夕暮れに滴る朱   作:古闇

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遠巻きな人

 

 

 

 こころが地球に帰還した日、花音は弦巻邸に呼び出された。場所は馴染みとなったカフェテリアを基調とした応接室である。室内にはこころ、つぐみ、リサが既に入室していた。

 

 花音はいつもと違う組み合わもあって遠慮気味で入室する。すると、こころが何を今更と対面のソファーへ座るよう促し、左側に座るつぐみが飲み物を入れ、右側に座るリサが改めて挨拶をした。こころは全員集まったか確認を行うと、パンッと軽い小気味のいい音を鳴らし注目を集めた。

 

 

「報告を聞かせて貰ったわ。ここでお礼を言わせて下さいな、あたしの留守の間に街を守ってくれてありがとね。イジワルな伯父様のおかげで怪我人はいるけれど死者は出ていない。一般市民への影響は現地の人の協力もあって速やかな情報規制ができたそうよ。

 それからつぐみとリサが捕らえた事件の首謀者達だけれど、公安に引き渡したわ。街中を荒らした彼らは然るべき罰が下されるでしょう」

 

 

 そこまでの話を聞いた花音は、警察が魔術師に対抗できるのかと大丈夫なのかと不安そうな顔だ。

 

 

「……そんな不安そうな顔をしないで、花音。身柄を渡したのは怪物退治を専門とするプロフェッショナルよ。そうそう脱走できるものじゃないわ」

 

「そ、そうなの? 燐子ちゃん、今回の事で大怪我しちゃったから心配で……これで燐子ちゃんは狙われることはないんだよね?」

 

 

 燐子の要望通り、自宅までの送り途中。燐子の母親が迎えに来たのだが、負傷した燐子を連れて道中まで移動するのは気が気でなかった。

 

 

「残念だけれど、燐子の立ち位置は優しくないわ。むしろ厳しい。以前も話したとおり、数ある組織が一つ減ったくらいよ」

 

 

 うう、そうだったと花音は落胆を見せる。落ち込む花音を各々が励ます。

 

 花音が落ち込んでいる一方で、つぐみが薫の件について切り出した。

 

 

「あの、ですね。あまり気の滅入る話はしたくないんですけど、海来ちゃんって、成仏しちゃったような話を耳にしたんですが……本当ですか?」

 

「本当よ。残照の揺らめく記憶、輪廻の輪を覘いてみたのだけれど渦の一部となっていたわ」

 

 

 ちょっと頑張って惑星一つ分の生物を片付け地球に戻ってみれば、意外な人物が現世で感知できなくなったのだから驚いたものだった。

 

 

「本人に接触して話をしたのだけど本人の意思は固いみたいでね。共に寄り添う子もいるようだし、掬い上げることはしなかったわ。今は祝福しましょ、地上に縛られる怨霊から転生できるのだからね」

 

「理へ戻るのに早い気もしますが、本人の意思であれば尊重するしかないですね。……ただ、前もって知らせてくれたり、別れの挨拶はしたかったですよ……まぁ、瀬田先輩が止めに入るからこそ黙っていたのはわかってるんですが」

 

 

 つぐみだって、こちら側にいれば、普通に生活するより仲間を失うことがあるのは理解している。いつかはとある種の予防線を張っていたこともあり、つぐみは寂しそうにするだけであった。

 

 けれども、花音はそうもいかない。海来という人を知り、顔を知っている彼女は友達が消えたことに衝撃を受け、愕然とする。

 山犬を連れて燐子を救出した現場を考えれば、死者が発生してもおかしくはない街の荒れ様だった。もしやという嫌な想像が脳裏によぎったりもしたが、実際に友達の消失を簡単に受け入れられるわけでもなく、花音は内心ますます落ち込んだ。

 

 今にも消えそうなほど気持ちが落ち込んでいる花音は言葉よりも時間が必要で、途中まで黙っていたリサが疑問を口にする。

 

 

「ニアが燐子とあこと一緒に今回の件に巻き込まれているんだよねー。元々の生活ベースを考えれば、気にする必要はないと思うけど、念を入れて様子見しよっか?」

 

「赤ずきんに慈悲なく、残酷なほどに奇跡もないわ。身近にもいるでしょ? 心に積み上げた軌跡も、身体に触れた想いや温もりだって綺麗さっぱりだわ。今回の事件で残党も全滅しているし、適当でいいわよ」

 

 

 花音には誰のことか見当もつかない隠語で、燐子という身近な例を出し、ほどほどでいいと指示をする。

 

 そうして、気分の回復しない花音をそっとして、当時現場で起きた出来事をつぐみとリサが報告し、今後の行動指針を話した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事件から数日後。

