うちの姉様は過保護すぎる。   作:律乃

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回想シーンも含めてかなり長め、ゆったりとご覧ください。


007 蚊帳の外なんて嫌ですよ…。

**13.

 

「待って、切ちゃんッ!!!!」

 

 デバイスから聞こえてくる弦十郎の声を聞いている最中、いきなり通話を切って、後方へと走り去っていく緑色の背中……暁切歌を立花響はただただ呆けて見送るしか出来なかった。

 猛スピードで自分達から離れていくその背中から漂ってくるのは焦りと怒り、罪悪感……そして、華奢な背中では背負いきれないくらいの悲しみ……。

 悲壮感が漂うその背中を見て、響は悟る。自分が知らないところで何か良くないことが現在進行形で起きているんだ、と。それも歌兎ちゃん関係で。

 じゃなければ、切歌ちゃんの突然の単独行動。調ちゃんやマリアさんたちが師匠の話の間、一瞬浮かべた"不味い"と顔をしかめた……苦虫を噛み潰したようなあの表情に説明がつけられない。

 

「待ちなさい、調」

 

 考え込む響の耳に凜とした声が大気を揺るがし、自分の耳へと届くその声と対立するように切羽詰まった声が聞こえてくる。

 その声の主は黒い髪をピンク色のシュシュでツインテールにしている月読調で響はより一層驚きを強めていく。

 普段は物静かで、自分から言動する事も少ない調が自分を止めているマリア・カデンツゥヴナ・イヴへと感情の全てをぶつけている。

 『偽善者』と呼ばれたあの時よりも今の調は彼女の内に眠る感情を表に出していると思う……。

 

(やっぱり歌兎ちゃんに何かあったんだ……)

 

 知らない内に響は両手を握りしめていた。

 "誰かが困っている時に差し伸べるため"の両手を今必要としている人達が目の前に、そして一番必要としているであろう二人が遠くにいるのに……肝心の自分は彼女達が何を困っていて、何を必要としているのかを、彼女達の事情を知らないでいる。

 悔しかった……目の前に困っている人がいるのに、手を差し伸べられない自分自身が不甲斐なくて、情けなかった……。

 

「でも、マリアっ。切ちゃんが……歌兎が……ッ。私も行かないと……!」

「貴女が今行っても切歌の……歌兎の邪魔になってしまうかもしれないわ」

「そんな事ない!!」

 

 自分を掴んでいるマリアの右手を振り解くように横へと手を振った調は桃色のつり目の目端を上げていく。

 

「マリアだって知ってるでしょう? 歌兎がアノ状態になったら、切ちゃん……歌兎の事……殺さないといけないんだよ!? マムにそう言われてたの、マリアだって、セレナだって聞いてたよね!?」

 

 調から聞こえてくるセリフに響も隣に立つ雪音クリスも風鳴翼も凍りつく。

 

 –––––ウタウガアノジョウタイニナッタラ、キリチャン……ウタウノコト……コロサナイトイケナインダヨ!?

 

 そう、調は言ったのだ、はっきり。

 

 なんだそれは。なんなんだ、それは……ッ!!

 

 噛みしめる唇から僅かに血が滲む。

 

 響が切歌と歌兎と知り合い、仲間になったのはごくごく最近だ。

 だが、僅かな間でも切歌が妹である歌兎の事を大切に思っている事は伝わってきた。

 何処に行くのも二人、そして調は一緒で微笑ましく感じる事も沢山あった。時折、切歌の過保護が装者の中で炸裂(さつれつ)して、主にクリスやマリアから注意される事も最近では響の当たり前の日常となっていて……そして、切歌と歌兎を見ていて、羨ましく思うことがあったのだ。

 一人っ子である響では分からない絆。家族でもない……姉妹という枠では測れない……二人だからこその絆。

 暖かくて……見ていたら、目を細めたくなるような眩い太陽のような……絆。

 

 その絆が今壊されそうとしている––––。

 

 このまま、黙って蚊帳の外で傍観者でいるなんて響にもクリスにも翼にも出来るわけなかった。

 もう彼女達と関わってしまったのだ、今更他人事のように振る舞えるわけがない。

 三人は視線を交差させ、アイコンタクトを交わし、自分達が思っていることが一緒なことを知り、"ふ"と口元を緩ませる。

 

