雪ノ下雪乃の消失   作:発光ダイオード

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周りの世界が変わってから数日、この生活にも少しずつ慣れ、非日常は日常として俺の中で回り始めていた。

今日も今日とて奉仕部に通い放課後を過ごす。

 

部室には川崎と海老名、それに由比ヶ浜がいて、何やらお互いのスマホの画面を見せ合っている。ここまでは以前の導入と同じである。だがあれから少し状況は変わり、現在部室には先程の三人+俺、それに三浦を追加した計五人が席を並べている。

 

「三浦、おまえここんとこいっつも来てるけど放課後暇なの?」

 

机の端から声を掛けると、雑談に花を咲かせていた女子たちが一斉に視線を向ける。

 

「別にどこで何してよーとあーしの勝手っしょ?」

 

「勝手じゃねぇだろ、一応ここ奉仕部の部室なんだし…」

 

俺がそう言うと、三浦はムッとした表情をする。

 

「ヒキオの側にいないとあんたの事見てらんないじゃん。それとも何、あーしがここに来ちゃいけない訳?」

 

「いや、そう言う訳じゃ…」

 

なくも無いと言いますか…。鋭い視線に思わず言葉が詰まる。

三浦は背中がむず痒くなる様なセリフを平然と吐いてくるが、聞いてるこっちが恥ずかしくなるので止めて頂きたい。

 

「まぁまぁ優美子、落ち着いて」

 

「そだよ優美子。それにヒッキーも、仲間外れはよくないよ」

 

仲間外れ?何それ?全然分かんない。そもそも外れる前に仲間そのものがいない。

海老名も由比ヶ浜も三浦をなだめる様に言う。同じグループだけあって三浦の性格をよく分かってる様だ。苛立ちを瞬時に察し的確な対応をする姿はさすがと思えた。

そんな様子を見ていた川崎も、三浦の肩を持つ様に口を開く。

 

「由比ヶ浜も来てるんだし、別にいいんじゃない?」

 

「ほら川崎さんもいいって言ってっし。それにヒキオだって好きにしていいって言ってたじゃん」

 

三浦が登校してきた日から、教室で二人仲良さげに話している姿を見るようになった。部室では相変わらず言い合いをしている事もあるが、海老名の言う通り、元々似た者通しきっかけさえあればすぐにでも意気投合したのかもしれない。

 

「……まぁ、川崎がそう言うなら」

 

「やった」

 

渋々返事をすると、三浦は喜びの笑顔を川崎に向ける。

川崎の言う通り、由比ヶ浜は毎日来てるのに三浦はダメというのは理屈が通らない。三浦に対して責任を取る必要がある事を考えれば、部室に来たいと言うのならそれを受け入れるべきだろう。しかし三浦は最近やたらと俺に視線を飛ばしてくる。日々どうすれば目立たないかを考えながら過ごすぼっちは視線に敏感なのだ。だがそれを差し引いても、どんなに鈍い奴でも絶対気付くだろと思うくらいにガン見してくる。「見てんじゃねぇよ」と言いたくなるがそれを言うと後が恐いのでひたすら気付かないふりをするのだが、さすがに教室に居る間中見つめられていてはとても気が休まらない。その圧力というかプレッシャーというか…とにかく半端ないのだ。

せめて部活の間だけは三浦から解放されるかもと思ったが、それもどうやら叶わないらしい。

 

「つかさヒキオ、昨日隼人と何話してたの?」

 

三浦の不意の質問に、心労の溜まる俺の心がドキリと跳ね上がる。

 

「ナンノコトデショウ?」

 

「誤魔化すなっつの」

 

「昨日あんた達が二人で屋上に行くとこ見たって奴がいるんだってさ」

 

「誰だ?そんな適当言ってるのは」

 

「戸部っちが見たって言ってたよ」

 

由比ヶ浜の口から出た戸部の名前を聞いて、心の中で舌打ちをする。

あいつ…マジで余計な事しかしないな。誰にも気付かれない様に注意して行動してたつもりだったが、まさか戸部に見られてたとは…。

確かにこいつらの言う通り、俺は昨日葉山と屋上で話をしていた。三浦の事もそうだが他にも気になる事があったから呼び出した訳だが、それを今この場で言う訳にはいかない。

 

「何はなしてたのよ?」

 

どう説明しようかと考えていると、おもむろに海老名が口を開く。

 

