夕暮れに滴る朱   作:古闇

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二五話.変わってしまったあの人

 

 

 電柱の灯りも届かない墓場の端側にて、あこは敬太と対面する。一月ぶりに見る少年は会わぬ時期と変わらぬ優しい顔を湛えていた。

 

 

「電話にもSNSにも出てくれなくて心配したんだから!」

 

 

 言いたいことはたくさんあるが、震える声でどこかへ行く前に一声かけて欲しかったと言葉を続けた。

 

 

「……」

 

 

 だが、敬太は口を閉ざしたままだ。微笑むばかりで口を開くことはなく、まるで仮面を被っているようである。

 

 啓太は以前言葉を発することなく、あこに手を伸ばす。あこは物言わぬ行動に恐れを覚え、たじろいだ。

 

 敬太が一歩踏み出す――その瞬間、あこの背後から風を切って飛翔する白い光が敬太の肩に突き刺さる。白い光は羽のついた矢であり、刺さったヵ所の肉が煮える。肉片を撒き散らしては沸騰し、蒸気を立ち昇らした。

 

 周囲に鼻を刺す刺激臭が広がる。肉を焼いたとは思えない不快な青臭さだ。敬太の表情は苦悶の顔へと歪み、人に似ても似つかなわい獣が吠える声を響かせ、苦しみ悶えた。

 

 あこは何事が起こったのかと把握する暇もなく敬太の模様が変わる。肩に刺さった矢を中心に肌色の汁を滴り肌が溶けると、肉に目玉を掻き混ぜたかのような物質が浮かび上がり、玉虫色の集合体へと変貌する。

 

 その幾つもの目玉は上下左右と暴れ、変貌が首、顔、胸へと伝播し、敬太の上半身が人でないモノへと変わった。

 

 変貌を注視していたあこは胸のむかつきを覚え、気分の悪さがピークになり足をふらつかせる。精神を蝕む光景と親しい友人が山梨で見たナニカになった事実。それらが急速に心を摩耗させ、疲弊した肉体も重なって、あこは意識を手放した。

 

 

「……あこちゃん……っ!?」

 

 

 体調が急変し、崩れ落ちたあこに、燐子は悲鳴のような叫びをあげる。弓を構えていたのだが、動揺から姿勢を解いてしまった。

 

 燐子は短い期間だが、母親から教わった術から人外の気配を察知し、己に宿る力を武器に変える能力を獲得した。その力を行使し、死んだと知らされた存在が敵だと信じて怪物を射ったのだ。けれども、倒すまでに至らない。まだ怪物は苦しんでおり、撃退するかあこを回収して逃げなければならないだろう。

 

 

『GURAGUuRUuuuaaAAAッ!!!』

 

 

 怪物は激痛に喘ぐ。沸騰する肌から光の矢を抜こうとし、矢に触れては手までも焦がして蒸気に溢れた。玉虫色の肉が零れ、粘液と醜い肉が地面に滴り落ち、人のカタチが維持できなくなる。無防備なあこを優先しないことから、怪物を苦しめる異物は余程の苦痛をもたらしていた。

 

 燐子は騒ぐ精神を落ち着かせ、弓を構え直す。燐子は射撃場で初めてにして遠くの的ど真ん中に当て続けられる天性の才能がある。さながら生まれながらの弓を得意とするエルフだ。練習通りに射抜てば、望みのままに当たるだろう。

 

 けれど、今日が初めて燐子が直接怪物と対峙する日。前回、花音に任せ自身が解読するとは訳が違う。怪物だと理解してもなお、相手を傷つけたという事実だけで手が震える。生来持つ彼女の優しさが、戦いにおいて邪魔していた。

 

 しかし、猶予もない。あこは怪物の近くに倒れている。なるたけ自制に努めて二射目を放った。

 

 定めた狙いは胸ど真ん中である。けれども、わずかに照準がブレれて矢が飛翔する。

 

 命を奪おうと思って放ったのではない。追い払えれば、と願っていた。やがて、矢は怪物の頭部に吸い込まれる。頭部を撃たれた怪物はピタリと静止する。先ほど騒いでいた様子が嘘のようだった。

 

 それから怪物は前に傾き、仰向けに地面へと激突すると玉虫色の液状のモノをぶちまけた。不快な臭いがいっそう増し、立ち昇る。燐子は悲痛に顔を歪めた。怪物だと理解していても命を奪った事実が燐子を打ちのめす。

 

 弓を降ろしたまましばらく静止していたが、弓を蛍が舞うよう光を弾かせると、武装を解除しあこのもとへ駆け寄った。得もいえぬ感情を胸に、自分より小さな体躯を背負い、戦闘跡から離脱した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦闘現場から離れた場所、座標の高い高層ビルの最上階で燐子の戦いの様を小型望遠鏡で眺めていたモノがいる。

 彼女の名前は零崎 ニア、羽川女学園の学生でもある。普段は情報収集をしながら学生生活を送っていたが、燐子の護衛の防備が手薄になったので、こうして仕掛けたわけだ。

 

 ニアは望遠鏡を目元から離し、揺れる髪をうっとおしそうにはらう。

 

 

「あー、やな展開になってきた。ちょっと前まで戦闘能力一般ピープル以下だったよね。白金って。結構耐久力ある子だったのにどーすんのさ、もうこれ家庭の事情を知ってるでしょ」

 

 

 断りもなく燐子を名前呼びをし、八重歯を剥き出しにしながら愚痴を零す。先のモノはニアが放った怪物であり、ショゴスの細胞とスワイプマンが混じった雑種である。

 