「……今回ばかりはバカに賛成だな」

「……ああ、どうやらいつの間にか私も雪音も立花に考え方が染まっていたようだな」

「クリスちゃんも翼さんもなんだか言い方に棘があるよ……。でもいいんですね?」

「愚問だ。立花。私は暁達がどんな問題を抱えていようが受け入れる自信はある。今更仲間外れなんて悲しいではないか」

「まー、チビやあの過保護が心配なのはあいつらだけじゃないからな…」

 

 決意を新たにする三人の前では、今だ言い争う三人の人影がある。

 荒ぶる調を落ち着かせようと彼女の小さな肩へと両手を置くマリアを信じられないものを見るような目で見つめ、睨む調は最早正常な判断が出来ないくらいに心を乱している。

 当たり前だ。彼女にとって大切な人が、家族が、今現在進行で傷ついている……傷つけあっているのかもしれないのだ。彼女はその争いを止めたくて、二人に傷つけあって欲しくなくて…早くその場に駆けつけて、止めたいのだろう。

 その気持ちを理解しているからこそ調を止めているマリア自身も辛いはず…。

 

「まだ、そうなったとは限らないわ。今まで歌兎がその状況になっても切歌の呼びかけ、私達が攻撃を与える事で元に戻っている。今回も–––」

「––––なんで、そんなに冷静で居られるのッ!!」

 

 両手を握りしめて、ブンと下へと振るった調は彼女の心を表すように黒いツインテールを振り回す。

 

「私には分からないよッ。マリアの事も、セレナの事もォッ!!」

 

 頭を抱えて、その場に崩れ落ちる調を抱きとめるセレナも駆け寄るマリアの事も自分から遠ざけようとしている調を見て、響はここが自分たちが割り込まれる最後で最初のチャンスかもしれないと思う。

 だから、一歩彼女達に近づいて、声をかける––––彼女達が助ける(ひとたすけの)為に。

 

「……もしかして、歌兎ちゃんに何かあったんですか?」

「……どうして、そう思うの?」

 

 マリアにそう聞かれた響は自分をまっすぐ見てくる薄青色の瞳を見つめ返しながら、自分の思いを口にする。

 

「……私、バカですし…難しいこととかよく分からないですけど……仲間…マリアさんや切歌ちゃん達の事なら分かります。ううん、分かるなんて身勝手な事言ってはいけないですね……」

「–––」

「でも、分かりたい……苦悩を共にしたいって気持ちは本当の私の気持ちです。マリアさんが、調ちゃん達が困っているなら力になりたい……それは私だけじゃなくて、クリスちゃんも翼さんも思っている事です。私達、仲間になったんですから」

「貴女の気持ち、そして翼とクリスの気持ちは理解したわ。でも、その気持ちと歌兎の事は平行ではないわ。残念だけど、この事は私達の問題なの。貴女達が口を挟めるものではないわ」

 

 冷たく突き放すように言うマリアが瞳が一瞬伏せるのを見て、響は引き下がることなく食い下がる。

 マリアもセレナも調も、きっと切歌や歌兎だって、自分たちの問題に響達を巻き込みたくないのだろう……巻き込んでしまって、響達が傷つくのを見たくないから……。

 

 どこまでも優しい、他人思いな人たちなのだろう、元F.I.S.組は……。

 

 だからこそ、響達は手を伸ばし続けたいのだ、彼女達に–––。

 

 優しい彼女達が悲しい思いをするのは……彼女達が自分たちを遠ざけようとしている気持ちと同じくらい…響達にとって許しがたいことだから…。

 

「切歌ちゃんがッ!」

「……」

「切歌ちゃんが……この場から走り去って行くときにチラッと見た顔は焦りに満ちていて、それでいて…一瞬でしたが、何処か悲しそうでした……。私はあんな顔の切歌ちゃんを見た事ない。切歌ちゃんがあんな顔をするって事は歌兎ちゃん関係なんですよね…? 私はマリアさん達に比べると切歌ちゃんとも歌兎ちゃんとも仲良くなったのは最近ですし、二人のことをよく知ってもいませんッ。ですが、切歌ちゃんが歌兎ちゃんを、歌兎ちゃんが切歌ちゃんをどれだけ大好きなのかは分かりますッ!!」

 

 そこで言葉を切った響は自分を見つめてくる三つの視線をゆっくりと交差させていき、照れなさそうに笑い、胸へと拳を押し付け、握りしめる。

 

「私はそんな二人が好きで、二人の笑顔がもっと大好きです、ずっと見ていたいです。きっとこの気持ちはマリアさんや調ちゃん達と同じ筈です。マリアさんはさっきこの問題は私達の問題で私やクリスちゃん、翼さんには関係ないことだと言いました。それは大きな間違いですよ…。こんなにも切歌ちゃんが、歌兎ちゃんが、マリアさん達の事が大好きになってしまったんです…。私は私の大好きな人が困っているのなら……ううん、知らない人だってこの手を繋ぎたいです。困っているのなら助けたい。いらないお世話って言われても手を差し伸べたいです! だってそれが私の親友が好きだって言ってくれた(こぶし)だからッ!!

