タルタロスでの出来事は一行に深く影を落とし、明るく話をする雰囲気でもなく、街へと続くであろう道を歩いていた。
ルークは黙々と足を進めながら、タルタロスに乗ってからこれまでに起きた出来事を思い起こしていた。
マルクト兵に引っ立てられてジェイドにネチネチと取調べをうけたこと。戦争を防ぐために協力を求められたこと。魔物やどこかの兵士達に襲われたこと。死んでいった兵士達。それに、あの赤い髪の男……。
「……っつ」
ルークは軽い頭痛に顔をしかめた。
男のことを考えようとすると何故か頭が痛くなるのだ。だがそれも、考えることをやめられず痛みをこらえて思い出そうとしていた。
思い起こそうとすればするたびに少しずつ焦点が定まり、違和感がはっきりとしてくるようだ。
そうだ、あの男は赤い髪に深い翡翠の瞳を持っていた。(この髪と瞳の色は王族の象徴で……)どこかで見たような気がする。(いつも見ていた。この色は誇りで……)そうだ、鏡を見ているようにそっくりだった。(当たり前だ、あれは……)
怯えている姿を馬鹿にされた。(当然の反応だよな)軽蔑したような冷たい目で目で。(すでにこの手は……)
「ご主人様大丈夫ですの?」
ミュウが下から見上げるようにして、心配げにルークを見つめていた。
ちょこまかと目の前を歩き、その大きな頭は今にも転がりそうな不安定感がある。
脳内に浮かんだ奇妙な感慨も見えてきたはずの違和感も、なにもかもが一瞬のうちに隠れ去り、その瞬間何を考えてたのかさえ思い出せなくなってしまった。
ルークはムカッと来て、闇雲に怒鳴り散らした。
「うるせーんだよ、このブタザル! 黙って歩いてろ!」
「ルーク」
ティアは目をひそめて、ミュウをかばうように近くに歩み寄った。
「そんな言い方はだめよ。ちゃんとミュウにはミュウっていう立派な名前があるんだから」
「はんっ、こんなのブタザルで十分だね」
すねたようにそんな風に言い張って、ルークはつーんと顔を背けた。
「ルーク!!」
「みゅみゅ~。ケンカしちゃだめですのー」
「うっせー!!」
「まぁまぁ、ルーク落ち着いて」
イオンは困惑を隠しきれない表情で、激昂するルークを宥めていた。
だが、そんな騒ぎも長く続くことはなく、気がつけばティアは色彩の無い顔で黙り込み、ルークもまた文句を言い続けることもなく黙り込んだまま歩いていた。
黙りこくったままの彼らを困惑した表情で見ていたイオンだったが、だんだんと歩みを遅らせて突然崩れるようにしゃがみこんだ。
「イオン?」
ルークはあわててそばに駆け寄り顔をのぞきこんだ。
顔は真っ青で冷や汗をダラダラと流している。
ティアは少しオロオロしたあと、イオンのそばに駆け寄ってしゃがみこんだ。
そんな二人とは対照的に、ジェイドは冷静にそのありさまを見やり、イオンに話しかけた。
「イオン様。タルタロスでダアト式譜術を使いましたね?」
ルークはジェイドの言葉を聞いて、どっかで聞いたことあるなぁと額にしわを寄せて少しだけ考え込み、ぽんっと手を打った。
「ダアト式譜術って、チーグルのトコで使ってたアレか?」
イオンは本当に申し訳なさそうに息を整えながら答えた。
「すみません。僕の身体はダアト式譜術を使うようには出来ていなくて……。ずいぶん時間も経っているし、回復したと思ってたんですけど」
ジェイドは少し眉をひそめて黙ったあと、ため息をついて周りを見回して休憩場所によさそうな木陰へと足を進めながら言った。
「少し休憩しましょう。このままではイオン様の寿命を縮めかねません」
水色の耳がひょこひょこと揺れている。
あっちへこっちへと楽しげに飛び跳ねながら、ルークたちの周りを行ったり来たりといそがしい。
仔ライガはミュウの後ろを軽く飛び掛るように追いかけて、落ち着く気配はまったくない。
ルークはだるそうに足を組んで頬杖をついて、そんな彼らを眺めていた。
チラッと、横目でイオンを見ると彼はそんなミュウたちの様子を穏やかな表情で見つめていた。
先ほどよりはだいぶ顔色はよくなっており、ルークはわずかにホッとした表情を浮かべた。
その横ではティアが静かに身体を休めていた。特に何をするでもなく黙ってその場に座り込んでいる。周りを警戒するように辺りを見回していたが、目は時折ミュウたちの方へと吸い込まれていた。
ジェイドは特に疲れた様子もなくその場に立ち、周囲への監視を怠らない。
息を切らせて駆け寄ってきた仔ライガをなでて、ハタッと思い出したようにルークは懐をまさぐった。
「ティア、これ!!」
