突き抜けるような青空の下、陸上装甲艦タルタロスは土煙を上げながら草原を走り抜けていく。
甲板の手すりに手を添えて、ティアは遥かに続く草原を眺めていた。
栗色の髪は吹き付ける風に流されるままに乱れ、憂鬱な心はその瞳を曇らせるまま晴れることは無い。風も音も彼女の心に届かず、ただ微動だにせず彼方の雲を追っている。
そう、広い空は自由を象徴するという。しかし、その空の下にいたとしても自由だとは限らないのだ。
ルークたちが騒ぐ声を漫然と聞き流しながら、彼女は無意識に自分の手の甲をさすった。言いようの無い寒々しさを感じて、ぎゅっと手を握る。
これがある限り逃れることはできない。いや、無くなったとしても……。
彼女は耳を塞ぐように顔を伏せた。
朗らかな声でルークに話しかけるアニスや、少々情けない感じで話すミュウの声。それらに対して投げやりに答えながらも、どこか楽しげなルーク。
あの生き生きとした情景に自分も混ざることができるのなら、何も隠すことなく言葉を交わせるなら。
…………それができるなら!!
そんな絶望に似た諦めをいつものように心の奥底に隠して、再び目をしっかりと見開いて自分の周りを観察し始めた。
自由に見てもいいと言った通り、特に厳重な警戒を受けることなく艦内を自由に歩き回ることができた。要所要所に立つ兵士達は油断なく警備を行い、錬度高さをうかがわせる。世界でも有数の最新鋭戦艦に最新の兵器。それに見合うだけの優秀な兵士達。
何よりここのトップの曲者さを見れば、攻略の難しさを思い知らされた。
『ティア』
自分のおかれている立場の困難さに、軽くうんざりしていると己の従者がすぐそばに立つのを感じた。
『どうかしら』
『一通りの脱出経路は確認した。
逃げようと思えばたやすいだろう。だが……』
『ルークを連れてとなると厳しいものになるでしょうね』
『そうだな』
『だからと言って、王族に連なるものを敵国の手に渡したままというわけにはいかないし……。ほんとに面倒なことになったわ』
『しかし、仮にも平和の象徴とまで言われている導師イオンが乗っているのだ。
早々手荒な扱いはせんだろう。彼らに預けて我々は本来の目的に戻ったほうがいいのではないかね?』
………………。
顔をこわばらせて黙り込んだ。
彼の言っていることはとても正しい。正しいのだ。
でも、できるならもう少しだけ……。
「ティア?」
ぬっと赤い髪が視界に映った。
今にも暴れだしそうな顔をして、ティアを睨む。
「どーしたんだよ、変な顔して。
呼んでんだから返事しろよ」
「え? あ、うん。ごめん聞いてなかったわ」
「……ったく、どーしたんだよ。
なんかまた面白いもん見つけたのか?」
「いえ、そういうわけじゃないけど……」
ティアの足元には仔ライガがまとわりつき、時々一定の方向を警戒する様子で見ている。チーグルの仔もすこし不安げにして二人の間を右往左往していた。
『それで、どうするのだ? マスター?』
姿は見えないままだが、きっと嫌みったらしい表情を浮かべているだろうということは、確認してみなくてもわかる。反射的に罵ってやりたい気持ちでいっぱいになったが、ぐっと抑えて唸るよう黙り込んだ。
『やれやれ、先が思いやられるな』
『……うるさい』
それを横で黙って聞いていたルークは、口をひん曲げて彼女の手をぐっと引っ張った。
「ほらとっとと行くぞ」
振り向かずにぐいぐいと、ティアの手を掴んで船室に続くドアを目指して歩く。
「おやおやー。仲がよろしいようで」
「っく! 強敵! …………きゃわーん! ルーク様ー。
アニスの手もひっぱってくださいーーー」
そんな彼らを見てジェイドはにこやかに彼らの仲をからかい、アニスはなにを思ったか対抗するように飛び掛ってきた。
それに驚いて仔ライガは走り回り、ミュウはあわてて周りをくるくると跳ね回る。
ぎゃいぎゃいと騒ぐ彼らに、なぜか心が温かくなる気がした。
船室に戻って、ルークたちは黙って紅茶を飲んでいた。
ティアは冷えた身体が少しずつ温まってくるのを感じながら、すぐそばで丸くなった仔ライガを撫でていた。
先ほど兵士に頼んで持って来てもらった肉の蒸したものを仔ライガはお腹いっぱい食べて、今はクフクフと寝息を立てている。
「よしっ、決めた」
と、先ほどまで黙って何かを考えていたルークが、よっと身体を起こして叫んだ。そして、近くで待機していた兵士に話しかける。
「おい」
「ジェイド大佐にお取次ぎいたしますか?」
「あぁ、頼む」
「ルーク、決めたの?」
少々お待ちくださいと、部屋を去っていく兵士を見ながらティアはルークに声をかけてきた。
真剣なまなざしを向けられて、思わず目を背けてぶっきらぼうに答える。
「どっちにしたって、話聞かなきゃどうしようもないし」
「話を聞いたら本格的に、彼らの事情に巻き込まれることになるわよ。
それでもいいの、ルーク?」
「うるせーな。それにどうせ今までも軟禁されてたんだ。バチカルまで連れてってくれるならどうでもいいや」
「どうでもいいって……!
