夕暮れに滴る朱   作:古闇

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二六話.彼女の正体

 

 

 包帯の上からリサの喉元に突き刺されたナイフが引き抜かれる。刃は抵抗なく抜け、喉元から血が溢れ、勢いく噴き出した血液がリサとニアの体を赤く塗らした。リサの喉を突き刺したことで首から包帯が取れ、鬱血もしくは肌を焼いたような赤黒い痛々しい痕を覗かせた。

 

 致命傷である。今すぐ手当てし、病院で治療しなければ死に至るであろう負傷だ。けれども、リサは何の苦悶も浮かべない。

 

 ニアはリサが顔を真っ青にする様子や血相をかかえないことに若干の疑問を持つ。けれども、疑問よりも先にニアの体より突如異変が起きた。太い針で突き刺されたかのような痛みが体の一面に発生したのだ。

 

 口の端からわずかに呻きを洩らすも、耐えられぬ苦痛ではない。しかし、唐突に起こった激痛だ。脳が警鐘を鳴らし、リサを押しのけようとする。だが、逆に肩を掴まれた。

 

 女子高生から並外れた握力に捕らわれ肩が軋む。人外なる力にニアの足が止まってしまった。その間にもリサはアヒル口を作り、軽く頬を膨らませた。

 

 

「わっ、ぷっ」

 

 

 リサの口から吐き出された血液がニアの顔面を襲う。それも目が開けられないほどの量である。ニアは嫌な予感を感じたまま、目の開けられないニアは渾身の力を込めてリサの手を払うと、後退して逃れた。

 

 顔が徐々に熱を帯び、針のような刺激の辛さから濃縮された酸に浸かった痛みへと変換される。

 

 

「――う゛ぅぅぅううう~~~っ!!!」

 

 

 痛みに耐性があるつもりだったが、目や口に侵入し内側から沁みる痛みに耐え切れず苦痛に喘いだ。

 

 

「何をしたぁ! 今井リサっ!!」

 

「けふっ……ふふっ、感染だよ~☆ 普の人間だったら苦しむことなく、アタシが増えるはずなんだけど、おかしいねー?」

 

 

 リサは口の端に付着した血糊を手の甲で拭う。穴の開いたはずの喉元の傷はいつの間にか塞がり、首の痛々しい傷痕だけを見せていた。流暢に話す仕草から、ナイフに刺された人間だとは思えない光景だ。

 

 とはいえ、リサの衣類や体はおびただしい量の血で濡れているし、床も粘度ある液体が広がりさながら殺人現場である。

 

 その間にもニアは苦しみ続け、の血液が付着したから部分の肌がずるりと剥ける。皮一緒に赤い肉がねばりっこい赤い粘液を伸ばして床に落下し、重みのある水音を鳴らす。暗い景色にめくれた肌のゲル状の物体が露わになった。

 

 夜目をもつリサはニアの変化した姿を視認する。

 

 

「スライム……んー、玉虫色に目玉、定番ならショゴス系統だけどどうだろね。人型に擬態してるし、知性は高いし、その姿って人を捕食しないと手に入れたのかな?」

 

 

 特に目立つのは頭部。髪すら溶け、皮のないゼラチン状の醜悪な物質はお世辞にも可愛いとはいえず、微動に揺れるそれは腐敗した死体の方がまだマシな外見である。

 

 その正体はかつて主人に反旗を翻したと噂される、怪しく不浄に陰謀巡らす、忌まわしい多形体の生物。独立種族ショゴスであった。

 

 ニアは独特な声で『テケリ・リ』と、どこにあるかわからない唇を震わせ低い鳴き声を木霊させる。

 

 

「ヨクも、ヨくもこの醜いボクノ姿を晒したナッ! 百回潰シ殺しタだけジャ、足りナイゾッ!!」

 

 

 怒号を発したニアは右腕を服の下で融解させて腕を長く太く伸ばし、他者を憎むような漆黒に変色させる。五本指の手はなくなり、てらてらと濡れる鞭のような形状となった。

 

 それから変貌した腕は触手を撓らせ床に叩きつけられる。殴打された箇所の床は割れ、窪んだ。大人一人分程度ならフェンスのない屋上から容易に叩き出せる威力だ。

 

