雪ノ下雪乃の消失   作:発光ダイオード

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クリスマスイベントの準備は流れるように進み、ほぼ全ての作業が本番当日までに十分な時間を残して完成に近づいていた。演奏や劇など…出し物のクオリティにはまだ一考の余地があるが、明日にでも本番を迎えられる程度には仕上がっていたと思う。

ここ数日は会議も休みで、俺たちはコミュニティセンターには行かず、放課後を部室で過ごしていた。室内はどこか弛緩した雰囲気に包まれている。もっとも、奉仕部の雰囲気がふだん引き締まっているかと考えれば、そうではなかったと言わざるを得ない。とはいえ、この部室に全員が揃うのも、少し久しぶりではないかという気がした。

学習机が後ろに下げられた部室の真ん中には長机が一脚置かれ、俺たちはその周りに集まっている。俺は廊下側の端に、女子達は窓側の端に塊って座っていた。

由比ヶ浜と三浦は、新しく駅前にできたカフェや流行りのファッションについてきゃっきゃと話し合っている。隣では海老名が笑って話を聞き、川崎は静かに裁縫をしている。

一方、俺は無言で小説を読んでいた。今読んでいるのは少年が夏休みに小山で小人に出会うという話で、友達になった小人のために頑張る少年の成長が書かれている。小学校の頃に読んで、またふと読みたくなって本棚から引っ張り出してきた。あの頃は自分も将来小山を買って家を建てたいなどと夢想していたが、再び読んでみるとこれは当時の社会的影響を強く受けているなと感じた。文中には筆者の体験が散見するが、それは周辺説明でそれらしいことはほとんど書かれていない。しかし、そんな厳しい現実のすぐ側で純粋な世界に生きる少年は、どんな思いで小人達と向き合っていたんだろう…などと、当時は思わなかった色々な疑問が浮かび上がってくる。

児童図書なので、活字も大きく漢字も少ない。なにも考えずにのんびり読むには丁度いいと持ってきたが、思っていたよりもずっと深い話だったようだ。

 

章の合間に入り、小説を読む手を止めて少し伸びをしていると、部室の扉がガラリと開く。

 

「失礼しまーすっ」

 

軽やかな声と共に、一色が勢いよく入って来る。

 

「いろはちゃんだ、やっはろー」

 

「ノックぐらいしたら?」

 

由比ヶ浜がにこにこと手を振る横で、川崎が呆れたように溜息を漏らす。

 

「イベントの準備はだいたい片付いたろ。まだなにか厄介ごとか?」

 

訝しげに訊くと、一色はむっつりと頬を膨らませて、

 

「そんなんじゃないですってば」

 

と言って、後ろ手に扉を閉める。

 

「皆さんにいい知らせです」

 

「いい知らせ?」

 

「へぇ、何よそれ?」

 

三浦は興味あり気に身を乗り出す。

 

「先輩も言いましたけど、もう大体イベントの準備って大体できたじゃないですか?」

 

ぽてぽてと近づいてくると、含み笑いをして俺たちをゆっくり見回す。

 

「……準備お疲れさまでしたっていうのと、本番頑張りましょうっていう意気込みを込めたパーティーをやろうと思いましてっ」

 

一呼吸置いてからそう言うと、一色は椅子に腰掛ける。

 

「…へぇ、いいじゃんっ」

 

「楽しそうっ」

 

三浦と由比ヶ浜は気持ちよく返事をする。

 

「いや、さすがに気が早いだろ」

 

そういう打ち上げ的なことは、イベントが終わってからやるのが普通ってもんだ。

 

「お前、ただ騒ぎたいだけじゃないの?」

 

「そんなことないですってば」

 

疑わしげに言うと、一色はさっきよりも大きく頬を膨らませて、それから唇をつんと尖らせる。

 

「雪ノ下先輩は賛成してくれましたよ」

 

「……マジ?」

 

自分の眉が寄るのがわかった。

玉縄や他の連中はさて置き、リア充が騒ぐだけのイベントを雪ノ下が容認するなんて、些か信じがたい。

 

「最初は断られましたけど、なんでか次の日にはやる方向で話が進んでました」

 

なるほど……。

一色は不思議そうに言ったが、逆に俺はそれを聞いて、雪ノ下の気持ちの変化に大体の察しがついた。恐らく誰かに唆されたんだろう。嫌な想像と同時に、この話の行き着く先も見えてくる。

 

「どうせやるなら打ち上げとかの方がよくないか?」

 

できれば考え直して欲しかったが、一色は大きくかぶりを振る。

 

「もちろん、打ち上げもやるに決まってるじゃないですかっ」

 

まぁ…そうでしょうね。

 

「ただ、準備が早く済んだ分本番まで時間も空いちゃうので、その間にみんなのやる気が無くならないかなって思っただけです」

 

要するに、決起集会みたいなもんか。

時間が空きすぎて指揮がが下がるのを防ぐため……ということらしい。一色にしては生徒会長らしく、少しは考えているみたいだった。いつになく真剣な一色の表情を見て、俺は徐にため息をつく。

 

「まぁ、いいんじゃないか……」

 

そう呟くと、海老名が心底意外そうな顔をする。

 

「なんだよ」

 

「いや、珍しいなって思って」

 

「なにが?」

 

「比企谷君こういうの死んでも反対しそうなのに」

 

海老名め…、平然と失礼な事を言いやがる。

ふんと鼻を鳴らし、俺は椅子の背もたれに体重を預ける。

 

「やりたい奴はやればいい……。俺は行かないけどな」

 