一度は繋いでくれた手じゃないですか……今更、私達だけ蚊帳の外なんて嫌ですよ…マリアさん」

 

 そう言って、マリア達へと手を差し伸べる響をまっすぐ見て、セレナと調へと視線を送ったマリアは"フ"と鼻で笑うとその手へと自分の手を重ねたのだった。

 

「やっぱり敵わないな、立花響」

「って事は––––」

 

 パァァと満面の笑顔を浮かべる響を手で制してからマリアは表情を暗くする。

 

「––––待って頂戴(ちょうだい)。ソレ……歌兎の事は私の口からは話せないわ。あの子の事を、事情をより深く知っているのは切歌……だろうから。でも」

「でも?」

「私の知り得る事は全て包み隠す事なく話すわ。今はそれが最善だと思うから。風鳴指令もいいわね…?」

 

 切らないでおいたデバイスへとそう問いかけたマリアへと弦十郎は暫くの間、沈黙し、静寂を作ってから重々しい声で返答する。

 

『切歌君、歌兎君には俺から事情を話しておこう』

「…ありがとう。恩にきるわ」

 

 マリアはお礼を言い、瞼を一回閉じてから遠い昔の記憶を呼び覚ますように目を細める。

 

「さて、何処から話しましょうか…? そうね、まずは––––」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ––––その出来事が起きたのは、私とセレナ、切歌と調がマムとウェル博士……ドクターの命令を破り、外出禁止を言付かっている時だった。

 その日、ドクターは響とクリス、翼をネフィリムを完全覚醒させる餌として呼び出し、ノイズをくっして、クリスと翼を動けなくさせた後に響を捕食させようとした……。そうしたであって、だったという過去ではない。

 本来ネフィリムに捕食される予定だった響を体当たりし、軌道を逸らした小さな人影がその運命を捻じ曲げたのだ。

 自分の思い通りに動く出来事に溢れ出る歪んだ笑顔を浮かべていたドクターは自分の完璧な計画を寸前で木っ端みじんに叩き割った人影を睨みつけ、眼鏡の奥の瞳を大きくしていく……。

 

『何をしているのですか…? 何をしているのですか––––

暁歌兎ゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!』

『––––』

 

 大気を揺らす憎悪の声が自分に投げかけられていることを知り、チラッと瞋恚で血管を浮き出しているドクターを一瞥した小さな闖入者(ちんにゅうしゃ)・歌兎は何も喋る事なく、肩に担いだ大鎚を地面へと叩きつけ、クリスと翼を束縛しているノイズを消滅させた。

 その後、歌兎は三人が立っている地面に向けて、技を放ち、三人を戦場から離脱させた。

 飛んでいく三人を見送った歌兎は自分に向かって歩いてくる激怒に顔を歪ませているドクターを見つめながら、そっとミョルミルのギアを解除したのだった。

 

『ごほっ……』

 

 歌兎が当然行った行動に反応することも出来ず、モニターで終始を見守るしかできなかった私達の前に歌兎が連れてこられたのはほんの数分後だった。

 乱暴に右手を引っ張られ、私達が見ている前で床に投げ捨てられた歌兎はバランスを崩して床に倒れこむとその身体へと逆上の一撃を埋め込まれる。

 

『お前の所為でぼくの計画は全て泡だ。どうしてくれるんだ! この役立たずがァッ!!』

『ゲホッ、ゴホッ…がはっ……おほっ……』

 

 白い短髪を振り回しながら、湧き上がる激怒のままに小さな身体へと埋め込まれる革靴は頬や胸、横腹や下腹部、脚や足首へと生傷を作っていく。

 白い肌に新たに作られていく青あざに、ドクターが行う度を過ぎた制裁に切歌は自分の両手で顔を覆う。

 