 

 テロリストが新宿区で暴れた事件が世間を賑わす中、千聖は個室の病室の前に来ていた。あこが何者なのか、薫があこにこだわる理由だって理解している。それでも、こうして自らあこの顔を見に行こうとしたのは2度目だろう。

 

 仕事帰りの日中。学園で授業が行われている時間帯に病室へ入室し、パイプ椅子に座ってあこの安らかな寝顔を眺める。

 

 あこが宇田川家に迎えられてから初めて会ったのは小学生の頃。薫が珍しく馬鹿みたいにはしゃいでいるので、どうしてか聞いた時にあこの存在を知った。

 

 道中すれ違いなんてない場所に住んでいると知り、けれど会おうと思えば距離はあるが会える場所にいると判明。あこはこちらの住む場所を知っているのではと思いもしたが、子供の事情なんてものは大人に振り回される。ましてや引き取られる前に住んでいた場所なんて、幼い子供の記憶でその場所まで辿るのも無理だろうとも思いもした。

 

 もしかすると、宇田川家の親は悲惨な記憶を思い出す自分と会わせたくないかもしれない。でも、薫も会っているのだからちょっとだけ。そんな気持ちで千聖は自らの足でこっそり会いに行くことに決めたのだった。

 

 だが空しきかな。あこと一緒にいる者達の目を掻い潜り接触したが、あこは千聖の事を覚えておらず、突如情緒不安定になり迷惑をかけてしまった。すぐさま人の助けを借り、あこを救急車で運んでいってもらって以来、彼女に会うことは辞めた。あこに最後にかけた言葉が謝罪になってしまったのが心残りではある。

 

 今回こうして訪れたのは海来がいなくなったからだ。

 

 仕事終わりの夜。弦巻家の使用人から連絡があり、大急ぎで弦巻家の地下庭園へ訪れてみれば、赤い泉はただの泉に戻っていた。失意の中、いつまで呆然とへたり込んでいたかわからない。時間を忘れて庭園に留まっていると、泉まで案内をしてくれた使用人が回収した物だと言って千聖に手紙を渡す。

 

 それは封筒を赤い蝋で閉じた手紙である。千聖が手紙を受け取ると蝋が自然と消える不可思議な現象が起きた。

 

 けれど、使用人は現象に対して何も言わず、近場に控えているからと席を外す。千聖は何事もなかったような使用人の行動に若干戸惑いを覚えたものの、気遣いに感謝し、人目がなくなったところで封筒から手紙取り出し、紙を開いた。

 

 まず、目に飛び込んだのはおどろおどろしい赤い文字の羅列で呪いの手紙のような様だった。でもって、手紙の内容は遺書である。千聖を気遣う一文もあったりし、一番目に引いたのはあこについて書かれていたことである。あこに何かあり、海来が消えたとき、成仏する場合もある旨が書かれていた。

 

 千聖は手紙を閉じ、弦巻家にお礼を言って屋敷から出ると薫に連絡を入れた。

 

 そして、直接会い、あこの居場所を吐けよとばかりに詰問をする。長い付き合いだ。この話をすると薫から陰のある雰囲気が見え隠れしているのを肌で感じた。やはりというべきか、海来はこの世を去ったのだと理解する。

 

 そうして、あこの居場所とテロリスト事件にあこが巻き込まれたという情報を得た。まさかの事実に鳩が豆鉄砲を食らったかのようになったりもしたが、何はともあれ千聖はここにいる。

 

 看護師に聞く限りではあこは入院して以来、目覚めていないそうだ。

 

 

(あこちゃんのおかげで命が助かったというのに、謝罪はしてもお礼はいってないのよね……)

 

 

 事件を覚えていないあこに感謝の言葉を伝えても負担しかならないし、自己満足であるとわかっている。目覚めていない今が独り言で済ます絶好の機会だということも。

 

 

「一〇年以上越しの言葉になるけど……ありがとう。貴女のおかげで今こうしてここにいます」

 

 

 頭を下げて謝礼の言葉を述べる。

 

 本人に本心を伝えず卑怯かなとも思う。でも、我慢していた我侭な思いがまた一つ叶い、あこの対する胸のつかえが軽くなった。

 

 千聖が言葉を紡いだ直後、あこが薄っすらと目を覚ます。けれど、意識は覚醒しきれてないようで、舌足らずな言葉が漏れる。

 あこが目覚めたことにより、千聖はナースコールを押す。それから少しして、医者と看護婦がやってきてあこの診察が始まった。

 

