生まれ変わって、こんにちは   作:Niwaka

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18. ノエルの再会

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 暦箪笥の抽斗(ひきだし)から取り出したワックスペーパーで包まれたチョコ菓子を、三人で分け合って齧りながら、クヮジモド家への小旅行の日程が発表された。この前のお墓参りの時と同じように強行日程らしい。

 

 フランス国内はちょこちょこと瞬間移動して、国境を越えてスイスへ。そこで汽車に乗って車中泊。乗車中に山脈と国境を越えてイタリア入りし、ミラノで下車。イタリア国内をちょこちょこと瞬間移動で南下して、クヮジモド家には25日の昼に着く予定。

 一泊させてもらって、帰りは余裕の日程で新年旅行で観光とかしながら北上、ミラノで再び汽車に乗ったらパリまで、列車の旅だってさ。

 

 旅行なのでペット同伴だから、自分のペットの準備をしなさいと通達された。

 

 私のペットと云っても火蜥蜴(サラマンダー)なので、カンテラの種火を切らさない配慮とたっぷりの粒胡椒で準備はお(しま)いだ。

 

 

 南イタリア旅行だから避寒になるだろうけど、この辺り(フランス)は普通に寒いので、しっかり冬服の準備もする。

 

 私の冬服は毛皮の裏打ちのある外套(マント)で雪の中でも目立つ赤。フードを被ればリアル赤ずきんちゃんになる。いわゆる羅紗の猩々緋(緋毛氈)よりも少しだけシックで落ち着いた赤色で超お気に入り。マントの縁飾りも手に持つマフも白いフワフワ。

 ちなみにマントもマフもラシェルからのお下がり。

 

 元は母さんが子供の頃着てて、ラシェルが受け継いでたものだって。オーリィに継がれなかったのかと思ったら、色合い的に黒髪だとイマイチ似合わない感じらしい。ラシェルの髪は子供の頃、私と同じようなミルク色まではいかないながらも、淡茶色系統だったみたい。今はほとんど金髪っぽい茶髪だけどね。

 淡色系の髪に合う赤色なので、ラシェルがずっと持ってたそうだ。子供の頃はマントとして、成長してもケープとして着られる丈だ。ラシェルも学校の低学年の頃は何度も着たって言ってた。

 

 この時代、排斥運動とかまだ起きてないので、毛皮はフェイクじゃなくてリアルだ。ぬっくぬくです。

 私の記憶の時代は地球が温暖化してて、暖冬猛暑が当たり前だったけど、今はそれよりちょっと寒いと思う。10度はオーバーにしても5度くらいは気温低いんじゃないかなあって体感。まあ、国とか地方によって気候が違うのかも知れないかもだけどさ。ともあれ、毛皮の外套はとてもありがたい。防寒大事!

 

 カミッロのコートは黒っぽい銀の総毛皮(フッサフサ)のロングコート。流れるような毛並みも美しい銀狐(シルバーフォックス)だ。ダブルボタンのオーバーコートみたいなデザインで、襟や袖にもふぁっさりとファーが飾られている。フサフサと整えられた毛並みは、デザインこそちょっと古臭い(今の時代的には定番らしい)がとってもゴージャス。

 

 ラシェルのコートは濃い水色のロングコート。シルエットが細身でぴったり見えるクラシカルデザイン(モガとかイメージすれば目安となるでしょう)。襟とか袷とか袖口に赤っぽいベージュの毛皮がモフモフでフワッフワ。狐の毛皮だって。マフラーとマフをコートに付けましたって感じね。裏打ちは灰茶色のノースリーブのハーフコート状で、なんとリス。表地はウールでつゆ草色っていうのかな、とてもキレイで鮮やかだ。

 

 ちなみに私の赤マントの裏打ちはラムの総張り、いわゆるムートン。毛布巻き付けてるみたいにぬっくぬくなのさ。縁飾りもマフも青狐。前袷や腕を出すスリットはリボンで結ぶ仕様。大事に使うからね~。

 

 そうそう、ミンクは焦げ茶と云うか黒っぽい色しか、今のところ居ない。ロシアンセーブル風な毛皮としてミンクを養殖してるのかもね。養殖ミンクに突然変異が出現して、毛色がバラエティーに富むのはまだ先ってことなのさ。

 

 毛皮というと養殖ミンクって図式が頭にあったけど、それは私の記憶の話で、今のメジャーは養殖狐っぽい。カミッロのシルバーフォックスも養殖だって言ってたし。今年の春先のシーズンオフにカナダで買った逸品だってさ。とても高かったって値段は教えてくれなかったけど、これから一生着るつもりで思い切って買ったんだって自慢されたよ。

 

