Fate/stay night 〜Gluhen Clarent〜 作:柊悠弥
意外なもので、セイバーは授業中ものすごく静かだった。
真面目に黒板とノートを交互に見やり、手を動かしてはまた交互に黒板とノートに視線が動く。
授業前にほんの少し心配になり声をかけた士郎だが、彼女の「安心しろって!」はなんの根拠もない自信ではなかったらしい。
なんてセイバーを見つめながら、微笑ましげに笑みを浮かべる士郎。しかし、そんな気分にもいつまでも浸っていられない。
ほんの少しセイバーから視線を移せば、そこには空席の慎二の席がある。
もう一限もそろそろ終わる頃だ。だというのに慎二はあれ以来姿を現さず、士郎の焦燥感を掻き立てる。
「……またアイツ、何かしてるんじゃなかろーな」
慎二は少し怒りっぽく、その怒りを何処かにぶつける癖がある。それを士郎が直したり、咎めたりするのはいつものことで。
何故かはわからないが、あの時慎二は激怒していたように見えた。
士郎としてはなんでもないようなこと。が、慎二にとってはそうではなくて。
『……ふざけるなよ』
士郎の背中に投げかけられた、消え入るような声。未だ脳裏にこびりつき、響くソレに士郎は小首を傾げる。
同時に、無機質なチャイムの音が響いた。どうやら物思いにふけっているあいだに、授業は終わってしまったらしい。
解放感の声に包まれる中、士郎は静かに伸びをする。背中から小気味の良い音が聞こえてきて、思わず小さくため息をついた。
セイバーも疲れ始めた頃だろう、なんて。様子を見てやろうと視線をくれたところで、
「やいやいやい赤木 聖刃とやら!」
何やら絡まれているセイバーを見た。
「……あ? ああ、おう。どした?」
「どした、じゃねー! おまえなあ、キャラ被りしてんだよ!!」
「……キャラ、かぶり?」
絡んだ甲高い声の主の名は
陸上部所属、男勝りの口調とバカとばかと馬鹿が特徴の、黒豹やらマキジやらと呼ばれる浅黒い肌をした同学年の生徒だ。
蒔寺は肩で風を切りながら、ぐんぐんとセイバーとの距離を詰めていく。対してセイバーは微妙な表情を浮かべながら、小首を傾げるだけだ。
「いろんなヤツと話してんのを聞いたけどよー! 男勝りな口調、振る舞いッ! 被ってることこの上なくとてもアタシは困っている!!!」
「……赤木嬢はバカ属性は持ち合わせていないようだが」
「ちょっとガヤは静かにな!!!」
……背後に引き連れた陸上部の仲間、
ちなみに氷室の隣にはいつも一緒にいる仲間の
どうやら士郎のクラスに転校生が来たと聞きつけ、張り込みに。挙句自分とキャラ被りしているのが発覚、そして文句に来たという塩梅らしい。
「え、えーと……困らせたのは悪かったと思ってる」
「アタシは謝ってほしいワケじゃねー!」
それにしてもこの黒豹よく吠える吠える。
戸惑うセイバーに構わず、とうとう二人の距離は蒔寺の歩幅にして残り二歩、というところまで詰められてしまう。
蒔寺の後ろで手を合わせ、苦笑いを浮かべている蒔寺の連れ二人と、それを見てため息を吐くセイバー。この感じでは出ていく必要もないだろうと上げ掛けた腰を下ろす士郎だが、
「アタシと勝負しろ、赤木 聖刃!!」
……何やら思った以上に、めんどくさいことに発展してしまった。
◇◆◇
蒔寺がセイバーに提案した勝負はこうだった。
「廊下の端から端まで走る! 早かったほうの勝ちで、敗者は明日から口調に気をつけるように!」
……なんともまあ蒔寺らしく、馬鹿らしい勝負法。
ちなみに各教室には半ば巻き込まれた士郎その他数名の男子が少しの間廊下に出ないように、と忠告して回ったため怪我の心配はないだろう。教師陣ですら、『また蒔寺のバカが始まった』と苦笑いを浮かべていたあたりもう手遅れというべきか。
一応士郎はセイバーに加減をするようにと伝えてある。はてさて、これがどう響くのか。
