俺には前世の記憶がある。
気がつけば、こうして第二の人生を歩んでいるのだが。
残念な事……残念でいいのだろうか?
ともかく、創作物のようにチートなんて物は持っていなかった。
ただ前世の記憶があるだけの、平凡な人間だ。
産まれた場所は前世と同じ現代日本だし、世界樹や異世界なんて物も存在していなかった。
同じクラスや知り合いに主人公のような人もいなかったので、やはりこの世界はファンタジーがない平和な世界なのだろう。
俺としては、魔法とかには少し憧れたが。
まあ、前世と同じように過ごしている。
大きな不満もない……いや、一つだけあったか。
やはり、世界が違うからだろう。
前世で好きだったアニメやラノベが、この世界にはなかったのだ。
特に、ISのようなロボット物が少ない。
その事を知った俺は、ないなら自分で作るか、と小説を書き始めた。
前世から趣味でネット投稿していたので、今生でもやってみるかという思いもあった。
その決定が、俺とある人物を引き合わせる事になるのだった──
♦♦♦
高校が終わり、帰宅した俺。
親に声を掛けてから部屋に戻り、着替えてパソコンの電源を入れる。
インターネットから小説投稿サイトにアクセスして、自分の作品へとジャンプ。
「お、感想来てるじゃん」
新たな感想に、思わず笑みが浮かぶ。
最近、ロボット物を投稿し始めたのだが、やはり俺のセンスでは人気が出なかった。
前世で見た要素を自分なりに噛み砕き、それをオリジナル小説として書いているのだが、現実は甘くなかったという事だ。
まあ、数少ない読者が読んでくれるだけでも嬉しいものだが。
返信しながら考えていると、メッセージも来ている事に気がつく。
感想は作品にある感想欄に書けばいいので、作者本人に送るメッセージは中々使われない。
だから、意外だ。
俺のような無名のユーザーに、メッセージを送ってくるのは。
「とりあえず、中身を見てみるか。ユーザー名は……アリス?」
女性だろうか。
いや、名前が女性だからと言って、ユーザーが女だとは限らないだろう。
その辺は俺が気にする事でもない。
一体、どんな内容が書かれているのか……
「うぉ!?」
メッセージを開くと、びっしりとした文字列が迎えてきた。
思わず仰け反りながらも、目を細めて詳しく確認してみる。
どうやら、限界一杯まで文字を書いて送ってきたらしい。
そこまでして俺に伝えたい内容とは、見るのが怖いような。
とはいえ、読まないわけにはいかないだろう。
「えぇと……はっ?」
文字を目で追うにつれて、俺は眉根を寄せていた。
小難しい論理的な内容で纏められており、端的に表すと俺の作品の批評だった。
天才科学者が主人公なのは良い判断だ。
しかし、お前のような凡人では、彼女の天才さを表現できていない。
いつもなら鼻で笑っていたが、妙に腹が立ったので親切な私が教えてやる云々。
以後、説得力のあるグラフ付きで、科学者の視点を長々と説明している。
頻繁に混ざる、煽りセリフがセットで。
「……」
確かに、前世で好きだったキャラクターを元にして、俺なりに偉大な作者達をリスペクトして書いていたが。
ま、まさか素人の小説にここまで噛み付いてくるとは……
「てか、普通にムカつく」
口元を歪ませた俺は、衝動的に喧嘩腰で返事を書いていた。
自分の技量では彼女を凄く書くのは難しいが、それをお前に指摘される謂れはない、と。
送信したところで我に返り、貴重な読者を失う可能性に頭を抱える。
こいつの書き方が煽り塗れだったのは事実だが、言っている内容は頷けるものもあった。
大人の対応をするべきだった、と後悔していると、メッセージが来た。
「はやっ」
早速中を見ると、内容は更に煽りが混ざっていた。
凡人のために貴重な時間を割いてあげているのに、まさかここまで低脳だとは思わなかった云々。
お前が書いているのは天才ではない、ただの都合の良い人形等々。
こんな汚物にも劣る駄作なんか、さっさと消去しろ。
「あああああむっかつくうううう!」
頭を掻きむしって声を上げ、目の前に映るメッセージを睨みつける。
なんだよ、なんでここまで言われなきゃいけないんだ。
理不尽な言葉に、心の底から不快感が募る。
いや、落ち着け。
ここで感情的になったら、相手の思う壷だ。
深呼吸をしていき、熱くなっている心を冷ましていく。
「運営に報告するか?」
ここまでの罵倒ならば、直ぐにアカウント停止にできるだろう。
そうすれば、この評論家気取りはいなくなり、俺は平穏に細々と小説を執筆できる。
しかし──それでは、納得がいかない。
そんな対応をすれば、こいつから逃げた事になるような気がする。
ここまで言われたのに、逃げて負ける?