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 ノエル(クリスマス)の休暇は二週間と少し。12月で十日位、1月で一週間って感じのスケジュールだ。これはラシェルの休暇ね。ラシェルは学校の先生だからさ。

 ちゃんとした学校は寮生活の学生たちが実家に帰って寛ぐ期間を鑑みてのスケジュールで、三週間は余裕であるそうだ。12月20日くらいから、1月10日くらいまで冬休みだったみたい。二人して学生の頃を思い出して教えてくれる。

 生徒と教師の違いかな? ラシェルの勤める学校は予備校的なモノだからね、寮はないし、カリキュラムだって語学がメインだ。

 

 カミッロは作家先生だ。自由業だね。流行でも人気でもないけど、旅行記はそこそこ売れてはいるらしい。次作の為にイタリア行きを大いに活用するつもりのようだ。

 でもね、写真を撮る時、私をフレームの端に入れて撮るのは止めて欲しい。雪景色に赤いマントは素晴らしく映えるけどさ。ああ、例の女性関係も次作を期待されちゃってるの? 私をモチーフにしたらそれってペドじゃね?

 

 そういえば、前にも云ったけど、ロリータって今の時代はただの名前の一つなのよ。あの有名な作品が発表されるまでは、普通の名前の一つ。だからフリルとレースのふりふりファッション関係ならヴィクトリアン(フランスだとロココ?)で、幼児少女(少年)を性愛対象にしちゃう系はペドフィリアってわけ。

 ヴィクトリアンに子供系って意味合いは含まれてないけどさ。ロリータが名前じゃなくて単語の一つとして認識されるのは、あと半世紀くらい経たないとねえ。

 

 

 事前に発表されていた通りの行程で旅行に出発した。

 

 ステップを踏む瞬間移動は最小限に抑えるために、暖炉を使ったゲート移動が何度もあった。時々、暖炉を出て、別の暖炉に這い入って移動するとか、何度か繰り返して、ようやく駅に辿り着く。いつの間にやら国境を越えていてスイスだった。

 

 列車に乗り込む。食堂車で食事をして、寝台車で就寝だ。

 

 列車の中をカミッロがあちこちカメラを抱えて歩いている。旅編の写真を撮ってるみたい。夜だから採光の関係でどうにも幻想的な写真になるらしく、ムーディだとお喜びの様子。

 ここでも被写体もどきを頼まれる。バッチリ撮るわけではなく片隅に写り込ませるので、意外にアングル指定が細かい。

 

 列車は、夏のバカンスで乗った寝台列車と同じような内装、つまり、ラグジュアリー。今回の個室(キャビン)は前回より少々手狭で、ベッドも二段だ。

 私は下の段に決定で、一緒に寝るのがカミッロかラシェルか……ああ、カミッロに決まったの? 身軽で小さい方が上ね。アルジェント姐さん(カミッロの猫)は一人掛け用ソファにクルリと丸くなって寝ていた。

 

 

 翌朝、朝食が運ばれてきて、みんなで食べる。

 

 バターだと思っていたのがフレッシュチーズで、とても美味しかった。アルジェント姐さんも狙うくらいだ。

 デザート代わりの四角いコロンとしたチョコは中のプラリネといい、周りのチョコといい、今生一番の美味しさだった。まあ、幼児な私はまだまだチョコを食べる経験は今世では3年位と少ないけれどね。スイスチョコうま~。

 

 

 午前中にはミラノに着いた。観光は後回しで、さっそくゲート移動と瞬間移動。

 

 ボローニャ―― フィレンツェ―― ローマ―― ナポリ。

 

 昼食の遅い時間にピッツェリアで魚介たっぷりのピッツァを購入。カルツォーネのように畳んで食べる。大きめ一枚を三人で分けて小腹を満たし、再び移動。

 

 クヮジモド家は南イタリア、ブーツで云えば指の付け根辺りで足の甲の方、ティレニア海よりだ。

 

 

 予定通り夕刻には到着した。

 

 ウーゴに会えるかとワクワクと農園の入り口をくぐる。

 

 のそりと大きな犬が出迎えたが、ウーゴよりも茶色っぽくてブリンドル柄。頭も少しゴロンとしてる、マスチフ系。ふんふん鼻息荒く臭いを嗅いで、ぽそぽそと尻尾を振ってくれる。私も半年前まで住んでたし、知った顔だ。

 

 農園にはウーゴ以外にも守護犬が何頭か飼われていた。そのうちの一頭、アージェ。

 アージェは私がクヮジモド家に預けられた後に来た犬なので、先住者には従順だ。もっとも若犬で来て、訓練されてた犬なのでホントに顔見知りってだけだけど。

 

 口の周りの襞ひだをびよーんと持ち上げて立派な牙を見ながら、皆が元気か聞く。

 仕方ねえな、案内するよって感じで(きびす)を返すアージェに付いて行く。ラシェルもカミッロも以前来た時に出迎えてくれたのがこの犬だったって。

 