あなたそれ本気で言ってるの!?」
血相を変えたティアの厳しい問いを避けるように、ルークは不満げな表情を隠さず口を尖らせた。
イオンは悪いやつじゃないし、あれほど嫌ってたマルクトのやつらもそれほど嫌な感じもしない。(もちろん、ジェイドは除いてだ)
今まで何もできなかった自分に、手を貸してほしいといわれたら悪い気はしない。平和のためにといわれたら特にだ。
それらも理由の一つだが、実際のところルークはティアたちの手を煩わせるのが嫌になったのだ。
彼女らの振る舞いを見ていれば、断るなどと言ってしまえばこの艦全体を相手取ってでもルークの意思を尊重しかねない。
彼女にそんなことをさせたくなかった。
ティアは険しい目でルークを睨みつけた。
自分の役目と彼とを秤にかけて引き裂かれそうな思いをしていたのに、そんな適当な考えで答えを出すなんて。
こんなことなら、とっとと見捨てればよかった。
何でこんなやつのために悩んでたんだろう?
「信じらんない。ばっかじゃないの?」
「ばかっていうほうがばかなんだぞ! ばか!」
「ばか! ばかばか!」
「うるせーよばか! じゃあ、聞かないって言ったらどうするつもりだったんだよ」
「それは……。『あらゆる手段を使ってでも脱出させるわ、多少被害は出るでしょうけど……』」
「だから、それが嫌なんだって!」
「は?」
ルークは顔をほんのりと赤らめながらそんなことを口にした。
ティアはぽかんと口を開いて、そんな彼を見ていた。
はて、どういう意味だろう? そんなに被害を出すのが嫌なのだろうか。
『ふん、彼はこれ以上ティアに迷惑をかけたくないということらしいぞ。
それなら最初からもう少し気を使ってほしかったものだが。
まぁ、気持ちはわからんでもないな。
いかに世間知らずのお坊ちゃんといえども、私のマスターみたいな美女をこきつかっているのは気がとがめるだろう』
「え?」
「ば、ばか勘違いするなよ。
別にお前が心配だからとかそういうわけじゃ……」
『やれやれ、いじっぱりもここまで来ると病気だな』
アーチャーは呆れた様子で笑った。
騒ぎに目を覚ました仔ライガが眠たげな目で二人を見ている。
のっそりと起き上がると、言い訳を探してオロオロしているルークの足元に近づいてきた。
そして、がぶりと足に噛み付いた。
大きな叫び声と慌てて走りよる音。
二人にしか聞こえない笑い声が船室に響いていた。
「いやー、ずいぶんとお楽しみのようでしたねー」
「ぜんぜん楽しくねーよ」
ジェイドのからかい交じりの言葉にルークは投げやりに答えた。
なぜだか、ティアはどこか心ここにあらずといった感じだ。
そんな二人を前にして、ジェイドはわざとらしいにこやかさで二人を見渡した後で表情を改めた。メガネを軽く直して重い口調で言葉を続ける。
「昨今、マルクト・キムラスカを挟んだ国境付近で、局地的な小競り合いが頻発しています。恐らくは近いうちに大規模な戦争が始まるでしょう。
そこで、ピオニー陛下は平和条約締結を提案した親書を送ることにしたのです」
「僕は中立の立場から、使者として協力を要請されました」
イオンも補足するように続けた。
「それはイオン様の意思ですか、それとも教団の?」
イオンの言葉にティアはなにを思ったのか、量るような質問を投げかけた。
ごまかしは許さないといった厳しい目でイオンを見ている。
「間違いなく私の意志です」
「それで、ローレライ教団は……?」
誇るように答える彼に確認するように質問を重ねると、「それは……」と困った様子で目をさまよわせた。
