Fate/stay night 〜Gluhen Clarent〜   作:柊悠弥

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第6話 『戦わせない、その理由』

『協力、してくれるか?』

 自身の手を差し出しながら、士郎が言った言葉。

 あの時、あの瞬間、士郎とセイバーの聖杯戦争が始まった。

 

「聖杯戦争ってのは────」

 

 しかし早々に、士郎の決意は揺らいでいる。

 抹茶ラテを飲みながら、士郎は眉間に皺を寄せて。吐いた溜息はラテに反射して、暖かい空気が返ってきた。

 

『俺は君を、あまり戦わせたくない』

 

 起き抜けのアレは寝ぼけていたわけでも、冗談で言ったつもりもない。

 怖くなってしまったのだ。目の前で彼女が傷つき、奥歯を噛みしめる様を見ているだけで、心が痛んだ。

 自分から頼んでおいてなにを、と思われても仕方がない。しかし、嫌なものは嫌なんだから仕方ないだろうと士郎は思考の泥沼にハマっていく。むしろ、士郎自身が一番困惑しているほどだった。

 セイバーの言葉を聞くに、どうやら士郎だけではこの聖杯戦争を勝ち抜くことは難しいらしい。自分だけで聖杯をロクなことに使わない連中を止めて、どうにかできるならその方がいいと思う。

 けれど士郎は、勝てない戦いに進んで挑むほど無謀ではなかった。だからせめて、自分が戦う術を得るまでは、と。

 

『戦わせたく、ない……?』

 

 ……違う。理由はそれだけじゃない。

 戦わせたくない。そう告げられた、セイバーの表情は、

 

『貴公を王とは認めない』

 

 夢で見た、自分の父親であるアーサー王に突き放された時の表情と酷似していたのだ。

 戦わせない。その事実が、彼女を壊してしまうような気がして。

 

 彼女を戦わせたくはない。

 彼女を悲しませたくない。

 

 しかし、聖杯戦争を勝ち抜くには彼女の力が必要だ。

 

 士郎の心に、蟠りが生まれていく。

 思考の中にどろり、どろりと。どす黒く、粘っこい泥が、溢れていく────。

 

 ◇◆◇

 

 両手にぶら下げられた買い物袋を見下ろして、士郎は満足げに笑みを浮かべた。

 場所はいつもの商店街、マウント深山。陽も沈み始め、士郎とセイバー以外にも買い物にきた沢山の人影が見て取れる。

「にしてもやるなあ、シロー」

 唐突に投げかけられた言葉に、士郎は小首を傾げた。

 何のことかわかってない様子にセイバーは大判焼きを咀嚼しながら、士郎の様子に苦笑を浮かべる。嚥下するまでの数秒、沈黙が続いて、

「いやさ。回復手段まで用意してるとはやるなって話だよ。アイツ────トーサカ? も気づいてなかったみたいだぜ?」

「ああ」

 言われて、思わず士郎は間抜けに声をあげた。

 

 回復手段というのは昨夜のことだろう。

 

 両断された体。意識が遠のいていく感覚。血が抜けていく寒気。

 死という強大な海に、体が引きずられていくようだった。抗うことはできず、四肢は寒気と痺れを覚えて、とうとう抵抗することまで辞めてしまう。

 アレは確かに死を感じさせるものだった。体を真っ二つに両断されて、生きている人間が居てたまるか。……いや、そう考えている士郎自身がそれでいて生きているイレギュラーなのだが。

 セイバーと凛が言っていたことは事実だ。なら、何故生き延びているのか────

「俺は何も自分の体にしてないよ。そういうセイバーの方こそ、俺の体になにかしてくれたんじゃないのか?」

 本気で心当たりのない士郎は、隣を歩くセイバーへと問いを返した。

 無理もない。士郎は魔術師と呼ばれる存在ではあるのだが、その重要な魔術がからっきしだ。唯一思い当たるモノといえば士郎の父親、衛宮切嗣にあるのだが、切嗣本人が『魔術は怪我や病気を治せるほど万能ではない』と公言していたし、その可能性は潰れてしまう。