冗談ではない。
言われっぱなしは嫌だ。
「だったら、認めさせてやろうじゃねぇか」
勝手に宣戦布告させてもらう。
主人公をお前が唸るような、凄まじい天才科学者にしてやる。
まずは、もっとプロットの練り直しだ。
主人公を含めて登場人物の背景を考え、それを小説に落とし込まなければ。
転生してから感じていなかった情熱を胸に、俺はキーボードに指を添えるのだった。
♦♦♦
アリスという名のあんちくしょうと戦って──一方的に言い負かされたが──から、一ヶ月ほど経った。
小説をエタらせたくはなかったので、既存の作品を改訂しながら更新していた。
俺のやる気が作品にも移っているのか、評価は徐々に上がってきている。
読者の中では、今の主人公でも好きだと言ってくれた。
しかし、相変わらずあいつはボロクソに酷評してくるのだ。
「また来てる……」
学校から帰ってメッセージを見ると、アリスからメッセージが届いていた。
中を開くと、相変わらずの長文が迎えてくる。
塵芥一つ分ほどはマシになったが、やっぱり天才に見えない。
凡人に毛が生えた程度だ。
そもそも、主人公の性格がムカつく。
天才はコミュ障ではない、凡人と会話する必要がないだけ。
お前は何一つ理解していないし、不愉快だ。
「もはや、ただの感情論じゃねえか」
要約した内容に、思わず俺は眉間を揉む。
なんなんだ、こいつは。
主人公に感情移入しすぎではないだろうか。
俺が書いている主人公は、天才科学者の名を欲しいままにしている。
しかし、凄いコミュ障なので、時折空回りしてコメディーになったりする。
それと、主人公は寂しがり屋にした。
本当は皆と仲良くなりたいのだが、天才故に人々を無意識に見下してしまう。
そのせいで、色んな人から煙たがられている。
このアリスとかいう自称天才は、そんな主人公の性格が気に食わないのだろう。
「子供かよ……ん?」
ため息をついていると、デスクトップに見慣れぬアイコンがある事に気がつく。
試しにクリックしてみれば、チャット画面が開いた。
どうやら、リアルタイムでチャットできるソフトのようだ。
しかし、なんでこんなソフトが自分のパソコンに?