 そして、そのまま触手が跳ねた勢いでリサへと撓らせた。

 

 襲い来る触手をリサは横跳びで避けるが、背後にある鉄扉を半端に叩き曲げると縁のフレームをひしゃげる。

 

 

「ロード、それも進化タイプ。再生力に自身はあるけど、触れたら皮膚が溶かされそうだし叩き潰されるのは勘弁かな」

 

 

 リサは屋内の出入り口へと駆け出し、ひしゃげた鉄扉に飛び蹴りを与える。威力に耐えられなかった扉は悲鳴をあげて床へと倒れ、前進する勢いを殺さず扉を乗り越え階段へと滑るように降りていった。

 

 戦闘かと思いきや、逃走するリサにニアは渋面だ。正体が知られたからには逃すことはできない。相手が少女の皮を被った怪物と判明した以上、十中八九、弦巻家に関係するモノだろうとニアは推測する。情報収集の一貫で一般家庭に紛れ込み、弦巻家の縄張りとする地域に住んでいる現状を崩されること必須だ。

 

 ニアは階段の下へ飛び込むように降りたリサを追った。階段の最上階から手すりを掴んで下を覗き込み、逃げたモノの姿を探す。現在どの程度の位置にいるのか知るためである。

 

 一瞬、リサがひとつ下のフロアに逃げ込んだ姿を見た。挑発するようにヒトならざるモノが強い気配を撒き散らしている。恐らく、最下層まで降りず下の階に逃げたのは何かの罠だろう。

 

 ともあれ、追わないという選択肢はない。ニアはリサがいるでフロアへ向かった。

 

 ……だが、ニアは気づくべきだった。身バレした焦りもあったのだろうし、一対一だと思いこんでいたというのもある。逃げるリサを追うのに余裕がなかったのもあるだろう。それゆえに、古典的な手で潜伏するもう一人の敵を見逃した。

 

 壊された扉の横、少し奥側に気配を消して待ち伏せをする赤頭巾を被った少女。その少女にとって下を覗き余所見をし、目に映すは無防備に体を曝け出している容易な相手である。階段を飛び降りたところを強襲しようとしていたのだから。

 

 少女は、丈に合わない構えていた大鎌を陽炎に揺らめかせ、死を待っている囚人にギロチンに似せた処刑を執行、ニアを切り裂いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先ほどとは違う場所の雑居ビル最上階。治療を施されたニアはある程度傷が癒えた状態で床に転がされている。意識は戻らず、彼女の服は剥ぎ取られ、衣類で腕を縛られてもいた。ただ、鉄製の扉を壊す力のあるニアに有効かは不明である。

 

 そんな彼女を二人で囲み、赤頭巾はリサに目を細めて訴えかけた。

 

 

「情報源が消えたのはごめんって。けど、負けて捕まると証拠を残さず自滅する人ばっかでさ。首謀者じゃないんだし、こっちの方が丸いよ」

 

「否定しない……爆発したり……生贄したり……たくさん」

 

「そうそう、自分の命捧げられて厄介なのを召還されても困るし。ただでさえ、あっちの建物は一般市民しかいないんだから」

 

 

 リサは小競り合いをした高層ビルを一瞥する。雑居ビルとの高低差があり、暗い夜では目にすることはできないが、リサ達がいた場所で人が行ったり来たりと騒いでいる。また、遠くからパトカーのサイレンが響く音も聞こえるだろう。

 

 避難勧告をしなかったこともあり、あのまま戦っていれば相当数の被害が出ることは想像に難くなかった。また、適当にそこらの人間を人質にされても困るし、物理効果の薄いショゴス相手に真っ向から戦闘をするつもりもなかった。赤頭巾もそこのところを理解しており、むぅと若干拗ねる。

 

 

「それにつぐみの目を逃れて上手いこと潜んでいたこの子を無力化したんだし、悪いことばっかでもないって♪」

 

「ん、なら……いい」

 

 

 口調は拗ねたままで子供のよう。少なくとも、目の前の赤頭巾の方が年上である。ただ年齢を重ねただけでは年の功や落ち着いたりしないんだと、リサはつくづく感じた。

 

 

「納得してもらったところで撤収しようか。あと、今日はありがとね。つぐみは燐子の方に取られちゃったし、本当に助かったよ」

 

