雪ノ下雪乃の消失   作:発光ダイオード

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ペン先の縁に干渉して、芯のカスがプリントの上にハラハラと舞い落ちる。俺は力加減に注意して、さらに芯を差し込んでいく。しかし、半ばまで差し込んだあたりで芯はポキリと折れた。もったいない…いや、そうでもないか。折れた芯をもう一度摘んでペン先に差し込むと、短くなった芯はすんなりとシャーペンに飲み込まれていった。ささやかな達成感を感じる。それから溢れた芯のカスを机の下に払い落として顔を上げると、聞き覚えのあるセリフが耳に入ってきた。

 

「せっかくだし、もっと派手な事したいよね」

 

「それあるあるー!やっぱ大きい事っていうか、とりあえずどかーん的なね」

 

「うん…確かに小さくまとまり過ぎていたかもしれないな」

 

折本や海浜生徒会が盛り上がる中、玉縄は小さく頷くと机の上に置いてあったMac bookair(恐らく自前)に手を添えた。キーボードのカタカタという小気味良い音が響く。

 

「ちょっと規模を上げようと思うんだけど、どうかな?」

 

玉縄は「当然君もそう思うよね」とでも言うように一色を見た。

 

「んー…、そうかもですねー」

 

聞かれた一色は考える素振りをみせて答えるが、その短絡的にな返答に左隣からは副会長の悲壮な溜息が聞こえてくる。

思えば前の世界でも、この発言あたりから議題の迷走が加速したような気もする。

 

「規模を大きくするには、時間と人手が足りないぞ」

 

俺が割って口を挟むと、玉縄は少し呆れた様にかぶりを振った。

 

「ノーノー、そうじゃない。ブレインストーミングはね、相手の意見を否定しないんだ。時間的問題と人員的問題で大きくできない。じゃあどう対応していくか、そうやって議論を発展させていくんだよ。すぐに結論を出しちゃいけないんだ。だから君の意見はダメだよ」

 

「お…おぅ」

 

そのわりに俺の意見は相変わらず即否定な様ですね。

 

「どう可能にするかを話し合おう」

 

「近くの高校を更に入れるっていうのは?」

 

「いいね。地域コミュニティを巻き込むっていうかさ…」

 

「それいけるーっ」

 

やはりそう簡単に未来を変えることはできないらしい。どうにかしなければと思っても、どうしたらいいかなんてすぐには思いつかない。俺にできることといえば、せめて状況が悪くならないように前の世界の流れをなぞる事だけだった。

えっと、前の俺はなんて言ったんだったか。たしか…

 

「これはフラッシュアイディアなんだが、さっきの提案へのカウンターとして、二校のより密接な関係を築いて連携を取ることで、最大限のシナジー効果を期待するほうがいいと思うのだが、どうだろう?」

 

俺がそう言うと海浜生徒会メンバーは会話を止めてこっちを見る。まさかこいつらも、自分たちよりも下だと値踏みした相手から同じステージでの意見をぶつけられるとは思ってもみなかっただろう。鳩が豆鉄砲を食らったように呆然としている。室内の視線を一身に集めながら次の反応を伺っていると、クスリと微かに笑う声が聞こえた。俺は声の方に視線を向けるが、その先にいた雪ノ下は先程と変わらぬ様子でプリントを見つめていた。

 

「なるほど…。じゃあ高校じゃない方がいいね。大学生とか」

 

次に反応したのは玉縄。しかし…やはりというか、俺の意図は伝わらない。

 

「いやまて、それだとイニシアティブがとれない。コンプライアンスを求められたら俺たちのレゾンデートルがうんたらかんたら…」

 

「先輩…何言ってんですか…」

 

「いや、俺も自分で言っててよくわからん…」

 

「ふふっ」

 

先程よりも分かりやすく肩を震わせる雪ノ下。すいません、馴れないこと言おうとして調子こきました。

 

「確かに」

 

そう言って次は指を鳴らす玉縄。

えっ!?今ので分かったの?こいつ孔子か?

