夕暮れに滴る朱   作:古闇

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鬼との遭遇

 

 

 

 あこを誘拐した喪服女は長い黒髪であり白い角を覗かせ、赤目に乳白色の肌を持つ。豊満な胸を持ち、スタイルも良く、身体のあちらこちらに大きな傷跡がある。

 

 こうして直接相対したことは初めてだが、薫は彼女の正体について多少知っていた。威圧だけで体が重く感じる。慣れている感覚であるが、今回は段違いである。

 正直、不味い相手だ。自身より圧倒的格上で、千聖を苦しめた仮面の異形より強い。巴と二人だけでは逆立ちしても勝てないのは理解した。

 

 

(リサちゃんが負傷し、燐子ちゃんの大抵の怪物すら退かせる障壁を破壊するほど。それゆえに深海に棲む怪物でも、強力なはぐれの個体だと聞いていたけれど、よりにもよって最上位種。こんな場所で出会うとは。私が囮になって巴ちゃんを先に進ませるというのも、傲りだね。撤退の一択か。

 ……巴ちゃんを納得させないといけないし、穏やかじゃないね)

 

 

 薫ゆえに気づいたことだが、身内から相手の傲慢さは聞いている。目の前の彼女は、仲間の財産であるこの場所で暴れるのを躊躇しないだろう。建物が倒壊して生き埋めになる可能性があった。

 

 

「巴ちゃん、彼女は不味い! 爆発物を持っているんだ! 下手すると、先へ進む道ごとあこちゃんが生き埋めになるかもしれない! 口惜しいが一時撤退だ!!」

 

「……え? ――はあっ!? 爆弾ですかっ!?」

 

 

 少し遅れて薫の言葉を理解した巴は、爆発物の規模がどうあれこの場所で戦えないことを理解した。

 

 すぐさま二人は退避しようとする。が、相手が待ってくれない。いつぞやの時のよう、喪服女こと水鬼が腕を水平に伸ばし、黒光りする鉄骨を二人に向け、砲撃を開始した。

 

 敵に背を向け、逃走する薫と巴。薫は背中にひりひりとした何かが来る緊張を感じ、直感に従い、隣で走る巴を巻き込んで床にダイブする。

 水鬼から放たれた砲撃は薫と巴の頭上を通過し、店の戸を粉砕して、その先にある壁に衝突すると爆発した。

 

 外へ瓦礫と熱風を撒き散らし、古いビルが揺れる。熱風と黒煙が薫達を襲う。

 薫は咄嗟に首にかけたアーティファクトの能力を発動させ、<肉体保護>を開放すると、巴を抱き寄せ炎から守った。

 

 その後、薫は今がチャンスだと判断する。巴は床にうつ伏せになっているのだ。逃走用に愛用している超小型手榴弾を水鬼の方へ投げつける。

 

 超小型手榴弾から白い煙が一瞬で部屋中に広がり、全員の視界が塞がれた。薫はその隙に、巴を連れ出す。

 

 水鬼は煩わしそうに薫達がいた場所へ砲撃する。けれども、薫達のいる場所を正確につかめなかったことにより、狙いが逸れ、床を破壊するだけに終わった。

 

 どうにか薫達は破壊された壁の縁へ辿り着き、水鬼から三度目の砲撃が放たれる中、薫達は一階へと飛び降りる。

 外へ飛翔した砲弾は向かい側の建物へと着弾し、爆音を轟かせた。

 

 徐々にサイレンの音が近づいているのが聴こえる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京県警特捜査はいつにも増して忙しい。弦巻家からタレコミがあったカルト教の犯罪団体の拠点を潰したばかりだからだ。

 何名か捕縛に成功し、【黄色い夜明けの兄弟】の教団だと判明したのだが、潰したのは彼等の支部であり本拠地は別にあるという結果に終わった。

 

 支部の兵数は大した数ではなかったが、代わりに質が高く、重軽傷を負った仲間が何名か出てしまう。更には死亡こそしていないものの、今でも生死の境を彷徨っている者が二名もいた。

 

