雪ノ下雪乃の消失   作:発光ダイオード

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雪ノ下は理屈と正論を御旗に掲げ、バサバサと海浜生徒会の発言を切り捨てていった。その切れ味はバツグンで、遠慮がないというか場の空気を読まないというか……。最初はいいねいいねで相手の意見を否定をしなかった彼らも、その慈悲の欠片もない口撃に切り刻まれ死屍累々と打ちひしがれていく。そして十分に打ちひしがれた後、ようやく彼らは可能性の他にある不可能性にも意識を向けるようになった。

満を持して会議は動きはじめる。しかし、だからといってすぐに意見が纏まるものでもなく、話し合いは想像と現実の波に揺れていた。

 

「やっぱり、規模は大きいほうがいい」

 

「けど、予算も人手も足りませんよ」

 

「もっと他校を増やしていったら」

 

「連携が取れてこそのシナジー効果でしょ」

 

「今でさえ意思疎通が計れてないのにこれ以上高校が増える事にメリットってある?」

 

意見を出しては否定されての繰り返しが続き、程なくして電池が切れたように全員の口が止まる。雪ノ下は小休止するように、前屈みになっていた身体を背もたれに預けた。

 

「比企谷君は何かある?」

 

「俺?」

 

「ええ。最初に規模や人員が足りないと言ったのはあなたでしょう。問題を提起することは既に解決することとも言うし、何か考えがあったんじゃないのかしら?」

 

ずっと聞き手にまわっていた俺に雪ノ下は意見を求めてきた。 その若干不満気な表情から意訳するに「最初に言いだしたのに黙ってるとか、YOU舐めてるの?」といったところだろう。思わず背筋に悪寒が走る。

確かに考えはある。おそらく打開策としてはありだろうが、問題はこいつらがこの案を素直に受け入れるかどうかだ。仮に納得したとしても実際にやるかどうかはまた別の話だ。

 

「規模を大きくする方法はある。それも現状のままでだ。」

 

「どんな方法ですか?」

 

一色が興味深そうに顔を覗きこんでくる。

 

「…いま俺たちは一緒にやることを前提として話し合っているが、まずはその前提条件を崩す」

 

言葉を溜めてから息を吐くように言った。それを聞いた玉縄は何か言いたげな素振りを見せるが、俺はそのまま言葉を続ける。

 

「総武高と海浜高でそれぞれ別の演目をやればいい。これで規模は二倍になる。更に、さっき玉縄が言ってたように小学生に頼んで、そうだな…合唱でもしてもらえば人手も増えて規模は三倍になる」

 

左手の人差し指と中指を身体の前で立て、続けて薬指も立てる。

 

「ただセパレートするとシナジー効果も薄れるしダブルリスクじゃ…」

 

玉縄がすかさず言葉を滑り込ませてくる。

 

「予算的なのってあるんじゃないですか?」

 

「それは、みんなで考えていこうよ」

 

「二部構成にすることに反対の理由は何かしら?」

 

「いや、反対ってわけじゃなくてさ。ビジョンを共有すればもっと一体感を出せると思うんだ。イメージ戦略の点でも合同イベントの大枠はマストなんじゃないかな。」

 

身振り手振りを使って説明する玉縄。

 

「どうしてシナジー効果が必要なんだ?」

 

俺がそう訊くと、玉縄は上半身ごとこちらに向いて答える。

 

「それはもちろん、合同でやることでグループシナジーを生んで、より大きくて完成度の高いイベントにするためさ」

 

「つまり完成度の高いイベントにする為の手段がシナジー効果ってことだな」

 

「あぁ、その通りさ」

 

玉縄は大きく頷く。そしてそれは俺の待っていた言葉でもあった。

 

「ならシナジー効果にこだわる必要はないだろ。それはあくまで手段のひとつに過ぎない。完成度を求めるなら、むしろもっと効果的なものがある。人間誰だって持ってるものだ」

 

そんなものがあるのかとでも言うように玉縄は眉をひそめる。俺は先程よりも更に言葉を溜めて、周りからの注目を集める。

 

「…嫉妬心、もしくは羨望だ。

七つの大罪なんて言われるくらい、もともと人間は嫉妬深い生き物だ。他人が羨ましい、妬ましい、誰かの持ってるものが欲しい、相手よりも上に行きたい……だが、そういう思いが人の技術を発展させ、より良い生活を作ってきた。今回の企画にだって同じことが言える。

俺たちはまだ集まって日が浅い。相手のことをよく知らず、信用できないままシナジー効果を生もうなんて無理な話だ。だが嫉妬心や対抗心なら相手がいればどこにだって生まれる。総武高と海浜高で別々に出し物をやるとなれば、当然そこにも“相手よりもいい演技をしたい”、“相手より劣った出し物はしたくない”という気持ちが生まれる。加えて相手のことをよく知らないし力量も全くわからない状況なら、とにかく全力でやるしかない。そうすりゃ嫌でもパフォーマンスは高まる。

