Fate/stay night 〜Gluhen Clarent〜 作:柊悠弥
広がる。広まる。広がっていく。
ソレは生み出された、張り付くような粘っこい空気と、薄い膜。徐々に広がっていく地獄では、その場で呼吸をすることすら許されない。
視界が歪む。膝が折れる。喘ぐように掠れる呼吸を繰り返し、視線をあげると慎二の歪んだ笑みが待っていた。
「▇▇▇█、▇▇▇」
何を言ってるのか聞き取れない。聞こえてくるのは自分の呼吸と、幕が広がっていくべとり、べとりという悪寒を誘う音。
苦しくて苦しくて仕方がなくて、短く呼吸を繰り返しながら階段を転がり落ちていく。この地獄にたった一筋の救いを求めて、廊下の窓を震える手でこじ開けた。
────死ねば、楽になれるだろうか。
一瞬の気の迷いでその身を乗り出し、四階から身体を落とそうとしたところで、
「しっかりしなさい、衛宮くん!」
「歯ァ食いしばれマスター!」
乾いた音。頰を貫く激痛。2人の叫び声で、我に返った。
廊下に倒れ込み、大きく息を吐きながら立ち上がる。
吐き気はいまだに身体にこもって出て行ってくれない。けれど、戦意と気力だけはなんとか持ち直した。
「……悪い、なんとか持ち直した。なんだよ、これ」
「慎二のサーヴァントの仕業みたい。あれ見て」
士郎が開けた窓から軽く身を乗り出し、グラウンドを指さす凛。指先に視線を向けると、グラウンドの中心にソイツはいた。
黒を基調とした外装を身にまとい、魔力を孕んだ風が紫色の長い髪を揺らしている。
身長はかなり高く、短い丈のスカートから白く長い足が覗いていた。
「アイツがサーヴァントか。どうするマスター、ヤツはオレがやるしかねェよな?」
「待ってくれセイバー。……遠坂、アーチャーを呼ぶことはできないのか?」
「おい待てよマスター。オレひとりでやれるっつの! アーチャーの野郎なんていらねー!!」
がなりたてるセイバーを尻目に、何やら眉間に指を添える凛。数秒間があって悩ましげに唸り声をあげると、大きく首を横に振る。
「……ダメ。この結界、マスターとサーヴァントの通信まで遮断するみたい。何度も試してるんだけど通じないわ」
「だから言ってんだろ、オレだけで充分だって。行くからなマスター!」
「待った、セイバー!!」
セイバーは士郎の制止を聞かずに、窓から外に飛び出していった。
グラウンドで何かと何かが衝突し、砂埃が舞う。立て続けに金属と金属がぶつかり合うような甲高い音が響きだし、士郎は思わず自分の無力さに口元を歪めた。
「そんな顔をしたって、あそこに行ったところで貴方には何もできないわよ」
「……わかってる」
拳を握り締める。
また戦わせてしまった。止められなかった。
口の中に苦味が満ちる。吐き出される息が重たい。
きっとこの重みは、苦味は、自身を戒めるモノだろう。
「そんな顔をするくらいなら、せめて今は私たちで出来ることを考えなさい。後悔も反省もその後よ。……それに、セイバーなら大丈夫。あの子ならなんとかしてくれるはず」
自分のサーヴァントを信用なさい、と。士郎の肩を柔く叩き、二人は背後へ振り返る。
その先には未だ踊り場に佇む慎二の姿。表情は陰って見えないが、おそらく良い表情をしていないことは確かだろう。
「……この結界を止めろ、慎二」
「はぁ? 調子にのるなよ、衛宮。なんで僕がオマエの言うことなんて聞かなくちゃならないんだよ」
────嗚呼、やはり悪気を感じていない。
普段鍛えていて、魔術の心得がある士郎ですらこれだ。何も知らない一般人なら、魔力を吸い取られすぎて虫の息と言っても過言ではないだろう。
目を瞑る。瞼の裏に甦るのはあの大火災。士郎を襲った地獄のソレだ。
覚えているのは誰かが死んでいったことと、誰も助けられなかったこと。
