そのままの君が好き。 作:花道
♯1 再会。
ーーー陽乃、貴女は雪ノ下家の長女なのよ。
ーーー陽乃、あまり私を落胆させないで。
ーーー陽乃、貴女は……。
ーーー陽乃!! 貴女は私の言う事だけ聞いていればいいの!!
ーーー後悔するわよ、陽乃。
全てが嫌になった。
口を開けば「雪ノ下家の長女」。
自由を装っているが、本当の自由なんてそこには存在しない。
未来はすでに決まっている。
所詮、操り人形でしかない。
ーーーわたしは操り人形じゃない。
ーーーわたしはあなたのおもちゃじゃない。
ーーーわたしにも夢くらいあった。
ーーーわたしだって……。
ーーーーー
そのままの君が好き。
ーーーーー
雨に濡れていた。
傘も差さずに一人の女性が暗くなってきた道を歩いていた。崩れた髪の毛は顔を隠し、濡れたシャツからは黒の下着が微かに見えていた。
滴り落ちる雫。
剥がれ落ちた仮面。
引き裂かれたプライド。
とうの昔になくした自尊心。
なんだが、全てがバカらしくなってしまう。
生まれて初めて母親と喧嘩して、家を飛び出して、「わたしは一人でも生きていける」とあの時は簡単に思っていた。
でも、彼女がーーー雪ノ下陽乃が思っているよりも、現実は厳しかった。
大学は辞めた。アルバイトは思ったよりも長続きしない。友達もいない。頼れる人は誰もいない。
いや、この短い人生を振り返っても、そんな人は初めから陽乃にはいなかった。
陽乃が頼めば誰もが言うことを聞いてくれた。
陽乃が声をかければ誰もが振り向いた。
陽乃がなにかを提案すれば、誰もが頷いた。
手にしていた力はもうこの手にはない。
今の陽乃の周りには、そんな人誰もいない。
土砂降りの雨は終わることなく降り続いている。
流れた涙も雫とともに消えていく。
こんな姿、誰にも見られたくない。
今まで完璧な人間を演じて生きてきた。
親の……母親の理想に応え、求めていた夢を棄て、そのかわりに親の夢を追い続けた。
後戻りもできず、ただその道を進むことしかできなかった。
どれだけ進んでもその道は交わることはなかった。
親の期待には応えた。応えたつもりだった。だけど、応えれば応えるほどに期待はどんどん膨らんでいった。
しんどかった。期待に応えるのが。
辛かった。自分を偽るのが。
本当の自分はどこにいるのかも解らず、現実と理想の
限界なんてとうの昔に過ぎていた。
でも、それすらも偽るのが陽乃に許された唯一の行為だった。
決して弱みを見せない。
それは『雪ノ下の長女』として、当然のことだった。
だから、その偽りの仮面が壊れてしまったら、こんなにも弱くなってしまう。
こんなにも一人が嫌になってしまう。
一人が嫌なくせに、こんな姿、彼にも、妹にも、誰にも見せたくない。
思っていたよりも陽乃は弱かった。
思っていたよりも陽乃は賢くなかった。
思っていたよりも陽乃はバカだった。
思っていたよりも陽乃には才能がなかった。
雨は降り続けている。
変わらず、まだ雨に濡れている。
寒い。
胸の奥が痛い。
強くなりたい。
人肌に触れたい。
伸ばした手の先には、
ーーー誰でもいい、誰か……助けて。
そんなことも言えずに、何ヶ月経っただろう。
もう、終わってもいいんじゃないか?
負けて惨めに生きていくくらいなら、もういっそ死んで楽になった方がいいんじゃないか?
僅かに残ったプライドが終わりを求めてくる。
擦り減らした心が生きてみようと訴えかけてくる。
立ち止まり、雨空を見上げる。
どす黒い空模様。
22年間生きてきた。
5歳で自分の運命を
16年間我慢してきた。
21歳で母親と初めて喧嘩して家を出てきた。
22歳で初めて壁にぶつかった。
世界は自分中心に廻っていると勘違いしていた。
結局は自分も誰かに使われる側の人間だった。
視線を落とす。
水溜りに映る顔は、降り注ぐ雨に弾かれてどうなっているのかわからないか、きっとそこには酷い顔があるはずだ。
前方から人が歩いてくる。
雨に濡れながら陽乃は再び歩き出す。
すれ違い、離れていく。
足音は遠のいていく。
遠のいていった足音が不意に止まる。
「……陽乃……さん……?」
不意に、名前を呼ばれた。
聞き覚えのある声に思わず足を止めてしまった。
振り返らない。振り返れない。
こんな顔なんて見せたくない。
いや、それよりも、どうしてこのタイミングで?
もう二度と会えないと思っていたのに。
彼の傘が雨を遮る。
「久しぶりですね」
もう一度声を聞いて、思わず振り返ってしまった。
少し低くなった声。身長もあの時より高くなっていた。大人になった彼。
記憶の中の彼とは明らかに成長していた。
現実を受け入れられない。
声のかけかたが解らない。
頬は濡れていて流れているのが涙か雨か解らない。
でも、だけど。
心は確かに揺れていた。
ーーー気づけば私は彼を……比企谷君を抱きしめていた。
心の中の雨が止んだ気がした。
プロローグ 雨は降り続けている。
♯1 再会。
さー、完結まで頑張るぞ。