夕暮れに滴る朱   作:古闇

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この作品における巴は部活でダンス部に所属していません。代わりに武道をかじってます。



連れ去られたあこ

 

 

 地下にあるコンクリートの室内であこはゴリラと海洋生物を掛け合わせたような生物に両腕を掴まれ持ち上げられていた。

 その怪物は室内の高さが狭すぎるほどで、天井に背を付け、頭を屈ませている。冷めた色相のでこぼこした手で持ち上げられているあこはミニチュア人形のようである。

 

 それはそうと、長時間乗り心地が最悪な移動方法で運ばれたあこに元気がない。加えて、部屋に連れ込まれてから覚えのない質問攻めにあい精神的にも負担だった。

 

 ゆえにあこの口調に元気がない。

 

 

「おねーさんが何を話しているか、あこ、わからない。喋ることは喋ったし、もう、開放してよ……」

 

『感情の赴くままにしか話ができないとはまるで子供の戯言だ。兵士としての痛みを忘れたというなら思い出させてやろう』

 

 

 水鬼は抗議するあこを無視して、片手であこの手首近くの腕を掴み、手に力を込める。すると、あこの身体から太く硬いものの折れる音が鳴った。

 

 あこは一瞬何をされたかわからなかった。が、腕に熱を持ち、脳が信号を受け取ったことで激痛が走り、子供に似つかわしくない声を高らかにあげる。瞳からとめどみもなく涙が溢れ、顔を濡らした。

 

 水鬼は再度苦痛に泣き叫ぶあこに自身の部下の居場所を問うが、あこは痛い痛いと泣き叫ぶばかりで話にならなかった。

 

 

『ちっ、餓鬼か、こいつは。腕を折られたぐらいの大げさな。その程度の痛みに耐えらずして、戦場に立つことはできんというに。心に暗い闇を抱え、魂の色も酷似し、呼び名も同名。襲撃される一団にいたのだから間違いないとは思うが、記憶を完全に消されでもしたか? ……まったく、使えん奴だ』

 

 

 一部時期を除き、平穏に暮らしてきたただの人であるあこ。そんな彼女は不条理な暴力に嘆き、苦痛を顕わにするだけだ。水鬼は子供のようなあこにお手上げだといわんばかりである。

 

 とはいえ、水鬼とて黙って何もしない訳にはいかない。奪われた戦力を取り戻し、再起を図るため、記憶を消されたのなら兵士に戻すことにする。生者では基本成功しないが一度”成った”のだからいけるだろうと、今まで同様の仲間の増やし方を施す。

 

 水鬼は自身の喪服を片手でたくし上げると、反対の自由な手で自分の腹部に手を突っ込んだ。腹に穴が開き、血液が滴り落ちる。少々強引な方法であるが、こちらの方が手っ取り早い。陵辱された傷跡のせいで艶かしげな声が漏れるも、手で探って、腹の中の卵を掴み、外へ引き摺り出した。

 

 高い再生力から風穴の開いた傷が修復され、血痕だけが残る。

 

 手には卵ほどの鮫のような蛇のような黒い生物がキィキィと鳴いている。あこは突如始まった異様な光景に、泣き叫ぶのを忘れ、理解不能な行為を呆然と見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長い階段を下りた先に扉を見つけた巴。その途中で建物全体が微振動を起こし、天井からほこりが落ちる。喪服女の戦いの余波だろう。それから定期的に建物が揺れる。

 扉の先の様子を伺おうと戸に耳を当てる。物音は聞こえない。もしくは、聞こえないほど付近に人がいないかのだと判断できた。

 

 巴は中を覗くよう慎重に扉を開ける。

 

 中は広間になっており、造りは無骨である。見た目よりも耐久性を重視した造りだ。詰め所も併設されているが、扉は開きっぱなし。中に人のいる気配はない。

 他に、正面に扉、横に貨物用昇降機がある。正面の両扉は閉まっており、昇降機は”B1F”と表示されていた。つまり、巴は2階の飲食店から地下1階へ降りていたのだ。

 

 巴は乱雑に置かれた人の背ほどある空の木箱や詰め所、昇降機を横切って、正面の両扉をゆっくりと開ける。

 

 室内には棚や木机といった家具類はあるが、机や椅子といった物が端で横転していた。その部屋の中央に巴が求めていた人物を見つけた。

 