「分かるよ比企谷君。ハチハヤ…なんだよね」

 

「は?」

 

「普段ハヤハチで基本受けだったけどいつしか自分も攻めたい、そう思う様になったんだよねっ」

 

「え?」

 

なんだか変なスイッチが入っちゃったらしい海老名さん。

 

「そしてその熱い思いは二人を屋上へと誘い、誰もいない屋上の片隅でひっそりと行われる情事!」

 

「いや…」

 

「初めて見るお互いの新たな表情に、ほとばしる熱いパトスが……

 

「ち、ちょっと姫菜っ、そんくらいにしときなって」

 

「止めないで優美子!これはすごく大事なコトなんだよっ」

 

「はいはい、わかった。わかったから」

 

こうなった海老名を止めるのは非常に困難だ。以前川崎も部室で暴走した海老名を抑えようと個人奮闘していたが、幸い今この場には三浦も由比ヶ浜もいる。さすがに三人もいれば海老名の暴走も止まるだろう。

 

踊る様に騒ぐ女子たちを眺めていると、部室の扉がコンコンと音を立てる。ノックに気付いた川崎が「どうぞ」と呼び込むのとほぼ同時に扉がガラリと勢いよく開いた。

 

「先輩ーヤバいんです!」

 

慌てた様子で入ってきたのは本校の生徒会長一色いろはだった。

 

「ヤバいですヤバいですっ!本当にヤバいんですー」

 

目には涙を溜め…恐らく泣き真似だが、このタイミングと台詞には覚えがあり、俺はこれから持ち込まれる依頼が何なのかを察した。

 

 

 

 

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「クリスマスイベント?」

 

「はい。海浜総合高校ってとこと合同で、なんかお年寄りとか保育園の子相手のイベントっぽいんですけど」

 

一色はうな垂れた様子でため息を吐く。

 

「その企画、誰が言い出したの?」

 

「向こうからですよ。私から言うわけ無いじゃないですか」

 

「だろうね…」

 

「そんなの普通断るに決まってるじゃないですか。私もクリスマス予定ありますし」

 

「断るに決まってるんだ」

 

「理由が私的過ぎるでしょ」

 

話を聞く海老名や川崎も驚きを通り越して呆れ気味である。

 

「でも、平塚先生がやれって言うから……それで初めてみたものの、上手く纏まらないっていうか…」

 

「他校とのやりとりなんてそんなもんっしょ。気にすることなくない?」

 

「他に頼れる人とかいないの?」

 

落ち込む一色を見て、三浦も由比ヶ浜も慰めるように言う。

 

「もう先輩たちしか頼れないんですよ」

 

「どうする比企谷?」

 

「手伝ってあげてもいいんじゃない?最近依頼全然なかったし」

 

川崎と海老名がそう言うと、全員の視線が俺に集まる。そこで俺は現在奉仕部の部長は自分である事を思い出した。全ての決定はこの手の中にあるのだ。

さてどうするか……前は一色が会長になっていきなり人を頼るのはよくないという事を理由に依頼を断った。その事に嘘はないが、本当の理由は別にあった。雪ノ下を生徒会から遠ざけなければ、そう思ったのだ。もし雪ノ下が生徒会長になりたいと思っていたのなら、あそこで依頼を受けるのはあまりにも酷ではないか…そんな考えが頭を過った。由比ヶ浜は雪ノ下が立ち直るきっかけとして依頼を受けた方が良いと言ったが、あの時の雪ノ下にそれを強いる事は俺には出来なかった。

…まぁ、それから俺があいつらに黙って個人的に依頼を引き受けた結果、奉仕部の崩壊へと繋がってしまった訳だが…。

 

俺は由比ヶ浜をちらりと見る。何も知らない由比ヶ浜は、素直な表情で俺を見つめている。

 

とりあえず今どうするかだが、単にあの時の俺の選択が間違っていたのなら依頼を引き受ければいい。雪ノ下のいないこの世界で俺が依頼を断る理由は無いに等しいのだから。しかし、引き受けなかったあの状況もまだマシな方で、引き受けてもっと悪い状況にならないとも言いきれない…。

 

「…とりあえず、保留だ」

 

「むっ!先輩に言われて会長になったんですよ!何とかしてほしいです!」

 

