八神コウを攻略するために、俺は遠山りんも攻略する 作:グリーンやまこう
「ふわぁ……ねむっ」
あくびを噛み殺しつつ、俺は目を擦る。そんな眠気を覚ますため、視線を外に移した。
今、俺がいるのは自分の席ではなく、そこから少し離れた窓の近く。
先ほどまでやっていた仕事がひと段落し、気分転換に外の景色を眺めたいと思いやってきたのだ。言っておくが、決して仕事をさぼりに来たわけではない。
「ふぅ……」
左手に持ったコーヒーのカップをゆっくりと啜る。
季節は春。会社の前に並ぶ桜並木からは、桜の花びらがひらひらと舞い踊っている。春になるとやたら『桜』をメインにした楽曲が多数作成され、世の中に出されるのだが、この光景を見るとそれも納得できてしまう。桜の花びらが舞い落ちる光景は何時みても、何歳になってもいいものだ。
そして、春眠暁を覚えずとはよく言ったものだが、俺も多分に漏れず眠くなっている。春は本当に罪な季節だ。……きっと秋になったら秋になったで「秋も罪な季節だな」とか思っているに違いない。
そんな事を考えつつ、桜並木に目を奪われていると、
「あっ、こんなところにいた! タケルってば外なんか眺めてどうしたの? もしかして、サボり?」
からかうような声に、俺は振り返る。
そこには黒いシャツにロングスカートと、おおよそお洒落っぽさの欠片もない格好をした女性が、腕を組みながら俺の事を見つめていた。
「コウか……いや、別にサボってたわけじゃないよ。ちょっと窓の外の桜並木に見惚れていたんだ」
「それって、サボってるのと同じじゃ……?」
疑惑の視線をスルーして、俺は彼女の右手に視線を移す。
「それは?」
「新しいキャラの仕様書! タケルに作ってもらおうと思って!」
「……一応、俺は企画班なんですけど?」
「いいじゃん! どうせ、企画班は暇でしょ? 今だって、窓の外見てサボってたくらいだし」
にひひと笑う彼女の名前は八神コウ。特徴的な金髪と、少しスレンダーな体つき。そして彼女は、かの有名な「フェアリーズストーリー」のメインキャラデザイナーという顔も持つ。
そんなゲーム業界では有名人であるコウに、俺は何も言い返すことができない。
実際、サボってたわけだしな。それに俺は元々キャラ班の人間である。キャラデザくらい、お茶の子さいさいだ。
「分かったよ。じゃあ、仕様書を見せてくれ」
「さっすが、タケル! 頼りになるぅ~。えっと、これが仕様書で――」
説明を始めたコウに、もう一度視線を向ける。うん、素材は抜群にいい。多分、もっとお洒落に気を遣えばもっと可愛くなるだろう。
ただ、いかんせん、本人がそういうことに無頓着なのだ。その証拠に、普段の格好は男っぽく、綺麗な金髪も無造作に伸ばされている。
なぜ、女っぽい格好をしないのか。本人曰く、「私、胸もないし、色気もないから」とのことらしい。
まぁ、確かに胸はないかもしれないけど、素材がいいんだから女っぽい格好すれば絶対に似合うと思う。
今度、何度目か分からないが説得を試みようかな。それに胸だってないわけじゃなくて、あのつつましやかな大きさこそ、至高なのであって――。
「――ケル。タケルってば!」
「へっ?」
「もうっ! 話聞いてた?」
不満げな表情を浮かべるコウ。彼女の外見(ほぼ胸)ばかり見ていたせいか、説明を何にも聞いていなかった。
「悪い。ボーっとしてて何も聞いてなかった」
「全く……これからマスターアップに向けて、忙しい日々が続くんだから気を付けてよね!」
話を聞いていなかった俺に、プンプン怒っている。
ちなみに所属班は違うものの、俺とコウは同期入社だ。今年でイーグルジャンプ入社、7年目になる。あっ、イーグルジャンプって言うのが働いている会社の名前。
何をしている会社なのかと言われれば、ゲームを作っている会社と答える。そんな会社だ。後、無駄に女子率が高い。というか、俺以外に男子の姿を見かけない。男子は絶滅してしまったみたいだ。