 あこは幽鬼のように部屋に立ち尽くし、普段血色の良い肌は青白い。死んだ魚のような焦点の合わない目でぼんやりと壁を見ている。相変わらずの部屋の振動により頭に多少土を被っても気にした様子はない。

 巴は部屋に人が入っても何の反応を示さないあこに違和感を覚え、「あこっ!」と名前を呼ぶ。巴が名前を呼んだことで意思があるのをわかる動きをし、虚ろな瞳であこは巴と目を合わせた。

 

 そして、あこは呟き程度の小さな声で痛いよ助けて、とだけ言うと、あこの身体に変化が起こり急成長が始まった。

 

 身体が泡立つような歪な肉体変化で徐々に肉の面積が広がり、全身が半透明な液体で濡れる。体の大きさに適切でない学生服ははち切れ、代わりにとぴっちりとした黒いボディースーツのような衣装が侵食し纏わりつく。変化が収まる頃には、平均的な身長のスレンダーな女性となる。

 

 突如起こった現象により思わず立ち尽くしてしまった巴は正気に戻り、再び妹の名前を呼ぶ。しかし、あこからの言葉はない。

 けれど、無言の返答とでもいうかのように爪の伸びた手を構えると巴に襲いかかった。

 

 少なくともあこの行動が友好的なものでないと理解できる。巴は「ちくしょうっ」と悲痛な声で暴言を吐き、あこによる獣が獲物を狩るような速度の攻撃を避ける。

 

 巴は直接の負傷は回避したものの、学生服のブレザーの端が切り裂かれた。

 

 すっかり女性らしい体付きになったあこの、黒豹が襲い掛かるような攻撃が連撃に、巴は回避に専念する。

 若干動きにぎこちなさもあり、獣じみた動きでも様子見に余裕があった。

 

 巴は幾度もあこの名前を呼ぶ。しかし、あこは虚ろな瞳に何も映さず、暴力で傷つけるだけ攻撃を振るう。

 

 薫が原因で地元の道場に通うこともある巴は、単調なあこの切り裂きを掻い潜り、あこの背後に回ると羽交い絞めにした。

 

 

「あこ、アタシがわかるかっ!? 迎えに来たんだ、薫先輩も来てる!! 一緒に家に帰るぞ!!!」

 

 

 抵抗するあこを必死に羽交い絞めにしながら、巴はめげずにあこの名前を呼ぶ。

 

 すると、あこの意識を揺さぶったのか、抵抗が緩まり「……おねーちゃん?」と呟いた。けれども、すぐに苦しみ、うがあああぁぁぁと雄たけびをして再び暴れ始めてしまう。

 

 巴はあこが正気に戻ったような様子を見たことで、わずかに気が緩んでしまい、羽交い絞めは振りほどかれて紅茶棚へと突き飛ばされた。

 

 あまりの威力に巴の身体が一瞬宙に浮き、その場で踏ん張りが利かず、たたらを踏みながら紅茶棚へ突っ込んだ。

 紅茶棚を背に、ぶつかった衝撃で紅茶棚から食器が落ち、床一面に食器類が撒かれ、壊れる。他にも市販の紅茶パウダーの紙袋が倒れ、中に入っていた不可思議な色のした粉が零れた。

 

 紅茶棚を支えにした巴は手に触れるキメ細かい粒上の触感を気にしている暇はない。正気に戻る様子を見せたあこが黒豹のように突進してきたので、横に飛んであこの切り裂きから逃れた。

 

 あこが伸びた爪で紅茶棚を破壊する。ガラスや木片が散らばり、不可思議な色の粉も空気中に舞った。

 

 丁度その時。戦いの最中でもあった軽い建物の揺れが、より一層大きな地震が二人を襲う。おかげで巴は追撃を受けることなく、あこの足も止まった。

 

 紅茶棚の周りで粉が舞っていることもあり、あこは咳き込み、次に電気が体に走ったかのような反応を示した。お腹と喉を押さえ、慌てた様子で周囲に舞う粉を腕で掻き消そうとする。けれども、宙で掻き混ぜるだけで消えることはない。

 

 その内、あこは粉の舞う範囲から逃げ、口を抑えて何かを堪える。だが、我慢できずに口からコールタールのような粘着性のある黒い液体を床にぶちまけた。

 

