Fate/stay night 〜Gluhen Clarent〜 作:柊悠弥
「────
世界に語りかける詠唱の一節。他人が聞いても意味を成しそうにない、魔術の一節。
それを聞いて女は首を傾げて、可笑しそうに笑った。
「まだ戦意を失ってないのは尊敬するわ。……まあ、貴方を倒した後でも追いつけるでしょうし」
女の余裕は揺らがない。確かに戦力差は歴然だ。だが、
「……私の出身の国では、『窮鼠猫を噛む』という諺があってな」
だからこそ、足元を掬いやすい。
『
『
『
『
不思議と呼吸は落ち着いていた。心音もゆったりと、ゆっくりと。
焦りも恐怖もない。きっと、ここで死ぬものだとなんとなく理解して、受け入れているのだろう。
「……私が相手するまでもなさそうね」
痛々しい隻腕がかざされた。
アーチャーの目の前に、バーサーカーを飲み込んだものと同じ沼が広がり。蠢くそこから、巨大な腕が飛び出した。
「これは、」
這いずり出てきたのはついさっき飲み込まれた巨人。巨人の体には赤い紋様が刻まれ、先ほどのものとは違うと主張している。
「▂▅▇▇▇█▂▇▂!!」
巨人が叫びをあげる。人々の恐怖を煽るように、自身の戦意を、殺意を高めるように。
『
けれど、アーチャーは詠唱を止めない。
『
コレはおそらく、敵の足止めには最善の手。
コレこそが、アーチャーの最強最大の宝具。
『
正義を掲げ生涯を進み、ただの一度の勝利もなく、ただの一度の理解もされなかった男の心象風景。
物寂しく、同情すらもされることがない────世界の英雄の、悲しき世界の全てだ。
◇◆◇
頭が痛い。体が作りかえられていくような感覚。体の中に、何かが流れ込んでくる。
「っは、ぁ、っ、は────」
抱えているはずの少女の重さを感じない。壊れたはずの足から痛みを感じない。
僅かに感じる地響きと、荒くて苦しい呼吸音。もう止まれと主張を繰り返す肺の動きだけが、今の士郎の全てだった。
『救われた!』『ありがとう!』『助かったよ!』『君は命の恩人だ!』『君は英雄だ!』
聞いたことない賛美の声が頭に響く。
『……ロクでもない』『死んでしまえ』『何を考えてるかわからない』『君が全部悪いんだよ』
聞いたことない侮辱が頭に響く。
────なんだ、これ。
頭が痛い。体が熱い。何かが塗り替えられて行く。自分の身体じゃないみたいだ。
「▇ろう、▇▇▇▇」
何かが聞こえてきた。聞き慣れたはずの声。しかし、何を言ってるかわからない。理解できない。全てが理解を拒んでいた。これ以上何かを身体に、頭に詰め込まれることが耐えられない。
「シロー!!」
ふと、全身に衝撃が駆け抜けた。
気がつけば目の前には地面が広がっていて、手のひらには土がこびりついている。
「おい、大丈夫かシロー」
「……あ、ああ? 俺、今どうなったんだ?」
「……突然コイツを下ろしたと思ったらその場に倒れこんだんだよ」
少し視線を動かせば、心配そうに見下ろす凛とイリヤの姿。セイバーに至ってはやや戸惑いの表情を浮かべながら、士郎の前で手を差し伸べている。
「……悪い、セイバー。あれからどれくらい走ってた?」
「十五分くらいだ。あと十分も走れば森の出口に着くっつってたぜ」
セイバーの手を借りて、なんとかその場に立ち上がる。
ひどい頭痛だ。頭が重い。……いや、重いのは頭だけじゃなく、体全体。
ガンガンと何かに身体の内側から殴りつけられるような感覚が、逃げてくれない。
「……遠坂、俺を置いて先に行ってくれ」
これでは走り出せるのに時間がかかる。息を整えながら士郎は諦めの表情を浮かべ、再びその場に腰を下ろそうとして、
「何言ってんの。私のアーチャーの勇姿を無駄にするつもり?」
その腕を強く引っ掴まれ、無理矢理その場に立たされた。
「そんなの絶対に許さないから。これ以上、誰もかけずにここから帰るの。貴方をこの場においていけば、絶対あとから後悔する!」
「遠坂……」
真っ直ぐに士郎へ向けられた凛の視線。その瞳には涙が浮かび、ゆらゆらと揺れている。
正直凛も一杯一杯なのだ。自分のサーヴァントにあのような命令を下してなお、自分の仲間を失うなど。
「悪かった、遠坂。時間はかかるだろうけど、俺も一緒に────」
「シロー、リン! 伏せろ!!」
進むしかない、と一歩を踏み出して。思い頭を揺さぶると、再び地面に倒れこむ。
今度はセイバーの突進によって。何が起きたのか理解しきる前に、何かと何かが激突するような鈍い音と、遅れてやってきた衝撃が落ち葉を舞わせた。