 診察が終わった頃にはあこの意識もはっきりしていて、退室しようとした千聖はすぐに終わるからと看護婦に引き止めにあったことでこの場から抜ける機会を脱し、医者らが引き上げたことにより千聖とあこは個室にて二人っきりになった。

 

 目覚めたあこは千聖を見るなり黙したままで、普段の物怖気しない態度はどこへやら、借りてきたねこのように大人しい。千聖も千聖で何と言って話したらいいかわからないようで言葉が出なく、気まずそうである。

 

 

「……おはよう、でいいのかしら? 気分はどう?」

 

「なんか、すごく、体が重くてだるい」

 

「何日も寝続けていたのだから体にギャップがあるのは仕方ないわ」

 

 

 あこがそかと言って答えると会話が途切れる。よそよそしいが、何かを話そうとする様子もあって千聖は待った。

 

 

「あ、あの……っ。ち、千聖お姉ちゃんです……よね?」

 

 

 しかし、千聖は黙る。清ました顔のままあこがどういう意図があってその名前を問いかけたのか見つめる。

 

 あこはというと、尋ねても返答のない千聖に肩筋が張り緊張する。

 

 再びあこがあのと言って問いかけようとする前に、千聖が言葉を重ねて一言そうよと答えた。簡潔に話す様は一風冷たいよう態度にも捉えられる。

 

 

「多少は思い出せたのね」

 

「な、名前と懐かしさだけ……あとはぽっかりで……」

 

「なら、昔のことはわからないのね」

 

「うぅ……、ほんとかわからないけど、怖い夢なら結構見てたよ。それにおねーちゃんが少しずつ教えてくれるって言ってくれた」

 

 

 夢というワードを聞いて、千聖は既視感を覚える。超常的存在により、一時期苦しめられたりもしたからだ。とはいえ、涼しい顔を崩さない。

 

 

「家庭の問題も順調に歩みの兆しがあるのね」

 

 

 千聖は続けて、少し酷なことを聞くけれどと前置きをする。

 

 

「夢見や宇田川のお姉さんが話してくれるのは、酷い目にあうことも含まれているのよね?」

 

「おねーちゃんの話はまだわからないけど、夢は嫌なことが多かったよ」

 

 

 あこは今まで経験した夢の内容をおおまかに伝える。途中、嫌な夢見に唇を引きつらせたりもしながらも、全てを話した。

 

 

「……そうだったのね、辛い内容の話をありがとう。でも、夢は夢ね。住んでいた風景が合致していても、登場人物の行動はまるで違うわね。あなたの生前のお姉さんは宇田川ちゃんを怨むようなことはないし、宇田川ちゃんが瀬田だった時のご両親は躾であなたに手を振るうはずもないほどに宇田川ちゃん達を溺愛していたわ。

 だからそうね、夢の行動は悪夢だったかもしれないけど、現実ではそうなるはずもないものよ。あまり気にしすぎるものでもないわ」

 

「いいのかな……?」

 

「いいのよ。あの家族は宇田川ちゃんに幸せになって欲しいと思っても、不幸になれとは思わない。そういう家族だったわ。もしもお姉さんが生きていたらそう答えてくれるわね」

 

「……ありがと、ちさ姉」

 

 

 千聖はいいのよと答える。それから、少し間を溜めたあこが海来の話しを切り出した。

 

 

「あとね。あこが寝ている間のことなんだけど、夢の中でお姉ちゃんが会いに来た気がしたんだ。曖昧なんだけど、笑顔でねって言って消えちゃった。その言葉を信じることができなかったんだけど、ちさ姉のおかげで自身が持てたよ」

 

 

 千聖はよかったわねと優しく微笑む。それと同時に、海来がいなくなったことを確信した。

 

 突然現れては突然消える。小学校の薫もそうだった。卒業間際になってお世話になった家に奉公しに行くとしばらく家を留守にしたのだから瀬田家らしいのだろう。海来とは二度と会えないけれども、あの世で幸せになって欲しいと願うばかりである。

 

 しんみりとした空気の中、千聖はあこにそろそろお暇すると断り退室した。

 

 

(まだ宇田川ちゃんを下の名前で言うのは少しかかりそうね)

 

 

 難儀ねと言葉を零す。しかし、心に一つの区切りをつけることができた。

 

 すると、丁度横から急ぎ足のあこの母親と出会い、互いに会釈をし合う。千聖はあこの母親から会いに来てくれたことにお礼を言われ、世間的挨拶で言葉を交わしその場から去る。

 

 その後、病室を背にした千聖はあこのいる部屋に慌てて入室しただろう母親の歓喜の声を聞く。海来の件で寂寥感が胸を静かに通り過ぎるが悪い気分でもなかった。

 

 

 

 


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