水辺に響く木々のざわめきが夜の静寂をことさらに深めて、崖を覆うように咲き誇る白い花々が海と空とを区切って風にゆれている。
穏やかな風のざわめきが、薄く輝く白い花の美しさをさらに際立たせているようだった。
そんな場所で彼女、ティアは地面に手をついてうなだれていた。
「ルーク・フォン・ファブレ……。なんでどうして……。
貴族の、しかもよりにもよってあのキムラスカの……」
ティアの隣でルークが不機嫌そうな顔をして立っていた。
激しい戦闘が一段落してから、彼女が名前を教えてくれと聞いてきたのだからわざわざ名乗ってやったというのに、いったいどうしてこんな態度なんだ? なぜか衝撃を受けたような顔をして、倒れるようにしゃがみ込んだと思ったら、人を無視して何かぶつぶつ呟いてる。
ようやっとごたごたしたのが終わって、これで何がどうなってるのか教えてもらえると思ったというのに。まったく、これじゃあ全部振り出しに戻ったじゃないか。どうもこいつは役に立たなさそうだ、などとずいぶんと身勝手なことを考えてた。
ルークはむすくれた顔で額にしわを寄せ、うなだれている彼女を見ていたのだが、ふと不安になってきた。
彼女も屋敷の人間みたいに変な態度をとるんだろうか?
身分とか言う不確かな奴で? そんなの関係ないのに。
不安に任せてルークはティアに荒々しく声をかけた。
「おい、いつまでそんなことやってるんだよ。
それより、ここどこだ?
ガイとナタリアは? 何でモンスターがいるんだ?」
そんなルークの声を無視して、彼女はしばらくぶつぶつ言っていたが、突然むくっと立ち上がって、
「ま、いいか。
釣り上げたら海老と一緒にマグロと鯛がついてきたようなものだわ。
何事も前向きに行かなきゃ、前向きに」
こくこくと頷いて、晴れ晴れとした笑顔でどこかポイントのずれたことを言っていた。そして、後ろに立っていた赤い騎士は「私は海老なのか……」と少し傷ついた表情でぼやいていた。
「あぁ、ごめんなさい。ここはタタル渓谷よ。
あなた、超振動、擬似超振動だったかしら?でここまで飛ばされてきたみたいね。いきなり上から召喚陣の上に降ってきたからびっくりしちゃったわ。しかも、結界もなにも崩壊させちゃうし。
第七音譜術士同士でさえめったに起こらないっていうのに、いったいどういうことかしらね」
ティアは何事も無かったかのように、ルークに解説を始めたが、彼の知らない単語ばかりでよけいに混乱が増すばかりだった。
「はぁ? なんでタタル渓谷??
それにちょーしんどー? なんだそりゃ?」
「さぁ、いったいなんでかしらね?」
かぶせるように重ねられる問いを聞いてティアは軽く小首をかしげ、軽い調子でルークの質問に答えた。
「えーっと、それから、超振動っていうのは……。
同一の音素振動数を持つ音素同士が干渉し合うことで起こる、ありとあらゆる物質を分解し再構築する現象、よ」
「だー、わけわかんねー。
俺を屋敷に帰せよ!!」
「そんな、いきなり帰せって言われても……」
突然の無理難題にティアは困惑で言葉を詰まらせたが、その様さえもルークにとっては苛立ちの種にしかならない。
と、そんな二人を揶揄するように嫌みったらしい言葉が振ってきた。
「やれやれ、何だと聞いておいてその有様か。この世界の貴族様は1から10まで説明してもらうどころか、1の説明に100の説明が必要なようだな。
これならばまだ幼い子どものほうがまだ可愛げがあって付き合いやすい」
男は白髪に浅黒い肌という見珍しい色彩で、鋼のような銀灰の瞳を細めて嘲るように唇を歪めてルークを見ている。彼のものめずらしい風貌と、変わった服装にほんの一瞬ルークは目を奪われるが、すぐにムキになって食って掛った。
「あぁあん? なんだと!?」
「それとも何か?
