『ZOIDS Genesis 風と雲と虹と』第八部「アンデッド・ヴォルケーノ」   作:城元太

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第八拾四話

 穏やかで雄大な景観を誇ってきた美しい成層火山の峰を、脳髄の塊の如き灰白色の泥流が雪崩落ちていた。

 不死山(ふじのやま)はプレート収束三重点(トリプルジャンクション)に位置する大火山であり、噴火の規模も東方大陸でも最大級である。ラハール融雪型火山泥流と称される爆発は、(ふもと)の村々を呑み込み、驚異的な速度で駿河湾まで駆け下りる。泥流下部に潜んでいた灼熱の溶岩が、海水に接すると同時に激しい水蒸気爆発を引き起こし、駿河より伊豆、相模に至る広範囲に激烈な被害をもたらした。

 一方、積雪のない側噴火口の部分からは、流砂噴火と呼ばれる砂粒程度の火山砕屑物が大量噴出し、微細な石英結晶の火山灰(テフラ)を坂東一帯の大気中に撒き散らした。立ち籠める火山灰(テフラ)(もや)に接した人々は、一斉に眼球と呼吸器に痒みと痛みを覚え悶え苦しむ。靄に混入した石英の微細な結晶が鋭い針となり、皮膚や肺胞を突き刺したからである。

 坂東各地に、常世の地とはほど遠い、緩やかな絶望に覆われる地獄絵図が出現する。そして灼熱地獄の側火口では、何処(いずこ)よりか詠唱される真言(マントラ)が、不死の裾野に響いた。

 

――タリツ タボリツ パラボリツ シャヤンメイ シャヤンメイ タララサンタン ラエンビ ソワカ……

 

 濛々と立ち昇る噴煙の中、溶岩色の構造色の煌めきに混じり、紫水晶の刃(クリスタルスパイン)が無数に立ち上がる。林立する刃は、溶岩の輻射光をも乱反射させ、殷々と響く真言(マントラ)聲明(しょうみょう)にあわせて蠢動していた。

 

 

「いいなあ、孝子姉さまはバンブリアンに乗れて」

 石井営所へ向かう帰路の途中、グスタフの庵の中で多岐が憧憬の溜息をつく。良子は(かいな)に抱いた小太郎に乳房を含ませ、複雑な表情を浮かべて娘と白黒の熊型ゾイドを交互に見た。

「営所に戻れば乗せてもらえます。今は外の瘴気に触れてはなりません。此処で大人しく、御簾を上げずに眺めているのですよ」

 はーい、と無邪気に答える多岐の声が、外気から遮断された庵の中で反響する。充満する火山灰(テフラ)の大気の中を、小次郎の率いるゾイドの軍勢は延々と進んで行くのであった。

 武蔵武芝(むさしのたけしば)源経基(みなもとのつねもと)との和睦を成就させるに至らなかったものの、武蔵足立郡に一応の安定を取り戻した小次郎の大毅に、新たに白黒の熊型ゾイドが加わっていた。

 

 去り際に武蔵武芝は、桔梗に対しバンブリアン1機の譲渡を申し出た。

「先の短い身の上です。貴女とはもう、生きて御逢いすることもないでしょう」

 戸惑う桔梗を前に、老郡司は穏やかに微笑む。

「聞けば愛機を失ったばかりとか。私にとっての若き日の償いと思い、(はなむけ)としてこのゾイドをお受け取りください」

 込み上げる何かがある。今の自分が生まれる前に潜んだ記憶が、桔梗の口を告いで詠じていた。

「紫の 一本(ひともと)ゆゑに 武蔵野の 草はみながら あはれとぞ見る――。

 武蔵の衛士さま、もう一度、あの歌を願えますか」

 武芝が頷き、皺枯れた声で朗々と歌い応える。

「――七つ三つ つくり据ゑたる 酒壺に

 さし渡したるひたえの(ひさご)

 南風吹けば 北に(なび)

 北風吹けば 南に靡き

 西風吹けば 東に靡き

 東風吹けば 西に靡き――。

 桔梗様。何卒、何卒、末永く御元気で在らせられることを祈念して居ります」

 皺だらけの掌で柔らかな乙女の手を握り、武芝は滂沱(ぼうだ)の涙を流していた。

 