もうすっかり慣れてしまったが、最初はなかなか慣れなかったものである。それで、あと説明しておくことは……そういえば俺自身の名前を言っていなかったな。
本名は興梠(こおろき)タケル。聞くことの少ない苗字と、それなりの確率で存在する名前の組み合わせ。
自分で言うのもなんだけど結構、アンバランスな名前だと思っている。どうせなら、名前も個性的なのにすればよかったのに。それこそ今はやりのキラキラネームとか……いや、あんなのをつけさせられるくらいなら俺はタケルのままでいい。というわけで、タケルという名前はまぁまぁ気に入っていた。
25歳独身。都内で悲しき一人暮らしだ。
よく結婚した友達とか親からは、「結婚しないの?」とか、「好きな人は?」なんて質問をよく受ける。それに、結婚していない友達からも合コンや婚活パーティーなどよくに誘われるのだが、一度も行ったことはない。
結婚は別にして、好きな人がいないわけではないからな。そして、好きな人とは同じ職場であり、結構親密な関係にあると自分では思っている。
これまでの話で、だいたい俺の好きな人が理解できたことだろう。ここまでだと「なんだ、じゃあ告白すればいいじゃん」とか感じるかもしれない。ただ、様々な要因のお蔭で俺の恋はなかなか成就しないのである。
「ん? タケル、難しい顔してどうしたの?」
首を傾げるこいつが様々な要因の一つ目。
まぁ、こいつは俺の好きな人でもあるんだけど……。
「そんな難しい顔してると、好きな人にも嫌われちゃうぞ?」
冗談っぽく話すコウに、俺は思わずため息をつく。
今の会話で分かった通り、コウは俺に好かれているだなんて、これっぽっちも思っていないようだった。
つまり、コウは鈍感すぎるのである。
何度もコウに対してアピールはしてきたし、コウの目の前で「俺、好きな人いるんだよなぁ~……チラッ」って感じに言ったりもした。
しかし、その時のコウの反応は、「えっ!? 嘘っ! タケルってば好きな人いるんだ! 誰々~? もしかして、リン?」というありさまである。
彼女の反応には思わず愕然とした。まぁ、彼女の鈍感さを嘆くのはこの辺りにしておこう。どんなに嘆いたところで、彼女の鈍感さは変わらないのだ。
それよりも、次の問題のほうが深刻だったりする。
「あら~、二人で楽しそうに話してどうしたの?」
「っ!?」
背筋にとんでもない悪寒が走った。やわらかい声色なのだが、どこか隠しきれない嫉妬の色が見え隠れしている。
こんな声を出せる知り合い、俺は一人しか知らない。
「あっ、りん!」
明るい声をあげたコウとは対照的に、俺は突然背後に現れた我が宿敵に、すぐさまファイティングポーズへと移行する。全く、気配を感じなかったぞ……。
「楽しそうって……別に、普通に話してただけだよ?」
「ふぅーん。普通なんだぁ~」
そう言いつつ、もの凄い形相で睨みを聞かせる俺の天敵。もとい、遠山りん。
彼女もまた、俺たちと同期入社。赤色に近い髪をボブカットに整え、出るところは出る、引っ込むところは引っ込むといった、女性の誰もが羨むプロポーション。
更に、可愛くてお洒落で仕事もできるということで、非の打ち所がほとんどない女性だ。
そう、ほとんどない。ある一点を覗いては……。
「コウちゃん、お昼ご飯作ってきたんだけど、一緒に食べない?」
先ほどの見せた鬼のような形相は鳴りを潜め、コウに向かってりんは天使のような微笑みを浮かべる。その笑顔を、少しだけでいいから俺にも見せてほしい。
毎回、毎回、鬼のような形相で睨まれるのは心臓に悪いからな。
「うそっ! 食べる食べる! りんの作るご飯はおいしいからな~」
食べると言ったコウを見てご満悦の遠山さん。そして、勝ち誇ったような笑みを俺に向けてきた。
まるで、「コウちゃんは私の物だから」と言わんばかりに……。