勝負の合図を務めるのは三枝。普段陸上部のマネージャーを務めているからか、やけに慣れた様子だ。
その三枝の目の前に、各々構えた二人が並んでいる。蒔寺はクラウチングスタートの構え。セイバーは何もすることなく、ただただまっすぐと。
「ハ! この調子じゃアタシの圧勝だな。わりーなトーシロ相手に! でも女にゃ負けられない勝負があるってもんよ!!」
下ろした腰を振りながら何やら騒ぎ立てる黒豹。それに対してもセイバーは何も言わず、ゴール地点を見つめるだけで。騒ぎ立てる見物客の声をバックに、三枝の手が上がる。
「それでは位置について、よーい────」
そして声と同時、僅かにセイバーは右足を下げて、
「────どん!」
一瞬の出来事であった。
まず廊下に響いたは上履きが床に擦れる音。
遅れて髪が揺れるほどの風が吹き、一瞬で、目の前を『金』が過ぎ去っていく。
跳んだ、とでも表現するべきであろうか。いや、走っているのだろう。しかし一瞬の出来事すぎて、士郎には性格に判断できない。
士郎の目測で二百五十メートル以上あるであろう廊下を、ものの4秒ほどで駆け抜けたのだ。
「……な」
上がった声は誰のものか。
勝負相手である蒔寺か、士郎か、見物客か。はたまた、全員のものか。
「なんじゃありゃあ!?」
セイバーが加減を間違えたと振り返った頃にはもう遅い。
各教室からは馬鹿にならないほどの歓声が上がり、静かに蒔寺は膝から廊下に崩れ落ちる。
「ちょっと何あれ!? 陸上部に来てもらわなきゃ!」
「いーや是非女バスに!」
「バレー部に!」
「バド部でしょ!」
その後の二人と言ったら、もう扱いの差が雲泥の差と言うべきか。
周りに人だかりを作るセイバーに対し、氷室にそっと肩に手を置かれる蒔寺。
「うそやーん……」
「キャラが崩れているぞ、マキジ」
蒔寺の悲壮感漂う声と歓声が漂う中、
遠坂凛だけは、その状況を引きつった笑みで見つめていた。
◇◆◇
「何を考えてるのよホントに……」
そして時間は飛んで昼休み。場所は屋上で、呆れた声をあげたのは当たり前と言うべきか、凛である。
対面で、購買で買ったパンを広げているセイバーは気まずげに凛から目を逸らし、既に頬張ったパンを咀嚼している。
「何考えてるのよホントに」
「き、聞こえなかったワケじゃない。マキデラのヤツが、勝負だって言うから、こう……」
つい、なんて頭をかくセイバーに、ぽっかレモンのボトルを両手で握りながら凛は大きく溜息を吐く。
ちなみに例の勝負にかけられていた口調云々の件はナシということになった。セイバーの慈悲というか、単にめんどくさかったというか。
蒔寺は『神か!!』なんて騒ぎ立て、すっかり二人は意気投合してしまったらしい。
そもそも仲良くなれそうな二人組ではあったし。競い合うライバルとして、友人として、二人は仲良くなれるだろう。
「あんな公衆の面前で魔力行使だなんて、魔術協会に見つかったらなんて言われるか……」
「……ああ、やっぱりあの速さは魔力が関係してたのか」
ここにきて初めて、士郎が口を開く。
微量ながら魔力の気配を感じていたし、あんなのを素の肉体でやられてしまっては士郎としてもたまったもんじゃない。
「そ。多分あれは、魔力解放────だと思う。セイバー自身のポテンシャルは悪いわけじゃないけれど、素の肉体じゃあんな動きはできないわ。走り出す瞬間にだけ、僅かに魔力をぶっ放して、その勢いと強化された筋力で駆け抜けたって感じかしら」
さすが最優の英霊ね、なんて。遠坂は渋い顔をしながらサンドウィッチを咀嚼する。
「そのセイバーも、私の手に来るはずだったのに……なんでこんな魔術もからっきしのへっぽこ魔術師のところになんて……」
「聞き捨てならん。誰がへっぽこか」
軽い反論を交えるものの、士郎は強く否定できない。
使える魔術と言っても強化の魔術くらいだ。そんな状態の自分を魔術師だなんて言えるほど、士郎の肝は座っていない。だいたい、昨日のアレだって────
