少年にとって少女はどんな存在か。
“かけがえのないもの”であるのは事実である。
もちろんそのまま表現してしまうと誤解を与えてしまうような言葉となってしまう。
しかし、少年からするとその表現しか思い浮かばないのである。
いつか終わりのある時間の中で共に過ごす存在に、“かけがえのあるもの”なんて存在するのだろうか。
「は――何て厨二的思考だ」
少年――
読んでいた途中の本を置こうと机の上に置いた栞を取ろうとして、目的の栞が誰かに掻っ攫われた。
ちらりと見えた手元から犯人を特定しつつ、顔を上げて訊ねる。
「何でいるの、お前」
「つい見つけてしまったから、かしらね?」
ハンチング帽にツルの赤い眼鏡をつけた速水奏が忠次の買った珈琲と、お気に入りである桜柄の黒い栞を手にした状態で相席していた。
してやったりと言わんばかりの表情で、忠次の栞を折り曲げてしまわない程度にひらひらと揺らしている。
「アイドル業はどうした」
「その帰りよ」
今日は午前中だけだったの、と言いながら少女は少年へと栞を手渡す。
この一年と少しの間に癖になってしまったポーズだけに近い溜息を吐いて、忠次は栞を受け取って本を閉じた。
「ブラック……相変わらず拗らせてるのね」
「失礼な。というか、勝手に飲むな自分で買ってこい」
「いいでしょ一口二口くらい。Lサイズなんだし」
「俺より稼いでるくせに何て横暴な。あとショット追加だからただのブラックじゃない」
結局忠次の買ったワンコインを少し超えた金額の珈琲は、どこがただのブラックと違うのかと首を傾げる奏に飲み干されてしまうのであった。
七月を直前に控えた日曜日の昼下がり、駅のすぐそばでありながら非常にわかりにくい位置に店舗を構えた
「ったく、全部飲みやがって」
「けちな男は嫌われるわよ?」
「それはそれ、だろ」
「今度奢ってあげるから許して」
「まあ、いいさ」
珈琲がなくなったので、珈琲ショップを後にし、駅の地下街にやってきていた。
正確に言うならば、忠次の用事に奏がついてきた、であるが。
忠次の姿は休日らしい出で立ちで、ジーパンに英字の入った白いTシャツにロールアップした薄手のジャケット。
そして、黒ぶち眼鏡を掛けて、右肩には財布と小説の入ったショルダーバッグという姿だ。
対して奏はやや目深に被ったハンチング帽に赤いツルの眼鏡、ノースリーブのシャツに灰色の薄いカーディガンを羽織り、下はショートパンツ。
カーディガンから透けて見える白い肩やショートパンツから覗く白い脚が艶めかしい。
肩から下げる少し使い込んでいるように見えるトートバッグを持つ姿はとても女子高生には見えない。
「それで、何でお前はついてくるんだ?」
「今日はもう何も用事がないから」
「ああそう」
ニコニコとご機嫌に隣を歩く奏に顔を顰めるが、その様子にこんな表情を見せるのも不躾か、と表情を改めて、歩く速度を合わせる。
元気だな、と眺めていると、奏が忠次へと振り返った。
「買い物?」
「まあな」
「内容は?」
「Tシャツ何枚かと物理の参考書」
「なら、まずはメンズの店ね」
「一枚五百円とかの安物でいいけどな」
「ふふ、私が選んであげるわ。光栄に思いなさい」
「速水……お前、話聞く気ないな」
「ええ。だって今、氷室クンがどんな服を着ていたら面白いか考えているのだもの」
「そうかい」
そんなやり取りをしながら二人はメンズファッションの取り扱いのある店舗を物色していく。
入った瞬間に店員が奏の姿に見とれた後に、隣で仲良さげな様子を見せる忠次に怪訝な目を向ける一瞬の間を置いてから奏に対して「デートですか?」と訊ねるところまでが入店時の一連の流れとなっている。
「身長も高くて素材は悪くないのに、パっとしないのよね。なぜだと思う?」
「さてなぁ……見てくればっかりは何ともな。外に出られる程度には気を使ってるけど」
「というより今日は眼鏡かけっ放しなのね。いつもは授業中や読書の時しかかけてないのに」
「眼鏡ケースを家に忘れたんだよ。ポケットに入れるのも嫌だし」
「そ」
何でもない会話をしながら、奏があれでもないこれでもないと忠次の身体にTシャツを当てていく。
忠次側は定期的に値札を確認する以外はされるがままでである。
「あれで付き合ってないとか嘘でしょ……」
店員のそんなぼやきは二人には聞こえていない。
「次は参考書ってことは本屋?」
「ちょっと行ったところに大きめの書店がある。あそこなら参考書もいっぱい置いてあるからそこに行こうと思ってる」
「それじゃそこにしましょ。私もちょっと雑誌を見たいし」
最終的に奏セレクトのTシャツの中から安い順に三着購入し、次の目的地として本屋を目指す。