 その多忙な時期に加え、今回。建造物を破壊しながら屋上を移動する女性を追って、二〇代後半の青年が白い乗用車を走らせていた。

 

 

「ちょっと前にカルト教団の支部を潰したばかりなのに、今度は人型の化け物ですか……飼育に失敗でもしてたんですかねぇ」

 

「さてな。日本じゃ、指定外来種は禁止なのに勘弁して欲しいぜ。しかも、しっちゃかめっちゃやって市民に姿を見せまくるとか、相変わらずの害獣っぷりだよな」

 

 

 助手席に座った厳つい三〇代の男が疲れを隠さずにだるそうに話す。

 

 今回は人間業でないことから怪物だと断定して、異形のモノ達に通用する装備を整え出動している。人数は四名、怪物狩りのベテラン達だ。

 通常ではない出動人数と出動者だが、市を跨いで暴れまわり、被害者が拡大しているとなっては早急に鎮圧する必要があった。

 

 特捜査達を乗せた乗用車が薫と巴の合流地点を過ぎたところで、突如街中から大きな爆発が轟く。発見が遅れてしまったが、大まかな位置が判明したことで乗用車の屋根からサイレンを出して響かせた。

 

 到着した現場は、かつて怪しいとされ捜査もされた閑静な昭和ビル。特捜査の一部はこの建物を目にして苦虫を潰した顔をする。一度は怪しんだものの、上手く掻い潜られたからだ。

 

 乗用車から降りて建物に近づくとまた爆発が起こり、正面の路上が吹っ飛ぶ。アスファルトが爆ぜて、礫を撒き散らし、道路に大きなクレーターを残した。

 

 アスファルトの散乱が落ち着くと、昭和ビルの出入り口から学生制服を着た若い女性二名が煤けた姿で飛び出してきた。厳つい三〇代の男は女性と見間違う少女を見知っている。

 

 

「瀬田君かっ!」

 

「おお、これは捜査官殿。ご機嫌麗しゅう。見てのとおりとんでもないモノが一人いてね。かの、白金家の障壁を貫くほどなんだ。耐えるのはおススメしないよ」

 

 

 何故、彼女がこの場所にいるか問うのは後回しにする。弦巻家の関係者がこの場にいるのなら、だいたい厄介ごとだからだ。

 他の捜査官も薫の名前や所属程度は知っており、剣を握り、危険地域になった場所にいることに関して何も言わない。

 

 むしろ、薫の横にいるロザリオを首に下げた赤髪の女学生が気になった。が、薫が言うには、巻き込まれた在学生だとのことで今は言葉を飲み込み納得することにした。

 

 それよりも、今しがたビルの出入り口から現れた、喪服のような格好をする頭に二本の角を生やした女性だ。

 

 人よりも大きい異形を倒したことはある。しかし、体全身から得体のしれない紅黒いオーラを纏い空気を歪ませ、不機嫌そうな目付きから殺気を放ち、カルト教の支部を相手取った時よりも格段に強いプレッシャー、これまでにない苦境になると捜査官達は冷や汗を流す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ビルから脱出した薫達は、戦場を捜査官達に一旦預けた。

 

 巴が首に下げているロザリオは薫の所有物である。二対ある内の一つで、生身での脱出は厳しいと判断し、巴に持たしたものだ。

 

 やはりというべきか、強い異形となると一般人の巴を連れて戦うのは辛く、逃げるのもやっとだ。運動神経抜群である巴であるが、人並み外れたスペックで押されると敵わないものがある。

 とはいえ、薫も巴と運動能力に大きな差はない。違いは装備や経験の差だ。普通の女子高生は化け物でなくとも傭兵や大熊といった命を奪ってくる相手と戦うことはないし、それ前提に日常から小道具等は持ち歩かない。異形から逃げることができただけでも花丸だ。

 

 そして今回。仲間はまだだが、捜査官が駆けつけた。巴もいるので特級の異形相手に無茶な行動はしたくない。

 日本が誇る対策組織の人間が来た以上、彼等に任せたいところであった。

 