「よぉーし! それじゃあお昼まで残りの仕事、頑張ろっと。それじゃあタケル、キャラデザの件、頼んだよ。今回は二日でよろしく~」
「はいはい、二日……って、ふつかぁ!? 流石にあの複雑なキャラを二日では無……」
「タケルならできるって信じてるから! んじゃね~」
完全に無理ゲーなスケジュールを指定したコウは、手をひらひらふって自分の席へと戻っていく。
コウのことは好きだけど、無茶苦茶なスケジュールを設定してくるのは本当にやめてほしい。まぁ、残業してでも終わらせるんだけどね。
そんなコウを追いかけるようにしてりんも自分の席へ――
「……コウちゃんは渡さないから」
隣を通り過ぎようとするタイミングで、とんでもなく低い声が聞こえてきた。嫉妬の気持ちを隠そうともしない、そんな一言に俺はため息をつく。
さて、ここまでの会話で遠山りんの問題が分かっていただけただろうか? 彼女は世間一般で言われる百合属性……というよりは、レズ属性といったほうがいいだろう。
つまり、りんはコウのことが好きなのだ。……もう一度言おう。りんはコウのことが大好きなのだ。
別に、彼女の事を否定するわけではない。恋愛にはいろいろな形があるからな。だけど恋のライバルが女になるだなんて、普通は思わないだろ? 入社直後では全く考えられない……ほんと、寝耳に水の展開である。
いや、仕事上ではほんと優秀なんだよ。ただ、コウが絡むと……あんな感じになってしまう。もはや、俺にはどうすることもできない。恋する乙女は何時だって暴走するものだ。
ちなみに、りんがコウの事を好きであるという事実を知っている人は、俺を含めて三人ほど。俺とディレクターと、あと……、
「お……お疲れ様……た、タケル君」
紹介しようと思ったら、ちょうど本人の方から来てくれたらしい。俺は彼女の方に振り返る。
「おう、お疲れ、ひふみ」
おどおどしながら声をかけてきたのはキャラ班の一人である、滝本ひふみ。一応、俺の後輩にあたる。今は班が違うので後輩とは違うかもだけど。
赤茶色の髪をリボンでポニーテールに纏め、白いシャツと赤いスカートを見事に着こなしている。今日も、ニーソとスカートの間にのぞく絶対領域が眩しいぜ。
そして、りんと並ぶ……というか、それ以上のプロポーションを誇る彼女。マジで入社当初、彼女を見た時は主に胸を二度見してしまった(それをりんの野郎に見られていたらしく、白い目で睨まれた)。
しかし、一見完璧に見える彼女にも弱点はある。それは、重度のコミュ障だということだ。
おかげで、彼女とのコミュニケーションには、人一倍苦労した思い出がある。仕事の腕は問題ない。ただ、普段は無表情で何を考えているのかが分からず、話しかけると顔を真っ赤にして挙動不審になる。
俺が話しかけるたびに「ごめんなさい……」を連発された時は、心が折れそうになった。まぁ、今となってはそれもいい思い出になっている。
どうやってひふみと仲良くなったのか。それについてはまた、おいおい話していくことにしよう。
「どうかしたのか?」
「えっと……その……、窓の外を見て、ため息……ついてたから。……どう、したんだろうって……」
「…………」
コミュ障だっていいじゃない。だって、天使なんだもの。
このように、ひふみさんはいい子なのだ。ほんと、今すぐにでも後ろから抱き締めて、そのポニーテールに顔を埋めてハスハスしたい。
「いや、まぁ、さっきコウとりんと一緒に話してて……」
「あぁ……」
それだけで事情を察せるひふみさん、マジで天使。
困惑の表情を浮かべるひふみに、俺は苦笑いで答える。コミュ障だからなせる業なのか、ひふみは意外と観察眼に優れている。
俺がコウのことが好きだというのもすぐに見破られたし、りんの恋心もあっという間に見抜いていた。後は、常軌を逸するコウの鈍感さも……。
だからこそ、ひふみは後輩でありながら、俺のよき相談相手になっていた。
「……り、りんちゃんも、悪気があったわけじゃ、ないと思うから……」