そのやり取りを興味深げに見ていたジェイドはかばうように口を開いた。
「嫌なところ突いてきますねー。確かに、教団の総意とは程遠いと言えます。
現在ローレライ教団は、イオン様を中心とする改革的な導師派と、大詠師モースを中心とする保守的な大詠師派とで派閥抗争を繰り広げています」
「モースは戦争が起きるのを望んでいるんです。僕はマルクト軍の力を借りて、モースの軟禁から逃げ出してきました」
二人が語った教団内部の抗争と現在に至る事の顛末は、ティアを驚かせるのに十分な内容だったようだ。
「え、そんな? 大詠師モースが戦争を起こすだなんて。
彼は預言の成就のために祈っておられるはずでは……?」
「ティアさんは大詠師派なんですね。ショックですぅ……」
見損なったと言いたげにアニスが大袈裟な口調で呟き、ティアは失言を悟って顔を歪めた。それを隠そうとするかのように早口で言い返す。
「私は中立よ。どちらかに加担するなんてありえない」
「おや、妙な言い回しですね。ありえない……ですか」
ジェイドの鋭い指摘を受けて、ティアは困り果てたように俯き口をつぐむ。
話について行けないまま、憮然として黙り込んでいたルークは我慢できない様子で口を挟んだ。
「おい、俺を置いてけぼりにして勝手に話を進めるな!」
「ああ、済みません。あなたは世界のことを何も知らない『おぼっちゃま』でしたねぇ」
「あぁ? なんだとぅ!?」
だが、ルークの怒りのこもった苦情でさえも、彼にとっては蝿が止っている程度でしかないようで、あっさりと皮肉交じりに流されてしまった。
そして、世界を明日を占うであろう重要な議題は、それの成功を左右するであろうルークを置いてきぼりにして続く。
「教団の実情はともかくとして、僕らは親書をキムラスカへ運ばなければなりません」
イオンが形だけでもとりなそうと何とか言葉を続けると、
「しかしながら、我々は敵国の兵士です。いくら和平の使者といっても、すんなりと国境を越えるのは難しい。ぐずぐずしていては大詠師派の邪魔が入ります。その為に、あなたの力……いえ、地位が必要です」
ジェイドがその気遣いをぶち壊すような見も蓋もない説明をして、イオンたちを苦笑させた。
鼻を括ったような失礼な説明を聞いて、ルークは目を吊り上げて彼らを睨みつけ、なんとか彼らを言い負かしてやろうと必死に頭を捻っていた。
アーチャーは気配を辿られないように、霊体化してさらには物陰に潜み姿を隠していた。彼はこれまで聞いた話(主にティアの説明が占めるため少々客観性に乏しいかもしれない)と艦内を探った結果(少々気になる点がいくつかあった)を頭の隅に置いて、彼らの言葉に耳を傾けている。
この事態を完璧に把握できたとは言えるわけではないが、戦争へのタイムリミットはかなり短いだろうと思われた。
何より両者を仲裁できるはずのローレライ教団が、戦争肯定派によって主導権を握られているのは致命的とも言える。
使者を送ってきたマルクト側を見てもキナ臭い。最新の軍用艦に軍内でもトップレベルの軍人、しかもローレライ教団において最高位の要人を厳重な警備の中からも突破させることができる実力者だ。キムラスカにとってもこれは脅威に違いない。これだけのカードを出しておいて、自国優位で話を進めようという裏心がないとしたら、マルクトのトップは相当なお花畑に違いない。
しかし、良くある話ではあるがマルクト内部でも、キムラスカとの平和条約締結を阻止したいという一派が存在しているようだ。
艦内の構造把握と解析の結果、一風変わった貨物を倉庫内で発見した。
