**29.
暁歌兎の葬式又の名を送別会は顔馴染みのみで行われた。
S.O.N.G内にある小さなミーティング室に集まったスタッフ、装者達は思い思いに歌兎との思い出話を語らい、用意された箱へと彼女との思いの品をしまっていく中、一角で騒動が巻き起こっていた。
「お前、いい加減にしろよッ!」
ミーティングの中を反響するのは雪音クリスの悲痛な叫び声。
その叫び声を真正面から浴びているのは歌兎の姉・暁切歌がであった。
切歌の黒いTシャツの襟首を鷲掴みにし、自分の方へと引き寄せたクリスの薄紫の瞳に映るのは
「……」
困ったように見えるがそれ以外は
彼女の笑顔が映っている薄紫色の瞳は潤み、襟首の掴む両手が上下に揺らさせる。
しかし、それも騒ぎを聞きつけて二人の元へと駆けつけた仲間達により止められるがクリスの怒りは、彼女の思いは切歌から離れていなかった。
「なんで…ッ。なんで、お前はそうなんだよッ! いっつもいっつもそうやってヘラヘラ笑って……こういう時こそ泣けよッ! お前が一番悲しいんだろッ!! チビが亡くなってッ。あたしらよりもお前がッ!! な……そうだろ……」
「クリス……」
「雪音……」
「クリスちゃん……」
クリスを切歌から離して、右腕を取り押さえていた小日向未来。左腕を取り押さえていた風鳴翼。腰を掴んでいた立花響が彼女の思いを聞き、何故こんな行為を行ったかを悟り、ゆっくりと両手を放していく。
切歌は感じる、自分に集まる視線を。クリスのセリフに同意するみんなが自分を責めているような…説明して欲しいと懇願するような視線を。いいや、それは自分がそう思っているだけだ。本当は頼って欲しいのだ、自分達を。
だが、切歌はそれらの視線を
そして、クリスは、その笑顔を見ている仲間達は顔を悲しみで歪ませる。
「あたし達はそんなに頼らないのかよッ! お前が素直に悲しむことが出来ないくらいに……脆くて守ってやらないといけない存在なのかよッ!! あたしは少しだけならお前が背負ってる荷の肩代わりが出来るくらいに親しくなったって思っていた。強くなったとも………でも、それはあたしだけがそう思ってて、お前は違っていたのかよッ!? なッ!」
叫んでいる最中に感情が高まり、涙を流したクリスはそれだけ言うと目の前で何も言わずに笑顔を浮かべ続ける切歌を睨み、暫くしてから乱暴に涙を拭いてから回れ右をする。
「……わりぃ。少し頭に血が上っちまったみたいだ。頭を冷やしてくる」
追いかけてくる仲間達の方には振り返る事なく、素っ気なくそれだけ言ったクリスがガチャンと音を立ててから部屋を出ていくのを、その背中を見ていた切歌はそっと視線を落とす。
そして、みんなが集まるドアの方へと向かうとガチャとドアノブを回して、自分が通るくらいの隙間を開ける。
「……切ちゃん?」
隙間に身体を滑り込ませようとしている時に切歌の隣で騒動を見守っていた月読調が駆け寄ってきて、心配そうに切歌を見つめ、声をかけてくれる。
そんな調へと照れたように笑ってから要件を答えるとその場を後にする。
「えへへ、あたしも少し外の空気を吸ってくるデス」
部屋を出て、廊下を歩いている最中に無理矢理貼り付けていた笑顔の仮面が剥がれるのを感じとり、その場にしゃがみこむ。
(……もう何も分からない)
何が正しくて何が間違っていて、自分は今何をするべきなのかも何もかもが分からない。考えようとする気力もやる気も湧いてこない。しゃがんでいるのも歩いているのも全てが億劫で。目の前の光景が他人事のように思える。
ううん、そんな事よりもなんで歌兎はあんなことをしたのだろう?