 対するセイバーは抱え込んだ紙袋から大判焼き────士郎が邪道だと言ってやまないクリーム味────を取り出して、

「いや。無自覚のウチになんかしてるなら別だけど、オレはなんもしてないはずだぜ? だとしたら尚のこと謎だな……」

 卵などが入った買い物袋を持ち直してから、眉間にしわを寄せながら小首を傾げる。

 とうとう謎は迷宮入りしてしまった。こうなれば知識皆無の士郎ではどうにもできまい。

 再び続く沈黙。セイバーは満足げに大判焼きを頬張っているし、話しかけるのは無粋というものだろう。

 

「────────」

 

 士郎たちの足音、ビニール袋が擦れる音────それから、沢山の人達の楽しそうな声が暖かく響く。

 平和な街並みだった。この街で魔術師同士の殺し合いが繰り広げられていると言われても、なまじ信じきれない程に。

 そこを歩く士郎とセイバーは、周りの人にはどう見えているだろうか。

 兄妹、恋人、はたまた夫婦か。

 この二人を、戦場を駆け抜けるための協力関係だとは思うまい。

 

 ……それほどに、セイバーは普通の女の子なのだ。

 

『オレのことは家族には隠しといた方がいい。シローの家族……フジネエ? がいる間はどっかに身を隠したりしてるから。よろしく頼むぜ』

『待った、じゃあ夕飯なんかはどうするんだ?』

『夕飯て……いやまあ食うけど。そのあとでひとりで食うから、取っといてくれ』

 

 カフェでの会話の終いに、セイバーから放たれた言葉。その言葉に士郎は、未だに引っかかりを覚えていた。

 美味しそうに大判焼きを咀嚼する姿を見て、余計にその引っかかりは膨らんでいって。

 

「そう、だよな。そんなのダメだよな」

 

 ひとり呟き、心を新たに。

 何やら頭の上にクエスチョンマークを浮かべているセイバーを他所に、士郎は帰路を急いだ。

 

 ◇◆◇

 

 場所は変わって衛宮邸。時間は陽も沈み、壁にかかった時計は夜七時を指している。

 鼻腔をくすぐるのは夕餉の柔らかな香りだ。食卓に並んでいるソレは心なしか豪華な気がする。どれも士郎の自信作であり、鼻を高くして今日は頑張ったと言える品々だろう。しかし、

 

「えっと、そういうことだから……」

 

 居間に満ちるのは痛いほどの沈黙であった。

 そこに居るのは士郎以外に、桜と藤ねえ。それから、隠しておくべきだと言われていたセイバーまでもが畳に腰を下ろしていた。

 桜と藤ねえの視線はセイバーに突き刺さり、セイバーは少し困ったようにちらりと、士郎に視線をくれている。

 正直一番居心地が悪いのは士郎であった。士郎本人が言い出したものの、まさか無言が返ってくるとは思っていなかったらしい。

 もう二分ほど経っただろうか。士郎が桜たちに、「切嗣を頼って日本に来たセイバーだ。これからウチで少しの間世話することになったから、よろしくな」だなんて、軽く紹介して────それからというものの、まあ無言が痛い痛い。あのハイテンションタイガーですら、黙りこくって夕餉に手をつけないほどだ。

 

「……し、」

 

 とうとう口を開く冬木の虎。藤ねえの目元は陰り、うまく表情が読み取れない。

 士郎がちょうど聞き返そうとしたところで、

 

「士郎が不良娘に取られちゃったー!!!!!!」

「────っ、!」

 

