そのままの君が好き。 作:花道
何度も。
何度も忘れようとした。
貴女が残していった思い出とともに。
距離が離れて、時間が経って取り返しがつかないほどに、貴女は遠くへ行ってしまった。
もう2度と、逢うことはない。
そう思っていた。
なのに。
貴女はふらりとわたしの前に現れた。
もう2度と逢うことはないと。
そう、思っていたのに。
何度も。
何度も忘れようとしたのに。
貴女の代わりになろうと。
貴女を越えようと。
貴女はきっと知らない。
わたしの努力も。
あの人の嘲笑も。
彼の悲しみも。
彼女の心配も。
貴女は、まだ知らない。
間違いは正せない。
過去は変えられない。
だけど、未来は変えることができる。
だから、せめて。
ーーーーー
そのままの君が好き。
ーーーーー
視界が歪んだ。
溢れ出した雫が頬を伝い、線を残して消えていく。
涙の意味はわからない。
安心か、不安か。
背中に回した両手の力が強くなる。
唇を噛んで、頭で言葉を紡いで、口にする前に消えていく。
どれだけ考えても、言葉が纏まらない。
涙ばかり溢れてくる。
揺れ動く木の葉。
光のざわめき。
37度の温もり。
「泣いてるの? 姉さん」
「……うん」
「……姉さんも泣けるのね」
「最近、涙腺が緩いの」
「……そう」
「……、」
「ねぇ、姉さん」
「なに? 雪乃ちゃん」
「わたしはなにも変わっていないわ」
「……」
「あの時のまま、わたしの時間はずっと止まっているの。超えるべき存在を失って、それでもあの人に認めてもらえるように必死になって頑張って、バカみたいにまっすぐ進んで、でも。……でもやっぱり、つまらないの。張り合いがないの。姉さんのいない日々が恐ろしくつまらないの。ずっと、ずっと、前に進めないの。どれだけもがいても、姉さんの背中すら見えない」
「……雪乃ちゃん」
背中から肩へ移した両手が一気に陽乃を突き放す。
肩に手を置いたまま、雪乃は陽乃を見つめる。
陽乃は雪乃の表情を見て気づいた。
充血した瞳。流れた涙。震える唇。
泣いていたのは、陽乃だけじゃなかった。
大きく、綺麗な青色の瞳が揺れていた。
一筋流れた雫が、陽乃の胸を抉る。
止まってしまった時間。
引き裂いた現実。
ずっと追いかけてきた妹。
ずっと走り続けた姉。
相変わらず、陽乃は言葉を紡げない。
いつのまにか不器用になっていた。
あれだけ簡単だったコミュニケーションがうまくできない。
あの時の陽乃はもういない。
手にした仮面はとうの昔に光を失われた。
培った力の半分も発揮できない。
でも。それでも、なんとか言葉にしようと必死になって考える。
正しい選択なんて陽乃にはわからない。
それでも必死になって考える。
だけど。
「わたしが、どれだけ……」
「……、」
「どれだけ心配したかなんて、姉さんは知らないでしょ?」
不意の言葉に、纏まらない言葉が完全に溶けてしまった。
「どれだけ由比ヶ浜さんが心配してくれたか、姉さんは知らないでしょ?」
「……」
「どれだけ彼が……比企谷君が姉さんのことを探していたかなんて知らないでしょ?」
「……」
「なにも知らないのよ、姉さんは。わたしの時間を止めたことも、由比ヶ浜さんの心配も、比企谷君の心配も、なにも知らないのよ」
「……」
「改めて聞くわよ、姉さん。そんな姉さんが今さらなんのよう?」
なにも言えなかった。
小さく開いたままの口。
瞬きの回数が急激に増える。
誰にも理解されないと思っていた。
誰とも心は繋がらないと思っていた。
家族や友人との思い出すらもなく、ずっとあの人以外ーーー祖父以外味方なんていないと思っていた。
そう思っていた。
勝手にそう決めつけていた。
誰にも理解されない。
誰とも繋がれない。
あの日から、ずっと一人で生きてきたつもりだった。
でも、実は違うのかもしれない。
本当は誰かが後ろから追いかけていたのかもしれない。
慕ってくれた後輩はいた。
でも、陽乃はその後輩に全部をさらけ出せていただろうか。
なにも、知らない。
陽乃はまだなにも知らない。
突き刺さった言葉。
心臓が動いている。
心がずっと熱い。
誰にも聞こえない悲鳴が内側で響いている。
それを言葉にしなくちゃいけない。
たった一言。
簡単な一言。
「……逢いたかったじゃ、だめ?」
流れた涙は君に羽を貰って、キラキラ輝いて飛んだ。
あまりにも綺麗だから。
雪乃は右手を伸ばして、人差し指でその涙を優しく拭き取る。
伏せた瞼に思い出が重なる。
あまりいい思い出はない。
祖父に拳骨を落とされて泣きながら笑っている陽乃。
二人で手を繋いで、一緒に食べたアイスクリーム。
親に内緒で祖父から貰ったお小遣いで、はしゃいでいる2人。
それでも、数少ない思い出たちが確かにそこにはある。
さよならだけの人生じゃない。
あの時、こうしていれば。
あの日に戻れたら。
だけど、あの頃には決して戻れない。
進むしか、できない。
過去は変えられない。
だけど、未来は変えられる。
だから。
だから……。
せめて、これからも続くであろう未来だけは、暖かな景色を。
「また、ただの姉妹に戻れないかな?」
「もう……遅いよ」
「……遅くないよ」
「もうやり直せないんだよ?」
「また一から始めよ?」
「姉さん、わたしはーーー」
言葉を塞ぐかわりにもう一度抱きしめる。
もう離さないように。
もう一度、姉妹に戻るために。
♯17 姉妹③
あの日わたしが全てを投げ出さなかったとして。
それで今も抱えてるわたしの後悔はなくなるのかな?
あの日君が心の奥底に静かにしまい込んだ言葉を聞いたとして。
それで今も続いてる亀裂を埋めることができたのかな?
君の体温が、その指が、その瞳が。
全て愛おしくて、離したくなくて。
だから、神様。
ほんの少しでいいから、もう二度とはなれないように、今を強く結んでほしくて。