一色は話が違うと言わんばかりに文句を垂れる。

だが俺は、正直に言って自信が無かった。今まで自分一人でやってきた。内省も反省も、判断も責任も、孤独も不安も、後悔も全部俺一人のものだった。俺の行動で傷付くのは俺だけだった。だが、いつの間にかそうじゃなくなっていた。俺の、自己犠牲とも言われたこのやり方を嫌だと言う奴らが現れた。

一色の依頼を解決する方法はある。だがそれをして雪ノ下と由比ヶ浜が悲しそうな顔をすると言うなら、今の俺にそれを選ぶ事は出来ない。

何が正解か分からない。何を選べば二人は笑っていられるのか……それを考えると、俺は自分で判断する事に二の足を踏んでしまう。結果が悪くなると分かっていても、俺に出来るのは判断を先延ばしにする事だけだった。

 

「いや、最後まで聞けって。あくまで奉仕部で依頼を受けるのがだ。とりあえず一色が会長になっていきなり人を頼るのはよくないだろ」

 

「それは、そうかもしれませんけど…」

 

「まずは俺が様子を見に行くから、それで必要そうなら依頼を受けるし大丈夫そうなら受けないっつーことでどうだ」

 

「先輩は一緒に来てくれるんですか?」

 

「まぁ…そう言う事だ」

 

一色いろはに対して責任を取るのは当然のことだ。

俺がそう言うと一色は安心したように顔を綻ばす。

 

「なら私は全然OKですっ!先輩一人の方が扱い易そう…安心しやすいと言うか、頼りになりますし」

 

いやもう言い直さなくても良いけどね…。

 

「へぇ、面白そうじゃん。あーしらも行っていいの?」

 

「えっ?三浦先輩ですか!?」

 

興味ありげな三浦を、一色は何だか複雑そうな顔で見返す。

そう言えばこいつら葉山の事を好きだったんだっけか。そりゃ一色が気まずく思うのも無理ないな…。

 

「だってあーしと結衣ここの部員じゃないし」

 

「まぁ向こうにも生徒会じゃない人もいますけど……て言うか、部員じゃないのになんで三浦先輩たちはここにいるんですか?」

 

そう聞かれた三浦と由比ヶ浜は「えっ、いやー」などと言って目をさまよわせながら笑って誤魔化す。

 

「まぁとりあえずは俺ひとりで行く。んで必要そうならお前らにも声を掛ける。これでどうだ?」

 

見かねた俺が助け舟を出すと、二人とも頷いてそれでいいと納得した。

 

「それじゃ先輩、この後校門で待ち合わせでいいですか?」

 

「えっ、今日からやるの?」

 

「あまり時間がないので」

 

何故か川崎が驚いた様に言うと、一色は困ったように微笑み返す。

 

「集合はコミュニティセンター前でいいだろ。お前と歩いてるとこ見られたら恥ずかしいし」

 

「はぁ?別にいいですけど……先輩なんで場所知ってるんですか?」

 

しまった。ついうっかりして口走ってしまった。一色が疑わし気な目で俺を見る。

 

「えっ?だって…ほら、さっきお前言ってなかったっけ?」

 

「……まぁいいですけど。それじゃあ先輩、遅れずに来て下さいね」

 

敬礼に笑顔満天のウィンク。そうやってあざとさを振りまいた後、一色は部室を去って行った。

 

 

 

 

 

 

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俺が待ち合わせ場所で待っていると、コミュニティセンターの前にあるコンビニから一色が出て来るのが見えた。手には大きな袋を提げていて、何か買い出しをしていたのだと分かる。

 

「すいません、お待たせしちゃいました。ちょっと買い物してまして」

 

そう言って駆け寄って来た一色はコンビニ袋を見せてふぅと息を吐く。

 

「…俺も今来たとこだよ」

 

「へー」

 

一色は抑揚のない口調で興味無さげに言う。反応薄っ!こいつ前に嘘でも今来た所って言えって言ってなかったか?せっかくこっちが気を利かしたってのになんつう仕打ちだ。こうなったら次からは嘘でも一時間は待ったと言ってやろう。

そう思いながらも俺が手を差し出すと、一色はコンビニ袋を渡してくる。

 

「はっ!もしかして口説こうとしました?」

 

「何でそうなるの?意味分かんないんだけど」

 

今の行動のどこに口説き要素があったのか…。こいつの考えはさっぱり分からん。

 