 田町敬太が存命の頃、家宅に侵入し、寝ている隙に遺伝子を採取。それを利用して創り上げたのが、あの不完全な生き物だった。そっくりコピーするスワイプマンよりも戦闘力が向上している。だが、代償に皮だけ似、知能は低下し、しゃべれないという欠点があった。

 

 それでも捨て駒には十分だと判断し、不用意に出かけている燐子達にぶつけてみたものの、結果は散々たるものである。

 

 白金家の愛娘である燐子がついに神道に手を出した。離縁した実家や実家が所属する総本山から圧力や嫌がらせが増すのにも関わらずにもだ。

 

 燐子が狙われる理由も簡単である。彼女の中に眠る珠が欲しいのだ。

 

 かつて500年も昔、日本が魑魅魍魎に溢れていた頃。一人の巫女が仏の力を借り、自らを捧げ、当時強大な力を持つ三大妖怪をその身に封印した。巫女は一つの結晶となり、生まれたのが一霊四魂の勾玉である。

 

 それはとても強力な宝物で、仏、人間、妖怪が合わさった力は一霊四魂の勾玉の所持者の願いをたいていのことは叶えてくれた。不老であれ、健康であれ、国一番の霊力者であれ。

 

 一霊四魂の勾玉の恩恵で人間が妖怪を追いやると、次は人間同士の争いの番だった。選ばれた守護者達が代々に渡って一霊四魂の勾玉を守っていたが、粛々と勢力は削られ、守ること已む無しと判断した当時の者達は一人の巫女に一霊四魂の勾玉を託した。それが白金家だ。

 

 白金の巫女は仲間と共に欲望に眩む追っ手や妖怪の台等を願うモノを振り切ると、日ノ本で霊力の渦巻く最高峰の山にて、炎に身を投じると一霊四魂の勾玉と現世の舞台を去る。

 

 それが何の因果か、弦巻家を頼って駆け落ちした家族の娘が一霊四魂の勾玉を宿して生まれてしまった。発覚したのは、燐子が人を助けるために無意識に力を使ってしまったからだ。

 

 人の噂に戸は立たず、弦巻家のモノが燐子の力を完全に封じたものの、その子供の両親から水面下で噂が広まり燐子の秘密が知られてしまった。

 

 ゆえに力を欲する者や大義名分だったり、犠牲にしてでも大切な人を助けたい者などに狙われる。ことごとく弦巻家に退かされてはいるのだが。

 

 

「恋愛作戦も失敗したし、引きこもり気味の時期よりはマシだけど友人関係だって友達が少なすぎるせいで攻めづらいし、当日まで潜伏かなぁ」

 

 

 燐子の幼馴染を利用した作戦は勿論のこと、弦巻家の存在が不都合な組織へ出資もしくはスポンサーとなってもらい個人範囲で治安侵害をしているが弦巻家が被る被害は微々たるものである。燐子を手に入れる希望も見えなくなった今、来たる日まで待機だと判断する。

 

 もう用はないと望遠鏡を専用の袋に仕舞い、踵を返し帰路に着こうとしたが、行く手を阻む者が現れた。

 

 

「勝手にビルの屋上扉を壊してなんて、怒られるぞー?」

 

 

 ストリート風な格好をした今井リサだ。同じ教室でクラスメイトでもある。

 

 

「あぁ、リサさんか。それならぼくが入る前から扉のノブは壊れてたよ。職務怠慢だよね」

 

 

 フェンスのない屋上にリサが偶然現れたとは思っていない。けれど、あくまでもシラを切る。

 

 

「そうなんだ。勘違いしちゃったよ、ごめんね」

 

「まぁ、状況を見てしまえば勘違いも仕方ないよ。ボクはこれで帰るね」

 

 

 しかし、リサが明かりへ続く進路を塞ぐ。

 

 

「悪いんだけど、そうもいかなくてね。燐子のことを追い回してるって確信してるんだ」

 

「そりゃ、Roseliaのファンだからさ」

 

「そうだね。でも、友希那から聞いたよ。アタシが入院している間、穴埋めのメンバーとして立候補したんだって。他の子からも、初めに挙手した人はニアが勧めたって話を聞いた。それと、ニアってRoselia結成して間もない頃から燐子のこと気にかけてたよね~? あと、その手に持った袋、中身はメーカー品のお高い望遠鏡でしょ? うちのクラスメイトにいる天文部のおかげで知ってるんだ。燐子のいる場所までよく見えそうだね。ファンにしては過激すぎじゃないかな」

 

 

 一部は憶測。確かにニアはリサからそれとなく燐子のことを聞いている。中学からの同じ学園で特定の宗教にこだわることもなく、幼馴染のことばかり気に掛ける彼女に多少打ち解けてもよいと思ったからだ。それが入院から回復して、これである。

 

 

「決めつけなくたっていいでしょ、そんなに気になるなら見てみればいいじゃん」

 

 

 変わってしまったという意味も含ませ、友人に近い知人に苛立ちの声で望遠鏡の入った袋をリサに投げて寄越す。

 

 リサが重量ある袋を受け取ろうとするのと同時に、虚をつくニアは緑色の瞳を鋭く細めて一息で駆けて距離を詰め、見えないようにナイフを抜く。疑いを持ち、弦巻家の勢力に加担している以上、知人には消えてもらわなければならない。

 

 ニアの行動に気づいたリサが行動を起こそうとする。しかし、すかさず一瞬で間を詰めた。

 

 ニアにとってリサが嫌いでもなかったしもしろ気をつかわなくてもいい好ましい人物であった。が、躊躇なく凶刃を向け、リサの首元に大振りのナイフを突き刺す。 それから、ナイフ越しに伝わる肉の柔らかな抵抗を感じつつ、刀身が埋まるほど深く入れ込んだ。

 

 

 

 


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