Fate/stay night 〜Gluhen Clarent〜 作:柊悠弥
「桜!!」
叫んだ声は届かない。時すでに遅し、とはこの事だろう。
桜の口から吐き出される血液。背中からぶち抜かれた腕は桜の胸から飛び出して、指先に掴んだ何かを見せつけている。
「何しやがる、てめえ────!!」
士郎の激昂を聞き、セイバーが稲妻を纏いながら跳ぶ。
その両手にはいつもの長剣。振るわれたソレは影をすり抜け、きち、きちきち、と、影だったものは気味の悪い音を立てた。
「……蟲?」
そう、蟲。凛が思わずつぶやいた通り、辺りに散らばるソレは蟲であった。
凛が間桐の工房で見たものと同じ。全く同じソレが、再び影の形を成す。
漆黒のローブに身を包んだ隻腕の女性だ。右腕があるであろう位置からはどす黒い魔術があふれ出ていて、気味の悪さに拍車をかけている。
そして唯一残された手、その指先には光を反射する、黄金の何か。
解放された桜は膝からその場に崩れ落ち、すぐさま士郎が桜を受け止めた。
呼吸はまだある。出血量も、思ったより酷くはない。
「……だいじょうぶです、先輩……お爺様に仕込まれた蟲が、わたしのことを、生き永らえさせて……」
「わかった、もう喋るな桜。すぐに終わらせる」
皮肉な話だ。昨日怒りを覚えた間桐の人間に、大切な人が生かされているなど。
「あら、まだ死んでいないの? まあいいわ。私の目的はもう済んだのだから」
女の言葉が士郎の怒りを煽る。凛までもが音を立てながら歯を噛み締めて、密かに指の間へ宝石を構えた。
「そんな
「なあに、やって見なくちゃわからないじゃない。随分と自分の実力に自信があるのね」
軽口を交わしながらも、凛は静かに女を睨みつける。
膨大な魔力。そして、このただならぬ存在感。これは────
「……マスター。コイツ、サーヴァントだ」
「コイツが……!?」
セイバーの呟きに、士郎が思わず声を上げる。
そう、サーヴァントだ。放つ気配も、魔力も、紛れのないサーヴァント。
「……やっぱりそうなんだ。でも貴女は何者? 私は貴女のコトなんて知らない。知らない顔の英霊は、昨日の晩に全員脱落したはずなんだけど」
「ふふ、そうでしょうね。だって私、昨日の晩には一度死んだんですもの。地獄の底から這い上がってきたの」
言いながら、フードを自ら脱ぐ女。
その下から現れたのは、半分肉の削げた醜い顔。抉れた顔の肉からは無数の虫が飛び出し、きぃきぃと不快な声を上げている。
頰の肉はこけ落ち、痩せ細り、肌の色は青白く────まるで死人が無理やり動かされているような。
「……はは、まるで『
「そうよ? 私の身体は半分以上が死滅している。生きた屍、だなんて言われても仕方がない」
否定をしない。何もかもが足りていない顔で、女は楽しげな笑みを浮かべた。
「私はね、蘇ってでもしなくちゃいけない事があったのよ。これが、その第一段階」
高笑いを交えながら、女は左手を高々と掲げて。
その腕を、自らの身体に突き刺した。
刹那、膨大な魔力の余波が辺りへと広がり、その女の体中の蟲が、歓声をあげるように鳴き叫ぶ。
喉がヒリヒリと痛む。肺が荒く呼吸を繰り返し恐怖を訴える。体中から脂汗が飛び出して、逃げろと警告を鳴らしている。
足が、恐怖で、動いて、くれない。
なまじ魔力を感じる事ができるのが仇となった。だからこそ、感じられるからこそ、この恐怖を理解できる。
コイツに歯向かってはいけない。立ち向かってはいけない。背中を向けては、一瞬で殺されてしまう、と。
「ふふ、ははははは!! とうとう、とうとう手に入れた!! これが、これこそが────私を勝利へ導く力。聖杯の、力……!!」
崩壊していく。崩れ去っていく音が聞こえる。
平和が、平穏が、何もかも、全部、音を立てて。
満足気に口よ裂けろとばかりに笑顔を浮かべる女の手のひらが士郎達へと向けられた。
途端、手のひらから溢れ出すのは魔力の本流。どす黒い、先日の結界などとは比べものにすらならない凶悪なソレが、球体を象って行く────
「マズい」
短く呟いたセイバーは士郎の元へと駆け寄って。その目の前へ、庇うように立ちはだかる。
「何考えてるんだセイバー、あんなの受けたら消し飛ぶぞ!!」
「うるせェ、ここでシローを失うよりはマシなんだよ!! 大人しく護られてろ!!」
と言っても何をすればいいのかわからない。あんな膨大な魔力、どうすればいいのか。
どうにもできない絶望感。太刀打ちできない。そんな状況へと助け舟を出したのは、
「アレが放たれる前に逃走を図ります。シロウ、準備を」
ここにきて初めて口を開いたライダーだった。
「ライダー!?」
「……驚いてる暇はありません。私の宝具を使いましょう……アレなら、追いつかれることはないはず」