 

「じゃあ近くにある小学校はどう?ゲームエディケーションって言うのかな。ああいう風に楽しみながら作業する様にできれば、地域の小学生の力も借りられるんじゃないかな」

 

「ウィンウィンだね」

 

「ウィンウィン…うん、それあるっ!」

 

どれがあるの?

周りの反応を見た玉縄は満足そうに頷くと、口許に手を当てぼそぼそとひとりごとのように言いながら一色を見る。

 

「小学校へのアポイントメントとネゴシエーションはこっちがやるとして…その後の対応をお願いできると嬉しいんだけど」

 

「そうですねぇ」

 

一色は微笑んだまま相づちを打つ。そして隣ではハラハラした面持ちの副会長が一色に熱い視線を送っている。

それから少しの沈黙を挟んで一色は返事を返した。だが、それは俺の予想していたものと大きく違っていた。

 

「実は手伝ってくれそうな小学校にはアテがあるので、アポイントとネゴシエーション?はこっちでやりますから、その後の対応はそちらでお願いします」

 

驚いて一色に顔を向ける。本当なら玉縄からの提案をそのまま受け入れてしまうはずなのだが、今の一色は素知らぬ顔でそれをはね除けた。いや、これまでの一色の行動パターンを思えば今の発言だって想像に難くない。だが雪ノ下が現れて少なからず動揺していた俺はすっかりそのことを失念していた。

 

「えっ?あ…そうなのかい?あぁ…え、それなら…あ、いや…」

 

そして玉縄も予想外だったらしく、分かりやすい程に視線を泳がせている。俺は一色にそっと身体を寄せて小さな声で訊く。

 

「お前ホントにアテなんかあるのか?」

 

「ほら、先輩たち夏休みに林間学校の手伝いで千葉村に行ったそうじゃないですか。その時の小学校に頼めばいいんですよ」

 

確かにそんな事もあった。ふと、林間学校で出会った鶴見留美の顔が頭をよぎる。前の世界でも玉縄が呼んだ小学生の中に鶴見留美がいた。やはり多少の選択肢の違いはあっても未来は集束していくようである。

 

「なんでそれ知ってんの?」

 

「平塚先生に聞きました」

 

一色は得意気に笑うと、机の下でピースサインをつくる。

平塚先生…あの人はまったく余計なことしかしない。心の中でため息をついていると、玉縄が上擦った声を上げる。

 

「雪ノ下さんはどう思う?」

 

雪ノ下の名前が出たのを聞いて俺は反射的に雪ノ下を見る。俺だけでなく、室内の全ての視線が雪ノ下に集まっていた。水を打ったように静まり返る。今までずっと黙っていた雪ノ下は、玉縄の助けを求める様な声にゆっくりと顔を上げ口を開いた。

 

「一色さん。小学校とコネクションがあるなら全てあなた達に一任したほうが効率的だと思うのだけれど」

 

「…そうかもですねー」

 

「あまり時間がないの、あなたもそのくらいの判断はできるでしょう?」

 

笑顔の一色に対して雪ノ下もまた笑顔を見せる。その口調は穏やかだが、どこか挑発めいた言葉に不穏な空気が漂う。

 

「でもそっちが小学校へ連絡してこっちが対応するっていうのを逆にしただけですしー」

 

「それはどちらにもアテがない場合の話よ。そっちにコネクションがある時点でこちらが動く利点がないわ」

 

「それは、そうかもですけど……」

 

「けれど一色さん、このくらい余裕でできるんじゃないかしら…。いえ、他にも何か色々とこっちに仕事を押し付けているそうだし、逆にやってもらわないと困るわ」

 

「押し付けるって…そんなことしてませんよ」

 

雪ノ下の口撃に一色は不機嫌な声を出す。作り笑顔はいつのまにか失われていた。玉縄相手ならのらりくらりと要望を躱していた一色だが、雪ノ下相手じゃそうもいかないようだ。

 

「そう?あなたは知らないかもしれないけど、今ある仕事のうちの七割以上はこっちで作業してるのよ」

 

「別に…ただちょっとお願いしただけで…」

 