助けを求める声を無視して、乗り越えて、たくさんの命の上に今の士郎は居る。
もうたくさんのひとを失いたくない。手が届くのなら、全員助けないと。
今度こそ、間違えないために。
「……最後の警告だ。結界を止めろ、慎二」
「何度言われても答えは変わらないよ。オマエの、言うことなんて、聞くつもりは、ない」
ゆっくりと、士郎の怒りを煽るように吐き捨てる慎二。
……瞼を上げる。慎二の隣には苦しそうに、浅い呼吸を繰り返す桜の姿がある。
「
士郎の怒りを堪えた自身へ語りかける詠唱を口火に、戦況は動き出す。
まずは目の前の人間から。間桐桜から、助け出す。
◇◆◇
窓枠から飛び出し、赤い雷を纏いながら換装。ついさっきまで制服姿だったセイバーは、すぐさま鎧姿へと移り変わる。
「ど、ぉ、らァ!!」
そして愛用の剣を、飛び出した勢い全てを乗せて目の前の女に叩き込んだ。
辺りに響く鈍い金属音。砂煙を巻き起こすほどの衝撃。
……手応えはある。しかしまだ、仕留めきれていない。
「は、やるじゃねェか!」
砂煙が晴れた。セイバーの視線の先には、紫髪の女が鎖を連ねた杭を交差させ、セイバーの剣を受け止めているのが見える。
「……てめーはキャスターか?」
「いいえ、ライダーです。私に魔術は使えないので」
「随分と余裕じゃねえか!!」
律儀に応える紫が身の女、ライダーに舌打ちを交えながら、その身体に蹴りを食らわせてやる。
……いや、後ろに軽く跳ぶことで勢いを去なされた。手応えはない。
見たところステータス値はあまり高くない。しかしセイバーのあの一撃を受け止め、蹴りにまで対応する反応速度────おそらくその全てはこの結界の恩恵だろう。
「結界を止めれば余裕ってわけかよ。簡単じゃねぇか、な!」
地を蹴り、稼がれた距離を一瞬で無に変える。魔力放出で強化されたソレは、常人には瞬間移動にも見えるだろう。
しかしライダーは、隠された目でソレを捉えている。背中に走る寒気と、肌がピリつくほどの殺気で、セイバーにはソレが理解できた。
剣を振るう。ごう、と音を立てながら空気を切り裂く第一閃。ライダーはそれを身を僅かに傾けることで躱してみせる。
「ッ、ソ!」
躱された剣。その勢いを殺さずにセイバーは宙で身を翻し、そのまま踵をライダーの脳天へ落とす。
今度は直撃。……いや、違う。今度は腕で受け止め、去なされた。
勢いが思わぬ方向へ流されたたらを踏むセイバー。その腹に、ライダーの膝が炸裂した。
「っづ────!」
後ろへ吹き飛び、地面を跳ねながら受け身を取るしかない。身体の節々へ走る痛みに苛立ちは加速し、セイバーはここに来てようやく理解する。
「やりづれェ……オレまでなにかと吸い取られてんのか、これ」
とはいえ、ほんの少し身体が怠いくらいだ。
が、それに加えてライダーの身のこなし。短期決戦を基本戦法に置くセイバーには、少し厳しい相手かもしれない。
「ならとっととぶっ放して決着を……」
「奇遇ですね。私も同じことを考えていました」
セイバーの声に被るライダーの呟き。気づけば、ライダーは吹き飛んだはずのセイバーのすぐ近くにいた。
ぞわり、と、再び粟立つ肌。頰を撫ぜる殺気。辺りを満たす、結界なんかよりも色濃く、吐き気がするほどの魔力。
「っべ────!!」
慎二が結界を止めるつもりがないのなら、もちろん士郎は抵抗するで。────拳で。
……なんて、古いか。もうあけましておめでとうからかなり経ちましたね……いや、何かと忙しかったんです。許してください。
色々頑張って書いて2800文字……次はもう少し長く書けたらいいなぁ、と思います。次はなるべく早く、待っていてくれてる人がいるのなら待たせないように。頑張ります。