 駆ける捜査官等と、迎え討とうとする水鬼。五名の隙をついて建物に侵入したいところである。あくまでも目標は討伐でなく救出なのだから。

 

 薫達は昭和ビルから間隔を開けて建っている雑居ビルへと移動する。その間にも捜査官等は戦っていた。

 

 放たれる砲撃は絶対避ける……を念頭に、捜査官等は強化された身体でそれぞれ行動をする。獲物は二〇代の青年が刀、厳つい三〇代の男性がマグナム、他三〇代男性はタワーシールドとチェーンソー。

 各武器は未知の生物を素材に現代の生物学と科学の集大成でもって造られたものである。拳銃を扱うより強力なそれ。代償は正気と寿命と薬物依存だ。

 

 厳つい男が味方を白兵させるため、マグナムで牽制射撃を行う。

 水鬼は避けず、その身に弾丸を貰うも、紅黒いオーラに阻まれたのか傷を負うことはなかった。

 

 水鬼は一番鈍足であるタワーシールドを持った男を砲撃。

 初撃こそ避けたが、着地点を狙われ二発目は喰らってしまう。咄嗟にタワーシールドで防いだものの、シールドを破壊し、男の肩ごと腕を粉砕、貫通した。貫通した砲弾は遥か後方、捜査官が乗ってきた車に風穴を空け、路上に突き刺さる。手甲弾である。

 

 タワーシールドの男は苦痛で悲鳴をあげた。

 

 悲鳴を聞いた青年は静かな怒りで水鬼に殺意を飛ばし、握り締めた刀で水平に斬りかかる。しかし、嘲笑うように青年の腕を掴んで攻撃を防ぎ、手のひらで押しのけ、チェーンソー男の下へ飛ぶよう青年の腹部を加減して蹴飛ばした。

 

 腹に靴底がめり込み、青年は内臓に深刻なダメージを負う。堪らず血反吐を吐き、大型トラックに人が跳ね飛ばされたようにチェーンソー男の方に飛ぶ。

 チェーンソー男は構えていた武器を捨て、青年を受け止める。

 

 水鬼は不敵に笑って、青年等を狙い砲撃。

 

 直撃――と思いきや、厳つい男が腰を落とし両手で構えた最大威力の弾丸により青年達の前で誘爆。チェーンソー男は青年を庇い後ろを振り向き、背中を含む大部分を焼く。とはいえ、庇いきれず青年も火傷を負った。

 

 だが、不幸中の幸いである。もしも、手甲弾なら二人は貫通して死んでいた。

 

 けれども、死屍累々だ。青年は内臓破裂に火傷、厳つい男は最大威力の弾丸を撃ち込んだことにより手を負傷、タワーシールドの男は肩ごと利き腕を失い、チェーンソー男は身体の背後全体が焼け爛れている。

 

 五分と経たない出来事である。その一部始終を雑居ビルから携帯拳銃のフックワイヤーで昭和ビルの屋上へ移動した薫と巴が見ていた。

 

 

「……薫先輩。あの人ら、不味くないですか……!?」

 

「どの程度時間を稼いでくれるかの確認だったが、これは穏やかじゃないね。撤退の時間を彼等に与えないと全滅してしまう」

 

 

 彼等の奇跡を信じてあこを助ける……なんて、奇跡が起こる都合の良い展開はないだろう。チェックメイト目前に迫っている今、あこを優先して彼等を放置すれば全滅必須である。

 

 現実を理解している巴はあこを助けようと薫を急かす。だが薫は一息、深く溜めて呼吸した。

 

 

「うん。どうやら舞台が私を呼んでいるらしい、行ってくるよ」

 

「なっ……死んでしまいますよっ!!」

 

「心配はもっともだ。だけどね、姫を救出するまでは戦いを幕引きにさせるわけにもいかない。あこ姫を頼んだよ、勇者様」

 

 

 引きとめようとする巴をするりと避わし、薫は拳銃から射出したワイヤーフックを利用して地表へ滑り降りる。

 巴は絶対後から追いついて下さいね、と祈るように言って、屋上の出入り口から下の階へ降りていった。

 

 

 

 




12月中にあと1話投稿します。

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