「相手がやってくれるって言ったからそれで良いと思ったのかしら?確かにこの企画はこちらから持ち込んだものだけど、それであなたが作業をしなくてもいい理由にはならないのよ。たとえあなたにやる気がなくても一緒にやる以上はきっちり働いてもらわないと困るのよ。なったばかりなのはわかるけれど、あなた生徒会長としての自覚が足りないんじゃないかしら」

 

雪ノ下の鋭い否定と詰問に一色は押し黙ってしまう。思えば三浦も何度も泣かされていた。恐らく雪ノ下に口喧嘩で勝てるやつは同年代にいない。いたとしても片手の指で折れるくらいだろう。

一色の目はうっすら潤んでみえた。たしかにこいつは成り行きで生徒会長になった(俺が仕立て上げたとも言える)だけで、自覚なんてはじめから無いのかもしれない。だが一色だけが責められる謂れはないはずだ。こっちにもそれなりの言い分はある。

 

「確かに一色は仕事をそっちに押し付けたかもしれないが、なにもこっちだけが一方的に悪いってわけじゃない」

 

「先輩…」

 

一色に向けられていた雪ノ下の視線の矛先がこちらに向く。

 

「あなたは…比企なんとか君だったかしら」

 

「比企谷な。なんとかって分かんない所あるのに、だったかしらって言うのおかしくない?」

 

「…それで、どういうことかしら?」

 

 

俺は自分が生徒会役員でもないし会議にも最初から参加してたわけじゃないことを前置きしつつ、これまで一色と玉縄の間でどのようなやり取りがあったのかを説明する。

一色が最初は言われた通りやってたこと、要求がだんだんエスカレートして仕事が増えてきたこと、それに嫌気がさして途中で突っぱねたこと…要点だけまとめて、できるだけ完結に雪ノ下に伝えた。

 

「わかんないところがあったら最後まで教えるからって言われました。それで、あぁこのひと作業全部こっちに押し付ける気だなって思って…」

 

一色は玉縄をちらりと見たあと、唇を尖らせながら言いにくそうに言った。

 

「こっちの対応もアレだったが、要するにお互いの意思疎通ができてなかったってことだ」

 

俺の話を聞いた雪ノ下は少しの間何も話さない。恐らく自分の中で考えをまとめているんだろう。口許は手で隠れて見えないが、怒っている様な呆れている様な目つきで空を見入っている。それから口許から手を離すと、冷ややかな目つきで玉縄を見る。

 

「玉縄くん。私は「向こうの生徒会長が仕事を押し付けてくるからなんとかしてほしい」という依頼を受けたと思ったんだけど」

 

「いやっ、それは…」

 

口をもごつかせる玉縄を見て、俺は玉縄が雪ノ下に嘘の依頼をしていたことを悟った。いや、実際に一色が仕事を押し付けたのは本当だから嘘とは言えない。しかし、事実だが真実ではない。玉縄は自分のこと棚に上げて雪ノ下に依頼したのだ。

蛇に睨まれた蛙のようになった玉縄を見た雪ノ下は嘆息を吐くと、一色に向かって居直り深々と頭を下げる。

 

「ごめんなさい一色さん。あなたのことを少し誤解していたようだわ」

 

「あ、いえ……」

 

反応に困っている一色を見かねて俺が代わりに口を開く。

 

「まぁ、誰だってリスクや責任を負いたくないと思うのは当然だろう。失敗した時誰かのせいにできたら楽だからな。それにクリスマスイベントまでの短い付き合いだ。付き合いが浅くなるとわかってた場合、誰だって相手に対してやらずぶったくりを考える。仮に考えなかったとしても、自分の労力を最小にしようとする。それが人間の本来の姿だ」

 

俺の卑屈とも言える発言を聞いて雪ノ下は呆れたように肩を落とす。溜まっていた緊張が抜けていくようで、重くなっていた室内の空気が少しだけ軽くなった気がした。

 

「完全に否定することはできないけれど、ずいぶん捻くれた考えね。

それとこちらもひとつ弁明させてもらうと、玉縄君はわざとあなたたちに作業を押し付けてやろうなんて考えたりしないわ。真面目な人なの。けれどそれ故に、責任感から自分の視野を狭くして周りが見えていなかった」