「て言うか先輩、部室でも思いましたけどちょっと女の子に囲まれ過ぎじゃないですかね。川崎先輩や海老名先輩だけじゃなく、三浦先輩や結衣先輩、それに私にまでちょっかい出して」

 

「いや、どう考えても違うでしょ。特にお前」

 

ため息をついた俺は、むっと頬を膨らませる一色を無視して歩き出す。

 

「ほれ、さっさと行くぞ」

 

「ちょっと、待って下さいよ。先輩ってば」

 

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千葉県美浜区高須コミュニティセンター。この施設にある講習室をひとつ借りてクリスマスパーティの会議が行われる。

 

「お疲れ様でーす」

 

軽く挨拶をする一色の後に続いて俺も室内に入る。講習室には、どこに座っても一目で全体が見渡せるように長机が四角く設置されていた。既に両校の生徒が何人か集まっていて、並べられた長机の一角に総武高校の生徒会役員が強張った表情で座っていた。対して海浜総合高校の生徒は、こちらよりも人数が多い為か多少リラックスした様子で談笑している。けれどどちらの生徒も互いに遠慮しているようで、まだ両校の間には物理的にも気持ち的にも溝があるようだった。

 

ふと海浜総合高校の連中を見ていると、一人の女子生徒に目が留る。最近どこかで見た覚えのある立ち姿。すると向こうもこちらに気付き、はっとした表情を向ける。

 

「あれ?比企谷?」

 

そう言って駆け寄ってきたのは折本かおり…中学の頃の元同級生で、俺史上最大のトラウマメーカーだった。

 

「久しぶりー」

 

「いや、久しぶりってこの間…」

 

そう言いかけて俺は口を噤む。先日俺は葉山や折本たちと出かける事があった。しかしそれは元の世界の話で、元はと言えば俺と雪ノ下さんが一緒に居る所に折本が出くわしたからだ。つまり雪ノ下さんと知り合いじゃないこっちの世界では、あの出会いはなかったはずだ。

 

「あぁ…中学卒業して以来だな」

 

「え、何言ってんの?この前葉山君たちと遊んだじゃん」

 

マジかよ。なんだこの集束力。

 

「いや、久しぶりなんて言うから…」

 

「この間から結構時間経ってるし、久しぶりでしょ?」

 

どうやら毎日色んな人間と話したり遊びに行ったりしているリア充と、家と学校を往復するだけのぼっちじゃ時間の捉え方が違った様だ。

 

「比企谷おじいちゃんみたいー。マジウケる!ねぇ一色ちゃん」

 

「ですねー。もー先輩しっかりして下さいよ」

 

「…お前ら知り合いなの?」

 

「一色ちゃんも途中から一緒に遊んだじゃん」

 

「先輩本当に覚えてないんですね…まぁいいですけど」

 

笑う折本に呆れる一色、そして何も知らない俺。察するに買い物中に一色と戸部と出会ったがはずだが、一色が戸部を捨ててこっちに着いてきたという所だろう。哀れ戸部。

 

「そう言えば、比企谷って生徒会なの?」

 

「いや」

 

「じゃあ私とおんなじだ。私も友達から誘われて来てるんだけどさー」

 

と話している折本の視線が講習室の入り口に泳ぐ。

 

「あっ、会長だ」

 

それを聞いて俺も一色も入り口の方に目を向ける。ゆっくりと扉をくぐってくる人影。その人物を俺は知っていた。整った顔立ちや自信に満ち溢れた表情、制服を折り目正しく着こなし、しなやかに、そして胸を張って歩く姿は正に生徒会長と言うべき姿だった。こちらに気付いた生徒会長は近寄ってきて、俺たちの前で足を止める。

 

 

 

「やあ!僕は玉縄。海浜総合高校の生徒会長なんだ。よかったよ。フレッシュでルーキーな生徒会長同士、企画できて。お互いリスペクトできるパートナーシップを築いて、シナジー効果を生んでいけないかなって思っててさ。」

 

TA☆MA☆NA☆WA!

大げさな身振りや手振り。手首をぐるんぐるん回し、にこやかに挨拶してくる。相変わらず良いパンチを放ってくる。

ひょっとしたらこっちの世界にも雪ノ下は存在して、海浜総合高校の生徒会長をやっているのではないか…という俺の淡い期待は、玉縄の強烈なジャブによって脆くも崩れ去ったのだった。


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