夕暮れに滴る朱   作:古闇

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記憶に翻弄される少女たち

 

 

 

 わずかにテナントが残っているが廃墟同然の雰囲気を持つ昭和レトロなビル。その事務室の一室で三十代の眼鏡を掛けた細身の男が、事務机に座り口に咥えたタバコの煙を噴かし、扉を睨みつけている。

 何も言葉を発することなくタバコを一本吸いきり、次のタバコの火を灯す。

 

 

「……ニアに連絡がつかず、最悪とも言える。下っ端の言い分では生きているそうだが、何かされたのか……?

 最大の障害が地球を発つチャンスはまずなく、我が主に感謝の念が絶えない。だからこそ、これからの事を考えれば、私情からくる軽率な行動は慎むべきだ。弦巻邸を襲うに戦力の分散などできるはずもない。だが、今の私の望みなのか……? あの女さえいればあるいは連れ出すことも……いやいや」

 

 

 敵の手に落ちたというなら助かる見込みはまずない。不可思議の力を操るモノばかりなのだ。……などと小言を漏らしては、眼鏡の男は独り事務室に籠もり悩み続ける。

 

 後日、眼鏡の男は仲間内の集会場所に一通の手紙を残し、黒髪の女性を連れてビルを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学園の校門、燐子はあこと合流する。多忙な毎日だけれどこの習慣はあまり変わらない。加えて、襲われた件はどうするかで修行は控えめにされており、時間に余裕はあった。

 SNSでも、あこからお化けについて聞きたいことがあるともやり取りしていたので、今日会うのは確定事項である。

 

 あことどこで話そうかと軽く相談していると、二人に人影が近づく。人影の主に話しかけられ振り向けば、ニアが申し訳なさそうに二人の前に挨拶をして立っていた。

 Roseliaのバンド結成時から何かと声をかけてきたりする少女だ。何度かの話でお出かけの誘いもありはしたのだが、人見知りで萎縮してしまい断ったり、他の子もずるいと人が集まったりして、声をかけてもらう割には不思議と一緒に行動を共にすることがなかったりもする。

 

 

「おひさ。お話し中に悪いんだけどさ、白金さんって一部の記憶飛んでいる話しを聞いたんだよね。それでさ、ちょっと相談に乗ってくれないかな?」

 

 

 親しい者でも一部しか知らないそれをニアが口にしたことで、燐子とあこは顔を何故と見合わせた。

 

 燐子とあこは一先ず襲われた日の話を後回しにし、不安げな様子のニアを優先することにした。3人は場所を変え、海外でも有名なコーヒーチェーン店へと移動する。

 

 軽い注文をし、それぞれ飲み物を受け取った後、3人は空いているテーブル席に着いた。

 

 

「んー、少し前の反応でわかったけど、やっぱりボクが白金さんの記憶喪失を知ってるの心当たりないか。実は、何でこんなこと知ってんのかわかんなくてさ。不思議なんだよね。

 で、家にいつ買ったのかも覚えてないたっかい貴金属とかもあったりしてね。ママに変な疑いをかけられちゃったりもしたんだ。困ることもないし、渡しちゃったんだけど。

 でもって、ボクみたいに記憶の欠落がある白金ちゃんが何か知ってないかなーって藁でもいいからすがりたい。記憶喪失の原因とか何か知らない?」

 

 

 燐子は自身の記憶喪失の原因が母親にあると母から白状され知ってしまっている。とはいえ、自身のようなレアケースはニアには当てはまらないだろう。

 憶測なら、今の燐子であれば幾つか思いつくのだが。

 

 

「……ごめんなさい……、あこちゃんに言われて気づいたから……発症した理由は……わからないんです……」

 

「あ、いいって、頭下げるまでしなくて。軽く流そうって決めてたはずのことが証明されちゃったけど、頭が湧いたわけじゃないってわかったから。

 風土病とか聞いたことないし、ちょっと怖いかな」

 

 

 空元気に話すニアに、あこが口を挟む。

 

 

「何か、すごく嫌なことがあったんじゃないかな……?」

 

「嫌なことかぁ……、ここ最近体調が悪かったこともあるけど、特に怪我したりとかはないんだよね。白金さんはどうだったの? 記憶の欠落の前に体調不良とかなかった?」

 

「……いえ、別段変わったことはなく……普通でした……」

 

「あー、じゃあ、ボクの欠落の原因と共通点ないかもなのか。困ったなぁ……」

 

 

 記憶の欠落について悩んでいると、3人の横から一人の男が割り込んだ。

 

 

「ニア、連絡もなくこんなところで油を売っているなど何しているんです。あれが無ければ居場所も特定できなかったんですよ?」

 

 

 眼鏡の男は責める口調で言い放ち、対するニアはさっぱりわからぬといった風に受け止める。

 

 

「は? いきなり現れてなんなのさ。ボクはあんたなんて知らないけど、人違いじゃないの」

 

 

 語気の強いニアの言葉に眼鏡の男は眉をひそめ、「上村広樹に聞き覚えは」と小声でニアに問いかける。

 燐子とあこは辛うじて聞き取れたようだが、知る人物でもなくイマイチな反応。一方でニアはさぁ、と疑問を口にすると眼鏡の男は「話がある」と言う。けれど、ニアは従う体は無く、男は毅然と立ったままだ。

