そのままの君が好き。   作:花道

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♯9 ありがとう。

 

 

 

 午後17時。

 落ち始めた太陽、染まり始めた町並み。

 右手には37℃の温もり。

 君の隣を手を繋いで歩いている。

 居心地が良かった。

 心には確かな幸福感が満たされている。

 ただ君に逢いたくて、名前を呼ばれたくて、幸せ繋ぎ止めたくて。

 追いつけない速度で過ぎていく時間。

 どうして、こんなに嬉しいのだろう。

 どうして、こんなに悲しいのだろう。

 どうして……ーーー。

 

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

  そのままの君が好き。

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 

 太陽に照らされて、2人は歩いていく。

 満ち足りている。

 これ以上の幸せがないくらいに嬉しかった。

 こんな簡単に心が踊っている自分に、単純だなとは自分でも思う。

 でも、単純にもちゃんと理由はある。

 成長した比企谷が、祖父に似た雰囲気を持っている事。

 それだけで、陽乃は比企谷八幡のことが信用できた。

 多分、他の誰かが、祖父と似た雰囲気を持っていても、陽乃は信用しなかっただろう。だけど、比企谷のことは彼が高校の時から、どんな性格なのかをちゃんと知っていた。

 多分、それも含まれている。

 2人の間にはあまり会話はない。一言、二言でほとんど会話は終わる。

 それでも、比企谷は隣を歩いてくれるし、一緒にいてくれる。

 楽しい時間は過ぎていくのがいつも早い。

 ずっと、続いていってほしい。

 これからも、これまでも。

 だって、まだまだ楽しい事はたくさんあるんだから。まだまだやりたいことがあるのだから。

 

 

 そんなわがままを陽乃は思わず望んでしまう。

 

 

 心のオアシスがいつ乾くのかもわからずに、伸ばした手は決して祖父に届かないのに、でも、幸せは今確かにここにあって、これ以上望んじゃいけないのに、陽乃は望んでしまう。

 でもまだその前にやっていないことがある。

 

 

 まだ、あの一言を言えてない。

 

 

 助けてくれたから、お礼を言わなきゃいけないのに、まだ言えずにいる。言うタイミングはたくさんあったのに、たった一歩、その勇気が出なくて、今日まで引き伸ばしてきた。

 でも言わなきゃいけない。

 今日こそは必ず言う。

 そう決めている。

 決めたらやりきらないといけない。

 だって。

 

 

 ーーーだって、わたしは雪ノ下陽乃なんだから。

 

 

 ーーー決めたなら、必ずやり抜く。

 

 

 ーーーそれさえも失えば、わたしは、わたしじゃなくなってしまう。

 

 

 

 立ち止まるのは偶然じゃない。

 もう充分立ち止まった。

 進まなくちゃ駄目だ。

 

 掴んでいた手が離れ、陽乃は比企谷の前に立つ。

 夕陽に照らされる陽乃の姿は今まで見てきた何物よりも美しかった。

 顔は変わらず林檎のように赤い。

 

 

「比企谷君。今日は言いたいことがあるの」

 

 手を伸ばし、再び比企谷の指に触れる。

 

「あの時ね、比企谷君はわたしを助けてくれた」

 

 揺れる瞳で比企谷を見つめる。

 頭で紡ぎ出した言葉が消しゴムに消されたかのように、どんどん消えていく。それでも、必死になって言葉を探して、見つけ出して、繋ぎ合わせていく。

 

「だから、」

 

 

 夕陽に照らされる2人。

 群衆は変わらず歩き続けている。

 時間は2人の意思を無視して刻み続ける。

 

 

「だから……」

 

 

 だだ一言。

 君が教えてくれた一言。

 

 

 

 いい事があったみたいに、心は輝いている。

 

 

 

 長く細く、しなやかな指。かつて、腐った魚のようだった瞳はそこには存在しない。

 大きく伸びた身長。

 少し伸びた髪の毛。

 いつか、こんな日が終わる事も、ちゃんと理解している。

 だけど、これだけは忘れたくない。

 君を愛したことを後悔しない。

 君の幸せをいつでも願っている。

 だから……、

 

 

 ♯9 ありがとう。

 

 

 


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