ベルフェゴールの真似をして、わざと自分を挑発するような事をして、イガリマで自分の命を絶つような………。
今までは妹のする言動はどんなことだって分かってきたし、したい事ややりたい事も何も言わなくても察しが付いていたのに………今回のことだけは訳がわからない。もう考えるのも疲れた。
(……歌兎。やっぱり、貴女が居ないとお姉ちゃん駄目だよ……)
瞼を閉じると浮かぶのはこっちを見上げ、薄く笑う妹の愛らしい顔。両手に今だ妹のぬくもりが、感触を思い出す。
(––––もう一度、
「その気持ち、誠か?」
強く願う切歌の耳へと聞いたことがない声が反響し、その場から飛び退け、勢いよく辺りを見渡すが人の影は見当たらない。
「誰デス!?」
見落としがないか、もう一度キョロキョロと辺りを見渡すが結果は1回目と同じで切歌は突然背中をはしる悪寒にぶるぶると震える。
「はぁ……。要らぬことはせんでいいのじゃ。それに
謎の声にそう言われ、切歌は"もしも幽霊ならばどうしよう"とピクピクと震え、心の中でお経を唱えながら、目の前の空間を凝視してみる。
すると、目の前の空間がだんだんと歪んでいき、後ろの光景が透けているが確かにそこに人がいるような……透明人間がいるような感じに見え、切歌の震えが増していき、一歩一歩遠ざかっていくのを見て、大きな溜息をついた謎の声は一トーン下げた凄みのある声で問いかける。
「はぁ……。埒があかんのじゃ。主はただ余の問いにのみ答えよ。主はもう一度あの子……暁歌兎に会いたいか?」
その問いかけに切歌は震える身体を押さえ込みながら、声を絞り出す。
そんなの迷う余地すらない。離れたその時からずっと心が叫んでいる、会いたいと。会って、言いたい事したい事謝りたい事が沢山ある。もう一度会えないと分かっていても会いたいと思ってしまう。
「……会いたい。だって、歌兎はあたしのたった一人の妹で、家族で……あたしの大切な人だからッ!!」
「家族? 家族はあの子以外にも居るじゃろ? あの者たちでは物足りぬ。あの子の代わりにならぬと……そう申すか?」
「なれるわけないデス! 歌兎は歌兎。調は調。マリアはマリア。セレナはセレナ、デス! みんな、あたしの大切な家族デス! 代わりなんて誰一人いません! それは歌兎だけじゃなくて調達もデス! みんな大切なあたしの家族で………歌兎はかけがえない存在。あたしの宝物なんデス! あの子がいない日々なんて考えられないんデス…」
いつの間にか身体の震えが収まり、前のめりで断言し即答する切歌を暫し見ていた謎の声の主は微かな笑い声を漏らす。
切歌には謎の声の主が可愛らしい笑みを口元に浮かべているのが見え、目をパチクリさせる。
「ふ……合格じゃ。主ならばあの子を_--_から救ってくれるやもしれん」
「え?」
肝心の単語が聞こえず、切歌が唖然とする中、声の主は一歩切歌に近づく。
そして、彼女の癖っ毛が多い金髪を"よしよし"と優しい手つきで撫で、ボソボソと何を呟いた後、耳元で聞き覚えのない謎の単語を口にする。
単語が音となり、耳から脳へと向かい、延々と反響し、"待って! "という声すらも目の前の眩い光に包まれていく––––––
**1.
眩い光にパチパチと瞬きする。
そして、辺りを見渡すとここが記憶の中にあるマム。ナスターシャの私室である事を知る。
ドアから入って真正面にはシックな長机と黒い椅子。両端には子供にはわからない難しい参考書や本が並んでおり、時折本や参考書を取り出し、写真やイラストを見せてくれる事もあった。
(っていけないデス。なんであたしがここにいるのかを考えないと。マムの部屋があるって事はここは白い孤児院の中って事なのだろうか?)
