ルークたちは体調を崩してしまったイオンを休ませるために、広場のすぐそばにある宿屋へと訪れた。
宿屋について早々に、ジェイドは宿屋の主人に話しかけて細々とした手続きをしている。
そんな彼を横目に、ルークはものめずらしげにロビーを見回していた。
ルークの赤い頭にはやんちゃざかりの仔ライガが乗っかって、長いしっぽをピコピコさせている。二組の瞳は同じぐらいキラキラと輝き、その視線は右へ左へとせわしなく動いている。
宿屋に据え付けてある戸棚には、大小さまざまな小瓶や素朴な工芸品、情報雑誌などが並んでいる。
ルークがそれらに視線を移して興味深げに眺めていると、仔ライガが頭の上から身を乗り出し、前足を使って手元に引き寄せようとしていた。
彼は慌てて頭から引っぺがして、真剣な顔でそんなことをすると赤い奴にイヤミ殺されるぞなどと注意していた。
その横ではティアはミュウを両腕に抱きしめ、穏やかな表情で立っている。
顔色の優れないイオンを気にしながらも、周りをゆっくりと見回していた。
窓のそばのサイドテーブルには、色とりどりの花々が花瓶に活けられていて、ティアはそれに目を留めて目をほころばせた。
窓からわずかに傾いた太陽の光が差し込み、慎ましく咲いた花びらに反射してほのかに煌いている。
その間にもジェイドは手早く手続きを済ませてしまい、飄々とした態度で皆を部屋へと促した。
そして、ルークたちはイオンを守るようにして、部屋へと入っていったのだった。
「すみません、カイツールへ行くのが遅れてしまって……」
横になっていたベットから身体を起こして、イオンは申し訳なさそうに皆の顔を見てそんなふうに言った。
ティアは心配げに彼の顔を見て「まだベットに横になっていたほうがいいのでは?」と話しかけたが、イオンは緩やかに首を振って「平気ですよ」と言葉を返した。
「別にいいよ。弱い奴に無理させたってしょうがねーからな」
「そうですね。まずは体力を回復させることが先決です。
幸い神託の盾は立ち去りましたし、一晩ここでゆっくり休養しましょう」
ルークは偉そうな態度で気にする必要は無いとイオンに言うと、ジェイドも後押しするようにそう忠告した。
「……そういえば、イオン様。
タルタロスから連れ出されていましたが、どちらへ?」
「セフィロトです……」
ジェイドの質問にイオンは顔を曇らせて小さく答えた。
「セフィロトって……」
「セフィロトは生命の木の…じゃなかった、えーっと。
そう! 大地のフォンスロットの中で、最も強力な十箇所のことよ」
首を傾げて記憶をひっくり返している様子のルークに、ティアはしかたないなぁとでもいうように、何故かつっかえながらもセフィロトの説明をした。
「記憶粒子(セルパーティクル)…惑星燃料のことね、それが集中していて音素が集まりやすい場所なの」
その説明で解ったのかどうなのか、ルークはふーんと口を尖らして呟いてイオンを見た。
ジェイドはそんな二人を何か言いたげに見ていたが、すぐにイオンに目をやり質問を重ねた。
「それで、イオン様はいったいセフィロトで何を……?」
「……言えません。教団の機密事項です」
硬い表情を浮かべて、ジェイドの赤い瞳から逃れるようとするかのごとく、スッと目をそらた。
「ちっ、またそれかよ」
こうやって質問をかわされるのは何度目だろうか?
ルークは苛立ちを隠しきれずに吐き捨てた。
なんでどいつもこいつも俺を仲間はずれにするんだ? 世間知らずだからって馬鹿にするんじゃねーよ。
そう思ってうんざりとした様子でため息をついた。
それでも、イオンが彼の言葉を聞いて、悲しげな顔を浮かべ「すいません」と申し訳なさげに言えば、やはり罪悪感に駆られずにはいられなかった。
あわてて話をそらすために、以前から疑問に思っていたことを口にする。
「ま、まあなんだ。そもそもなんでイオンが狙われてるんだ?