 ……何かが爆発したようだった。

 まさしく先程の沈黙は、嵐の前の静けさというものだったのだろう。一気に爆発した藤ねえは丁寧に食器を机の上からどけてやると、一転して豪快に机の上に足を立てる。

 同時にセイバーを睨みつけて、ついでとばかりに指を突き刺した。

「大体この子は誰なの、誰なの、誰なのよお!」

「言ったじゃないか……セイバーだよ、セイバー。切嗣の友人の娘みたいで、切嗣を頼りに外国からはるばるここに来たんだ。無下に帰すワケにいかないだろ?」

 未だ治らない耳鳴りに眉間にしわを寄せながら、士郎は先と同じ言葉を復唱する。

 大きなため息を吐きながら、ぼりぼりと頭を掻き毟る士郎。まあ、この反応は予想していたものだ。

 対する胡座をかいて座っているセイバーは、士郎と同じく頭をかきむしりながら口元を歪めていた。

 当然だろう。士郎はあろうことか、セイバーに相談すらせずにコレを決行したワケで。反応に困るのも仕方がない。

 怒鳴られるくらいは覚悟していたのだが、意外なことにセイバーは大人しく藤ねえを見上げ、度々士郎へ視線を向けている。……怒っている気配も、ない。

「大体、貴女自身も何か言ったらどうなの……えっと、せいば……セイバー? ちゃん?」

 セイバーへ投げられる質問。ちらりと向けられていた程度だった士郎への視線はとうとうしっかりと見つめるようなものに変わり、士郎は居心地悪そうに唸りを上げる。

 それから軽く手を合わせて、話を合わせてくれ、とばかりの視線を返した。察してくれたのか、そうでないのか。どちらだとしても、ここのセイバーの行動に全てがかかっている。

「……そうだ、オレは」

「オレ……?」

「……わたしは、私はキリツグをアテに日本に来た。父上────の姉さんが、もしも私が死ぬようなことがあれば、日本の切嗣を頼りなさい、って言ってたもんだからな」

 言って、仕方ない、とばかりに大きなため息を吐くセイバー。

 対して藤ねえは一瞬面食らった後、士郎に視線を向ける。視線は『本当なの?』と士郎に問いかけていて、ほんの少し罪悪感があるが士郎はここで頷く他ない。

 これが丸く収まる方法なのだ。士郎としてはセイバーをひとりで置いておくのは気に入らないし、何より聖杯戦争以外に(これ以上)隠し事をしておくのは耐えられなかった。

 押し通せたのか、藤ねえは口元を歪ませて、眉間を指で揉んでいる。

 しかしその隣の桜が、士郎にとって気がかりであった。

 セイバーが紹介されてから一言も口を開いていない。ただひたすら俯き、腿の上で組んだ自分の指を眺めているだけだ。

「……わかりました、認めましょう」

 士郎が桜へ声をかけようとしたのと同時。藤ねえが渋々頷いた。

 机の上から足をどかし、退けた食器を元の定位置に戻しながら。ぷりぷりと頰を膨らました藤ねえは、「だけど」なんて前置きをしながら、桜の肩を抱いて、

「セイバーちゃんは、寝るのは私と一緒。今晩は桜ちゃんも泊まらせるのが条件。良いわね?」

「……え?」

 予想だにしていなかった条件に、士郎は思わず面食らう。

 面食らっているのは士郎だけではない。桜までもが困惑する中、藤ねえだけが納得したように大盛りのご飯をかき込み始めた。

 それ以来特にこれといった問題はなく、夕飯はゆったりと進んでいく。

 士郎だけが小首を傾げて、食事に集中できぬまま。

 

 ◇◆◇

 

同調(トレース)開始(オン)

 

 熱い鉄の棒を脊髄に突き刺していくような感覚。

 喘ぐような呼吸。呼吸までもが熱を孕み、閉じた瞼、その裏側が赤く染まっていく。

 一歩間違えば死へと突き落とされるような作業だ。絡まった蜘蛛の糸を一本一本、慎重に解いていくような────

 

「基本骨子、解明」

 

 余計な思考を削ぎ落とすにはこれが一番だった。物の構造を理解し、隙間に魔力を流し込んでいくことだけに集中する。

 

「構成材質、解明」

 