 

 もちろんおくびに出さず、赤頭巾を労う。頭巾の上から頭を撫でれば、表情の薄い顔が若干赤らむ。

 

 満更でもなさそうな赤頭巾だったが、もうこの場には用はないと大鎌を肩に担いで雑居ビルの屋上から跳び下りてしまい、夜闇の闇に紛れて姿を消した。リサは気絶から覚めないニアに念入りにとある処置を施すと、赤頭巾同様、ニアを連れて雑居ビルから離れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝、羽川女子学園にて。運動部のように朝練があるとか、努力家のように朝の勉強をするとか、特に用がないのに教室に向かうニア。変に習慣づいてしまったとは思うも、癖なのだからしようがないと自己弁護。

 

 いつも通り一番乗りと教室へ入室するが、鞄を置いて保健室へ移動する。お世話になることは滅多にないものの、今日は風邪をひいたのか、頭が重く体の節々が痛いのだ。両親からは今日の登校は辞めて休むかと心配され、無理に学園に通ってこの始末。甘い考えであったと反省する。

 

 そうして、保健室のベッドを借りて何も考えず休んでいると、クラスメイトが入ってきた。

 

 

「やほー、すれ違った時具合悪そうにしてたから来ちゃった」

 

 

 今井リサだ。

 

 

「あれ、こんなに早く珍しいね。幼馴染の面倒はどうしたの?」

 

 

 顔を横に横目を向けて、おはようと挨拶。リサは幼馴染である友希那と毎朝登校しているので朝早く通学することはまずない。

 

 

「ちょっと外泊しちゃってねー。家に寄らないで直接来たんだよ」

 

「ふーん、彼氏の所とか?」

 

「残念。ハズレでーす♪」

 

「そりゃ、そうか」

 

 

 特に驚くこともない。リサは友好関係が広く、彼氏をつくりそうな外見なのに男の影が見当たらない。はたから見ても、子離れできない母親かといいたくなるほど幼馴染を構おうとするのだ。

 疎遠な時期ならまだしも、一緒に幼馴染とバンドを組んでいる今ではしばらく彼氏は無理だろう。

 

 

「彼氏じゃなく、友達の家かな。昨日は色々あってね。それは置いといて、ニアが体調不良になるとこ初めて見たよ。ニアこそ、彼氏とイチャつき過ぎたんじゃないかな」

 

「えぇ? 何言ってんのさ、ボクに彼氏なんていないよ」

 

 

 今のニアに好きな人はいないし、彼氏もできたことはない。仕返しかと、眉を反らす。

 

 

「だってさ、昨日休みじゃん。なにしてたの?」

 

「外に出かけていたさ。街を散策してたかな」

 

 

 とはいえ、回答に自信がなかった。いつの間にか帰宅して寝ていた印象が強い。外出先も、用があるはずもないのに電車を乗り継いだことも不思議だった。

 

 近場ならともかく、電車で出かけるなら友人を誘う。履歴にメールや通話がなかったのも気になった。一時のきまぐれと言ってしまえばそれまでなのだが。

 

 それと、履歴のことでひとつニアは思い出す。

 

 

「あ、そうそう。リサさんに一つ聞きたいんだけどさ、最近、非通知でイタズラ電話とかない? 夜中にやたら非通知がきてて不気味なんだよね」

 

「ちょっと聞いたことないなぁ。スマホの履歴、見せてもらってもいいかなー?」

 

「……あー、ごめん。鞄の中だ」

 

「なら、あたしのメモ帳に携帯のPASSを教えてよ」

 

 

 リサは自分の携帯を操作すると差し出した。ニアは若干迷い、「……んー、まぁ、いいか」とリサの携帯を受け取り液晶画面をタップする。

 

 

「はい、パスはこれ。教室に戻ったらちょろっと見ておいてよ。ストーカーとかじゃないと思うけど、今後も酷かったら電話番号変えなきゃだしね……あと、まだ気分戻らなくてさ、先生に言ってくれると助かるな」

 

 

 疲労が辛くなってきたニアはリサから目線を外す。何か日常違う気もしたが気のせいだろうと内心一笑して瞳を閉じた。

 

 

「了解、任せておいて♪ ……お大事に、ね☆」

 

 

 

 


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