あいつらとイオンは同じローレライ教団なんだろ?」
「そうねぇ……。今、イオン様は戦争回避のために行動しているのだから……。
単純に考えるのなら和平交渉の妨害?」
ルークの問いにティアはほほに手を当てて、とつとつと考えながら言う。
その言葉に、ジェイドはフムと考えを巡らしながら答えた。
「確かにキムラスカとマルクトへの影響力を考えると、今回の和平交渉にイオン様の存在は欠かせません。
妨害方法としては、イオン様をバチカルに行かせないのが最も手っ取り早くて確実であるのは間違いないのですが……」
ふっと黙り込み、思案深げに言葉を続ける。
「マルクトの軍用艦への襲撃に、その後の行動……。
果たして、それだけでしょうか……?」
「裏があると?」
答えの出ないやりとりに、ルークはこらえきれないという風に爆発した。
「あー、もう一体なんだってんだよ! わけわかんねー!」
「おやおや、お子様にはちょっと難しすぎましたか?」
「うっせーよ!」
「ご主人様がんばるですの!」
「だーっ! おめーはウゼーんだよ!」
「ルーク! ミュウに八つ当たりしちゃだめ!」
ルークがミュウに蹴りかかり、ティアがそれを引きとめようとして、ミュウは跳ね飛んで、それを仔ライガが追いかけていく。
そんなコメディーみたいなやりとりをイオンは止めるに止められず、ひたすらおろおろしていた。
「え、あの、その」
「おやおや、元気ですねぇー」
そんな彼らをジェイドは生暖かい目で見守っていたのだった。
何だかんだとゴタゴタと言い合いしたあと、こう騒がしいとイオンの身体に障るからと、二人はジェイドに部屋から追い出された。
ルークはその扱いにぶつぶつ言っていたが、ティアはケロッとした顔で買い物をしたいと言い出した。
休みたい気持ちも多々あったが、思うところがありルークは彼女の買い物についていくことにした。
「 Ich weiss nicht, was soll es bedeuten
( わたしはわけがわからない )
Dass ich so traurig bin~♪
( どうしてこんなに悲しいのか ) 」
穏やかな街並みは夕焼けに染まって、行き交う人々は足早に家路を急ぐ。
夕餉の支度をしてるのか、白い煙が窓からこぼれて程よく胃袋を刺激する。
「 Ein Maerchen aus alten Zeiten
( 遠いむかしのかたりぐさ )
Das kommt mir nicht aus dem Sinn~♪
( いつも心をはなれない ) 」
ティアは先ほど買い込んだ保存食や薬などが入った袋を両手に持って、リズミカルに振りながら歌を口ずさんでいた。
じゃれついてくる仔ライガを軽くあしらいながら、楽しげにさまざまな店が並ぶ街並みを歩く。
ときどき、後ろを振り向いてルークがついてきているか気にして、歌を口ずさみつつ宿屋を目指して歩いていると、道を挟み向こう側にソイルの木に続く梯子を見つけた。
首を傾げて視線を上下させているティアに、ミュウを引き連れて後ろを歩いていたルークが近づき彼女の視線をたどり、なんだこりゃと走り寄っていった。
あわててルークの後ろを追いかけていく。
梯子を登りきった先では小さな展望台が据え付けられており、眼下に広がる街並みを障害物のないままに眺めることができた。立ち並ぶレンガ造りの家々は、落ちていく夕焼けに染まり陰影を深めている。
二人はしばらく黙ってその光景を見ていた。
ティアは手すりに近づいて、ふたたび歌を口ずさむ。
「 Die schoenste Jungfrau sitzet
( かなたの岩にえもいえぬ)
Dort oben wunderbar,
( きれいな乙女が腰おろし) 」
夕焼けは平等に二人に光を送り、影が長く長く伸びている。
ルークは手すりにもたれかかって、遠くを見つめるティアを見た。
「 Ihr goldnes Geschmeide blitzet,
( 金のかざりをかがやかせ)
Sie kaemmt ihr goldenes Haar.