驚愕する凛へと、ライダーは静かに言葉を並べて。今にも放たれそうな魔弾へと視線を向ける。
「隙を作れればベストなんですが……」
「了解した。その役割、私が引き受けよう」
状況は加速して行く。この場にいる全員が生きることに縋り、次から次へと動き出す。
ライダーの声に応えたのはアーチャーだ。言いながら、アーチャーは弓を
「それではセイバーは霊体化を────シロウはサクラを連れてこちらへ。リンも、早く」
考えるよりも先に体が動いていた。死にたくない、その一心で。
渋い表情を浮かべながらもセイバーはすぐさま霊体化。士郎は桜を抱え、ライダーの元へと駆け寄る。
瞬間、アーチャーの矢によって女の足元が爆ぜ、その体勢が崩れた。
一瞬の隙。しかし、この戦場では大きな隙だ。
「
◇◆◇
沈み行く陽の光。部屋へと差し込む日差しが夜の訪れを告げ、ほんの少しの物寂しさが胸を満たす。
衛宮邸の別館の一室。普段は使われていない客室へ士郎はいた。
その腕には寝息を立てる桜が抱えられている。
数時間前には、あんなに幸せな笑顔を浮かべていたのに。
静かに眠る桜だが、定期的に何かに苦しむように呻き声を上げている。それを見る度、聞く度、士郎の胸が痛むのだ。
『士郎、僕はね。正義の味方になりたかったんだ』
父親から、切嗣から受け継いだ
「……何が、正義の味方だよ」
間に合わなかった。あの時、あの瞬間、となりに桜は居たはずなのに。
あのサーヴァントの反抗に抵抗できず、あのサーヴァントに太刀打ちできず────無様に逃げ帰ってきた。
これの、どこが正義の味方なのだろうか。
ゆっくりと、感情を噛み締めながら、桜をベッドに下ろしてやる。
「……先輩?」
「……起こしちまったか、桜」
薄っすらと目を開いた桜が、掠れた声で士郎を呼ぶ。
同時に手を伸ばすと、士郎の頰をゆっくりと、愛おしむように撫でた。
「難しい顔してますよ、先輩。何かを必死に噛み殺してるみたいで」
頰を暖かさが包み込む。こみ上げた感情を甘やかに溶かして行く。
何も心配することはない。誰も責めることはない、と。子供を甘やかす母親のように。
「……あんなに楽しかったのにな、って思ってたんだ。なんで桜だけがこんな目に遭わなくちゃいけないんだ」
自然と、溢れ出るように言葉は士郎の口から流れ出ていた。
士郎の吐露に、桜は薄く笑みを浮かべてから。悩ましげに眉間へ皺を寄せて、
「違うんです。わたしは今まで悪い子だったから……だから、バチが当たったんだろうなあって」
言いながら、首を静かに横に振る。
「違う。そうじゃない、そうじゃないんだよ、桜」
桜は何も悪くないのに。どうして桜はこんなに、自分の事を責めるのか。
きっとこれは桜なりの逃避なんだろう。自分がつらいことへの、たったひとつの逃げる手段。
誰も責めることができないから、誰かを責めることができないから、誰が悪いのかわからないから。自分が悪いんだと結論づけることで、無理やり自分の中で消化する。
だから、だからこそ。士郎は桜に、違うんだと、言葉を投げるのだ。
誰かが桜に、間違っているコトを教えてやらなければ。
「桜は何も悪くない。むしろ、桜はたくさんつらい思いをしてきたはずだ。……だからこそ、桜は報われなくちゃいけない。頑張った分、ちゃんと見返りが返ってこないなんて嘘だ。そんなの、絶対に認めちゃいけない」
いつのまにか士郎は桜の手のひらを強く握りしめていた。
自分の無力感を噛みしめるように。悔しさも、嘆きも、間違っているんだと主張する気持ちも、全部を込めて。
「……先輩は、わたしが悪くないって言ってくれるんですか?」
「ああ、桜は何も悪くない。桜は、たくさん頑張ったんだよ」
士郎の必死な言葉を受けて、桜は口元に薄い笑みを浮かべながら。
まっすぐと、士郎の目を覗き込む。沢山の感情が揺れる、士郎の瞳を。
「じゃあ、先輩。ひとつだけ……ワガママ、言っていいですか?」
「ああ、聞く。桜のためになるんなら、わがままなんてお安い御用だ」
「……よかった。じゃあ、先輩。全部が終わったら、またみんなで────先輩と、姉さんと、セイバーさんとライダーさんと、アーチャーさんで……みんなで、また出かけたいです。幸せな時間を、今度はちゃんと噛みしめたいなあ、って」
おそらく生まれて初めての、間桐桜の小さなワガママ。
他の人にとっては何でもないような、幸せの1ページを求める桜の言葉に、
「……わかった。約束しよう」
士郎が静かに頷くと、それっきり、桜は再び眠りについた。
ここに再び、士郎が負けられない理由が増えて。
士郎の視線は、明日の敵へと向けられた。
今日も更新です。やる気があって書けるうちにゴリゴリ書いていきます。
これ捉え方によっては桜の死亡フラグと取れてしまうんではなかろーか……ノーコメントを貫き通しますがね!