「ああ、そうだ。遠坂、昨日の俺の異常な回復力について何か知らないか?」
自分の思考のおかげで疑問が再び浮上する。
セイバーと買い物したその日のうちに、『なんか自分で治ってったぜ?』なんて軽い様子でセイバーから聞いたのだが、士郎には一切心当たりがない。
故に士郎は凛へと問いを投げた。そんな士郎に返ってきたのは、
「…………はぁ」
今日何度目かもうわからない、凛の大きな溜息だった。
「なんだよ遠坂。おかしなこと言ったか、俺?」
「言った。言ったわよ。なんでそんな敵になるかもしれない私に、無警戒でいられるワケ?」
まるでわけがわからない、と凛は頭痛に思わず眉間を抑える。
いやしかし、士郎としては疑問で仕方がないのだ。自分の中によくわからない力が潜んでるだなんて、不気味で仕方ない。
「仕方ないだろ。わからないものはわからないんだ」
「……あっそ、貴方にわからないなら私にもわからないわよー」
「……ううむ、そうか。なら仕方ない」
遠坂にわからないなら、と士郎は箸で生姜焼きを摘み、口の中に放り込む。
不気味で仕方ないが、しばらくは諦める他ない。何が起こっているのかわからないが、しばらく戦う分には────
「……ちょっと」
士郎の思考を、凛の冷たい声が遮る。
視線を弁当箱から上げてやれば、凛の声と同じく冷たい視線と、士郎の視線が絡み合った。
「今、くだらないコト考えたでしょ」
「くだらなくなんかない。この力があれば、俺だってサーヴァントと────」
「それがくだらないって言ってるの」
冷たい声音のまま、バッサリと凛は士郎の言葉を叩き斬る。
士郎としては疑問で仕方がなかった。別に自分がくたばったところで、凛にはなんの関係もないだろうに。
自分の身が犠牲になったくらいで、誰かが傷つかなくて済むならそうするべきだ。自分の身体はそのためにある。
誰かのために生きるよう。
何より、そう生きなければ、正義として生きなければ、切嗣には────
「……リンには同意だぜシロー。オレもあの力を過信しすぎんのは賛成できない」
セイバーまでも、士郎にまっすぐに、冷たい声音で言い捨てる。
「言ったはずだぜマスター。オレは戦うためにここに呼ばれた。その使命を取り上げるってのは、たとえマスターでも許されたコトじゃない」
「違う、俺はセイバーと一緒に戦えるって言ってるんだ。別に、セイバーの仕事をとるわけじゃない」
一度言い合って、一応士郎は理解している。
そもそもセイバーを戦わせないなんて、士郎にはできないのだ。一度あんな表情を見せられてしまっては、そんなコト────。
だから士郎はせめて、隣に並ばせてくれ、と。目の前で女の子が戦っているのに、自分だけ何もしないなんてことできっこないのだから。
見つめ合う二人は互いに譲らない。無言だけが数秒続き、
「……あーやめやめ。この話はやめだ。飯がマズくなる」
先に折れたのはセイバーだった。このままではラチがあかないと判断したのか、パンにかぶりつく事で話を無理やり終わらせる。
パンを咀嚼しながら、難しい顔をして。ボリボリと不満げにセイバーは頭をかいて、眉間に皺を寄せる。
「……これじゃあタイガーに申し訳ねえじゃんか」
消え入りそうな、セイバーの声。
その声は吹き荒ぶ冬の風にかき消され、誰の耳にも届かない。
セイバーの口の中にはパンの味と、理由がわからない苦味が広がっていた。
とうとう10話です。なんか記念すべき話のはずなのに、無理やり終わらせたような終わり方になってしまった。雑に感じたりつまらなかったらごめんなさい。
なんか書き始めたらやめどきがわからなくて……とりあえずモーさんの複雑な表情で〆。
彼女の言葉の意味は、もう少し先で。距離が縮まっているような、そうじゃないような……なんかこの二人は書いてて自分でもどかしい。