首を捻っていると、チャットに文字が現れた。
【おい、凡人】
「……こんな言葉を書くって事は」
半ば確信しながら、俺はチャットに文字を打ち込む。
【なんだよ、自称天才】
【自称じゃない。私は正真正銘天才だから。まあ、お前のような存在じゃあ理解できないか】
【いやいや、お前は天才じゃなくてただのガキだろガキ】
【はっ? なに、喧嘩売ってるの?】
【既に買ってるんだよなぁ】
メッセージとは違うからか、思いつくままの言葉が出てくる。
相手も同じようで、いつものような長文ではない。
しかし、いつの間に俺はこいつと連絡先を交換していたんだ。
不思議に思っていると、俺の思考を読んだかのようにチャットが来る。
【お、やるのか? お前のパソコンはもうハッキングしてるから、お前の情報を全部世界に流してもいいんだぞ?】
【はぁ? ハッキング? なに馬鹿な事言ってんの? 天才さんの頭の中は俺には理解できませんわ】
そう返すと、まるでため息を漏らした様子で三拍ほど間を置いた後。
【凡人ですらない馬鹿なお前に、天才の私がわかりやすく教えてやる。お前が今使っているチャットソフト、それは私がハッキングしてインストールしたやつだ】
「は、うそ!?」
信じられない……いや、信じたくない。
話だけには聞いた事があるが、ハッキングなんて向こうの世界の話だった。
しかし、この自称天才はハッキングしたと言っている。
ハッタリ、ではないだろう。
こいつの言葉が正しければ、今の状況に説明がつくのだから。
てっきり、空想上のキャラに憧れた厨二病かと思っていたのに。
この世界に、ファンタジー要素やSF要素がない事は確認済みだ。
俺の転生要素以外、前世と変わらない平凡な世界。
その中に現れた、映画のような凄腕ハッカー。
思わず唾を飲みこみ、どう返事をするか頭を悩ませる。
十中八九、こいつの言葉は真実だ。
だから、彼の機嫌を損ねてしまえば、本当に俺の情報をばら撒かれてしまう。
【どうした? 今更私に喧嘩を売ったのを後悔したか? それも仕方ない。凡人は凡人らしく無意味な人生を送っておけばいいんだよ。ほら、理解したならあの汚物を消せ。それとも、私が消してやろうか?】
ここぞとばかりに煽ってくる、
ここは、素直に折れるべきか。
みっともなく謝れば、こいつの性格上満更でもなく受け取ってくれるだろう。
理性がそう告げる──しかし、感情が収まらない。
ここまで言われて、引き下がれるだろうか。
馬鹿なのは自分でもわかっている。
情報を握られている状態で、負けを認めていないのだから。
でも、やっぱり無理だ。
こいつに負けを認めるのだけは、死んでもお断りである。
頬を叩いて気合いを入れ直し、脳みそをフル回転させて返事を書く。
【お前が優秀なのは理解した】
【ようやくか。相変わらず、凡人は理解力に乏しい】
【だが、いいのか?】
意味深に止めれば、少しして返事が来る。
【なんだよ、もったいぶらずに言え】
【仮に、お前がハッキングで俺の情報を世間に公表したとする。もちろん、俺は社会的に危うい位置になり、色々と大変な目に遭うだろう】
【そうだ。だから、素直に負けを認めろ】
【そこなんだよ】
【はっ?】
食いついた。
思わず口角を上げながら、俺はチャットの言葉を繋ぐ。
【今まで、俺達は言い合いをして勝負していた】
【はぁ? 天才の私と、凡人のお前が? 勝負というのは、同格の者同士でやるんだぞ? お前のような凡人が、私と釣り合うわけないだろ】
「こ、こいつ……」
反論したくなる気持ちを抑え、文字を並べていく。
【だけど、ここでお前がハッキングを使ったとしたら、お前は勝負の土俵を降りたことになる】
何故かはわからないが、こいつは俺の小説に拘っていた。
ハッキングして消せばいいのに、俺の心を折るように仕向けていたのだ。
恐らく、俺自身に作品を削除させたかったのだろう。
俺が消したのを確認して、優越感に浸りたかったと思われる。