タルタロスで、仔ライガがティアから掠め取っていった小箱をさっと手渡した。複雑な幾何学模様が描かれた小箱は、仔ライガが咥えていたにしては傷の一つも見当たらなかった。
ティアは嬉しげに頬を緩ませて、手に取った小箱を開けて中身を確認した。
その箱には金色の櫛が一本だけ入っていた。それを手にとってほっと息をつくとすぐに丁寧に小箱にしまった。
「おや、それは響律符(キャパシティコア)ですか?」
「え、えぇ。まぁ……」
ジェイドの問いにあいまいな返事をしてさっさと懐へとしまいこむ。
「響律符……? なんだそりゃ」
横で聞いていたルークは首を傾げて聞いてきた。
イオンは不審げな顔をして「知らないのですか?」とルークを見た。
ティアは特にこだわる様子もなくルークを見やり、「わるかったな」とすねた顔をしている彼に説明し始める。
「譜術を施した装飾具のようなものよ。譜の内容に応じて譜力や身体能力が向上したり、時には特殊な技能を覚えられることもあるわ。
譜力の弱い響律符なんかはアクセサリーとして使われていたりするわね」
「へぇー」
ルークは感心したように相槌を打ち、興味深げにティアを見た。
「ミュウのつけているソーサラーリングも響律符の一種なんですよ」
「はいですのー」
イオンの言葉に誇らしげにミュウは胸を張った。
「このソーサラーリングのおかげで、仔供のミュウでも炎が吐けるんですの!
それに幾ら炎を吐いても疲れないですの」
そう言ってミュウはボォーっと炎の塊を吹いた。
「うぉ、びっくりしたー! ……すげぇな響律符って」
キラキラした目をミュウのソーサラーリングに向けて、ルークは驚嘆の声を上げる。ミュウは嬉しげにリングを持ち上げて、絶え間なく炎を吹き付けた。
イオンはそんなルークをにこやかに見つめていたが、ルークがミュウのソーサラーリングを物欲しそうに見つめているのに気がついて、あわてて声をかけた。
「ル、ルーク。これをあなたに」
炎をかたどった青白いブローチをルークに手渡す。
その後ろでは仔ライガが身を隠してミュウに狙いをつけている。
「これが響律符?」
手の中にあるブローチを日にかざして、興味深げに観察した。
そして、襟元にピンを刺して身に飾りつけてイオンを振り返った。
横でミュウが火を吹き疲れて息をついた瞬間、仔ライガはここぞとばかりに飛び掛った。ミュウは潰されて目を回している。
「似合うか?」
「えぇ、とっても」
イオンは穏やかな表情でルークに笑顔を返した。
二人がニコニコと笑顔を交わしている横では、ティアは潰されているミュウを助け出していた。仔ライガは不満げな顔をしていたが諦めて、すぐ横で寝転がった。
「そうか。なぁ、もしかして俺もイオンが使ってた、だ、だーと式譜術?ってやつ使えるようになるのか?」
「そ、それは……すみません。ダアト式譜術はローレライ教団の導師にしか使えないんです」
「なんだ、つまんねぇな」
ルークは面白くなさそうに唇をとがらせた。
そんな会話を横目に、ティアはミュウの耳を軽くもてあそびながら遠くを見ていた。
タルタロスはすでに遥かに遠くて肉眼では確認することはできない。
普段であれば魔力で視力を強化して、様子をうかがうこともできるのだが先ほどの戦闘でかなり力を消費してしまっている。
先行きの暗さにため息しか出てこなかった。
『……タルタロスでの顛末はこんなものだな』
アーチャーの報告にさらに気分が重くなった。
ティアにとってこの旅はささやかな息抜きのようなものだった。
自分の役割を忘れたわけではないが、それでもルークを送り届けることはそのためになるのだからと、気がつけば自分をごまかして楽しんでいた。
それなのに……。運命は現実逃避さえ許さないらしい。
『ふん、召喚陣にわざわざ落ちてきたのだ。関係ないというほうがおかしい話だろうな』
『ただの偶然だって可能性も十分あるわ。こんな記録にも無いこと、何が起こったっておかしくないもの』
『ティア』
『……わかってるわよ。現実を見ろっていうんでしょ?』
『わかっているならいいが』
ため息を飲み込んでルークたちを見た。
いつの間にか手から抜け出したミュウがルークに話しかけてうざがられている。それをイオンが困った顔で見ている。
ジェイドは……こちらをじっと見ている。
微笑みを貼り付けて冷たい目でこちらを観察していた。
思わず冷や汗をかきながら、そっと目をそらした。
『ティア』
『なに?』
『敵が来ている』
その言葉にティアは眉をひそめた。
まだ本調子じゃないのに!