『……っ』

 

 顔を塞いでも聞こえてくる妹の苦しそうな声に小さな肩が震える。

 そんな切歌の様子を見ている私もウェル博士の鬱憤(うっぷん)を晴らすような制裁に目を塞ぎたくなる気持ちだった…。

 こんなのあんまりだ、と。彼女が何か悪いことをしたのか、と。

 歌兎は正したことをした。確かに敵を助かるなんて正気を疑う行動だ。だが、更に正気を疑うのはドクターの行動だ。ネフィリムを覚醒させるに必要だからと敵の装者を捕食させようとした……彼女達がギアを纏っている状態のままを、だ。彼女達も敵とはいえ私たちと同じ人だというのに……。

 

『はぁ…はぁっ…。思い知りましたか…英雄のぼくに逆らうとどうなるか、を』

『……ごほっ……けほっ……』

 

 何度も自分の思いのままに足を振り下ろすことでドクターが抱いていた怒りは小さくなったようで苦しそうに咳き込みながら、血が混ざった唾液を吐き出している歌兎を見下ろしている。

 その見下ろしている瞳を睨むように見上げるのは眠そうに半開きしている黄緑色の瞳だ。

 痛みで瞳を潤ませることもなく、ただ自分を責めるような視線を送り続けてくる歌兎にドクターの静まりかけていた瞋恚の炎がその瞳を見ていくうちに着火していく…。

 

『なんですか、その生意気な()は』

『…何にも。ただ、貴方の言う通り、思い知っただけ…。…貴方がどれだけ英雄に不向きなのか、を』

『このッ!!』

 

 トドメと言わんばかりに下腹部を蹴飛ばされた歌兎は壁の方へと転がる。小さな身体は壁へと激突し、私達の方を向く華奢な背中が何度も咳き込み、僅かに震えるのを見ていると隣にいる切歌の細い喉から『ぁ……』と声にならない声が漏れ出て、思わず歌兎へと駆け寄ろうとするを制している。

 すると、大きく咳き込んだ歌兎は青あざが多く作られた両手を床へと付けると生まれての子鹿のようにぷるぷると両脚を痙攣させながらも立ち上がる。

 そして、後ろにある壁へと背中を預けた彼女は長くなった前髪を横に払うと息を切らし、自分を睨むドクターを鼻で笑うとどうでもよさそうに吐き捨てる。

 

『…僕を殴ったり蹴ったりすることで貴方の気持ちが晴れるならそうすればいい』

 

 壁へと全体重を預け、大きく息を吸い込んだ歌兎はドクターを、そして私達を見渡す。

 所々、肌が露わになっている所は青あざと血が滲み、光に当たると水色に光る銀髪はボサボサと目を塞ぎたくなる容姿(すがた)をしていたが……この場にいる誰よりも輝いていた。

 

『でも、僕は自分の気持ちを曲げてまで貴方の非道に加担する気は全くない! あのお姉ちゃん達を使って、ネフィリムを覚醒させるなんて絶対嫌だッ!! 僕たちはお偉いさんのせいで差別を受けている人達を……困っている人達を助けるために活動してるんでしょう!? なのに、逆に困っている人を傷つけて、増やして……何が救済、英雄なの!? こんなの間違ってるッ!!!!』

 

 激昂する歌兎に私達も切歌も言葉を失う。

 目の前にある彼女が自分たちの知っている歌兎だと認識できなかった。だって、私達の知っている歌兎は物静かで人と付き合うのも自分を表すのも不向きで、いつも切歌にべったりな甘えん坊だったから……。

 甘えん坊で泣き虫で……誰かついてないと危なっかしいそんな子……だったのに、今はその子が誰よりも先に間違いを指摘して、正そうとしている。私達では思っていても出来なかった偉業(こと)を、歌兎(あのこ)が最初にしようとしている……。

 

『煩い煩いうるさぁぁぁぁぁぁぁい!!!! 青二才がァッ!! 英雄のぼくに知ったような口を聞くなァァァァ!!!!』

 

 八重歯をのぞかせ、喚き散らすドクターを一瞥した歌兎はぶんと両腕を振るう。

 

『…なら、尚更だ!! 貴方は頭がおかしい。ううん、貴方みたいな人についていこうとする姉様やマム達もおかしい……よく考えてよ。他人(ひと)の幸せを踏みにじって手にした栄光に、名誉に、救済にどんな価値があるっていうの? その人達が僕達のように不幸になるだけだよ……っ。誰かが幸せになるために誰かを犠牲にするなんて……そんなの僕が望んでいるやさしい世界じゃないよッ!!