天才の私にかかれば、所詮凡人の思考を変える事など容易い、と。
推測混じりだが、大きく外れてはいないはずだ。
今までの不本意ながらの付き合いで、こいつの性格は大まかに掴めた。
プライドが高く、傲慢で、他人を見下し、自分が正しいと思って、コミュ障でもあり──そして、途方もなく天才。
この画面越しのやつは、俺が知っている誰よりも優秀だろう。
まさに、前世で見た創作上のキャラの如く、頭が良い。
もちろん、俺が転生したとはいえ、ここは現実だ。
まさかこいつが二次元のキャラだとは思えないが、ともかくそれぐらい凄いという事である。
そこで、一つ思うわけだ。
果たして、他人を凡人と認識している天才が、相手から逃げるのか、と。
本人にとっては、アリを踏みつぶすような気持ちなのだろう。
しかし、俺が言葉にした事で、嫌でも意識せざるを得ない。
特に、プライドが高いこいつなら、尚更だ。
【どうした? 凡人の戯言なんて気にならないだろう? 情報をばら撒くならばら撒けばいい。だけど、その瞬間お前は俺に負けた事になるからな】
そこまで打ったところで、額の汗を拭う。
これは賭けだ。
安い挑発だとは理解している。
わざわざ、こいつが俺の話に乗る必要はない。
凡人がいきがっている、と冷たく笑うことだってできるはずだ。
しかし、俺は半ば自分の勝利を確信していた。
緊張から滲む手汗を服で拭いていると、やつからのチャットが来る。
【覚えてろよー!】
「はっ?」
この後、アリスは退室した。
予想外の展開に、思わず俺は目を点にして首を傾げる。
どうなっているんだ?
いなくなったという事はつまり、あいつは敵前逃亡?
勝った、のか?
アリスに、凄腕ハッカーに、天才に……?
ゆっくりと言葉が身体に染み渡り、徐々に実感していく。
自然と表情は満面の笑みになっていき、椅子から立ち上がってガッツポーズ。
「よっしゃああああああ!」
ようやく、ようやく。
初めて、あいつを言い負かす事ができた。
小説を酷評され、物語のつまらなさを書かれ、キャラの不愉快さを並べられ。
何度も挫けそうになった。
だけど、持ち前の負けん気を駆使して、なんとかやつに食らいついていた。
そして、今日。
今までの俺の行動が、遂に実を結んだのだ。
「はっはー! 天才だがなんだか知らないけど、所詮子供よ! 転生者の俺の方が強かったなぁ!」
「うるさいよ!」
「ご、ごめんなさい!」
母さんに怒られてしまった。
やはり、この世で一番強いのは、偉大な母である。
改めてそう認識した俺は、己の勝利を噛み締めるのだった。
♦♦♦
なんだか、今日はおかしい。
アリスを言い負かした次の日、俺はいつも通り登校していたのだが。
やけに見られているような気がする。
大半は生暖かい眼差しで、何人かは侮蔑の色が混ざっていた。
特に有名なわけでもないので、こんな視線に心当たりはない。
首を傾げながら教室に入ると、やはりここでも注目を浴びてしまう。
どういう事だ?
「なあ、どうした?」
「おはよーさん」
尋ねた俺の方に、級友が近づいてきた。
手には携帯を持っており、ニヤニヤとからかいの笑みが浮かんでいる。
彼は俺の肩を組むと、顔を寄せて囁く。
「お前、小説を書いてたんだな」
「…………はっ?」
何故、知っている。
誰にも教えた事がないのに。
混乱している俺を見て、彼は携帯の画面を見せつける。
どうやらメールのようで、学校中に一斉送信されたのだろう。
そして、肝心の内容だが……
「突然メールが来た時はびっくりしたぞ。でも、まさかお前が小説の宣伝をするとはなぁ」
俺のメールアドレスで、自作小説のURLを貼って誘導していた。
今投稿しているのから、パソコンにあるはずの没にしていた黒歴史物まで。
「はああああああああ!?」
携帯をひったくって目を凝らすが、画面に書かれている内容は変わらない。
めちゃくちゃ自信があるから見てくれ、絶対面白いから云々。
待て。
これはナンダ?
