『ZOIDS Genesis 風と雲と虹と』第八部「アンデッド・ヴォルケーノ」 作:城元太
「プロジェリア症は優性の遺伝病であり、老化が異常に早く進行する病。成人前の子供にありながら、老人にありがちな血流の循環障害や蜜尿(糖尿)病、眼球の白内障などの症状が早々に現れて参ります。脚病に思われた関節痛の症状は、桔梗様の身体が次第に衰えている証なのです。
但し、プロジェリアの症状にしては、どうにも解せぬことがあります」
「治療の手掛かりになるものか」
身を乗り出す小次郎を前に、兼弘は無慈悲に首を振る。
「残念ですが治癒の手段はありません。敢えて言うならば、老化を防ぐため安静な生活を送ることを奨める程度です。
解せぬというのは、この病は幼少期から発病するものであり、身体の発育に著しい遅れが見られるはず。ところが桔梗様の身体に未発達な様子は見られず、寧ろ通常より発育は促進されており、症例と著しく異なっておるのです。
念のため齢を伺ったのですが〝兄より告げられたことはない〟の一点張りでした。あの年頃の乙女であれば無理からぬことかもしれませんが、診察の支障となるので、できれば本当の齢をお聞きしたかったのですが……」
説明の途中から、小次郎の脳内では雷鳴が奔っていた。武蔵武芝が語った、紫の君というソラの姫の事である。
〝歳を問うと、紫は不思議なことを申されました。『歳は知らぬ。まだ生まれて間もない』と〟
武芝の話では、その後紫は急速に老いて行方を眩ましたという。顔貌が桔梗と酷似していたというのも不安に拍車をかける。
「父うえ、かねひろさま、孝子ねえさまのおかげんはいかかでしたか?」
着替えの仕切り幕を上げ、少し襟元を気にしながら整える桔梗と、その左手を繋いだ多岐が小次郎に寄り添う。
「大丈夫です。お姉さまは疲れがたまっていただけでした。栄養のあるものをたんと食べればよくなります。多岐さまも安心してください」
だが今は、別の目的を果たさねばならなかった。一刻も早く、良兼の病床に妻良子を連れて行くことだ。兼弘もそれを察し、桔梗に真実を告げるのを避けたのだった。
「兼弘、世話になった。今は旅路を急ぐ身、何かあれば帰路にも立ち寄るとしよう。大事無くてなりよりだった、のう、桔梗よ」
小次郎は勉めて明るく振舞い、多岐を抱き上げる。歓声を上げる少女とは裏腹に、小次郎の心中の不安は拭い切れない。
そしてまた、桔梗の表情も強張っていた。小次郎達は知らない。際立って優れた桔梗の聴覚は、壁一枚隔てていようと容易に会話を聞き取れる能力があるということを。
上野国
土塀の向こう側に、漆黒の機体のハイブリッドバルカンが屹立している。束ねた銃身の隙間から、山間を縫う様に昇った朝日が、鋼鉄の獣たちの影を長く伸ばしていた。
剃髪し床に臥した平良兼の身体が、娘良子には酷く縮んで見えていた。
「あなた、良子ですよ。下総から遥々来てくれましたよ」
「お父様、判りますか。良子です。多岐も、小太郎良門も参りました。どうか孫たちの姿を見てやってください」
枕元に座った良兼の正妻陽子と、小太郎を抱いた良子、不安そうに祖父の顔を覗き込む多岐、そして敷居裏側の回廊に立つ小次郎、遂高、桔梗の姿があった。
誰の目にも歴然としていた。老父に残された時間は間もなく尽きようとしている。そしてその事実を察し、迎え入れた若い側室である
夜通し駆け抜けた朝露に濡れそぼり、纏った雫を朝日に煌めかす碧い獅子が佇む。背負う大刀ムラサメブレードの峰の上、留まった菫色の孔雀が夜明けを告げて啼いていた。
「レインボージャークの啼声、良子が帰って来たのか」
薄目を開けた良兼の虹彩は、光を感じられぬ程白く濁っていた。込み上げる嗚咽を呑み込み、娘は父の掌を自分の頬に当てる。
「お元気そうでなによりです。その御様子なれば、すぐに孫たちと戯れることもできましょう。お父様、娘の度重なる不孝をお許しください」
老いた父の掌は、硬く冷たく痩せ細っていた。良子はその掌を多岐に握らせる。
「じじさまはお病気ですか。多岐はまた遊びたいので、元気になってください」
