国境の砦カイツールにある宿屋の一室で、ルークは丈夫さだけが取り得の飾り気のない机の上に日記のページを広げ、難しい顔で白いページを睨みつけていた。乱暴に一文書き付けてはまた筆を置き、しばらくするとまた筆を取って書き付けていく。
いつもであれば勝手にルークをご主人様と呼んでいるチーグルのミュウが、ご主人様の一大事だと大慌てで飛んでくるのだが、遊び足りない仔ライガのホリンに捕まって、そんな余裕はぜんぜんなかった。
部屋中を散々追い掛け回されたあげく、引き回されヨレヨレになったミュウは、瞳をぐるぐるにしてヨダレまみれでホリンの抱き枕になっていた。
ホリンはゴロゴロと喉を鳴らし、ときどき落ち着きなく身体を捻ったり、ひっくり返ったりしていた。そのたびに腕の中のミュウが「雷怖いですの~」とか「お空がひっくり返るですの~」などとうなされている。
ルークは己の従者たちのちょっとした(?)悲喜劇を無視して、今日起こった騒動の数々に考えを巡らしていた。
たった一日で起こった、思いもよらない遭遇と再会の連続は、ルークの心を翻弄して、いまだに彼の心は落ちつかないままだ。どうにも嬉しいような苛立たしいような、せっかく尊敬する師匠に会えたというのに、喉元に骨が突き刺さったような違和感にルークは素直に喜びきれずにいた。
それは襲撃者が去った後のことだ。
ヴァンに促されて宿屋の一室に場所を移したが、そこで再会を喜び合う暇などあろうこともなく、忙しなく小難しい情報交換が始まった。
そこではせっかくヴァンに会えたのになどと思うルークの気持ちが汲み取られることは無い。ともかく七面倒臭くて堅苦しくて重苦しい、立っていることも苦痛な時間をルークは強制されていた。
「なるほどそういうことか」
イオン失踪の顛末から、ここに到るまでの出来事をイオンたちから聞き終えて、ヴァンは感じ入ったという風に深くうなずいた。
「事情はわかった、が……」
ヴァンは暫し黙り込み再び口を開く。
「君たちの知っての通り、六神将は私の部下だ。
しかし、だ。彼らは大詠師派でもあるのだよ。恐らくだが、彼らは大詠師モースの命令があったのだろうな」
そのヴァンの聞きようによっては責任逃れにも思える返答をどう見たのか、ジェイドはわざとらしいほどの笑みを浮かべた。
「おや、なるほどそういうことでしたか。
それでは貴方には今回の件に寝耳に水で、一切責任は無いということですか。
ですがそうなると困りましたね。部下がトップの意向を無視して宣戦布告レベルの無茶をするなだなんて、まるで貴方が…いえ、さすがに違いますか。
世に聞こえた六神将の長が部下の統制もろくにできないだなんて……ね?」
「ジェイド、そんな言い方は…」
彼の遠まわしな糾弾を聞いて、イオンはすぐさま顔色を変えてたしなめるが、イオンの諫言に耳を貸す気配は無く、うさんくさい笑顔を貼り付けたままでヴァンを見ている。
そこまで言われては、さすがに彼も黙ってはいないだろうと、周りの皆は特にアニスなんかは顔色を変えてヴァンを見ていたが、鉄のような自制心をもって表面上は申し訳なさげな顔を崩さなかった。
「いやいや、まったくもうしわけない」
ジェイドの冴え渡る当てこすりに苦笑してヴァンは続ける。
「いやいや、たしかに留守にしていたとはいえ、自分の部下の動きを把握していなかったという点では無関係ではない。無関係ではないとはいえ、これは私の本意ではない。そもそも私は大詠師派ではないのだ」
ヴァンの言葉にアニスが目を丸くして驚いたと呟き、その率直な反応に苦笑して、「六神将の長であるために大詠師派と取られがちだがな」と言葉を続けた。
その言葉をどう見たのかジェイドは白々しい笑みを浮かべたまま、「なるほど、そうだったのですか」と余裕の表情で頷きつつ、どことなく居心地悪そうにしているティアに視線を移した。
「……そういえば、ティアさんの所属は大詠師翼下の部隊でしたか」
「はい? あっ、え、えぇまぁ。それがなにか…?」
突然の話題変換について行けず、ティアはしどろもどろに答えた。
「大詠師モースの部下であるあなたは、どうしてタタル渓谷なんかにいたのか。その理由をぜひともお聞かせいただきたいのですがねぇ?」
周囲の視線が一気に集中した。
ティアは顔を強張らせジェイドをにらみつける。
「……それを聞いて、貴方は何が言いたいのかしら?」
「おい! おまえなぁ!」
すでに終わったはずの疑惑を蒸し返され、ルークが顔色を変えてジェイドに詰め寄ろうとしたが、横からガイが押さえ込み、まぁまぁと宥めながらティアを見た。
「いえ、ちょっとした好奇心ですよ。
部下をわざわざあんな辺鄙なところにまで動かすというのは、何かよからぬわけがあるのではないかなと」
「あー、俺も気になる。そこらへんのところ是非聞きたいよなぁ」
意地悪げなジェイドの質問やガイの疑わしげな言葉に、ティアは明確な答えを返さない。
しだいに不穏な空気が部屋に漂い始め、黙って聞いていたイオンとアニスも顔を見合わせて、お互いの顔に浮かぶ困惑の表情に眉をひそめていた。
何の前触れも無く目の前で始まった言い争いに、ヴァンは戸惑いを隠せずにいたが、ジェイドたちの会話の内容から事態を把握すると思考をめぐらせるようにうつむいた。
そして、わざとらしい重々しい口調で呟いた。
「ふむ。タタル渓谷か……。あそこは確か…?」
「おや、何かご存知ですか?」
ジェイドはすぐさま大仰に反応し、ティアの様子をうかがう。
「いや、直接聞いたほうが早いだろう。
ティア、お前は大詠師旗下の情報部に所属しているはずだったな。
何故タタル渓谷などという僻地で何をしてた。大詠師モースの命令か?」
ティアは硬い表情で黙りこみ、ヴァンの詰問にも答えない。
「お前たちの目的はルークか?