 

 店の中で痴話喧嘩のような問答をしているため若干名の注目を一時集める。が、そこへ更に乱入するモノがいた。

 

 

「上村広樹、ね。すこーし聞き覚えがあるんだよねー。ちょっと外出てさ、まずはあたしとおしゃべりしようよ」

 

 

 燐子、あこ、ニアに手を振って姿を見せ、読唇術でもあるのか三人が聞き取れた名前を発したリサは喋りながらテーブルの横に立つ眼鏡の男の腕を掴んだ。リサが大怪我の後遺症を残した風体も相まって、周囲からひそひそ話すら聞こえてくる。

 

 眼鏡の男は掴む手から逃れようと振り払おうとするが微動だにせず男の体が揺れるのみであり、少女に似つかわしくない異質な力を理解したようで、やはりかと納得した面持ちで緊張し汗をひとすじ垂らした。

 

 

「白金燐子が居合わせた時点で運がないとは思いましたが、この人混みではある意味やりやすい」

 

 

 眼鏡の男は言葉で四人の視線を集め――次の瞬間、全身黒尽くめの喪女の格好をした肌白い長身の女が、店外のガラス窓をぶち破り、通行人を跳ね飛ばしてリサに近接してきた。

 

 ダンプカーが突如店内に突っ込んできたかのように速度で駆る長身の女性。リサは周囲への被害を抑えようと男を捕らえるのを一旦止め、自身よりも一〇センチ以上も背の高い女性をわずかに留めるも、リサの体は浮き上がり、リサと共に店の突き当たりにあるカウンターを巻き込み壁を破壊してはリサだけを店外へと弾き飛ばした。

 

 死んだと確信できる悪夢のような光景をつくりだした女性に、周囲は静寂し唖然とする。

 それから、眼鏡の男が鼻を鳴らし動くと、店内は騒然と騒ぎ出して人々は我先と逃げ出し始めた。

 

 眼鏡の男がテーブル席から立ったニアに手を伸ばそうとする。先ほどの光景で顔を青くした燐子だが、無駄の無い動作で懐から札を取り出し小気味のいい声を発して、テーブルを中心に正方形の半透明の防壁で三人を覆わした。

 

 その行動に眼鏡の男は舌打ちをして、口先を動かし音を詠じて何かを試みようとする。けれど、額から汗を垂らし苦しそうに顔を歪ませると術を中断し不快そうに燐子を睨んだ。

 

 

「約一七年、娘に戦いから遠ざけておいて今更戦いを覚えさせたのですか。その上、素人に似合わぬ呪札まで……破格の霊力量に加えてこれでは流石に手に余りますね」

 

 

 眼鏡の男はリサを吹き飛ばした女性へ目を向け、「水鬼、頼みましたよ」と言葉を送る。

 

 水鬼と呼ばれた女性は村上どいてろ、と短く言うと片腕を伸ばして水平にあげ、伸ばした喪服の裾から黒光する筒状を覗かせる。眼鏡の男こと村上が燐子達からかなりの位置まで距離を取ると、筒状から弾を射出し砲撃を開始した。

 

 弾は防壁に着弾し、爆風を巻き起こす。周囲のテーブルを焼き焦がし、店内のガラスを一斉に吹き飛ばさせ、天井を揺らしては崩壊させる。

 砲撃は止まらず何度も繰り返し、揺れなかった防壁が次第に揺れていく。防壁の揺れが大きくなるにつれて、燐子は辛そうな呼吸になった。

 

 次第に砲撃の感覚が緩くなる。維持される防壁がいつ破壊されるか確認しているようであった。

 

 砲撃が止むと、水鬼は防壁の距離を詰める。途中で足が止めて愉快そうに口を歪めた。

 それから、燐子達との距離がなくなり、隔たる防壁を殴りつけ、燐子が展開した結界を破壊した。

 

 防壁が破壊されると同時に、ニアがあこ達に逃げてと言って水鬼に掴みにかかる。

 

 

「ぐっ、こいつ重すぎっ!」

 

 

 渾身の力で床に押し倒そうとするも微動だにしない。掴まれた衣類が悲鳴をあげて引き千切れそうなだけである。

 

 

「はっ、裏切り者が」

 

 

 ニアは水鬼の言葉を理解する間もなく、首を掴み片手で軽々と持ち上げられ、あこが燐子を問答無用で連れ出している方へ投げられた。

 

 投げられたニアは燐子へ衝突し、二人は床に転がり、痛みで呻く。燐子の腕を引っ張っていたあこが一人残された。

 

 水鬼は燐子とニアに構うことなく、あこの首もとの衣類を捻り掴み持ち上げる。

 

 

「貴様、あこだな。魂でわかる。人間に混じって学生気分か。私の部下はどこにいる?」

 

 

 あこは戸惑うばかりでこの恐ろしい女性が何を言っているかわからない。誰かと勘違いしているのではとさえ思うだろう。

 

 

「とぼけるか、まぁいい。ここでは邪魔が入る。私と一緒に来てもらおうか」

 

 

 そう、言うが否や。はなせー、と喚くあこを米俵のように脇に抱え、(いか)る村上の抗議を無視し、コーヒーチェーン店から立ち去った。

 

 

 

 


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