それに、貴方みたいな身勝手で自己中な英雄についてくる人なんて居るわけないっ……ううん、みんながついていっても僕一人が貴方の行動を否定し続ける』

 

 眠そうに見開かれた瞳へと闘志を燃やし、そう言い切った歌兎に感情が抜け落ちた表情のまま近づいたドクターは自分を睨みつける歌兎の前髪を鷲掴みにする。

 

『どうやら、貴女には身を以てぼくの素晴らしい作戦を体験してもらう必要がありますね』

『痛ぃ……痛いっ』

『つべこべ言わずぼくに着いて来なさい』

 

 前髪を引っ張りながら、歌兎を引きずるようにネフィリムが閉まっている檻がある部屋へと入っていったドクターの後を追いかける私達の耳に聞こえてきたのは……廊下に反響するほどの大きな悲痛な歌兎の叫び声とむしゃむしゃと何かを咀嚼する音、そして狂ったように笑うドクターの声だった……。

 ドア越しに聞こえてくる三つの音だけでも中で何が行われているのかは想像がついた。ドクターは敵の装者……響達にしようとしていた事を歌兎で行なっていたのだ。むしゃむしゃと何かを噛み砕く音が聞こえてくると言うことは、既に歌兎はネフィリムに身体のどこかを食べられてしまったのだ……。

 

『……こんなの…こんなのってあんまりデス……歌兎が、あの子が何をしたっていうんデス? 人を助けただけじゃないデスか……それなのに、なんでネフィリムに身体を食べられているんデスか……? 可笑しい、可笑しいデスよ! あたしがあの時、あいつらから無理矢理でも奪っていたら、歌兎がこんな目には遭わなかったんデスか……? 歌兎……歌兎っ、ごめんね……不甲斐ないお姉ちゃんで……ごめんね、うたうっ……』

 

 顔を覆い、身体を震わせ、潤んだ声で問いかける切歌の疑問に誰も答えることが出来ないまま、ドアを開けて助けに行くことも出来ないまま、時間だけが無情に過ぎていって……ドアの向こうから聞こえる声が弱々しく『たすけて……もう、たすけてください……』という声に変わったのを聞いて、私は血の気が引いた。

 ドクターなら歌兎が死んでしまうようなことはしないだろうと勝手に思って期待していた。しかし、あの男は世界が自分中心に動いてないと堪忍できない甲斐性無しだったらしい。

 自分の思い通りに動かない歌兎は不要と切り捨て、ネフィリムに捕食させようと考えた……声からしてもう多くを食べられているのだろう…。

 

(くそっ。どこまで非道なの! あの男!!)

 

 今すぐにでもギアを纏い、歌兎を助けださねばならないだろう。

 だがどうやって? 歌兎を助け出すこと自体は簡単だ。だけど、その後はどうすればいい?

 医療の知識は私は齧るくらいしか学んでない。ネフィリムに肢体を齧られ、出血が激しい歌兎は早く血を止めなければ、出血多量でその命を散らしてしまうかもしれない……。

 歌兎の命を守るための手術が出来るのは悔しいがあの男だけだ。だから、あの男に逆らい、歌兎を助けた瞬間、歌兎の命を助ける術を失う。だが、今乱入せねば、歌兎がネフィリムに食われてしまう……どうすればいい? どうすれば、歌兎を救える? どうすれば……。

 

『……ま、マム…ッ! マムッ!! ドクターを止めて、歌兎を助けてあげてください……お願いします……お願いデスから……ドクターを止めて……歌兎を、妹を助けてください……ゔっぅっ……』

 

 部屋への乱入を躊躇う私の目の前で切歌はマムの目の前に進み出ると彼女へと縋り付きながら、廊下へと崩れ落ちた。そして、マムのロングスカートの袖を握りしめながら、その場に跪くと頭を廊下のタイルへと擦り付ける。

 

『この通りデスから……助けてあげてください……。さっきの歌兎の行動に罰を与えなくてはいけないっていうのなら、あたしも受けます、同じように……ううん、それでドクターの怒りが収まらないのならもっと強くしてもいいデス。いいデスから、歌兎だけは……見逃してください……。それとも、さっきの歌兎の言葉使いが悪いっていうなら、今からあたしがしっかりと言い聞かせて、もう二度マムやドクターに歯向かわないように躾けますから……謝って欲しいっていうなら、二人で謝ります……。だから、マム……ドクターを止めてください……。この通りデス……誠意が感じられないっていうなら、あたし……なんだってしますから……ッ』