奏は忠次の選び方に不満を見せていたが、購入したTシャツの入った店名が印刷された紙袋を受け取って店を出れば、その不満をいずこかへと消えていた。
地上へ出る階段を上っているところで、奏が忠次へと問いかける。
「参考書は次の期末試験用?」
「んー、期末試験じゃなくて、二学期の予習用。夏休みもそこまで忙しくなる予定もないし、勉強しようと思ってさ」
忠次の返答に今度は奏があきれ顔を見せる。
「相変わらず勉強が好きね。流石は学年首位」
「別に学年首位を取るために勉強してるわけじゃないって」
「大学に行ってやりたいことがあるから、でしょう?」
「そうそう。来年――受験の時期を考えると面倒だから来年度、か。来年度には受験もあるわけだし、そこまでは真面目に勉強しとこう、ってだけ」
「まあ、授業の穴埋めとして勉強を教えてもらっている身からすると、貴方が勉強する分には何も文句はないところだけれどね」
「時間作って教えてやってるんだからありがたく思えよ――って、やっぱ外は暑いな」
地下街から地上の日向に出て、その暑さで会話が中断される。
日差しも強く、アスファルトからの照り返しもあって、少しばかり冷房の利いた地下街と比べると灼熱地獄が如き暑さである。
さしもの暑さにはアイドルでも辛いもので、忠次の身体が作っている日陰にさっと滑り込む。
忠次の一般男子高校生より高い身長で、百六十二センチの奏が少し身を寄せれば影にすっぽりと収まることができる。
ただ――
「そんな寄るなよ、暑い」
「影になっていればマシと思ったのだけどね……」
「日陰通るから、さっと行くぞー」
二人揃って、えっちらほっちら。
ビルの作る影へ移動し、そのまま影を伝うように目的地への歩みを再開した。
二人と同じように考える人も多いらしく、暑さと直射日光から逃げて日陰を歩く人が多く見える。
都心部ゆえに車通りも人通りも多く、ヒートアイランド現象も相まって、季節以上に暑さを感じられる状態だ。
「本屋までどのくらいの距離なの?」
「五分くらい、だな。たぶん」
「そ。これであと十分とか言われたら小指を踏んづけてあげようかと思ったけど」
「なんてボーリョク的なヤツなんだ」
そういえばコイツはデビューしたアイドルだったなぁ、とか考えながら、奏を壁側、自身を歩道の中央側に配置して歩みを続ける。
数カ月ほど前から始めた行為であり、初めの方は奏に「騎士さまごっこかしら?」と煽られていたものの、最近ではもはや慣れたもの。
そうこうしている内に目的地へと二人は辿り着いたのだった。
「さて、買えた買えた」
「服以上にウキウキ顔って年頃の男としてどうかと思うけれど」
「年頃って、速水に俺と比較するような仲の良い男友達はいたか?」
「多少はいるわよ。ま、まあ、よく会話をするほど、となるとプロデューサーさんくらいになるけれども」
「だろうな」
本屋で買い物も済まし、二人は再び駅すぐそばの珈琲ショップまで足を運んでいた。
二時間ほど前の約束通り、奏が二人分の珈琲を購入し、四人がけの席で買い物終わりの休憩タイムある。
購入の際にショップの店長に、デートは楽しかったかい?と訊ねられ、二人して同時に否定するところまでがもはやテンプレートだ。
この珈琲ショップへの二人の出現率は高めであり、忠次に至っては準常連レベル。
つまり店長側も予め反応がわかっての発言である。
「んじゃ、はいこれ」
珈琲を半分ほど飲み終えたところで、唐突に本屋の袋の中から一冊の参考書を奏に対して突き出す。
ぽけっとそれを眺める形となった奏だが、飲んでいる最中だった珈琲を置いてから両手でその参考書を受け取った。
表紙には数学Bの文字。
「何よこれ」
「買い物付き合ってもらったお礼。速水、最近アイドル活動の方で学校休んでただろ? ちょうど次の期末の範囲がいい感じに載ってたから」
「――――あ、ありがと。もらえるのならもらっておくわ」
「馬鹿なアイドルは流行らないぞ。まあ、俺の中では、だけど」
「成績自体は普通よ、私は。それは氷室くんもわかっているでしょう?」
「教えてるの俺だしな~。たぶんその範囲、速水は苦手そうだから、やるならじっくりやらないと点数落ちるぞ」
「それは困るわね……昼食一回でどうかしら」
「おっけー、それで手を打とう」
奏はぺらぺらと忠次から贈られた参考書を流し読む。
「数列にベクトル……」
「ま、その辺りは問題の見方と式さえ覚えてしまえば何とかなるって」
そんな会話をしながら忠次はショルダーバッグをごそごそ。
本や財布が目的ではないようで。