 正面口や玄関をスルーで勝手口へ。挨拶もせずに上がり込むのは拙いと、姉兄は慌てて玄関へ回って行った。私はそのままアージェに付いていく。

 

 たった半年なのに、もうずいぶんと懐かしい感覚のする台所。いつもお昼寝していた籐のカウチには、厚手のコートが軽く畳まれて置いてある。

 

 私の寝ていた子供用の客間のベッドの脇に、いつもの敷布の上でウーゴは寝ていた。ああ、ウーゴ―― 年を取った。

 

 私たちの近付いた気配に不機嫌に唸っていたウーゴに近寄ってそっと撫でる。ハッとしたように臭いを嗅ぎに来る鼻先に掌を近づけた。

 床を掃くように尻尾を振っている。よく見れば口の周りとかに白髪が生えてグレーになってた。

 

 ギュッと抱き着く。―― お別れだ。きっと、これが最後。咳払いするように擦れた声で甘え声を出すウーゴ。大きな声で吠えたり唸ったりすると私がびっくりするのを知ってるから、甘え声さえひっそり出す。

 

 ―― ウーゴ、ウーゴ、大好き。会えなくなるのは寂しいよ。私はいつの間にか……泣いてた。

 

 迎えに来たロレンツォが泣いてる私に驚いてたけど、懐かしがったからだと思ってくれたみたい。ちょっと見ない間に可愛くなったって、イタリア男らしく褒めてくれながら涙を拭いてくれた。このただイケ(ただしイケメンに限る)め。

 フランス風の挨拶(ビズ)で元気よく、三回目の真ん中もぷっちゅう~とかましてやった。カミッロに教わったフランス風だよ、と自慢気に。驚いたキョトン顔も、説明を聞いた爽やか笑顔(スマイル)も、ホントにイケメンですありがとうございました。

 

 抱き上げて運ばれたリビングで、懐かしい面々にも一人一人挨拶。チュッチュカとぷっちゅう~に、みんな微笑ましそうに笑っていたけど、ラシェルに小学校に行くまでの子供限定なのよ、と割と真面目に注意を受けた。

 なるほど〈男女七歳にして席を同じうせず〉だねと肯けば、さすが日本のお祖父ちゃんと文通してるだけあると褒められた。うん、クヮジモド家では褒めるのが日常風景でした。

 

 ヨタヨタとウーゴがリビングに入って来たので、暖炉の側の暖かい場所に案内する。ドサッと体を重そうに寝そべった。

 私はナターレのご馳走を食べるとき以外はずっとウーゴにくっ付いていた。

 

 お泊りは懐かしの客間の子供部屋のいつものベッド。いつもの敷布の下に古い絨毯を敷き込んで貰って、定位置で寝そべるウーゴに掛布もかける。

 

 イビキじゃなくて寝言を言うウーゴ。

 明らかに水を飲んでますというようにぺちゃぺちゃと音を立てて口を動かすウーゴに笑いが零れる。そういえば昔も、後ろ足で耳掻いてますって勢いで足をカカカカカって痙攣するように動かしたりしてたこともあったっけ、(眠り)ながら。懐かしい。

 

 

 翌日、クヮジモド家に着いてすぐ暖炉に放しておいた私の火蜥蜴(サラマンダー)炎子(エンクォ))を再び携帯用のカンテラに入れるため、火掻き棒と火蜥蜴(サラマンダー)筒を持って暖炉の前に仁王立つ。お供はウーゴとアルジェントだ。

 

 アルジェントはカミッロに連れられて旅慣れてるので、こういう知らない所に来ると案内された区画以外からはあまり出ない。他所には他所のテリトリーがあるって理解しているのだ。ウーゴには紹介済み。農園にはネズミ捕りに飼われている猫グループも居たので、ウーゴやアージェたち守護犬も猫に慣れてる。吠え掛かって追いかけまわしたりしない。

 

 そんな二匹を両脇に従えた私は、暖炉の中をちょろちょろと動いている火蜥蜴(サラマンダー)をジッと見極める。私のペットの炎子は奥に隠れてるのか、なかなか見えない。

 通りかかるマンマやマウリツィオさんが、そこにいるとかこっちにもいるとか教えてくれるけど、それは私の炎子じゃないって断るとちょっと首を傾げていた。火蜥蜴(サラマンダー)の個体識別は難しいのだ。私だって色で見分けてる。全く同じ色が複数居たら区別なんかできないだろう。

 

