぁ、仕方がない」

 

 

 会話中に忠次がコーヒーを飲み切ったのを確認した奏がすかさず切り出す。

 やる気に満ち溢れる様子に忠次はため息を零す他ない。

 

 帰り支度を済ませ、マスターに一声かけてから二人は店を後にする。

 店を出るその時、忠次はふと気になって訊ねた。

 

 

「ついでに負けたくない他の理由ってのは?」

 

「吹っ飛ばされたあとの煽りアピールよ。あのゴリラ、今度やるときはこっちが吹き飛ばして煽ってやるわ……!」

 

 

 ――――貴明の本当の持ちキャラはもう一匹の方の猿なんだよなぁ。

 真実は告げず、先を歩く奏に追い付くために少し歩く速度を早める忠次なのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえばスーパーでは何を買うの?」

 

「パスタとシメジ。実家から夏野菜が大量に送られてきたから、それ使ったものを暫く食わないといけなくてな」

 

「夏野菜なのにカレーじゃないのね」

 

「昨日と一昨日が夏野菜カレーだな」

 

「そう。夏野菜のパスタね」

 

「……食うつもりなら、今日買うものの代金、ちょっとは持てよ」

 

「ええ、もちろん。フフフ、氷室くんのそういうところ、私、嫌いじゃないわ」

 

「そうかい」




お久しぶりです。
理系大学院生は全然モラトリアムと化せませんね。
実に修羅場ってました。今も同じ状況ですが。
つまり現実逃避……!
息抜き作品なので、長い目でよろしくお願いいたします。

予定していた夏祭りまで辿り着けなかったのですが、長くなりそうだったので前後編に。
ネタはできているので、あとは文章化するだけなのですが、さて、いつ時間が取れたものか。

二人でスーパーで買い物したり、ゲームしたりはまたどこか別の機会で。

・夜空の大輪の花
 打ち上げ花火。
 近所のお祭りと合わせたのか、美城で注文したのか、真相は暗い夜空の闇の中。
 7号玉でも3万円以上するらしい。
 ついでに2017年は中止になった東京湾大華火祭のは5寸玉なので、マジでいくらかかったのか素人にはわからない。

・氷をストローで転がす美少女
 絶対可愛い。
 今回飲んでいたのは、忠次に教えられて以降ハマっている水出し珈琲。
 美味しいけど、決して安くはない。

・速水奏警報
 奏と出会ってから3カ月経った頃、忠次の脳内に実装されたアラーム。
 精度は高いが、被害を避けられることはごくごく稀。

・美城大感謝祭 in Shibuya Summer
 金持ってる346ならそれくらいしてくれそう、というご都合主義。
 美城はデウスエクスマキナなのでは……?
 我々の課金が祭りとなる。

・招待チケット
 美城の広報事業部広告デザイン課渾身の一品。
 あれだけアイドル抱えてたり、番組自体作ってたりしたら、絶対忙しい部署。

・アイドルの夏の終了条件
 スマ〇ラ4人対戦で1位勝利。
 なお、男性陣のやりこみにより難易度は高め。

・吹っ飛ばされたあとの煽りアピール
 下アピール。
 ネットでやるとたまにキレられる。

・もう一匹の方の猿
 貴明の本来の持ちキャラはディディー。
 ドンキーは4番目くらい。間違いなく煽り用。
 ついでに忠次はアイク使い。

・夏野菜のパスタ
 味付けはオリーブオイル、だしの素、めんつゆ辺りだと楽。
 夏野菜は崩れないように軽く素揚げしてから投入する。

おまけ
・前回、前々回で話題になった、忠次所有の奏CD
 奏に見つからないように念入りに隠した結果、出しどころを見失ってしまっている。

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