『あなたの方でどうにかできないかしら』
『やめておけ。これ以上の魔力の消費は致命的だぞ?』
きつく唇を噛み黙り込んだ。
やがて遠くから金属の打ち付けるような音が近づいてくる。重装備の兵士達が足音荒々しく、こちらを見るや剣を抜き放ちイオン様を渡せと駆け寄ってくる。
「やれやれ、仕事熱心な人たちですねぇ」
ジェイドは苦笑気味にメガネを押さえて手を開くと、にじむように音素の光がもれて槍が現れた。ぶんと振って槍を構える。
ルークもあわてて剣を抜いて剣を構えた。
手に汗がにじみ心臓がバクバクしている。
横を見れば、ティアが冷静な表情で敵を見据えていた。
「ルーク、イオン様をお願い」
そう言い放つと、ティアはルークの前に立ち杖を構えた。
それからは一方的な虐殺だった。
ティアが敵の動きを封じ、ジェイドが強力な譜術でなぎ払う。
ルークはその脇で射程範囲から逸れた敵を相手取り、妙によく動く身体を持て余していた。
敵はすでに半分を切り、ジェイドは余裕さえ感じられる槍さばきで敵をはね飛ばし地面へと沈めていった。
次々とその数を減らし、それでも敵の闘志は萎えずこちらへと襲い掛かる。
その様相にルークは恐怖を感じずにはいられなかった。
乱暴に襲いかかる敵を殴りつけて沈め、周りを見渡したとき、
「ティア!」
手に持っていたダガーを取り落とし、膝をつくティアを見た。
敵は剣を振り上げて、鋼の剣が日の光をはね返して禍々しく輝いた。
何も考えられす、切り結んでいた敵を無造作に殴り倒すと、ティアに向かって走り出した。
ルークの剣がまっすぐに敵の胸に向かって伸びる。剣の先がゆっくりと胸に飲み込まれていくのをルークは見た。
生々しい触感と絶望にゆがむ敵の顔。
無意識の内に剣を引き抜きながら、身体が震えるのを押さえ切れなかった。
「あ、あ……。お、俺が殺した……?」
『おい、泣き言を言うのは後だ。
敵に仲良く輪切りにされたくなかったら、とっとと剣を振れ』
敵のど真ん中で立ちすくむルークにアーチャーからの念話が届いた。
むっとして涙目になりながらも、なおも襲いかかってくる敵の刃を弾き返した。
敵を殲滅したあと、一行は追っ手を警戒して早々にその場を後にした。
それからしばらくの間、彼らは暗い雰囲気を背負いつつも街を目指して歩いていた。
無言でルークは一行の後ろを歩いている。時々、後ろを振り返って暗い表情をさらに暗くして足を進めていた。
ティアとイオンは心配げにルークを見ていたが、声をかけられずにいる。
前を歩くジェイドはそんな暗い雰囲気に引きずられることなく、飄々とした顔をしていた。
それでも、雰囲気の暗さにうんざりしたのかそれともまた別の要因か、立ち止まると早めに野営の準備をすることを提案してきた。
「今日はここら辺で野営にしましょうか。
みなさんもかなりお疲れのようですしね」
「そ、そうですね。ルークもティアさんもお疲れでしょう?」
イオンはルークをちらちらと見ながらそんなことをいう。
妙に気を使われていることにイラついたが、反発する気も起きずため息をついて「わかったよ」と答えたのだった。