よしよし可哀想ですね、とでも言ってほしいのかね?」
「っ、てめー! ち、違うに決まってるだろうが!」
「はいはい、喧嘩はだめ。
アーチャーも、わざわざ挑発するようなこと言わないでよ」
ティアはルークと赤い騎士の間に割って入り、宥めるように両者を見た。
彼女の諌めるような言葉に赤い騎士、アーチャーはフンッと鼻で笑ってそっぽを向いた。
その様子にルークはさらに腹を立てて、向かっていこうとしたがティアが呆れた顔をして袖を引いて押し止めた。
「ほらほら、落ち着いて。ね?
あんまり大きな声を出してたら魔物がまたよって来るわよ」
「っ、魔物?」
ティアは引きつった顔であちこちを確認するルークを見て苦笑し、
「まぁ、ここは見通しがいいし、さっきのこともあるからすぐに来ることは無いわね」
安心させるようにそう言った。
「はぁ、なんだよ。驚かせやがって」
そうため息を吐くルークに彼女は唇をほころばせ、それからすぐに真剣な表情をして青い瞳をまっすぐに向けて言った。
「安心して、必ずあなたを無事に屋敷に送り届けてあげる」
そんな彼女の真剣な表情にうろたえて、明後日のほうをむいて
「あ、あたりまえだろ」
と、彼は弱々しげに呟いた。
遠くに見える海に月の光がさして、光の帯が波に揺れ滲んでいる。
ここ一面に咲く花はつつましげに身を震わせて、絵画のようなその光景に寂しげな色をつけている。
想像もつかなかったような美しい光景に思わず目を奪われて、いつしかルークは文句を言うのも忘れてぼんやりと遠く海の向こうを見ていた。
そんな彼を横目に、ティアはルークを放ってちゃきちゃきと野営の準備を始めていた。
「今日はもう、ここで休みましょう。
もう、夜も遅いし森を抜けるのは危険だわ」
「えぇー、こんな土の上で寝るのかよ。
毛布もベットもないのにどうやって寝ればいいんだ?
もー、信じらんねー」
苛立ちもあらわに吐き捨てて、驚いたことに「こんなところにいられるかよ!」などと言って森に向かってずんずんと歩き出した。
「ルーク」
今までに無い強い語調に思わず振り向くと、ティアはついっと手を振り下げて一言を唱えた。
「Gute Nacht(おやすみなさい)」
何だろうと思う暇も無く、彼は強い眠りに引き込まれそのまま地面に倒れこんでしまった。
「はぁ、つっかれたー」
倒れこんだルークをそのままに、ティアはせいせいしたといった表情でその場に座り込んだ。
ルークの前では平気な顔をしていたが、実際には限界でどうしようもなくすぐにでも眩暈で倒れそうだった。召喚に加えて突然の魔物の襲来で、体力も何もかも底をついてしまっていた。もうすでに気力だけで動いてるようなものだったのだ。
それを傍観していたアーチャーは、やれやれといった呆れた表情を浮かべた。
いつの間に集めたのか、野営に必要な薪を抱えてきてテキパキと焚き火の準備を始めている。
「マスター、ずいぶんと安請け合いしたようだが本気か?」
「本気よ」
「そんな面倒なことをせずとも、「アーチャー、これは決定事項よ」やれやれお優しいことで。これは先が思いやられるな」
「アーチャー」
「これは失礼、なにせ来て早々に戦闘で満足に話もできず、それが終わったと思えばマスターはお子様の相手にかかりっきりで、何のために召喚されたのか心配になってね」
ティアは綻ぶように微笑んで首をかしげた。
「あら、拗ねちゃったのかしら?」
「いーや、別に」
「ふふっ」
「そんなことより、マスター」
アーチャーはコホンと咳をして、仕切りなおすように表情を引き締めた。
「さっきは余計な邪魔が入って、大切なことを聞き忘れていたが、マスターの名前は? 私はマスターをなんて呼べばいい?」
不意を突かれたように驚いた表情を浮かべたが、すっと顔を背けて黙り込んでしまった。
不審に思ったアーチャーが言葉をかけようとしたとき、強い意志を瞳に宿してはっきりとした語調で彼の問いに答えた。
「ティアよ。ティアって呼んで」
そう言ってふっと表情を緩めた。
「オールドラントにようこそ、異世界の英雄」
遠くから微かに鳥の鳴き声が聞こえる。
「ルーク、ルーク! 起きて、起きてったら!」
ルークは小さくうなり声を上げて寝返りを打ち、寝ぼけた声でうなるように言い返す。
「うるさいなぁ。いいだろ別に、もう少し寝かせてくれー」
「起きてってば、ねぇ」
「うぅー、うっせーー!」
ガバッと起き上がり苛立たしげに叫んだ。
「ったく、何だよ。うるさっ…あ?