 セントゲイルを失った桔梗は、新たにバンブリアンを得た。精強なゾイドではあるが、安易に石井の軍勢に組み入れることに異議を申し立てる者はいた。

「兵力は充分に満たされて居ります。加えて彼の女は、藤原秀郷の(つわもの)でありました。迂闊に心を許せば、殿や味方の寝首を欠かれるやもしれませぬ」

 真っ先に反対したのは、他ならぬ伊和員経であり、同様に四郎将平も異議を唱えていた。亡き孝子の養父であっても、忠実な老臣の公私を弁えた冷静な諫言である。小次郎にしても員経の心情は痛いほど判る。だが自ずと湧き出る哀憐の感情と、何より孝子そのままの容貌をした桔梗を手放す気持ちにはなれなかった。

「四郎、そして員経。責任は俺が取る。見棄てる事など、俺には出来ん」

 棟梁の言葉に、それ以上反論する者はいなかった。弱きもの、自分を頼って来るものを、小次郎が見捨てる事ができない性分と皆知っていたからだ。

 出立に際し、バンブリアンの操縦席に収まり、武蔵に留まる素振りを見せていた桔梗に村雨ライガーが接近し、小次郎が風防を開きひらりと飛び移った。火山灰(テフラ)漂う大気を避けねばならぬ為、止む無く桔梗はバンブリアンの風防を開け、小次郎を機内に入れた。

「桔梗よ。其方はこれより兵として我が軍勢に加わり、共に下総に向かうぞ」

 狭い操縦席、息が掛かるほど近くに顔がある。

「良いのですか。私は俵藤太の妹にして、あなたを仇と狙った者ですよ」

 小次郎は呵々大笑した。

「俺を討つ気があるのなら、是まで何度も機会はあった筈。其方ほどの手練れが成さなかったのが裏切らぬ証拠。俺は桔梗を信じる。それで良いではないか」

 小次郎の分厚い掌が、桔梗の細い肩を二度三度と叩く。温かく、大きな掌だった。間合いを取ることも、身構えることも出来たのに、なぜか身体が言うことを聞かなかった。掌が触れる度に胸を締め付ける痛みを覚え、熱い何かが溢れ出し、恍惚の中脱力してしまう。

 再生されたばかりの桔梗には、その感情が何かという知識を持ち合わせていなかった。よって

「うん」と肯くのが精一杯だった。

 この時桔梗は、胸の痛みとは別に、自分の身体の節々が不思議と痛むことを感じていた。

 

 海を隔てた東方大陸北島。天空の果てまで伸びる軌道エレベーターのケーブルの地上部分に、見慣れたアースポートの姿は無く、代わって水晶の結晶柱を思わせる巨大な玻璃の建造物が出現していた。大内裏の直上すれすれを浮遊する巨大水晶は、影を地表に落としていない。建造物自体が光学迷彩機能を有し、空と海との景色にとけ込んでいるのだ。建造途中の剥き出しの内部構造物が輪郭を顕しているが、地上を離れれば完全に雲間に消えてしまうはずである。それは水晶型の建造物に乗る者達が地上に永遠に別れを告げ、天空の彼方の〝ソラのヒト〟へと昇華することを示唆していた。

 巨大水晶の周囲を瑠璃色の翼を具えた螺鈿色の天空レドラーが旋回する。やがて加速度を増しと、薄らと水平線上に広がる東方大陸南島の陸影に向け飛び去って行く。

 玻璃や瑠璃の煌びやかな輝きに包まれる都の姿とは対照的に、レドラーが残した航跡(ベーバートレイル)の下には、無数のゾイドの骸が打ち捨てられていた。未だゾイドウィルスに抗するワクチンは普及せず、残骸の数は日に日に増すばかりである。残骸の並ぶ海浜、大内裏より西に延長した波間に、陽射しを反射する微細な機器が揺蕩(たゆた)う。機器より海底へと伸びる紐の奥底、水面下の深海淵に、鋼鉄の巨鯨が停止懸吊(げんちょう)して潜んでいた。