『切歌、やめなさい』

 

 タイルに顔を擦り付け、おでこをタイルへと何度も叩きつけながら土下座を続ける切歌の肩へと両手を添えたマムが彼女の身を起こそうとするが敵わなかった。

 

『本当になんだってします。あたしに出来る事なら……なんだって……なんだって、するから……。早く……ドクターを止めて……止めてくださいッ!! 早くしてくれないと––––』

 

 ポロポロと廊下を濡らす涙、そして涙に震える声にマムも私達も動きを止める。

 

『–––––このままじゃ、歌兎死んじゃうよ……』

 

 ひんやりした廊下に響くその声に答えるように目の前の扉が開き、壁へと白い何かがぶち当たる。

 切歌と私達が見ている中、砂埃の中立ち上がったのはドクターでひび割れた眼鏡でさっきまで高笑いをしていた部屋を恐怖に満ち満ちた瞳で見ている。

 

『なんなんだ……あの化け物…』

 

 その呟きに抗議をあげるように部屋の中から赤い物体がドクターの目掛けて、飛んでいき、ベチャと彼の顔を汚した後、その赤い物体目掛けて、赤黒いオーラを纏ったモノが壁を貫く。

 

『ア"ア"ア"ア"ア"』

 

 壁を貫き、廊下にヘタリ込むドクターを見下すのは、禍々しい赤黒いオーラに全身を纏った歌兎だった。

 鋭く尖った赤い瞳、ミョルミルのギアのようになっている禍々しいシルエット……この姿は前にも見たことがある歌兎の暴走した姿だった。

 

『ヒィ……』

 

 寸前で攻撃を交わしたドクターはピクピクと身体を震わせながら、恐怖で抜けた腰を無理矢理起こすと私達には目もくれず、走り去ろうとするドクター目掛けて瓦礫を持ち上げた歌兎はドクターの逃げ場を塞ぐようにぶん投げる。

 

『バ、バケモノォォォォォ』

 

 それを交わし、廊下へと何度も倒れこみながら走るドクターが曲がり角に消えるのを見て、私達へと無差別に攻撃を放っていた歌兎が壁を両足で駆け、ドクターへと蹴りを入れろうと助走をつけている寸前、切歌がドクターと歌兎の間に立ち塞がる。

 

『ア"ア"ア"ア"ア"』

『切歌っ。何をしているの! 早くそこを退きなさい。今の貴女では歌兎は止められないわ!』

『切ちゃん! 歌兎から離れてッ』

『マリアも調も心配性なんデスから……』

 

 "やれやれ"と呆れたようにため息をついた切歌は蹴りから自分を攻撃するために尖った爪を突き立て、壁を蹴って近づいてくる歌兎へと満面の笑顔を浮かべて、両手を広げる。

 

『暁さん!』

『切歌!』

 

 セレナとマムの声が廊下で反響し、両手を広げた切歌は歌兎の爪を頬の皮を一枚擦るくらいで躱すとそのまま自分の腕に飛び込んできた歌兎を強く抱き締める。

 

『ア"ア"ア"ア"ア"』

『よしよし、いい子デスね、歌兎』

 

 自分の腕の中で暴れる歌兎に笑顔が崩れそうになりながらも切歌は赤黒く染まった髪の毛をいつものように撫で、背中をトントンとあやすように優しく叩く。

 小さな肩へと顎を乗せ、歌兎に呼びかけるように優しい声音で囁きかけ、その声を聞いていくうちに歌兎の禍々しいオーラが小さくなっていく。

 

『痛かったんデスよね、辛かったんデスよね、許せなかったんデスよね……』

『ア"ア"……ア"…』

『歌兎の気持ちは全部お姉ちゃんが受け止めてあげるから…。だから、今はいつもの貴女には戻ってください……お姉ちゃんはどんな歌兎も大好きデスが、一番は笑顔の歌兎なんデスから…。いつものように可愛い笑顔をお姉ちゃんに見せてください…ね、歌兎?』

 