なんだ? ここどこだ?
……え、あれれ??」
日の光に目を眇めながら、ぼんやりあたりを見渡した。
それをティアとアーチャーは呆れた様子で見ている。
「おはようルーク、もう朝よ。さっさと起きて準備して。
早く出発しないと、また森の中で野宿する羽目になるわよ」
「あれ?森?
えっと、裏庭でだべってて、剣を見つけてそれで……」
「まだ寝ぼけてるの?
ここはタタル渓谷、忘れたの?
話してたら急に寝ちゃうんだから焦ったわ」
つらっと『私は何も知りません』といった顔で話す彼女に、横にいたアーチャーは顔を背けて噴出しそうになるのを堪えた。
「それよりほら、寝癖。
ご飯ができてるから食べましょ」
その言葉に彼はしぶしぶ身を起こし、背伸びして大きなあくびをした。
いい天気だ。雲ひとつ無く、青い空に譜石帯がよく映えて見える。
いつもならもう一眠りできるのにと思いつつ、ルークは促されるままにすでに調理された料理の前に座った。
シンプルなスープと軽くあぶったパン、あと少量のピクルス。
今いるところを思えば十分なものであったのだが、贅沢な食事で育ったルークにとっては衝撃だった。
目を点にして料理とティアの顔を見比べている。
「どうしたの? 早く食べないとせっかくのスープが冷めるわよ」
「なぁ、これだけ?」
「わがまま言わないで、今はこれで精一杯なんだから。
旅の途中で豪勢な料理なんてできるはずないじゃない」
「はぁ? 信じらんねー。だっせーな」
「はいはい、わかったから早く食べてね」
贅沢に育った子どもの考え無しなわがままをいったいどう思ったのか、ティアは特に何も言わず、ただめんどくさげに言い捨てて手に持ったスプーンを口に運ぶ。
思わずといった風に目をまん丸にして、美味しそうに次々に口に運んでいく。
ルークは軽く追い立てられてムッとしたが、それでも空腹をごまかすことは出来なかったので、しかたないと並べられた食事に手を伸ばした。
「あ、うまい」
スープを一口飲んでぼそっとつぶやく。
ルークは育ちのよさが滲み出る優雅な手つきで、次々と料理を口の中に放り込んでいった。
その様子を横目で確認すると、ティアはほっとしたように笑みを浮かべ再び料理に手を伸ばした。
しばし彼らは無言で食事に専念していた。
と、ルークがアーチャーの方を見て、眉をひそめた。
「なぁ」
「ん? なんだね?」
目をつぶって立っていたアーチャーは、ルークのほうを流し見て首を傾げる。
「あんたはご飯食べねーのか?」
「いや、私は…「そういえば、サーヴァントって食事必要なの?」、マスター?」
アーチャーは眉をひそめてティアの方を見た。
「べつにかまわないわ。どっちなの?」
じっとティアの方を見つめたが、根負けしたようにため息を吐いて軽く首を振った。
「食べられないことはないが基本的にサーヴァントに食事は不要だ。十分な魔力供給があれば空腹を感じることも無い」
「そう……、なら食べる?」
「いや、結構だ。ただでさえ少ない食料を減らす必要は無い。
私なんかのために振り分けるより、そこにいる食べ盛りの子どもにたくさん食べさせるといい」
「子どもって俺のことかよ!
ちょっーーーと、背が高いからっていい気になりやがって!」
「まぁまぁ、いいじゃない。小さくたって」
「よくねー!!」
「あ、おかわりいる?」
「……いる」
そう言ってそっとティアに食器を差し出した。
なんとなく手玉に乗せられたような気がして、ルークはそこはかとない敗北感にがっくりとした。
それでも、料理はとても美味しかった。