……いや、それとも第七譜石か?」
ティアはゆっくりとヴァンから視線をそらし「機密事項です」とだけ答えた。
不承不承ながら黙って話を聞いていたルークだったが、脈略も無く唐突に出現した聞きなれない単語を聞いて、彼は思ったままの疑問を口にした。
「第七譜石? なんだそれ」
あまりに常識はずれな言葉の衝撃で、凍り固まりきっていた空気が土砂流れのように崩れていった。
「な、なんだよ、人の顔ジロジロ見て」
周囲から白けた視線を浴びてルークは狼狽したように身をよじり、しかしすぐに居直り偉そうな態度で踏ん反り返ってぶっきらぼうに言い放った。
「箱入り過ぎるってのもなぁ……」
ガイが育て方を間違えただろうかと、複雑な心境でため息をついている横で、イオンが困惑の滲んだ笑顔で説明する。
「始祖ユリアが二千年前に詠んだ預言のことです。
世界の未来史が書かれているのですが、あまりに長大な預言なので、それが記された譜石も、山ほどの大きさのものが七つになったんです。それが様々な影響で破壊され、一部は空に見える譜石帯となり、一部は地表に落ちました」
アニスが続ける。
「地表に落ちた譜石は、マルクトとキムラスカで奪い合いになって、これが戦争の発端になったんですよ。譜石があれば、世界の未来を知ることが出来るから……」
「ふーん。とにかく、七番目の預言が書いてあるのが第七譜石なんだな」
やる気の無い顔でルークが大雑把に話をまとめると、さらにジェイドがうさんくさい笑顔で補足を付け加えた。
「第七譜石はユリアが預言を詠んだ後、自ら隠したと言われています。故に、様々な勢力が第七譜石を探しているのですよ」
「ふーん、それをティアは探してるのか?」
ルークはあまり期待してない顔でティアに尋ねる。
「さぁ?」
冷淡に答えるティアをじとりとにらみつけると、ルークは意地悪い顔でさらに続けた。
「でもよ、お前のことだから障害物と一緒に第七譜石も粉砕しそうだよな」
「はぁ!?ちょっと何で……。
そんなことしないわよ、失礼な人ね!」
「へんっ、どうだか。
タタル渓谷で魔物とまとめてぶっ飛ばされそうになったの、俺忘れてねーからな」
「え、あっ、で、でも!
あのときは敵の数が多かったんだからしかたないじゃない!」
「はーぁ? お前、仕方なかったら誰も彼もまとめてぶっ飛ばすのかよ」
「あ、えと、それはその…!」
ティアは顔を赤らめて噛み付くがルークの返答に口ごもる
「おいおい、ルーク。ほんとに大丈夫なのか?」
二人の応酬を黙って聞いてたガイだが、ルークから漏れた聞き流せない情報に思わすといった風に口を挟んだ。
ルークは味方が増えたことで、わが意は得たりと調子に乗り始めた。
さらに煽るように大げさな不安を口にしながらニヤニヤしている。
「あー、ちょっと不安になってきた」
「ちょっとルークってば!」
「お、お二人とも喧嘩は……」
ティアの苦情もイオンの静止も聞かずに、さらに言葉を続けた。
「ったく、こんなのが師匠の妹だなんてがっかりだぜ。」
「…! ふん、私だってタルタロスのこと忘れてないわよ。
まさか王に連なる公爵家の若君が、護衛をほっぽって遊びまわってたあげく、
敵だらけの艦内を一人で逃げ回るような粗忽ものだとは思わなかったわ」
「な、今それ関係ないだろ!?」
「あら、関係ないこともないんじゃない?