 物質のスキャンを終えた。あとは魔力を流し込むだけ。

 ここが一番の気の張りどころだ。ここで失敗しては、全てがパーに────

 

「ダメなのはソレじゃねえか?」

 

 思考を遮断する声がした。

 身体に溢れていた熱が引き、どっと疲労が押し寄せる。上がった息をそのままに振り返ると、着物に身を包んだセイバーの姿があった。

 昔、切嗣が着ていたものだろう。男用の紺色の着物の上に、今日士郎に買ってもらった赤いダッフルコートを羽織っている。

 首にはバスタオルが下げられていて、上気した肌とまだ濡れている髪から、風呂上がりだということが見て取れた。「少しセイバーちゃんと話をするから」、なんて食事後に藤ねえに連れて行かれたものだが、ようやく解放されたらしい。

「……悪い、邪魔したか?」

「いや、良い。セイバーには、なんか見えたらしいし……なんでこんな時間に、こんなとこに?」

 何故かわからぬまま士郎はセイバーから視線を逸らし、問いを投げかける。

 場所は土蔵、時刻は丁度日付が変わった頃だ。

 こんな夜更けに土蔵に来るのは、士郎くらいしかいない。それに風呂上がりにこんな寒いところに来たら風邪をひく────なんて言葉は、士郎の口から何故か出ることはなかった。

 顔が熱い。まだ『強化』の魔術の鍛錬が足りないらしい。

 そんな思考をひとりでに繰り返す士郎を他所に、セイバーは、

「んや、たいがーが『次は桜ちゃんをお風呂に行かせるから、覗かないように士郎を見張っといて!』っつーもんだから」

「たいがー……ああ、藤ねえか」

 タイガー、と。冬木の虎、なんて呼ばれる藤ねえとしては、苦手な呼ばれ方だったと士郎は記憶している。

 どうりで屋敷に藤ねえの怒号が響き渡るわけだ。もっと別の呼び方にしなさい、と叫んでいた藤ねえに、士郎はひとり手を合わせた。

「覗きなんてしないけど……で、何がダメだって?」

 藤ねえのことは横道において、再び問いを起こす。

 セイバーには何か、士郎に見えていないものが見えたらしい。もしかしたら何か改善点が見えるかもしれない、と。

 

「……や、上手くは言えねーんだけど」

 

 なんて思ったんだが、出鼻を挫かれ、思わず肩を落とす士郎。

 しかしセイバーは顎に指を添えて、何やら熱心に思考して、

 

「……オレの知ってる連中は、そんな苦しそうに魔法や魔術を使ったりしなくて。ソレがなんつか、こう……異常に見えた。だから思わず声かけたんだ」

 

 ゆっくりと、自身の考えを吐き出していく。

 苦しそうに使わない。魔術とはなんらかの代償と引き換えに、現象を起こすものだと士郎は教わったものだが。

 魔術は苦しく、痛いもの。そう認識していた士郎としては、盲点だった。

「……それは俺の鍛錬が足りないからだと思うけど、なんだ。貴重な意見を聞けた」

「そか? 力になれたんなら良かった。そのまま続けろよ、オレが見といてやる」

 言って、セイバーは床に腰を下ろそうと膝を曲げる。しかし士郎は即座に立ち上がって。

「いや、もう今日は寝る。寝るからな。いい、大丈夫だ」

 まくし立てるように言い放つと、セイバーの横を早足で過ぎ去っていく。

 どのみち今日はこれ以上無理だと思っていたものだが、何故かあのままセイバーと居たら、士郎の中で何かが壊れてしまう気がして。

 何故かわからぬ動揺を抱えたまま、士郎は足早に自室へ逃げ帰っていく。

 

「……なんだ?」

 

 土蔵に取り残された、着物の下の生足を露出させたセイバーは、ひとり困惑の声をあげて。

 士郎の悩みが余計に追加されたとか、そうでないとか。




日間ランキング2位頂いてたみたいです……ありがとうございました。緊張で吐きそうでした。19年生きて来て初めて鼻からカレー吹き出しました

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