メールを送った覚えはない。
そもそも、誰にも小説の事を教えるつもりはなかったのだが。
愕然としていると、俺の携帯がメールを受信したようだ。
嫌な予感に従って取り出し、画面を見る。
【ごっめーん。間違えてお前のメールアドレスで送っちゃった☆ 故意じゃないから仕方ないよね。天才は過去を振り返らないのだ! というわけで、許せ凡人】
「あああああああああああああああッ!」
「ちょ、おい落ち着けよ!」
衝動的に携帯を叩き割ろうとした俺に、級友が羽交い締めしてきた。
対して、俺はジタバタと暴れながら、口角泡を飛ばす。
「離せ今ここでこいつを根絶やしにしなければうわああああ!」
「だから、落ち着けって! なにがあったかわからないけど、俺はお前の小説を褒めに来たんだよ!」
「……へ?」
思わず動きを止めると、俺から離れた級友がため息をつく。
呆れ半分、感心半分の表情を浮かべ、肩を竦める。
「確かに何個かは見るに堪えない小説もあったが、今連載してるロボット物は面白いぞ」
「え?」
「クラスの中では、前からお前の作品を読んでた人もいたようだしな」
そう告げて顔を動かした級友。
彼の視線の先を追えば、あまり接点のなかったクラスメイトが尊敬の眼差しを送ってきていた。
他にも、何人かの人が俺に好意的だ。
もちろん、女子のほとんどは引いていたが。
それにしても、面白い……面白いか。
まさか生の声を聞けるとは思わず、照れてしまう。
そっぽを向いて顔を背け、小さな声で呟く。
「……ありがとう」
「気にするなって。それで、せっかくだしお前の作品について語ろうぜ。色々と裏設定とかも聞かせてくれよ」
「話せない事もあるけど、それでもいいなら」
「それでいいぞ」
「じゃ、じゃあ、話そうか」
こうして、俺は級友を含めた何人かと、作品について語り合いをした。
今日の出来事を通して、新たな友人ができたのは僥倖だろう。
アリスの野郎には殺意しか湧いていなかったが、ちょっとは感謝してもいいかもしれない。
ひそひそと囁いている女子を見て、やっぱりあいつは許せないと思いながら、俺は共通の趣味を持つ仲間を手に入れる事ができたのだった。
♦♦♦
アリスによる俺の黒歴史暴露事件から、数ヶ月ほど経った。
生の声を参考にしたからか、ますます小説の出来は良くなっていた。
ブクマも四桁を越えてから久しく、そろそろ累計ランキングへの道が見え始めている。
まさか、自分の作品がここまで評価されるとは。
毎日頭を悩ませて考えていたとはいえ、初めの骨格は前世でのキャラ達だ。
そう考えると、やはり作家達には足を向けて眠れない。
「お、来たか」
執筆をしていた俺のパソコンに、チャットが送られた。
開くと案の定、アリスからだ。
俺の学校生活を変化させた元凶である、天才。
このまま剣呑な関係が更に深くなるかと思っていたが、意外や意外。
思ったよりも、仲良くなったのだ。
彼の方で心境の変化があったのか、以前より少しだけ言葉のトゲが少なくなっている。
【やっほっほー。汚物の量産頑張ってるー?】
【汚物言うなし】
【えー、どう見てもくちゃい小説じゃん】
【そんな事ないわ! 色んな人に評価されているんだから】
【それは、そいつらが凡人達だからだよ。天才の私からすれば、ゲロマズ料理に喜ぶマヌケにしか見えないし】
「相変わらず、口の悪い……」
俺を含めて見下しているのは変わらないが、やはり前より柔らかくなっている。
原因は、アリスの口調の変化だろう。
メールを送った以降、吹っ切れでもしたのか言葉遣いが変わったのだ。
初めてチャットで見た時は、ついに頭がイカれたかと心配したものだ。