レセプターチルドレン……フィーネの器とみなされる身寄りのない乳児・幼児をリンカネーションに備えて、フィーネが米国政府と共に一箇所に集めたのが白い孤児院と呼ばれる研究所。
そこに集められたレセプターチルドレン……観測対象には色んな事が行われていた。非人道と思うことも嫌なこともされた。仲間たちと暮らした思い出の建物でもあるが、楽しいことだけではなかったように切歌は思えた。
(でも、その辛い事も歌兎が……調達が居てくれたらこそ乗り越えられたんデス)
特に妹の存在は強かった。
当時は泣き虫で弱虫で甘えん坊だった妹が周りに打ち解けるには時間がかかり、そんな妹と自分達が置かれた環境を見て、思ったのは"この子を守れるのは自分だけ。自分がしっかりして妹を守らないと"だった。
乱暴に研究員に連れて行かれて、大泣きする妹を庇って、代わりに殴られた事とかあったっけ…。
思い出に浸る切歌を正面から眉をひそめて見上げている人影が居た。
濃い紫色の髪を後ろでお団子状に結び、髪と同色の瞳で物思いに耽る切歌を心配そうに見上げ、肢体を覆うのは長スカート。
そして、言葉を発する事なく、考え事に夢中な切歌へと声が掛けられる。
「切歌? どうしました?」
凛とした中にも優しさや厳しさを感じる事が出来る懐かしい声に切歌の下を向いていた視線は勢いよく前を向き、まじまじと目の前に座る人物…ナスターシャを見るのだった。
「……ま、マム?」
声が掠れ、裏返る。
だって、切歌の知っている記憶ではナスターシャは切歌達人類を守るために一人で月の遺跡に行って、そのまま……だったのだ。
さっきまでここは白い孤児院に似た別の場所と認識しようとしていた。だが、目の前で心配そうにこっちを見てくるナスターシャは生きている。それに顔のシワが少なく、年が若返っているように見受けられる。
(ちょ、ちょっと待ってください。どういう事デスか? これは……マムが生きてる? そんなの過去に時間を戻さなくてはあり得ないこと。しかし、あたしは時間を巻き戻す聖遺物にも触れてないし、そんな聖遺物が存在している事も知らない。つまり、これは……夢?)
困惑する切歌にナスターシャは眉をひそめ、ゆっくり視線を下へと向けた後、固く閉ざされていた口が開き、重々しく感じる声音で呟く。
「仕方ありません……。貴女にはまだこの話は難しく、理解するのに時間が掛かるでしょう。それに内容が内容なだけに混乱もしているのかもしれません。今日の話はここまでにして、日にちを置いた後にも一回話をしましょう」
今の状態を整理するのに精一杯で絶賛混乱中の切歌がナスターシャに話し合いの終了を告げられたその時、コンコンと微かなノック音が聞こえ、続けてドアが僅かに開いてからちょこんと見知った銀髪が顔を出す。
電灯の光で水色に光る銀髪に切歌は心臓が見えない手で握られているかのような…息苦しい感覚を感じる。カンカンと頭の中でサイレンが鳴り、ゆっくりと隙間から現れる銀髪に視線が釘付けになり、片目だけ出して遠慮深くこっちを見てくる可憐な顔、眠そうな黄緑色の瞳にずっと押さえつけていた想いが溢れて、目頭が自然と熱くなってくる。
「…大事なお話ししている時にごめんなさい、マム、姉様…」
物静かな声でそう言い、向かい合う切歌とナスターシャを見ているのは紛れもなく暁歌兎だった。
数日前に光の砂となり、大気へと溶けていった姿よりも幼く思える妹をまじまじと見つめながら、切歌は溢れそうになる涙を必死に耐えていた。
どんな時でも妹に弱いところを見せたくない。それは姉としての切歌の意地だった。
そんな切歌の様子に気付かないナスターシャは半分だけ顔を覗かせている歌兎へと手招き、部屋に入るように指示する。
その指示に自分を見たまま動かない
「ふふ。いいのですよ、歌兎。丁度切歌との話は終わりました。それよりも何か用事があったのでしょう? 話してごらんなさい」