自分がいた世界とこの世界とにある程度共通項があると仮定して見た場合、内容物とそれに導かれる結果を考えるに、設置型の爆薬である可能性が高い。
和平の使者を隠れ蓑にして、キムラスカで破壊工作を行うと考えるのは、どう見ても少々無理があるだろう。とすれば、考えられる上で一番可能性があるのは主戦派による妨害工作だ。
そう考えてしまうと、この和平交渉の行方が相当困難な道となると想像するのは容易かった。
アーチャーはさらに気を引き締めて、彼らの言葉の裏側を探り出そうと耳を傾けていた。
ルークは戸惑いを抑えて虚勢をかき集め、ことさらに声音を硬くしてジェイトを威嚇する。
「おいおい、おっさん。その言い方はねぇだろ? それに、人にものを頼むときは、頭下げるのが礼儀じゃねーの?」
「別にいいじゃない、わかりやすくって」
「あん?どーゆー意味だよ」
ティアの口から飛び出てきたポイントのズレた発言を聞いて、ルークはキッとにらみつけた。そこから続く、赤い弓兵のマスターと王族に連なる貴人との言い争いは、重要な政治の話をしてたとは思えないほど暢気なものである。
「え、どういう意味も何も、そのままの意味ですけど?」
「はぁああ??お前俺を馬鹿にしてんのか?」
「なに言ってるのよ、そんなわけないわ」
マスターの言い方はどうかと思うが、このマルクトの軍人言い方も……。
いや、だが皮肉交じりでも噛み砕いて説明している分には、ずいぶんとお優しいと言えるかもしれん。甘言を弄して好きなように誘導してしまう方が、マルクトにとっても得であるのに、わざわざこうやって己の未熟さを指摘してるのだから。
場合によっては敵同士となる可能性もあるというのに、ずいぶんとお節介なことをする。いや、そうなっても切り抜ける自信があるのか?
子供の喧嘩のような言い争いをしている二人に、ジェイドは呆れた様子で水を差した。
「はいはい、痴話げんかは外でやってくださいね」
二人は口々に否定の言葉を返してくるが、どうにも格好が付かない。
思わずお互いに顔を見合わせ、二人ともあわてて顔を背けた。
「ったく、いったいなんなんだよ。……で?」
ルークは椅子に乱暴に座り直して、偉そうにふんぞり返ってジェイドをにらみつけた。
「やれやれ」
ジェイドは肩をすくめた。
そして片膝をつき、貴人にする動作でうやうやしく礼をする。
周りで引き止める声が上がったが、動じずに請う。
「どうか、お力をお貸しください。ルーク様」
「あんた、プライドねぇなあ」
「生憎と、この程度のことに腹を立てるような安っぽいプライドは持ち合わせていないものですから」
ルークの無神経な言葉にも大して動じずに、ジェイドはわざとらしいほどの爽やかな笑みを浮かべた。
……確かにたったこれだけのことで懸念が一つ解消されるなら安いものだろう。ついでにおちょくれるのなら一石二鳥か三鳥か。
「分かったよ。伯父上に取り成せばいいんだな」
「ありがとうございます。私は仕事があるので失礼しますが、ルーク様はご自由に」
「呼び捨てでいいよ。キモイな」
「分かりました。ルーク『様』」
嫌みったらしく答えてジェイドは船室から出て行った。
どこか悄然として、彼が出て行ったドアを見ているルークに「ご主人様元気だすですのー」とミュウが飛びついた。
むきになってルークがミュウを叩き落したり、それをティアが止めようとしたりするありさまをイオンは困った顔で見ている。
そんな騒ぎを横目に、アーチャーは先々に起こるであろう困難を想像して、ため息を吐かずにはいられなかったのだった。