 

そこまで言うと雪ノ下は玉縄に視線を移す。

 

「玉縄君、確かにあなたはこの企画の立案者として管理進行させなければいけない立場にあるわ。けれど、それはあなたが他のことは何もしなくていいということにはならないのよ。指示だけだして満足するようじゃ、生徒会長なんてとても勤まらないわよ」

 

「はい、すいません…」

 

そう言って頭を下げた玉縄に対し雪ノ下はかぶりを振る。

 

「謝る相手が違うんじゃないかしら」

 

そう言われた玉縄は頭を上げ、一色に向き直り再び頭を下げる。

 

「いろはちゃん、ごめん。僕は自分のことで精一杯で周りが見えてなかった。許してほしい」

 

「私もちゃんと言えばよかったのに勝手に決めつけちゃってましたし…。すみませんでした」

 

二人は互いに謝罪すると困ったように笑いあった。そこにわだかまりはなく、まだ遠慮はあるがそれがなくなるのも時間の問題だろうと思えた。一色と玉縄が対等な立場になり、ふたりはやっとスタートラインに立つことができたのだ。

問題はひとつ解決した。だがまだ残っている。このまったく先に進まない会議をどうにかしなければ、俺はまた同じ轍を踏むことになる。

 

「それとさっきの会議、ずいぶんと中身の無い事ばかり言っていたけれど、覚えたての言葉を使って議論の真似事をするお仕事ごっこがそんなに楽しい?ごっこ遊びがしたければ、他所でやってもらえるかしら?」

 

再び雪ノ下の鋭い声が通った。今度は海浜生徒会に向けてだ。連中は予想していたのか、身構えたように身体を強張らせる。

 

「このまま会議を進めてたとしても実現できるのはほんの一部。打ち出した看板に見合わない小さくて稚拙なものになるわ。いいえ、それよりもっと悪くなる可能性もある…。

この企画にとって致命的な事態とは何かわかる?」

 

雪ノ下の質問に、誰も答えを返さない。

もう完全に雪ノ下がこの会議を取り仕切っている。これはオブザーバーとしては明らかな越権行為だ。本来あってはならないことだが、この状況で「ところで雪ノ下さん。貴殿の行いは越権行為であるため、直ちに発言を控えるのがよろしかろう」などと言って雪ノ下の柳眉を逆立てるのは愚の骨頂である。

つまりこれはチャンスだ。前にも後ろにも進まない立ち往生のこの会議を無理矢理にでも進めることができるのは雪ノ下だけで、それは今を置いて他にない。そう思った途端、俺の口は開いていた。

 

「正直俺は、この企画がショボかろうが稚拙だろうがどっちでもいいと思う」

 

雪ノ下が怪訝な表情を見せる。ギクリとしながらも俺は平静を装って言葉を続ける。

 

「俺たちは所詮高校生だ。プロじゃない。テレビやライブで見るような派手派手しい事なんてできやしない。技術も時間も、人手も金もない俺たちがいくら情熱を注いでも、結果は…まぁそこそこだろう」

 

「それはわかりきってることよ。そんな規模のものと比べても意味がないわ。私たちはできる範囲で最大限の…そうでなくてもできる限りのことをすればいいのよ」

 

「あぁ、そうだ。出来不出来は本質的に重要じゃない。自己満足の世界は許されていいんだ。ならこの企画にとって致命的な事態とは………

完成しないことだ」

 

雪ノ下は一瞬意外そうな顔をしてからこくりと頷く。そして全員に聞こえるように張りのある声を上げる。

 

「今までの会議は意見をまとめるけれど誰も決定は下してない。このままいけば極端な話、意見がまとまった翌日にイベント本番なんてことも起こりえるわ。あなたたちが話し合いに話し合いを重ねた挙げ句、おもむろにできもしない対策を立てるのが好きで、むしろその対策が手遅れであるにもかかわらず話し合いを続けたいというのなら何も言わないわ。

でもそうじゃないなら、ちゃんとした会議をしましょう。慣れ合いを排除し、反対も対立も否定もする、勝ち負けをきっちりつける。そういう会議を」

 

 

 

 


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