直ぐに泣きそうになるほどの罵倒が返ってきたが。
それにしても、もしかしてアリスは女性なのだろうか。
最初の乱暴な口調から、てっきり男かと思っていたのだが。
今のアリスは、自由奔放で無邪気な感じがする。
「それに……」
前世の記憶も削磨され、覚えている内容は虫食い状態だ。
そんな忘れかけている記憶の中で、なにかが引っかかっていた。
とはいえ、思い出しても特に意味はないだろうし、俺のやる事は変わらない。
こいつに俺の小説を認めさせる、それだけだ。
そんな事を考えていると、アリスからのチャットが来る。
【お前の主人公さ、夢とか持ってるの?】
【突然だな】
【いいから、答えて】
普段の汚い言葉はなりを潜め、文字越しに真剣な雰囲気が伝わってくる。
一度キーボードから指を離した俺は、腕を組んで思考を巡らせていく。
夢、夢と来たか。
改めて考えてみれば、あまり深く考えていなかった気がする。
もちろん、各キャラごとに信念等は設定していた。
しかし、今のアリスが告げた時のような、文字を通して訴えかけてくる夢や、信念を作っていたのかと言えば、首を傾げざるを得ない。
どこか、自分のキャラ達を創作だと思っていなかったか。
空想上の存在だと、見切りをつけていなかっただろうか。
俺達にとっては幻想でも、作品の中の彼女達にとっては現実だ。
生きている、と言っても過言ではない。
「一度、見直してみるべきか」
一つのキャラクターとしてではなく、一人の人間として。
ここまで考えたところで、思わず自嘲の笑みが浮かんだ。
確かに、これではアリスが汚物と言ったのも頷ける。
作品の都合で動くキャラなど、ただの人形ではないか。
そんな作者の自己満足、見るに堪えないものだ。
「……」
ため息一つ。
瞬きして気持ちを切り替え、素直にアリスへと返信をする。
【悪い。あるにはあるが、お前を満足させるような夢は持ってない】
【おろ? 素直に認めるんだ、珍しい】
【今回ばかりはな。お前の言っている内容が正しかったし。それで、そんな事を言った理由を聞いてもいいのか?】
【んー、そうだにゃあ】
そこで、アリスは迷うように時間を置き。
【ねぇ、天才ってなんだと思う?】
【はっ? なんだよ、いきなり】
【私はねぇ、天才って言葉は凡人共が作り出した蔑称だと思うんだ】
【蔑称?】
意味がわからない。
むしろ、天才は真逆である賞賛の意味ではないだろうか。
首を捻っていると、アリスは言葉を繋ぐ。
【自分達には理解できないから、天才って都合の良い言葉を押し付ける。自ら学ぼうとしないで、無理だーできるわけないーって諦める。そのくせ、自分より優秀な天才達の足は引っ張る。
【なにが言いたい?】
【私はね、変えたいんだよ。この腐りに腐ったヘドロのような世界を。天才という名の窮屈な鳥かごをぶっ壊して、大空へ羽ばたきたいんだよ】
【仮に、大空へ羽ばたいたらどうなるんだ?】
【天災になる】
「はっ?」
思わず声に出してしまうが、無理もないだろう。
突然あやふやな事を言っていたかと思えば、今度は自然災害になりたいと告げてきたのだから。
唖然と固まる俺をよそに、アリスはチャットを送る。
【自然のように何物にも縛られず、思うがままにしたい。凡人共は家に籠る事しかできず、災害が収まるのを怯えて待つ。そんなやつらの無様な姿を見て、嘲笑うんだよ。そして、腐る事しかできない汚物は、私が消毒して綺麗にしてあげるんだ。それが、私の夢】
【よくわからないけど、お前が現状に不満を持っているのはわかった】
【うんうん。凡人のお前にしては、上出来じゃないか】
【一言多いわ】
呆れの表情を浮かべながら、俺は予想以上に重い内容に驚いていた。