 原因は当然不可思議色をした粉である。この世界には”シャン”という生物がいる。”シャン”は人の脳に寄生し、宿主を操る。他にも身体を乗っ取ったりする種族や固体もいる。あこが吸い込んだ粉は、三人の魔術師が集まった際に飲み物に混ぜている粉だ。

 

 何せ復讐を誓う三人の魔術師は、己らよりも敵対する相手の方が豊富な種族を取り揃えている。対策しすぎるということはない。強力な固体だったり、定着して時間が経過しすぎると効果が望めないものの、あこはなったばかりで有効であった。

 

 粉によって苦しめられたあこは辛そうに体を丸め、嘔吐を何度か繰り返し、黒い液体を床一面に広げる。小さな音だったが、巴はあこの口からキィキィと何かの生き物の蠢く声を聞き逃さなかった。

 

 

(なんだ、今の声……まさか、あこに何か変な奴でもとり憑いているってか……!?)

 

 

 部屋から逃げることもできず、かといって傷つけることもできなかった巴は、一つの天啓を得た。

 

 破壊された紅茶棚から逃げるように離れたあこが、何かを嫌がり、有効的なものがあったのを理解する。その道具があこを元に戻すために必要なのか確信は持てないが、今でもあこの口に混じって聞こえる小さく不気味な声が嫌がるものならば、できることをやるしかない。

 

 えずくあこを他所に、巴は破壊された紅茶棚を覗き、棚を漁る。中は食器、インスタントコーヒーに茶がら、中身不明の紙袋が破れ中身が漏れている。単純に考えるなら、何かの粉が友好なのだろう。けれど、あこの一撃でそれぞれの粉が混じり合い、効果が薄そうだ。

 

 巴は乱雑に混じった粉を一旦横にどかし、さらに棚の奥を探る。ガラスも破損しているため、急ぐあまり指を切ってしまったが、無事な紙袋を1つ発見し袋を開いた。中身は不可思議色の粉だった。

 

 巴がその紙袋を持ったところで、背中に刺さる強い敵意に振り返る。

 

 あこの虚ろな瞳は変わらない。けれど、殺気立っている気配はわかった。どう知覚しているかわからないが、あこの中に潜むモノが巴が回収した物を理解したのだろう。巴は紙袋から不確かな確信を持って不可思議色の粉を握った。

 

 あこが幽鬼のように立ち上がり、今度はぎこちなさを消して俊敏な動きで巴に迫る。

 

 巴はあこの鋭い爪に裂かれる前に、片手で握った粉を振りまいた。しかし、あこは粉の範囲を的確に回避し、粉の範囲外から斬撃を喰らわせる。

 あこの切り裂きを避けることができず、受けてしまうものの、薫に預けられたロザリオが超位的な能力で身代わりとなり、アーティファクトに亀裂が入っただけで済んだ。

 

 巴は態勢を整えるためにより粉を多く撒き、一時的に安全地帯を作る。手で口と鼻を塞ぎ、くしゃみなどで相手を視界から外すのを防ぐ。息苦しいが見失い訳にもいかない。当然あこは巴から距離を置き、効果を発揮することはなかった。

 

 形勢は巴に不利だ。相手が警戒するアイテムこそ入手したものの、動きに迷いがなくなってしまった。アイテムの真価を発揮させたいが、もう一度足元がふらつくほどの地震など期待できることではない。肉を裂いて骨を断つような行動は最終手段としたいところだ。

 

 

(前の部屋に隠れられる場所がいくつかあったな……だけど、あの重い扉を押しのけて、ここから隣の広間まで合うか?)

 

 

 僅かでも足が緩まるのは確実だろう。

 

 そう考えている間にも、粉の範囲が薄まっていく。不意をつくため隣の広間で隠れながら戦うか、このまま望みの薄い戦いを続けるか、決断を迫られる。

 粉の使用回数は残り3回分。全て使い切っても扉の前で足止めは難しい。先ほどのように薄い箇所を狙われそうだ。

 

 一秒の経過が酷く遅く感じられる。巴はどう行動するか決めようとしていると。

 

 

「失礼、お嬢さん方。私も飛び入り参加させてもらおう……!」

 

 

 ひと振りの剣を片手に、薫が扉を蹴り開けて現れた。

 

 

 

 




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