そのままの君が好き。   作:花道

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第一章 もう一歩、もう一度、もう一歩。
♯6 あれから一週間。


 

 

 

 ーーー待って、置いていかないで。

 

 

 老年の男の背中へ手を伸ばす少女は()()()()()

 

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

  そのままの君が好き。

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 

 ようやく見慣れてきた白を基調とした部屋。

 何故か中途半端に伸ばされた左腕。

 陽乃は重たくなった身体を起こす。

 気をぬくと落ちてきそうな瞼。ボサボサの頭。多分間抜けな顔がそこにはある。

 絶対に彼には見せたくない姿。

 寝癖がひどい後頭部の髪を軽く押さえる。

 

 

 夢を見ていた。

 懐かしい夢だ。

 大好きだった人の、あの人の夢。

 優しくも、時に厳しくて、でも陽乃はその人が大好きだった。

 理由もないのに、毎日のように家に押しかけ、優しく頭を撫でられて、悪さやバカをして、よく怒られた。

 怒鳴り声や、拳骨がよく飛び交っていた。

 

 

 ーーー……。

 

 

 意識が覚醒していく。

 目元を軽く押さえる。そこで、ふと気づく。目元が濡れている事に。その水滴が涙だという事に。

 

 

 ーーーあれ。……どうしてわたしは、泣いているの……?

 

 

 溢れ出した涙が頬に伝い、線を残し、掌に弾ける。

 

 

 ーーー夢……夢か。

 

 

 貴方はもう見えない。掌にはなにも無い。

 ひんやりとした地面に足を置き、立ち上がる。

 見慣れてきた景色が広がる。

 弾けた水滴も乾いている。

 隣のベッドを見る。

 まだ比企谷八幡は寝ている。

 陽乃も一応そのベッドで寝ている。まだ、陽乃用の布団は届いていない。

 ベッドから足を出し、一歩進む。

 髪をはらう。

 

 

 

 ーーー拝啓、おじいちゃん。新しい生活にはもう慣れましたか?

 

 

 

 今日も、新しい日常が始まる。

 

 

 

 

 

 第一章 もう一歩、もう一度、もう一歩。

 

 

 

 

 

 あれから一週間が経過した。

 陽乃は伸ばされた髪の毛を一つに束ね、エプロンをつけていた。

 熱したフライパンに油を広げて、黄身が割れないように、優しく生卵を落とす。

 低音が響く。

 ()()()、レタスを一口サイズにカットし、小皿に盛り付ける。

 トースターに食パンをセットする。

 白身が薄っすらと固まってきたので、お湯をフライパンに入れて、蓋をする。

 冷蔵庫からバターといちごジャムとオレンジジュース、MAXコーヒーを取ってテーブルに置く。

 ガチャ、とドアが開く。

 寝癖のついた頭を押さえながら、比企谷八幡が眠たそうな顔をして、顔を出した。

 

「おはよ、比企谷君」

 

 陽乃はニコッと笑う。

 

「……おはようございます。陽乃さん」

「朝ごはんもうちょっとでできるから、顔洗ってきたら?」

「……そうします」

 

 目元を指先で擦りながら、比企谷は来た道を戻っていく。

 陽乃は静かに笑う。

 今までの当たり前のようないつもの笑顔がそこには帰ってきていた。

 

 

 

 いちごジャムをたっぷり塗ったトーストを陽乃は一口食べた。

 甘酸っぱさが口の中いっぱいに広がる。

 その目の前でいちごジャムたっぷりのトーストにかぶりつき、たるんだ口元をMAXコーヒーで引き締める比企谷がいる。

 どちらかといえば甘みの方が強いいちごジャムに甘みの塊であるMAXコーヒー。組み合わせは人それぞれ確かに自由だ。もしかしたら陽乃の知らない世界がそこにはあるのかもしれない。

 だが、その世界に飛び込もうとは思わない陽乃だった。

 

 陽乃はオレンジジュースを飲む。

 

 半熟の黄身目掛け箸を刺す。黄身から箸を抜き取ると箸の先が黄色に染まる。穴から黄身が流れる。パリパリしてる白身の端を食べる。パリパリしている。「当たり前か」と陽乃は思う。トマトをつまみ上げ、食べる。酸っぱい。

 トーストを半分まで食べた比企谷が箸でトマトを弄っていた。

 不思議に思った陽乃が目玉焼きを食べながら、比企谷に尋ねる。

 

「食べないの? トマト」

「いや、食べます」

「もしかしてトマト嫌いだった?」

「大丈夫です」

 

 そう言って比企谷はトマトを口に放り込んだ。

 「これからは作る前に確認しよう」と、陽乃は思った。

 

 

 再びトーストを食べる。

 ありふれた日常がある。

 変化した心模様。

 伸ばされた髪の毛に枝毛がある。

 柔らかな笑顔は確かに変化した。

 あの時のような、ありのままの素顔で陽乃は笑う。

 当たり前の日常が、こんな日が、君かいるだけで、こんなにも楽しいと思える。

 まるで、あなたがまだ生きていた時のように。

 それはとても嬉しいことだ。

 満ち足りた心が温かく、火を灯している。

 

 

 

 

 ♯6 あれから一週間。

 

 

 


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