まさか、アリスがそんな思いを抱えていたとは。
天才の考える事は……いや、こういう思考が嫌いなんだったか。
相変わらず、アリスの考えは難しい。
これなら良いだろう。
ともかく、こいつの夢が物騒なのは理解した。
「……でも、そうだなぁ」
初めて、アリスの方から真面目な話をしてくれたのだ。
ネット上だけとはいえ、俺も真剣に答えるべきだ。
こういう時、真っ先に思いつくのが空想関連なのは、小説を書いているからか。
空気を変えるために、冗談交じりにチャットを送信する。
【なんなら、テロでも起こしてみたら? 小説とかではよくあるじゃん】
【テロ……テロかぁ。例えば?】
【んー、そうだなぁ。世界中にウイルスをばら撒くとか、ロボットを作って見せつけるとか? まあ、流石に現実じゃあ無理だろうけど】
思わず笑っていたのだが、アリスの返信を見て笑顔が凍る。
【……うん。いいね、それ。ちょうど、研究にも一段落ついたところだし、お披露目ついでに派手な花火を咲かせるのも一興かな】
「おいおい、嘘だよな?」
頬が引き攣っていく。
いくらアリスが天才だとはいえ、まさか実際にそんな事をできるわけがない。
リアルバイオハザードとか、普通にヤバいのだが。
チャットするための指が止まっている中、アリスは独り言を漏らすように言葉を続ける。
【たまには面白い発想をするじゃん。おかげで、私も色々と楽しくなりそうだよ。じゃあ、こっちは準備があるからもう切るね】
【え、ちょっと待て】
【あ、そうそう。お前の小説、主人公の妹の可愛さは認める。箒ちゃんにそっくり! だから、今後も期待してるよ】
【え?】
そこで区切れ、アリスは退室した。
対して、俺は唖然と固まってしまい、身体中から大量の冷や汗を垂らす。
なんか、踏んではいけない地雷にダイブしたような気がする。
具体的には、今後世界がひっくり返るような。
というか、あいつ俺の作品を初めて小説と言ってくれた。
しかも、期待しているという言葉まで。
「ヤバい。普通に嬉しいんだけど」
思わず顔がニヤけていると、不意に文字の一部分に目が行く。
箒というのは、話の流れからアリスの妹だろう。
あいつ、妹いたのか。
いや、それはいい。
問題は箒という名前から、嫌な予感が膨れ上がっている事だ。
喉元に小骨が刺さっているような、取れそうで取れない不快感。
なにか大切な事を忘れているような気がする。
「マジで不安だ……」
頭を抱えるが、現状俺ができる事はない。
色々とやっちまった感が拭えないけど、まあ仕方ない仕方ない。
現実逃避だ、現実逃避。
キャラの練り直しをしよう、そうしよう。
問題の先送りを決意した俺は、執筆を再開するのだった。
♦♦♦
アリスとの連絡が途絶えてから、一ヶ月ほど経つ。
結局、あの日を最後にあいつはチャットに現れなくなった。
なにかあったのだろうか。
まあ、恐らく家族に止められでもしたのだろう。
心配はしていない……していないが、あいつの批評がないと心細くもある。
どうやら、俺は思った以上に、アリスの事を好いていたらしい。
なんだか筆も乗らず、累計ランキング目前にして、ポイントは停滞している。
「はぁ……」
パソコンから身体を離した俺は、身体を伸ばして力を抜く。
今日は休日なので、朝から執筆していたが。
やはり、ここずっと調子が悪い。
アリスの存在が、ここまで大きくなっているとは。
「気分転換に散歩でもするか……ん?」
チャイムが鳴った。
両親は出掛けているので、自然と俺が対応する事になる。
自室を出て玄関に向かい、ドアを開けようとする。
唐突に、嫌な予感がしてきた。