( 黄金の髪を梳いている)
Sie kaemmt es mit goldenem Kamme,
( 黄金の櫛で梳きながら )
Und singt ein Lied dabei, Das hat ei- - ?」
ティアはふっと歌をとぎれさせて、虚空をにらみつけた。
「わかったわよ。休めばいいんでしょ、休めば」
「アーチャーか?」
「うん。遊んでないでとっとと休めって」
ため息をついて答えるティアにルークは「怒られてやんのー」と囃し立て、ティアは不機嫌に「うるさいわよ」と言い返した。
「みゅ?」
足元でウロウロしていたミュウは話がわからずに首を傾げた。
その横で仔ライガが大きな欠伸をしている。
と、ルークがちょっと考え込むように黙り込み、「なぁ」と言いかけまた黙りこむ。そわそわと落ち着きなく周りを見回すルークに、ティアは目をパチパチとさせて不思議そうな顔をした。
「どうしたの?」
「あー、えっとあの……あーくそ! ちょっと耳を貸せ!」
彼はティアの耳に口を近づけて、ごにょごにょと何事か話し出す。
「…え? どうして?」
「いーから!!」
首を傾げてルークを見た後、ティアは少し黙り込み唇を尖らせ、
「わかったわ、じゃあ下で待ってるから」
「みゅみゅ??」
ミュウをひょいっと抱きかかえると、するすると下へと降りていった。
そしてティアたちが立ち去った後、音もなくアーチャーが姿を現した。
「わざわざ呼び出すとは、いったい何のようだ?」
赤い騎士が興味深げにルークを見ている。
ルークはためらいがちに視線をさまよわせて、何と言っていのかと迷うような仕草をしたが、きっとアーチャーに目を合わせて口を開いた。
日は落ちて夜の帳が街を包む。
ぽつぽつと明かりが灯り、多勢に無勢ながらわずかに闇を退けていた。
街の外で、小さな篝火が燃えてときどき火の粉が巻き上がる。
鉄を打ちつけるような音が延々と響いている。
二人の人影が剣を持ち、お互いの隙をうかがってにらみあっている。
炎の光が二人が握る剣に反射して、剣を振るうごとに流れ星のように走り、打ち付ける音が響くごとに火花が飛び散る。
「っだあ!!」
「甘い!」
気迫に満ちた叫び声を上げ、ルークは何度も何度もアーチャーに向かい切りかかる。その剣先は空を切り、その倍の鋭さでアーチャーの剣がルークに襲いかかる。
ルークはのど元に突きつけられた剣を見て息を呑んだ。
すっと剣を引いて、アーチャーはその場に座り込んでいるルークを見た。
「あー、こんちくしょー。勝てねー」
ルークはその場にばったりと倒れこみ、夜空を仰ぎ見た
月は雲に隠れて見えない。
「だが、筋はいい。このまま鍛錬を怠らなければ、いずれは名のある剣術家にもなれるだろう」
「いずれは、じゃなくて俺は今すぐになりたい。
……そーだ、なぁ!」
がばっと身を起こして、苦笑を浮かべているアーチャーを見る。
「敵をがっつりと蹴散らすような、すんげー必殺技ないかな?
例えば、前に森で魔物に襲われたときにやったやつみたい……っなんだよ殴らなくたっていいだろ?」
アーチャーは真剣な目でふてくされているルークに見た。
「馬鹿者、そう簡単に必殺技が身についてたまるか。
それにだ、身の丈にあわない力は自身を滅ぼすぞ?」
「はぁ? わけわかんねー」
「……まぁ、まずはマスターの足手まといにならんように尽力するんだな。
敵を前にして、まごついているのでは話にならん」
「う、うっせーよ。そーならないために、わざわざあんたに頭下げてまで剣の相手してもらってるんじゃねーか」
「ふ、そうだったな。で、どうする? まだやるか?」
「もちろん!
一撃でも食らわせてやらないと気がすまねー!!」
「やれやれ」
二人は再び剣を構えてにらみあう。
そうして、激しく打ち鳴らす剣戟の音は夜の闇に紛れて、しばらくやむことはなかった。