「…うん。あのね、シラねぇが晩御飯にしようって……僕は二人を呼んできてって、マリねぇに言われたの」
「そう。ならご飯が冷めてしまう前に向かうとしましょう」
車椅子を動かすナスターシャの先回りをして、自動車椅子が通れるくらいにドアを開けた歌兎は今だ身動きしない切歌へと駆け寄ると右手へと自分の手を重ねると淡く微笑む。
「…姉様も行こ。ご飯冷めちゃうよ」
「––––」
自分の手に重ねられる小さな手から伝わってくるぬくもりと鼓動。
自分を不思議そうに見上げてくる半開きした瞳を見下ろしながら、切歌はそっと身体を折る。
「…姉様?」
「……っ」
身体を折る姉の行動に小首を傾げる歌兎を見つめながら、腰をゆっくりと落とし、膝立ちになった切歌はギュッと力強く小さな身体を抱き寄せる。
突然の事にピクッと震える小さな身体を更に強く抱き寄せるとおずおずと背中へと小さな掌が添えられる。
そっと目を閉じ、記憶にある彼女と比べていく……。
(この感触…このぬくもり…)
夢ではない。これは現実だ。
あの謎の声が関係しているのか、今ははっきりしない。だが、これではっきりした。死んだはずの二人が若返った姿で目の前に現れた。きっと自分が体験している現象は
「…ねえ、さま?」
––––もう一度、
ずっと会いたかった。
ずっと抱きしめたかった。
ずっと謝りたかった……辛い思いをさせてごめんねと守ってあげられてごめんね、って。
ずっと名前を呼びたかった……"歌兎"って。
そして、その可愛い声であたしのことを呼んで欲しかった"姉様・お姉ちゃん"って。
「…歌兎…うたう……、歌兎…ぅ…」
気持ちが溢れて止まらない。何から伝えればいいのか分からなくて声が詰まる。だけど、やっと取り戻したぬくもりを離したくなくて……抱きしめる力のみが強くなっていく。
「…お姉ちゃん、どうしたの? 泣いてる、の? マムに怒られちゃった?」
切歌の只ならぬ雰囲気に当てられ、いつもの『姉様』ではなく、昔の『お姉ちゃん』に呼び方を変えている歌兎の困惑した様子に切歌は冷静さを取り戻し、ゆっくり身体を外す。
そして、眠そうな瞳を間近で見つめながら、安心させるようににっこりと笑う。
「…ううん、マムに怒られていないデスし、お姉ちゃんは泣いてなんかないデスよ。ただ、歌兎に会えたのが嬉しくって…」
「…? いつも会ってるのに?」
キョトンとしている歌兎へと再度両腕を広げて、そのまま勢いよく抱きしめる切歌に歌兎の眉がハの字になる。
「お姉ちゃんにとっては1分1秒離れただけでも1年一生のように感じてしまうんデス! って事でもう少し歌兎要素を補給させてください。ぎゅー」
「…ん? んー? う、うーん……分かったような分からないような……。でも、ぎゅー。これでいい?」
「…うん、いいデスよ…。えへへ〜♪ 歌兎ってもふもふさんのほかほかさんなんデスね。ギュッてしているだけで暖かいデス」
心も身体もさっきまで感覚が感じられないくらい冷たかったはずなのに……今は肢体の隅々までぬくもりが渡り、感覚を取り戻しつつある。
「…そうかな? 僕自身よく分からないけど…」
「歌兎には分からなくてもお姉ちゃんにとってはそうなんデス…」
困惑しつつも切歌に習ってギュッと抱きついてきてくれている歌兎の銀髪を撫でながら、首元へと顔を埋める。
(もう二度、このぬくもりを、この子を離さない。あんな辛い思いを、悲しい思いをさせたりしない。今度こそは絶対守りきってみせるんだ–––ドクターからも、運命からも……)
垂れ目がちな黄緑の瞳へとふたたび闘志の炎が灯った瞬間だった……。
ニ章突入ッ!
次回 #2ー1/今日の姉様なんか変
いつもよりも自分とスキンシップしてくる姉を妹は不思議に思う。そして思い出す。自分は昔から姉に"よしよし"と頭を撫でられるのが好きだった、と。