そのままの君が好き。   作:花道

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♯15 姉妹。

 

 

 

 

 甘いコーヒーの匂い。

 忘れかけていた笑顔。

 思い出してきた本当の笑顔。

 溶け出した氷。

 胸の奥の、もっともっと奥にある見えない心。

 覚悟は決めた。

 もう陽乃は一歩目を進み始めた。

 なら、もう大丈夫。

 きっとあの人も見守ってくれている。

 だから陽乃は二歩目を踏み出せる。

 

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 

  そのままの君が好き。

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 

 曇り空の下、陽乃は歩く。

 いつも通り黒で統一された衣服。

 風に揺れる髪の毛を軽く押さえる。

 正直に言えば緊張している。昔の陽乃なら考えられない事だ。

 巡り巡る季節を超えて、もはやいつぶりに逢うのかも覚えていない。

 答えは出ない。正解は分からない。分からないまま投げ棄てるつもりはない。

 だから今日逢いに行こうと決めた。

 君は怒るだろうか。それとも嘲笑するだろうか。はたまた興味すら失っているだろうか。どんな顔をされるのかなんて簡単に想像できるのに、色々考えてしまう。

 歩みはいつのまにか止まっていた。

 締め付けるこの胸の奥のざわめき。

 スマートフォンには何度も消そうと思い続けた番号がある。

 指先が触れるだけで、電話は繋がる。

 でも、その親指が動かない。

 きっと、陽乃はまだ怖いんだ。

 どうやって声をかければいいのか、今更どんな顔で逢えばいいのか、陽乃には分からない。

 あの日の悲しみも、苦しみも、今更無かったことになんてできない。

 押し付けた、という罪悪感がある

 逃げ出した、という恥ずかしさがある。

 抱きしめたい、という思いがある。

 心の中の濁流に飲み込まれそうになる。

 だけど、逃げ出すつもりは微塵もない。

 逢おうと決めたから。

 だから、その指先が画面に触れる。

 スマートフォンを耳元へ。

 長い長いコール音。

 時間にして、たったの10秒。

 それがとてつもなく長く感じる。

 

 

『ーーーはい』

 

 

 聞きたいと思っていた声。

 なのに、こんなに緊張している自分がいる。

 逢おうと決めたのに、躊躇ってしまう。

 自分は今、どんな顔をしているだろうか。

 電話に出てくれた嬉しさがある、

 声を聞けた喜びがある。

 言葉を発する事への恐怖がある。

 考えていた事を言えない恥ずかしさがある。

 

『……』

 

「……もしもし、雪乃ちゃん?」

 

『……』

 

 相手の顔が想像できないことがこんなにも怖いだなんて陽乃は知らなかった。

 返事は返ってこない。

 時間は10秒も経過していない。

 なのに。

 それなのに。

 時間が永劫に感じてしまう。

 

『……今さら』

 

 聞きたいと望んでいた声を聞けた喜びが陽乃を襲う。

 後悔がある。

 悔しさがある。

 恥ずかしさがある。

 今まで生きてきて体験したことのない思いが陽乃の中を渦巻いている。

 

『今さら、なんのようかしら。姉さん?』

 

 震えている。

 こんな自分をまだ『姉さん』と呼んでくれている事への嬉しさでつい頬が緩んでしまう。

 きっと、正解なんて死ぬまでわからない。

 だからせめて後悔しないようにと何度も考えた。

 考えた結果、何もわからなかった。

 だから。

 だからせめて。

 後悔だけはしないように。

 いつか2人で、手を繋いでとは言わない。隣で軽口を言い合える程度の関係で、君の隣を歩みたい。

 例え、君が拒絶しても、こちらから行く。

 まずはその華奢な体を抱きしめたい。

 嫌がる顔が見たい。

 純粋に笑っていた頃の君の笑顔をもう一度見てみたい。

 

「久しぶりだね。雪乃ちゃん」

『……声、震えてるわよ』

「それはお互い様だよ」

『今さら、なんのよう?』

「……今から逢えない?」

『……ごめんなさいそれは無理』

「そっか……でも残念だね。雪乃ちゃん」

『……残念?』

「外、見てみて」

 

 見上げていた陽乃はベランダから顔を出した雪乃を見て、もう一度だけ笑みを浮かべた。

 

 

 

 ♯15 姉妹。

 

 


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