「おお、良子か。大きゅうなったな。背丈も伸びたようだ。髪の毛も伸びたのう」
「ちがいます、多岐です。母うえではありません」
良子は黙って首を振り、多岐の言葉を制する。老いた良兼にとって、最早娘と孫の判別も付け難くなっていたのだ。
「良子は女だてらにゾイドが好きだったからのう。
お前の御転婆ぶりにはほとほと困ったものだった。
そんなことでは嫁の貰い手もないぞ。
夫となる者も苦労するであろう」
か細い声で昔語りをする良兼の口調は、
「良子、良き妻となり、夫となる坂東武者をしっかりと支えるのだぞ。それこそが坂東に生きる女の生き様だ。判ったな」
「はい」
多岐の手を握ったまま、良兼は静かに、そして力強く応える。
「小次郎と、末永く幸せにな」
「えっ……」
多岐の手から良兼の掌が滑り落ちる。事態を察した家人が直ぐに呼吸を確かめるが、既に良兼は事切れた後であった。
天に向けられたままのハイブリッドバルカンの銃身に、喪を示す黒い幟が
「平小次郎将門、私達はまだ貴方を許した訳ではない」
小次郎達の前に、手勢を連れた良子の弟、平
「だが父の臨終に姉達を連れて馳せ来てくれたこと、篤く感謝する」
掛け違った歯車が、姉と弟達とを仇同士にしてしまった。しかしそれは心底憎しみ合うものではなかった。
「下総に戻る前に、伝えておきます。
相模村岡の良文叔父より報せがありました。駿河の不死山より出現したゾイドが、平将門追捕の為上野に向かったそうです。受領者は上野国追捕使藤原
ゾイドの銘は、〝バイオヴォルケーノ〟」
「またバイオゾイドが現れたのか」
小次郎の声が僅かに上擦った。子飼、堀越での悪夢の戦いを繰り広げた骸骨竜が、再びに立ち塞がろうとしているのだ。
「良文叔父によれば、バイオヴォルケーノは凱龍輝と交戦し、荷電粒子砲によって撃破され活動を停止。機体より脱出した操縦者を詰問しようとしたが、心身に酷い疲労を負っていて、話す事も適わなかったという。
身分を示すものが無いか調べた処、正式な追捕官符を所持し、追捕の対象が平将門とわかったそうだ。
一方、撃破されたと思われたバイオヴォルケーノの機体は、その直後に流体金属装甲の再生を開始し、同時に飛来した突撃揚陸艇ネプチューンによって操縦者共に回収され、上野に向かったとある。バイオゾイドは、貴方や姉上が下総に戻る途中で襲撃する魂胆に違いない。道中、用心されるのが良かろう」
小次郎は失望と幻滅の余り、自然に口許が緩むのを感じていた。
(ソラの日和見はいつもこうだ)
嘗て湯袋山で貞盛や良兼を討ち漏らした後、ソラは正式に貞盛追討の追捕官符を発行していた。しかし左馬允貞盛が上洛すると、掌を返して今度は小次郎を追捕するという。
(所詮、坂東の揉め事など眼中にないのだ。あるのは天空より飛来する隕石群の脅威を避けるため、軌道エレベーターを完成させることしかないのだ)
小次郎の中で何かが弾けた。心の何処かで僅かに繋がっていた絆の様なものが、断ち切れるのを覚えた。
小次郎の傍らには、父の死を悼み黒い幟を見つめる良子と、老いて死す無常を見据える桔梗の姿があった。
【手始めに相模での実戦を試みたものの、あの青い竜、凱龍輝と相模の村岡五郎良文を見くびっておりましたな】
【然れど
【
【律師の名誉に賭けて挑む御姿は立派ですが、ヴォルケーノの再生を待つ間は孰れにせよ動けませぬぞ】
【無念だが、止むを得まい。此度は一時身を退こう】
【気懸りは、坂東に例の
【空也、でしたか。醍醐帝由来の猿神を、叡山
【
【御心配召さるな。遊行などに然したる力などあるまいて。さて、序列からすれば、次なる祈祷は拙僧にてあろうか。怨敵は上野に入った。
エヴォルトシステムを有するゾイド、村雨ライガーめ。
【
【
祈祷を始める。護摩壇の準備を頼みまする】
【ここで我らが意地を張るのも見苦しいではないか。浄蔵殿の大威徳明王の咒、篤と拝見しよう】
新たな真言の咒が堂宇の中に唱えられ、韻々と響き亘った。
――オン シュチリ キャラロハ ウン ケン ソワカ――
護摩壇に炎が燃え上がる。
遠く離れた坂東の地で、赤い骸骨竜の鼓動が甦っていた。