あなたが見つからなくてどれだけ気を揉んだか。
ホリンのほうがまだ聞き分けがいいんじゃないかしら?」
「はっ、そのホリンに躓いてすっこける間抜けに、そこまでいわれる筋合いねーよ」
「ふん、その間抜けが転んだところに巻き込まれて、一緒にすっころんでた間抜けな人はどこのどなたでしたっけねー?」
「なんだとっ!」
「なによ!」
ジェイドはどうにも大人げない二人の言い争いに呆れ果て、痛みを堪えるように指で額をぐりぐりと押さえている。周りの皆もだいたい同じようなものだ。
ヴァンも苦笑を浮かべ二人の様子をうかがっていたが、終わるどころかどんどんと低レベルな言い争いになってきているのを見て、止めに入っていった。
「二人とも止めないか」
「だって師匠こいつが!」
「ルーク」
ルークは止められたことに納得いかず噛み付くが、ヴァンの厳しい視線を受けて口をつぐむ。
そして、不満そうに黙りこくるティアに対して厳しい視線を向けた。
「お前もだ、ティア。非常時のこととはいえ少し口が過ぎるぞ。
……自分の身の程をわきまえろ」
「そんなこと、あなたなんかに…っ!」
ヴァンの叱責がよほど腹に据えかねたのか、ティアは今までに見たことのない形相で、押し殺せないほどの怒りに満ちた声で反論する。
殺意さえ滲む視線は苛烈にヴァンを射抜く。
しかし、彼は彼女の熱さえ帯びる視線を気にも留めない。
興味が失せたようにティアから目をそらすと、再びジェイドたちに向き直った。
その背中をティアは恨みがましく睨みつけ、しかしすぐに口を引き結び顔を背けた。みっともなく取り乱したことを恥じた様子で顔を伏せ黙り込んでしまった。
「すまないな。見苦しいところを見せた」
「いいえ、お気になさらず」
ジェイドはいつもの底が読めない笑顔で答える。
その言葉を聞き「それはよかった」と安堵の表情を浮かべ、それから棚上げになっていた話の続きに話題を移した。
「とにかく何度も言わせてもらうが、私はモース殿とは関係ない。
六神将にも余計なことはせぬよう命令しておこう。
……効果のほどは分からぬがな」
「そうしてもらえると助かります。
ただでさえ面倒なお荷物を預かっているところにこれでは、いつまでたっても辿り着けませんから」
「おい、面倒なお荷物ってもしかして俺のことかよ」
「おや? はてさてなんのことやら」
さりげなく気に障る言い方にルークが思わず食って掛かった。
しかし、ルークの稚拙な追求ではジェイドに歯がたたない。
腹が立って仕方ないとはいえども、先ほどヴァンに諌められたこともあってこれ以上大げさに騒ぐことも出来ず、ルークは不完全燃焼のまま忌々しげにジェイドをにらみつけていた。
出会って早々に始まったルークの癇癪にガイは懐かしさでついつい顔を綻ばせ、それを見咎めたルークに何ニヤニヤしてるんだと八つ当たりを受けていた。それでも、ガイはこれ以上のごたごたを引き起こすまいと苛立つルークを必死になだめすかして落ち着かせようと奮闘していた。
隠し切れない不穏の影を抱えながらも、示し合わせたかのように誰もが何も気づかなかった風に取り繕った会合は続いた。
国境越えに必要な旅券のことや、国境を越えた先での船の手配についてなど細かなことを手早く打ち合わせを終わらせた。
それらがすべて終わったあと、ヴァンはこれから準備があるからと忙しなく退室しようと歩き出したところで、ふと足を止めた。
その視線の先にはティアが会話に混ざることなく、窓際でわずかな影に隠れ潜むようにひっそりと立っているのが見えた。人間たちのごたごたに関わるのはゴメンだと窓際に避難していたホリンをわざわざ引っ張り出して、不満そうなホリンにも気づかず落ち着きなく撫で続けている。
こちらをチラリとも見ようともしない姿に、思わず何か言うべきかと口を開きかけ、ほんのわずかな逡巡の後に仕方なさげに肩をすくめると、黙ってその場から立ち去った。
ヴァンが立ち去った後、部屋には奇妙な沈黙が沈殿し皆が皆お互いをうかがい見てこれに続く言葉を捜していた。
そして、ジェイドが「さて」と口を開いたのを皮切りに、ぽつぽつとぎこちない会話が再開されたのにも構わず、ルークは不愉快そうにティアを睨んでいた。しかし、ティアは周囲の会話もルークの視線さえも、露ほどにも気にすることもないままただ内に篭もって乱雑にホリンの滑らかな毛皮を梳いている。
もともと我慢というものに慣れてないルークのこと、すぐに我慢の限界が来て「おい、おまえなぁ!」とティアに詰め寄った瞬間。
こちらも我慢の限界が来たホリンがさやから飛び出た大豆のように、するりと腕から飛び出した。
突然飛び掛ってきたホリンに驚いて後ずさったところに、ホリンの二足は思いっきりルークの赤い頭を踏み台にして、そのまま開けっ放しの扉の外に飛び出していってしまう。
不意を打たれて痛みに頭を抱えるルークを尻目に、ティアは大慌てでホリンを追いかけて扉の向こうに飛び出していった。
部屋には再び奇妙な沈黙が広がっていた。
しかし、それでも何とかすぐに気を取り直したジェイドは、もう開き直った様子で「放っておきましょう」と笑顔で言い捨てたのだった。
ティアのホリンを呼ぶ声が遠くから小さく響いていた。