 にっこりと笑う切歌を間近で見つめる赤い瞳が涙で濡れ、すぅ……と禍々しいオーラが払拭され、眩い光の後に切歌の腕に抱き寄せられているのは()()()()歌兎で眠そうな瞳は自分へと優しく微笑みかけている切歌を見つめ、桜色の唇がわずかに揺れてから物静かな声を漏らす。

 

『………ねえ、さま…? 僕、一体……。たしか、ドクターに連れられて……ネフィリムに身体を食べられて……それで……。それで……どうしたんだっけ…?』

『思い出せないってことは疲れているってことデスよ! だから、歌兎は今からお姉ちゃんと晩御飯が出来るまで寝ましょう!』

『え…? ね、寝るの?』

 

 切歌を見ていた視線がこっちを見て、さっき自分が破壊した壁や廊下を塞いでいる瓦礫を見てから申し訳なさそうに私達を見てくるので、マムが代表して切歌の提案の後押しをする。

 

『切歌の言う通りですね。歌兎は疲れているようなので休息は必要でしょう。廊下の掃除や瓦礫の片付けは私達に任せて、貴女は切歌と休んでなさい』

『…マムがそういうならそうする』

『なら、ベッドまでお姉ちゃんが抱っこしてあげますね♪ えへへ〜、歌兎すっかり大きくなりましたね〜♪』

『…そ、そうかな…? 自分じゃよく分からないけど…』

 

 そう言った歌兎は切歌に連れられ……抱っこされて、休息を取ることになった。

 

 

 

 

 

 そんな出来事の後、歌兎の左腕が骨張った真っ黒い腕に変わっていることを知って……そうなる前にドクターに歌兎を呼び止めていた目撃証言からドクターをひっ捕らえ、白状させようとしたがそれどころではない出来事が立て続けに起きて、気付けばドクターは私達から逃走した後だった。

 

 歌兎の腕に《完全聖遺物・ベルフェゴール》という厄介者を押し付けたまま––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私から話せるのはここまで。私でもあの子が何処で、どんな風にアレ……完全聖遺物・ベルフェゴールを植え付けられたのか。いつから使うようになったのかは分からないわ。そこからは切歌に聞かないと……でも一つだけ確実なのは、博士がこの案件に関わっているって事…。だから、私たちは密かにドクターを捕らえることに専念していたわけ。受け付けたのがドクターなら外す方法も知っているでしょうからね」

 

 マリアから歌兎の身に起きていること、彼女達が抱えている問題を聞かされた響達はそれぞれの反応を見せた。響は琥珀の瞳を丸くし、両手をギュッと握りしめ……クリスは赤いヒールで地面を蹴飛ばす。そして、翼はそんなクリスを窘めている。

 

「あのくそったれッ!」

「雪音」

「分かってる! だがよ。先輩は悔しくないのか…? チビはあたし達のせいで……」

「そうだとしても今するのは悔やむことでも暁に謝る事でもない。どうやって、暁達を救い出すか、だ」

「ああ、そうだな……。あのチビと過保護を助けださないといけないんだもんな……おいバカ! こういう時こそお前のバカ元気が役に立つ時だろ」

「酷いよ、クリスちゃん……」

 

 響がクリスに頬を膨らませて、抗議し終えた後、響達は話し合い。響とクリス、翼はクリスが作り出すミサイルに乗って、一足早く切歌と歌兎の元に駆けつけることにし、残りの装者は本部から送り出されたヘリと共に現場に到着する事になった。

 

 クリスのミサイルに乗り、移動している最中に響の頭の中で流れるのは現在歌兎を蝕む元凶の説明。

 完成聖遺物・ベルフェゴール……装着者を自分の巨大な力を与え、堕落させ、暴走させる。それを何度も繰り返していくうちに装着者の精神は薄れ、ベルフェゴールに乗っ取られてしまう、と言う。

 

「チビも過保護も何でそんな大事なことを言わねぇーだ。あたしらがそんな事でチビを気味悪がったり、嫌いになるわけないだろッ!」

 

 響達に包帯の下に隠された黒い骨ばった腕を見られた途端、嫌われてしまうのではないかと歌兎は心配し、切歌やマリア達、S.O.N.Gのクルーザーや司令にこの事を秘密にしてくれた頼んだらしい。

 唇を噛み締め、吐き捨てるように言うクリスの言葉に響は心の中で深くうなづき、胸にある掌を握りしめる。自分を必要としてくれているであろう二人ともう一度手を繋ぐために……響は拳を振るい、クリスは銃弾を放ち、翼は剣を振るう。