 ようやく、あの独特の赤色を持つ火蜥蜴(サラマンダー)が居たので火蜥蜴(サラマンダー)筒にちょいちょい追い込む。目の前に転がした胡椒粒をパクリと咥えて筒に入った炎子(エンクォ)を慎重にカンテラに移す。カンテラの中に火蜥蜴(サラマンダー)のシルエットが浮かび、炎子が焔を浴びてるのを確認して、ようやくホッと息を吐いた。

 

 それから、たぶんもう二度と会えなくなるウーゴに抱き着いて、存分にお別れをした。

 

 大型犬は年取ると一気に()()。半年前までは普通な感じだったのに、驚くほど老け込んでいた。来年の夏のバカンスシーズンまで持たないだろう。だから―― お別れなのだ。

 ……ありがとう、ありがとう、ウーゴ、大好きだよ。

 

 ズビズビ泣いてるとロレンツォが来て抱き上げられた。泣かないでカワイ子ちゃん、とイケメンでナンパな慰めを口にしながら両目を拭いて洟をかんでくれる。

 抱き渡されたのはカミッロで、ちょっとびっくりした。似てるからね、二人とも。少しだけカミッロの方が細い、抱き心地がね。あ、抱き着き心地? 逞しさと云うか安定感はロレンツォの方が一日の長がある。

 

 

 今日はクヮジモド家の皆もお見送りに出てくれた。お婆ちゃん(ノンナ)お母さん(マンマ)、マウリツィオさんにロレンツォ。エレオノーラ叔母さんとオデッタとソフィア、ビーチェとベルナルド、ヴィヴィも一緒だ。

 

 オデッタとソフィアはエレオノーラ叔母さんの娘たちで、ビーチェとベルナルドとヴィヴィはロレンツォの弟妹。しかも一番年下のヴィヴィ以外は全員、ラシェルも卒業したフランスの学校の後輩だとかで、学校あるある話で盛り上がっていたみたい。

 正確には年上のビーチェとベルナルドがラシェルの(在学時期が重なってる)後輩で、オデッタとソフィアはラシェルの卒業後に入学した後輩だ。

 

 一番年下のヴィヴィは、カミッロやロレンツォの卒業した夏と冬で校舎の違う学校で、年が離れてるから二人のことは先輩ってよりもOBって感じらしい。ここには居ないけど、レンゾ叔父さんの娘のレーナ(あの〈蓮〉の字が名付けられてる娘)も一緒だって。

 

 いずれにせよ全寮制なので、入学後は家から居なくなっちゃってた。―― 今はクリスマス休暇なので、みんな帰宅してるけどね。

 

 不思議な事が出来ちゃう系の全寮制の学校って、縁故入学が基本らしい。祖父母や親が卒業生とか、兄姉が通ってたとか、親戚が通ってたとかね。

 

 父さんは極東の日本から欧州に留学したわけだけど、そこはマリカお祖母ちゃん(父さんの母(マンマ))が伝手を駆使した成果みたい。マリカお祖母ちゃんの(ロレンツォやカミッロも)卒業した学校ならば縁故でバッチリだったのに、わざわざイギリスの学校に通いたいと言い出した息子の為に、とても頑張ってくれたそうだ。

 

 そのおかげで何とかイギリスの学校から入学許可書が届いた時は、許可された父さんよりも、もぎ取った成果に快哉を上げたお祖母ちゃんの喜びの声の方が大きかったんだって。ちなみに父さんの弟(私の叔父)も留学したけど、マリカお祖母ちゃんの母校だったから、すんなり縁故入学が決まったみたい。

 

 見送ってくれる皆に手を振る。ウーゴにはよくよくお別れを言い聞かせたし、もう走って付いて来るような体力もないようだった。黒い大きな犬の座る姿は、いつまでもいつまでも手を振る皆の傍らにあった。

 

 グスグス鼻を啜ってるとラシェルが私の手からアルジェントのリードを受け取り、カミッロに抱き上げられた。寂しいの? と聞かれて、ウーゴに会うのはきっと最期だから、と答えれば、納得したような顔でよしよしされる。そして、おぼろげながら理解していたことを説明された。

 

 ウーゴ達みたいな守護犬は大型犬という事もあって寿命が短い。魔法動物との混血で若干寿命が延びてるとは云え、10才位が普通だそうだ。1才半位で訓練し仕事を始めて、7~8才位で仕事から引退し、余生を2~3年過ごすって生涯らしい。

 ウーゴも引退してのんびりし始めた頃合いに私が引取られ、そのまま私専属みたいになり、3年間子守してくれた。立派に寿命だ。グレートデーンみたいな超大型犬は一般的に7~8才位が寿命らしいし、ウーゴは12才くらいだろうって言ってた。

 

 私の幼児期が楽しく充実したものになったのはウーゴのお陰だ。ありがとう、ウーゴ。

 

※※ ※ ※ ※※ 

 

 


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