この企画の完成度を高めるために必要なのはシナジー効果じゃなく嫉妬心と対抗心だ。まさに今の俺たちにうってつけじゃないか」

 

少しの沈黙の後、玉縄が口を開く。

 

「けど、それじゃ僕らが一緒にやる意味がない」

 

「何も全てにおいて対立しようって言ってるわけじゃない。出し物以外にもやることは色々あるだろ、会場の設営だったり小道具の準備だったり……そういった所で協力すればいい。付かず離れずの関係、これが対抗心を掻き立てる距離感だ」

 

「ふむふむ。つまりイベントにメリハリをつけるってことですね」

 

一色が納得したように首を縦に振る。なるほどそういう考えもあったか。ただ単に近くでお互いのことを監視してたほうがサボりにくいしフラストレーションも溜まると思っただけだが。このことは取り敢えず黙っていよう。

 

「ん。まぁ、そういうことだな」

 

「確かに協力する所とそれぞれの学校の特色を見せる所を作れば、表現の幅が広がってイベントに厚みができるわね」

 

雪ノ下も口許に手を当てながら頷く。

 

「…いいんじゃないかな」

 

「互いに切磋琢磨するっていうか」

 

「好敵手みたいな」

 

「ライバルっ!それあるっ!」

 

雪ノ下に呼応するように周りの反応も賛成の色を見せる。

 

「どうかしら、玉縄君」

 

雪ノ下はひとり腕を組んでいる玉縄を見る。玉縄は少し黙ったままだったが、やがてゆっくりとため息をついた。

 

「…そうだね。それがいいかもしれない。僕も賛成だ」

 

諦めたように笑う玉縄を見て雪ノ下は安心したように微笑んだ。

 

「では、出し物は海浜高校と総武高校、それに協力してくれる小学校を加えた三部構成とします。演目についてはこの場で話しても決まらないでしょうから、各校三案ずつ考えて次回の会議で決めましょう。なにか意見のある人?」

 

雪ノ下は室内を見回し、誰も反対意見をあげないのを確認するとこくりと頷いた。

 

「では次に……」

 

 

 

 

 

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その後、雪ノ下の流麗な進行によって会議はつつがなく終わりを迎えた。みんなが帰り支度をする中ひと足先に講習室を出た俺は、なんとか無事に会議を進められたことに安堵しつつ階段を下りていく。少し喉が渇いたな…。そういえば会議中はずっと緊張しっぱなしだった。何か飲み物でも買おうと自販機に目を向けると、近くに備え付けてあるベンチに雪ノ下がちょこんと座っているのに気付いた。いつの間に下に降りてたんだ?

自販機の前に立ちポケットからサイフを取り出す。あいにく小銭がほとんど入ってなかったので俺は仕方なく千円札を入れた。グッバイ英世。野口先生に別れを告げると自販機にランプが灯る。俺は昨日飲んだのと同じ缶コーヒー、それからストレートティーのボタンを押した。

 

 

 

 

「お疲れさん」

 

今日の会議が上手くいったのは雪ノ下のおかげだ。俺は労いを込めて雪ノ下に紅茶缶を差し出した。雪ノ下は顔をあげると、不思議そうに俺を見てからありがとうと小さく頷いてそれを受け取った。手が冷たかったのか、手のひらをこすり合わせるように管を転がした。

俺はそのまま雪ノ下から二人分程離れた位置に座り、フタを開いて管コーヒに口を付ける。ここの自販機にはマッカンがないので残念ながらこれは別の種類のだ。昨日飲んだときは物足りなく感じたが、今日はなんだかマッカンに勝るとも劣らないくらい旨い気がする。いや、それでもマッカンの方が一枚上か?

 

俺はもう一口コーヒーを飲みながらちらりと隣を見る。

雪ノ下雪乃がいる。さっきまでは会議のことで気が回らなかったが、改めて雪ノ下が自分の隣に座っているんだと実感した。自己紹介の時の会話で雪ノ下に前の世界の記憶が無いことはわかったが、そのことを差し引いてもこっちの世界に雪ノ下がいるという事実に、俺は心底安堵していた。

しかし、なぜ雪ノ下さんは俺に嘘をついたのか…。

 

 

 

「あなたって生徒会ではないのよね?」

 

不意に雪ノ下が訊ねてくる。

 

「あぁ」

 

「なら中学の時に生徒会だったとかかしら?」

 

「いや、ちげぇよ」

 

「そう…随分慣れた様子だったけど」

 

「部活で手伝ってるだけだ。普通ならやらねぇよ、こんなこと」

 