そこから出てきたのは、包装紙に包まれた手乗りサイズの何かと文庫本と同じサイズの小さな紙袋。
「今日会うとは思ってなかったけど、まあ、ちょうどいいし、これも渡しておく」
「参考書はまあいいとして、次こそ何よ? 別に氷室くんからモノを貰う用事なんて何もなかったと思うけど」
「もうすぐ誕生日だっただろ、速水って。確か七月一日」
きょとんとした表情。
珍しいものが見れたな、と忠次側も本日振り回された意趣返しに、少しだけ意地の悪そうなしてやったり顔を披露する。
「……そのむかつく顔はひとまずおいておくとして、氷室くんに話したことあった?」
「346のウェブページにある速水のプロフィール見ただけ。知り合いの顔写真が載ってるサイトって凄まじく違和感があって面白かったわ」
「人の写真に面白いって酷い話ね」
「ヒドイ横暴だらけのお前が言うか」
「誰のことかわからないわ。開けてもいい?」
「お好きに。大したものじゃないしな」
紙袋ごと奏にプレゼントを手渡し、少しだけ恥ずかしさを誤魔化すように顔を背けて珈琲を一口。
苦みが恥ずかしさを和らげてくれるものの、気恥ずかしさを感じているのに変わりはないので、居心地の悪さに変化はなく、椅子に深く座り直す。
奏が包装を解くと、その中から出てきたのは何の変哲もない黒いイヤホンだ。
ただし、よく見てみるとイヤホンのイヤーピースのとは逆側の位置に薄っすらと揚羽蝶のような柄が入っている。
「イヤホン?」
「女子に贈るプレゼントとかよくわからなくてな。七月一日ってウォークマンの日らしくて。あ、それでいいや、と」
「――ぷ、ふふふ、ウォークマンの日、ウォークマンの日、ね」
「そう笑うなよ、恥ずかしいだろぉ。調べてたら童謡の日とかもあったけど、それこそ童謡関連とか難しかったし」
「そういう意味でもないんだけども、まあ、いいわ。ありがとう。大事に使わせてもらうわ」
「ああ。テキトーに使ってやってくれ。どうせ消耗品だ」
忠次のややおざなりな言葉を聞きながら、大事そうに再び包装紙に包みなおしてプレゼントをトートバッグに仕舞い込む。
包装紙に包みなおす際に、“とあるもの”を見つけて、奏が微笑むと、どうやら忠次側もその様子を見ていたらしく、居ても立っても居られない様子で珈琲を飲み干してお代わりを買いに行ってしまった。
見つけたものもある意味何でもないものだ。
俗に言うバースデーカード。
文言もありがちと言えばありがちで、ただ「いつもありがとう」。
それだけが書かれていただけだ。
少年にとって、少女との日常はかけがえのないものだ。
そうして、二人は今日と言う日も必死に掴んで生きていく。
「あの二人が来ると、ミルクも砂糖もいらないっていうお客さんが増えるっていうのは面白いなぁ」
「どうなされましたか?」
「いや、何、キミもよく言ってる“いい笑顔”っていうのがよく見れたってだけさ」
デートではない。
ただの買い物です。
偶然出会って時間があったから一緒だっただけです。
書くなら一話で多くてもこのくらいの文量かなぁ……。
高校生ってどんな格好してれば高校生らしくなるのかさっぱりわかりません。
奏さんの格好はあれ、追憶のヴァニタスの覚醒前+カーディガン。
なお、最後に店長と会話しているのは、最近中の人が二十歳になった人。
・厨二的思考
そもそも不治の病なので、だいたいみんな厨二病である(偏見)
・ハンチング帽にツルの赤い眼鏡
作者の趣味。絶対かわいい。
・ショット追加
コーヒーにさらにエスプレッソショットを追加。
忠次のお気に入り。
・駅のすぐそばでありながら非常にわかりにくい位置に店舗を構えた人気の少ない珈琲ショップ
設定的にほとんどが渋谷駅と明治神宮前駅周辺で行われている、ということになっているので、本当に穴場である。
・とても女子高生には見えない
主人公も長身に幼さのない顔つきなので、どっちもどっちである。
・あれで付き合ってないとか嘘でしょ
まだホント。
・安い順に三着
まだオシャレにはそこまで興味がない忠次。
制服に頼っていると、大学に入ってからとーっても大変である。
・大学に行ってやりたいことがある
某T大工学部志望。
・騎士さまごっこ
れでぃーふぁーすとはしゅじんこうのたしなみ。
・7月1日
奏のバースデー。
藤居朋も同日が誕生日である、
・346のウェブページにある速水のプロフィール
おそらく渾身のキメ顔。
・イヤホン
お昼に喫茶店にいた理由。
午前中は駅前をウロチョロして、ずーっと悩んで買ったもの。
バースデーカードも喫茶店内でしばらく悩んだ末に作中の文言に落ち着いた。
・ミルクも砂糖もいらない
いい笑顔です。