 海上の機器より送られる信号を解析し、艦橋奥で拱手する海賊頭へ報告が為される。

傀儡(ドローン)六号が機体番号を確認、忠平の家司多治助縄(たじのすけただ)のレドラー。スカイフックを旋回、方違えの後に坂東方面へ向かいました〟

「捨て置け。大方御教書(みきょうしょ)を携え将門の元に向かったのだ」

 藤原純友は手にしたタブレット端末と眼前の疑似障壁に映写された映像を見比べ、端末に記された公文書と人物像らしき画像を注視する。

「此奴が貞盛に続いて将門を誣告(ぶこく)した元武蔵介――摂政忠平も、さすがに黙認できなくなった訳だ。

 源経基……思い出したぞ。此奴は俺が坂東に出向いた時、駿河沖のホバーカーゴの甲板にいた男だ。矢鱈と己のゴジュラスギガばかり自慢し、肝心の戦となればさっさと逃げ帰ったとは、見てくれ通りの腰抜けだな」

 出会った時の記憶が余程腹に据え兼ねたのか、純友が海賊大将らしからぬ讒謗(ざんぼう)を洩らす。

「他に、俺が都を離れている間に目立った動きはあったか」

「スカイフック完成を控え、都が騒々しくなっているのは確かです」

 投げ出すようにタブレットを渡された佐伯是基が、端末画面を再度確認する。

「スカイフック、即ちソラシティの浮上に際し、我ら海賊衆の騒擾に加え、武蔵騒乱の東西同時兵火により天上人達は過敏に神経を尖らせています。改定された介の除目に、坂東では軒並み押領使やら追捕師やらの経歴を持つ武官達が就任しているのがその証拠。頭の近縁である上野の藤原尚範(ひさのり)殿の配下にも、押領使だった藤原惟条(これつな)が上野権介(ごんのすけ)として就任したとの報せも届いています」

「伯父貴など呼び捨てにしても構わぬ。ソラに取り入った見苦しい身内だ」

 眉を顰め、不快を露わにして背を向ける純友を気にせず、是基は冷静に続ける。

「加えて、ソラは龍宮と俵藤太を伴って調伏を開始しました。呪詛の狙いは、平将門です」

 純友が無言のまま背中越しに掌を振る。「話を続けろ」の意味である。

「瀬田の唐橋より、所属不明のドラグーンネストがスタトブラスト(休眠状態)を解除され、駿河の不死山に向かいました。密教僧と陰陽師を随伴させ、さらに新たなるバイオゾイドをも搭載して」

〝バイオゾイド〟の言葉に、暫し純友は沈黙する。

「性懲りも無く、龍宮はバイオゾイドを再生したのか。将門によれば、かなり厄介な敵だそうだ。

 是基、今ある情報全てを藤原三辰に託し、ストームソーダージェットで坂東の平将門まで届けさせろ。彼奴に斃れられてはアーミラリア・ブルボーザ生育も達成できぬ。我らは直ぐに日振島に戻るぞ」

 懸吊(げんちょう)を解除したホエールキングは、巻き取られた傀儡装置の纏う微細な水泡を曳き、海底より去って行った。

 

「一足違いでした」

 火山灰(テフラ)を避ける為に密閉された亭の中で、老郡司と乞食僧が茶をたて向かい合っていた。

「純友殿と別れ、再び遊行に身を委ねようとしていた矢先の、不死の噴火です。乞食僧風情が、天地の慣わしを左右できる筈もありませんが、この天災をせめて将門殿にお伝えできれば、六孫王殿との誤解を避けることもできたのではと、後悔すること頻りです」

 茶筅(ちゃせん)を緩やかに揺らし、僧は茶椀を老人の元に置く。

「拙僧の如き青二才が申すべきことではありませんが、武芝殿にとって懐かしい女人との邂逅になられたようですね」

 茶を口元に運び、武芝が短く嘆息する。

「老いた身ゆえ、とうの昔に涙など枯れ果てていたと思ったのですが。年甲斐も無く醜態を晒しました」

 老郡司は幾分羞恥の笑みを浮かべていた。

「不躾ながら、武芝殿に於かれてはまだまだ御壮健の様子。ならば桔梗殿と再会することも叶うのではありませんか」

 一転して、武芝の瞳に深い憂いの色が浮かぶ。

「私が涙を流したのは、私の命が尽きるからでは御座いません。私が代われるならよいものを……」

 武芝はそう告げたまま、未だに降り積もる不死の灰を茫然と見つめていた。

 


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