「なるほど、だからあなた全然話を聞いていなかったのね。シャーペンで遊んだり、私のことずっと見てた」

 

「うっ、それはだな……」

 

雪ノ下は言い淀む俺に構わず言葉を続ける。

 

「ならひとつ忠告するけれど、一色さん…彼女生徒会長に向いていないわ。比企谷君が指示を出した方がまだマシなくらいよ」

 

淡々と言う雪ノ下。その言葉から悪意は感じられず、ただ事実として述べているだけのようだった。そしてついでのように貶される俺。

 

「…いや、お前あいつのことをよく知らないだろ」

 

まぁ俺もそう言えるほど一色のことを理解してるわけじゃないが。

 

「少し見ればわかるわ」

 

「一色はまだ一年だし生徒会長になったばかりだ。今はまだそうかもしれながこれから色々とこなすうちに生徒会長も板についてくる…はずだ」

 

「一年生なのは関係ないと思うけれど…ずいぶん彼女の肩を持つのね。可愛いからかしら」

 

「……一色が生徒会長になった責任は俺にもあるからな。あいつがいっちょまえの生徒会長になるまでサポートする義務がある」

 

「いつまでかかるかしら」

 

可愛いという言葉を無視したが、雪ノ下も特に本気で言っていたわけではないようでそのまま話を続ける。

 

「その為には今日みたいに俺やお前が指示をだしたり指揮をとったりするのはあまりよくない」

 

俺がそう言うと、雪ノ下の表情が怪訝なものに変わる。

 

「言っておくけど、今日私が話を進めなかったら今頃まだ同じ会議を続けているわよ。あなたもわかってるでしょ」

 

「今日のは例外だ。超法規的措置だ。今後も続けるわけにはいかない。このまま雪ノ下が指示を出すようじゃ、一色も玉縄も自分じゃ判断できない生徒会長になっちまう」

 

雪ノ下は口を噤む。俺の言っていることは理解しているようで、反射的に反論しそうになる所を論理的に考えている。

 

「けど、それってかなり大変じゃないかしら?現に比企谷君だって何もできなかったじゃない。だから私が会議の進行をしても何も言わなかったんじゃないの?」

 

「まぁ、確かに俺ひとりじゃ何もできなかったな」

 

「だったら…」

 

「けどそれは大丈夫だろ。なんたって今は雪ノ下がいる。俺とおまえで上手く一色と玉縄の手助けしてやれば、あいつらもこのイベントが終わる頃には立派な生徒会長なってる…はずだ」

 

見ると、雪ノ下は目を丸くしていた。何か予想外だったのかフリーズ状態になり、焦点の合わない目でこっちを見ていた。やがてゆっくりとピントが合うように俺を見つめ、深く息を吐く。

 

「確かに、私が関わったイベントに失敗なんてありえないわね」

 

雪ノ下は不適に唇を歪ませた。

 

「頼りにしてるぜ」

 

それからお互い顔を見合って小さく笑い合った。

 

 

「そういえば、どうして雪ノ下は生徒会長じゃないんだ?」

 

「何?薮から棒に」

 

ふと、雪ノ下に疑問をぶつけてみる。決して玉縄が生徒会長に向いていないとは言わないが、先程の会議をとってみても雪ノ下の方が生徒会長の器なのは確かだった。

 

「てっきり俺はお前が生徒会長なんだと思ってた」

 

「そうね、確かに生徒会長には多少興味があったわ」

 

雪ノ下は遠くを見るように外を眺める。それから紅茶管を手のひらで数回転がしてから一口飲む。こくりという音が聞こえた気がした。雪ノ下は呟くように言った。

 

「けど、やる必要はないって言われたから」

 

「誰に?」

 

「…姉さんよ」

 

姉さん…雪ノ下陽乃さん…彼女の名前が出てくるとは思っていなかった。

 

「姉さんはいつも正しい。いつも私のことを一番に考えてくれて、常に私の進む道を示してくれる。たぶん私よりも私のことに詳しいんじゃないかしら。だから姉さんがやる必要がないと言うなら、私がそれに逆らう理由はなにもないのよ」

 

雪ノ下は安心しているような、寂しそうな、複雑な表情で微笑んだ。

なにかが違う。俺はそう思った。果たして雪ノ下はそんな事を言うだろうか。

 

「そろそろ行くわ」

 

そう言って雪ノ下は立ち上がる。外を見ると辺りはすっかり暗くなっていた。入り口のガラス越しにぼんやりと黒塗りの高級車がエンジンをかけて停まっているのが見える。

 

「これありがとう」

 

雪ノ下は紅茶缶をゴミ箱に入れるとそのまま振り向かずに去っていく。俺は闇に溶ける雪ノ下の姿をしばらく見つめていた。

 


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