「▃▄▄▟▞▟▜▞▂▇█!!」
士郎達の真後ろで上がるあの叫び。絶望と恐怖と死の気配を感じさせる、死神の咆哮。
「……!? もう追いつかれた?!」
視線の先ではセイバーが巨大な岩のような剣を受け止めて、なんとか巨人の突進を押しとどめている。
巨人の後ろにはあの女の姿が見えた。
「ごきげんよう、思ったより時間がかかってしまったわ」
隻腕をひらひらと振りながら、相変わらず趣味の悪い笑みをこちらへ向けてくる。
しかし会話を交わしてる余裕なんてない。正直、さっき以上のピンチと言える。
士郎はロクに動けず、セイバーも巨人の剣を受け止めたまま動けず。士郎と女たちの距離でさえ、そう遠く離れているわけではない。
となれば、選択肢はひとつ。
「……ああ、そう。貴女のアーチャーには驚かされたわ。この英霊『ヘラクレス』を6回も殺してみせるなんて」
獣のように荒く呼吸を繰り返す巨人の背中を、やわく撫でながら。
「まぁ、結果として容易く死んでいったのだけれど。無様だったわ」
女は、凛────いや、その場の全員の逆鱗に触れた。
この瞬間、逃げの一手は消え失せる。これはおそらく女の計算のうち。こんな安い挑発、乗らないのが正解なんだろうが、
「なあマスター。コイツ、ぶっ飛ばしていいよな」
「当然だ。頼んだぞ、セイバー」
仲間を侮辱されて、黙っていられるほどセイバーの心は広くない。
同時、セイバーは巨人の剣を高く弾き、後ろに跳んで距離をとる。
これは逃げの一手ではない。
セイバーの足先は地を抉り、見慣れた赤い雷を纏いながら土と葉、全てを撒き散らし、前へ。
「ど、ら、ぁ!!」
勢いと魔力、全てを込めた雷撃を纏った一撃。
あたりに魔力の余波が迸り、思わず士郎は両腕で顔を覆った。
セイバーの一撃は巨人の鋼鉄のような身体へ。しかし剣は弾かれ、巨人の身体には傷ひとつつけられない。
叩き付ける。叩き付ける。叩き付ける。叩き付ける。
岩のような剣を躱し、大きな拳を掻い潜り、大木の様な足から繰り出される蹴りを躱し────何度も、何度も。
だというのに、何度何度繰り返しても、セイバーの攻撃は弾かれるだけだった。
「あら、何度やっても無駄ではなくって?」
「うるせェ!!」
女の揶揄うような言葉に即座に悪態を返したが、正直なところ否定はできない。
相手はイリヤがマスターだった時に比べて、本能に任せた攻撃をしてくる。いくらか躱しやすく、去なしやすいがこちらの攻撃が通じないことは事実だ。
「……マスター、宝具をぶっ放す。構わないか?」
なら、今まで試していなかった一撃を試すしかない。
英霊の真名を解放して放つ、逸話を込めた最強最大の一撃。
それならあの鋼鉄の身体も、あるいは。
セイバーの兜が音を立てて
背中越しに投げられたセイバーの言葉に、戦況を見守るしかなかった士郎は静かに頷いて。
「……ああ、わかった。ぶっ込んでやれ」
「よし。じゃあマスター、オレに令呪をくれ。今のマスターの状態じゃ、魔力を持ってかれんのはだいぶキツイだろ」
必ず決める、と。セイバーは肩越しに視線を送り薄い笑みを浮かべた。
左手を掲げる。そこに在るのは英霊ヘの絶対命令権。魔力の塊であり、マスターの証。それが、三画。
結ばれた紐を解くように、ゆっくりとその端を引っ張るイメージ。左手の甲に熱が走り、その熱を、
「令呪を以て命ず!! セイバー、宝具をぶっ放せ!!」
放つ。
熱は魔力の波となり、士郎を中心に広がっていく。
「────ふ、ぅ」
同時にセイバーの身体には魔力が満ちた。
熱を持つ程の膨大な魔力。これが、令呪の力。
────これなら気持ちよくぶっ放せそうだ。
令呪によって告げられた使命を胸に。両手で握ったその剣を、天に掲げる。
「これこそは我が父を屠し邪剣。怒りを込めた魂の咆哮」
剣に雷が落ちた。セイバーの象徴とも言える、真っ赤な落雷だ。
剣はそれを纏い、主人の指示を今か今かと待ち焦がれている。
「
振り下ろす。轟音を立てる雷を、父へ込めた憎しみの全てを力に変えて、巨人を目掛けて振り下ろす。
辺りの木々が吹き飛ぶ音がする。雷が葉を焼き、生物へ死を突きつける。
「▂▅▇▇▇█▂▇!!」
やがて雷は巨人へと襲い掛かり、そして────。
兜被ってる、みたいな描写してなかったけどきっと読んでくれてる人は無意識に兜を被せてくれてると思ってます(現実逃避)とりあえず宝具を撃つところまで来れた……ここまで随分長かった気がします。ここまで読んでくれてありがとうございます、本当に。
詠唱の改行直したいんですけど直らない……困る……