この扉を開けると、俺はとんでもない事に巻き込まれるような気がする。
「どうしよう」
また、チャイムが鳴る。
覗き窓から外にいる人を見てみようか。
いや、それをしても取り返しのつかない事が起きる予感を覚える。
ならば、居留守はどうか……一番まずい展開になる確信がある。
ええい、考えていても仕方がない。
頭を振った俺は、勢いよくドアを開いた。
「む、いたか」
玄関前にいたのは、俺と同年代の少女だった。
日本刀のような鋭い美貌を持っており、その場にいるだけで威圧感が凄い。
彼女は俺の存在を認識すると、折り目正しい礼をする。
「突然の訪問すまない」
「あ、いや……誰?」
「私は織斑千冬と言う。よろしく頼む」
「よろしく……織斑、千冬?」
おりむらちふゆ。
ちふゆ。
千冬。
あれ、凄く嫌な予感がしてきたぞ。
脳内記憶の霧が晴れていく中、織斑は背中に隠れていた少女を前に突き出す。
不思議な格好をしていた。
服は清楚な感じで可愛らしいのだが、何故か頭にウサ耳を装着していた。
全体的に退廃的な雰囲気があるも、それ以上に見る者を魅了する絶世の美少女だ。
織斑千冬にも劣らず、二人が街中を歩けば誰もが振り向くだろう。
「ほら、お前も自己紹介しろ」
「わ、わかってるって。……えー、オッホン。相変わらず、汚物を量産しているのかな?」
「真面目にやらんか!」
「いたっ!? もー、相変わらずちーちゃんの愛は重いなぁ」
織斑に叩かれた少女は、嬉しそうに笑っていた。
どうやら、これが二人のコミュニケーションらしい。
そんな事より、俺は内心の震えを抑えるので精一杯だった。
み、見覚えがある。
今生で?
いや、違う。
前世……そう、今ではほとんど覚えていない前世だ。
織斑と少女の二人を、俺は知っている。
「はぁ……こいつの名は篠ノ之束。見ての通り、ただの変態だ」
「ちょ、流石にそれは束さんも傷つくなぁ。まあ、いいや。そう、私が天災な篠ノ之束さんです! 特別に、君には束さんと呼ぶ権利をあげようじゃないか!」
ぶいぶいとVサインをしてくる少女──篠ノ之。
対して、俺は目を大きく見開き、思わず問い返す。
「篠ノ之、束?」
「ノンノン。束さんは束さんだよ。親しみを込めて呼びたまえ」
しのののたばね。
たばね。
束。
………………篠ノ之束!?
「しのの、ののののの!?」
「ちょっと、のが多いかなぁ。大丈夫?」
「だいじょぶじゃないです」
「え?」
そうかー、ここってISの世界だったのかー。
どうりでこの世界にはISの原作がないわけだ。
という事は、俺がチャットしていたアリスは篠ノ之?
今後世界的にテロを起こす天才科学者と、舌戦を繰り広げていたのか?
あ、意識が……
「あれー?」
「おい、大丈夫か!?」
慌てた様子で駆け寄る二人を尻目に、俺は過去の自分を殴りながら意識を暗転させるのだった。
♦♦♦
よくわからないまま、俺は篠ノ之束と知己になっていた。
今後も、彼女に巻き込まれ、散々な目に合うのだが。
まあ、わかりきった事だろう。
ただの凡人に過ぎない俺を構う理由は知らないが、織斑がニヤニヤしていた事から、なにかしら理由があると思われる。
とりあえず、今の俺が考えているのは、篠ノ之の世界テロを止める事だ。
できるかわからないが、発端は俺にあるようだし。
責任は取らなければ。
今後の俺がどうなるか、現時点では知る由もない。
ただ、退屈しない事だけは確かだ。
こうして、ネットから始まった関係は、新たな関係となって紡がれるのであった。
「よーっし、まずは手始めに世界中の核を起動させちゃうよー!」
「やめてッ!? 本当に、シャレにならないからやめてくれ!」