 ミサイルから降り立ち、自分へと見事な連携技を放ってくるクリスと翼を睨みつけ、地面に倒れこむ切歌を抱きかかえる響に舌打ちする歌兎へと視線を向ける切歌は響へと弱々しい笑顔を浮かべながら呟く。

 

「…カッコ良すぎデスよ、三人共…」

「…そんな事ないよ。切歌ちゃんの方がもっとカッコいいよ。一人で歌兎ちゃんを助けるために戦っていたんだよね…こんなにボロボロになりながら……」

「えへへ…そうデスかね…? 歌兎、あたしのこと…見直してくれたデスかね…」

「もちろんだよ。こんなカッコいいお姉ちゃん、他にはいないと思う」

「褒めすぎデスよ、響さん」

 

 響の返答に微かに微笑んだ切歌を戦場から離れた場所に運んだ響は近くにあるビルの壁に彼女を座らせる。

 普段着へと変わった切歌の両手を膝の上に乗せた響は弱々しく自分を見つめる垂れ目がちな黄緑色の瞳を力強く見つめ返す。

 

「歌兎ちゃんの事は私達に任せて。だから、切歌ちゃんは今は調ちゃん達が来るまでここで休んでてね」

 

 それだけ伝えてから立ち上がった響の背中へと切歌の呼び声が掛かり、響はその場に立ち取ると勢いよく振り返る。

 

「響さん」

「なあに? 切歌ちゃん」

 

 白いマフラーをはためかせ、にっこりと笑う響の姿を見て、何か言いたそうに口ごもっていた切歌の唇がゆっくりと笑みを浮かべると穏やかな声が空気を揺らす。

 

「…歌兎の事、よろしくお願いします。あの子は…本当は甘えん坊でさみしがり屋であたしがいないと泣いちゃう弱虫さんなんデス…。だから、あの子がこんな事を望むわけないんデス……歌兎は、誰よりも優しくて思いやりに溢れたあたしの自慢の妹なんデスから」

「うん、分かってる。切歌ちゃんの気持ち、歌兎ちゃんに(ぶつ)けてくるねッ!」

 

 切歌の方に向けていた右拳を自分の胸に押し付け、にっこりと笑う響にこくりとうなづく切歌の垂れ目がちな黄緑色の瞳はしばらく自分から遠ざかっていく響の背中を、風にはためく白いマフラーを見送った後でゆっくりと瞼が閉じていく。

 閉じた瞼の裏に浮かぶのは、照れたように淡く微笑む最愛の妹の笑顔で……。

 

(歌兎……お姉ちゃんと、みんなと一緒に帰りましょうね……)

 

 切歌から思いを受け継いだ響の琥珀色の瞳に映るのは、クリスと翼の連携を交わしながら、小さな唇から鋭い八重歯を覗かせ、眠そうな瞳へと憎悪と激怒という負の感情で、ばさっと宙を舞う銀髪も普段の彼女と違い禍々しい。

 どうやら、危惧していたことが起きてしまったのだろう……だが、それがどうした。ベルフェゴールという聖遺物の支配よりも切歌の歌兎への気持ちの方が強いに決まっている。少なくとも響はそう信じている。

 

「切歌ちゃんから受け継いだこの気持ち。必ず、歌兎ちゃんへと届けてみせるッ!」

 

 響は右拳をベルフェゴールへと乗っ取られたしまった歌兎の胸に向かって突き出すのだった……。




次回、ベルフェゴール(あかつきうたう)攻略戦。

響ちゃん達は、マリアさん達は、そして切ちゃんは歌兎を元に戻すことは出来るのでしょうか……?

第一章、クライマックスまで  あと三話…





追記(2020/3/15)
これからの予定表。
《#1》こと一章の終わりから二章の始まりまでを一気に投稿。
 のため、また暫く更新は休止します。
 その回が全部書けた後は次の日に投稿、と予定してます。


ちょっとした雑談。
2020/3/15の昼頃、切ちゃんの極MAXのカードを計3枚達成!

極クエストを進め、ニヤニヤ…デレデレしました…(//∇//)

偶然拾った手紙を見てしまい、切ちゃんにーーされるのならば、それもまたいい人生ではないかと思う作者でありました。(そして生まれ変わったら、切ちゃんの大鎌になりたい……鎌になりたい…(大事なことなので二回言う)

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