りんを庇うひふみさん、マジで天使。
さっきから、ひふみの事を天使としか言ってないな。それもある意味仕方がない。だって、彼女はまごうことなき天使なのだから。一家に一人、ひふみが欲しい。
「うん、それは俺も分かってるよ。それに、俺がりんに嫌われるのはある意味当然だし」
彼女にしてみれば、自分の好きな人に男が言い寄っているのだ。気分が良くなるわけがない。
あとは、まぁ、若かりし日に色々あったんでな。それについては聞かないでくれ。黒歴史を語るようなもんだから。
それにりんとは、今更仲良くなるつもりもないし……。コウとかひふみとかと違い、ビジネスパートナーって感じだ。
「だけど、心配してくれてありがとな。よしっ、今度会社終わったら飲みに行こうか。もちろん、俺の奢りでな」
「っ!!」
ぱあぁああああっと、分かりやすくひふみの顔が明るくなる。いい忘れてたが、ひふみはお酒も好きなのだ。それも、日本酒が大好物というなかなかの酒豪。
二人で飲みに行くと、大体俺の方が先に酔いつぶれている。そして、起きるとお代が大変なことになっている……。
「うんっ……、ちゃんと、予定……あけとくから……」
少しだけ笑みを浮かべた彼女はやっぱり可愛い。よしっ、今度の飲み会までにコウからのキャラデザを絶妙なタイミングで終わらせておこう。
終わらないと残業だし、早く終わり過ぎても新たなキャラデザを押し付けられるだけだ。
「うっし。飲みに行く予定も決めたことだし、残りの仕事も頑張りますか」
俺は大きく伸びをする。まだ、とんでもなく忙しいわけではないのだが、仕事を早めに終わらせておくに越したことはない。マスター前とかにばたばたするのも嫌だしな。まぁ、早く終わらせてもマスター前は基本ばたばたするんだけど……。
「そ、それじゃあ……私も、仕事に戻るね」
ひふみも席へと戻り、倣うようにして俺も席へ……戻る前にもう一度、外の桜並木に視線を移す。
「……そういえば、明日新入社員の子が入るって葉月さんが言ってたな」
新入社員が誰なのかは入ってからのお楽しみと言われて、詳しく教えてもらっていない。キャラ班に入るとだけ言われている。つまり、コウの部下になるみたいだ。
個人的には誰でもいい……と言いたいところなのだが、ぶっちゃけ男が入ってほしかったりする。だって、寂しんだもん!
あっ、でも男なら男でりんが嫉妬しそうだな。コウと同じキャラ班に入るわけだし。うん、それなら女の子でもいいや。火のない所に煙は立たないわけだしね。
そもそも、葉月さんが面接をして男が入った試しがない。
今回も「いやー、さっきとっても可愛い女の子を見つけてね! 思わず、貰っちゃったよ!」とか言ってたから。……貰ったって、一体どういうことなのだろう? それにしても葉月さん、本当に可愛い女の子大好きだよな。
……ただし、ガチな方の人ではない。りんとは違い、あくまで可愛い女の子を愛でるのが大好きなだけである。
普段が適当すぎるだけで、やる時はやる人なんだけどね。しかし、よく仕様変更をするため、うみこさんにしょっちゅうデコピンをされている。俺はくらったことがないものの、無茶苦茶痛いらしい(本人談)。まぁ、自業自得である。
「取り敢えず誰が入るにしても、警戒だけはされないようにしないと」
ひふみのように、極度のコミュ障である可能性もあるわけだし……。そんな事を考えながら、俺は自分の席へと戻っていく。
「あっ! やっと戻ってきた。全く、タケルってば少しサボり過ぎじゃない?」
「サボってるだなんて失礼な。これからの仕事をよりよくしていくために、英気を養っていたんだよ」
「だから、それってサボりなんじゃ……?」
さぁーて、残りのお仕事も頑張りますか!
ちなみに、葉月さんからは新入社員が入るということ以外にも、とあることを言われていた。
『君は八神のことが好きなんだろ? だったら遠山君も一緒に攻略すればいいじゃないか』
と。