そう、別に参加しないといけない訳じゃないんだから、頑なに反対する必要もない。俺のいないところで勝手にやってくれるのなら、打ち上げパーティーでもパジャマパーティーでも、好きにすればいい。

 

「うわっ、なにそれ」

 

「あんた、相変わらず捻てんね」

 

海老名と川崎は顔をしかめる。

 

「ヒッキーも行こうよ」

 

「誰とも話すことないんだから、いてもいなくても一緒だろ」

 

それならいない方がいいし、寧ろ“なにこいつ来てるの?”って目で見られるだけだ。

そんなの真っ平御免だし、蔑められて喜ぶほどの特殊性癖を俺は持っていない。

 

「大丈夫っ。そんな事ないよ……たぶん」

 

由比ヶ浜はそう言いながら、こっち見ずに視線を泳がせる。こいつもこいつで、まぁ失礼な奴だ。

ああだこうだ話していると、一色が少し大げさに咳払いをする。俺たちが一斉に見ると、一色はひと呼吸置いて、

 

「それでですね、ちょっと問題がありまして……」

 

と言って、決まりの悪い顔で椅子に座りなおす。

 

「予定した日なんですけど、コミュニティセンターの予約が埋まってて使えないんですよ」

 

「他の日じゃダメなの?」

 

「向こうとその日しか予定が合わなくって……」

 

人差し指で頬を掻きながら、困ったように笑う。

 

「それなら仕方ないな。やっぱ中止……

 

「まだ時間もあるし、日にちくらい変えれそうなもんだけどね」

 

「他の部屋も使えないの?」

 

「休みの日は?」

 

「平日の方が都合つきやすくない?」

 

「うーん、でも……」

 

あれこれ言う女子達。俺の言葉を聞く気もない。

だんだんと騒がしくなる部室に、一色の大きな声が響く。

 

「とにかくっ、この日じゃないとダメなんですってば」

 

どことなく慌てた様子に、一瞬周りがしんとなる。

 

「…つーか、それなら別にコミセンじゃなくても、その辺のカフェとかファミレスでよくない?」

 

口を開いたのは三浦だった。周りの空気を気にする様子もなく、あっけらかんと片肘をついたまま言う。

 

「そうなんですよっ。他の場所を探しててですね……」

 

一色は徐に顔を俺に向ける。二重瞼の大きな目が、こっちを見る。

 

「そこで、先輩にお願いなんですけど……」

 

「何だよ?」

 

「ここの教室、貸してもらえませんかぁ?」

 

甘えるような上目使いに、思わずドキリとする。

 

「ひょっとして、ここでやる気?」

 

「さすが川崎先輩。物わかりがよくて助かります」

 

驚いた顔をする川崎の横で、海老名は一色を見ながら窓の外を指差す。

 

「でも、ここってわかりにくいくない?一般棟とか、もっと昇降口に近い教室の方がよくない?」

 

海老名の言うとおり、奉仕部は特別棟の端にある。うちの生徒だって、何の迷いもなくここまで来ることはできないだろう。まして学外の人間となれば、迷子になること請け合いだ。海浜高校の連中を呼ぶなら、もっとわかりやすい場所のほうがいい。

一色は両手を、掌が見えるように机の上に持ってくる。

 

「ほら、ここなら離れてるからあんまり人も来なさそうですし……。騒いでるのが先生達にバレたら、面倒くさそうじゃないですか」

 

確かにここは文字どおり特別棟の最果てだ。奉仕部より先に主要な教室はないので、なにかのついでにここまで来るなんて事はほとんどいない。それは生徒も教師も同じだ。逆を言えば、ここに来る人間はもれなく奉仕部に用がある事になるが、そもそも奉仕部に用がある人間自体滅多にいない。多少うるさくしても、ちょっとやそっとじゃ気付かれないだろう。そう考えれば奉仕部はうってつけの場所だ。

一色の言いたいことはわかる。しかし…だからと言って、素直に頷くことはできない。

奉仕部の部室を使うというなら、自ずと部活からも責任者を出さないといけない。そのお鉢は、当然部長である俺に回ってくる。

 

「……けど、やっぱり難しいんじゃないか?そりゃ許可が下りれば俺だって文句はないが、そもそも他所の生徒を校内に入れるのだってちゃんとした手続きがいる。学校側もそんな訳のわからない会をするために許可なんてしないだろ。諦めろ」

 

宥めるように柔和な声で言うと、一色はピタリと動きを止めて俺を見る。口許がにやりと笑う。

 

「大丈夫ですっ。先生達にはクリスマスイベントの打ち合わせってことで許可貰ってます。教室の使用許可書も貰いました」

 

「えっ、貰ってるの?」

 

「はい、平塚先生から」

 

「聞いてないんだけど…」

 

「今、言いました」

 

平塚先生め、なんて余計なことを…。打ち合わせについては仕方がないにしても、せめて部室の使用許可についてはまずこっちに話すのが普通じゃないか。

思わず、苦虫を噛み潰したように顔が歪む。

 

「先輩さっき、許可があれば文句ないって言いましたよね?」

 

一色は満面の笑みでそう言った。

既に言質を取られた俺に、反論の余地はなかった。

 

「……で、いつなんだよ」

 

「ちょっと待って下さいね」

 

力なく訊ねると、一色は手帳を取り出す。カレンダーのページを開いて机の上に置く。

 

「この日です」

 

俺たちは身体を寄せて覗き込む。

指差された所にはピンクのマーカーで印が付けられていた。その日は、俺が雪ノ下を見つけられなかった……こっちの世界に飛ばされた日だった。

 


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