夕暮れに滴る朱   作:古闇

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一九話.日常に染込むノイズ

 

 

 

 一〇月の下旬。あこは浴槽にて色のついたお湯につかり、疲れを癒していた。けれども表情は優れず、憂鬱そうだ。

 

 

(今日も敬太のこと、何もできなかった……)

 

 

 リサが復帰したことで今までの遅れを取り戻すようRoseliaの全体練習時間が増えた。加えて、秋であり日の落ちが早い。ゆえに、中学生のあこは門限が狭まって夜に外出したままでいるということができなかった。

 

 

(でも、友希那さんが生き生きとしてるし仕方ないもん)

 

 

 一定の技量を認められ、望んで加入したRoseliaというバンド。ドラムを前にすると曇った思いも吹き飛ぶし、悩みを忘れられ悪いことばかりでもなかった。

 

 もちろんバンドは楽しい。けれど、敬太を探せない。Roseliaの復帰ステージで頑張るぞ! でも、このまま敬太を放置してもいいのかな? そうした気持ちがあこを苦しめる。

 

 あーだこーだと悩み、けれど答えのでない考えが浮かぶのみ。ため息をつき、顔を下げると湯に自分の姿が映っている。のぼせてきたのでお風呂から出ることにする。

 

 ふと、お湯に映る胸の中央に目がいった。

 

 

(胸の傷、もうほとんど見えないや。リサ姉もせめて首の包帯とれるといいな)

 

 

 負傷を隠すリサの行為が、忘れて久しい痛みを甦らせた。小さな痛みだ。

 

 覚えのない胸の傷は幼い頃の事故で受けてしまったものだと親から聞いている。幼少の記憶が定かでないあこは親のいう言葉を今でも間に受けていた。

 

 あこは水面に映る自分を掻き乱し、お風呂からあがる。精神的な疲れから学園の課題や翌朝の仕度を手早く済ませ、早めに寝ることにした。

 

 

――

 

――――

 

――――――

 

 

苦しい。気がつけば暗く広大な水の中で溺れていることがわかった。黄色砂浜から遠ざかっていく。

あこはどこか冷静な自分がいて、今の場所が海だと理解する。

 

もがいて、もがいて、もがいて。けれど、努力は虚しく遠ざかっていく陸地。深遠の海の中へ引きずり込まれていく感覚を覚えた。

 

味のない揺れる波が口を塞ぎ、鼻を塞ぎ、聴力を乱して、視界を遮る。必死の息継ぎもままならない。

足掻く力は次第に弱まり、理不尽に抵抗する意思も薄まっていく。

 

深海に招かれ沈みゆく身体。

 

しかし突如として上から冷たい手に引かれ身体を持ち上げられた。海水を吐き、救いの手を伸べた者を見てみれば自分だった。いや、中学生の自分より幼い。浮き輪を手にしている。

 

幼い自分は自身を浮き輪をくぐらせる。それからバタ足で、陸地を目指すでなく横へ横へと、浮き輪を押し進めた。

 

どれくらい進んだだろうか、陸地から離されることはなくなったが砂浜は遠い。幼い自分は頑張って水を押して陸地を目指している。しかし、顔の疲労が濃く現れていた。

 

しばらくすると、砂浜が近くなる。もうひと頑張りすれば陸地に辿り着けるだろう。けれど、進度はそこで止まった。

何故? と後ろを見れば幼い自分はそこから消えていた。理由はわからないけれど涙で目が濡れる。

 

しゃくりあげて泣き、しばらく海を漂っていると誰とも知らない大人が助けてくれて陸地まで運んでくれた。砂浜を踏むと大勢の大人たちが集まってくる。

 

訳もわからないまま進もうとして、だけれど、何かの気配を察知して下を見る。

 

そこには白髪で死んだ目に変貌した幼い自分が這いそべっていた。海から来た幼い自分は砂で汚れた青白い手で足元を掴んではこちらを見上げる。

 

そして、ゆっくりと口が開いた。

 

 

『縺ェ縺セ縺医r縺九∴縺励※』

 

 

ノイズの入ったそれは聞いてはいけない何かだった。

 

 

――――――

 

――――

 

――

 

 

「――はっ、はっ、……ふっ、……ゆ、夢?」

 

 

 あこはベッドの上で目が覚め、荒い息を吐き出す。時刻は午前三時である。身体から全身汗が噴出し、風邪でもないのに寒気がした。濡れた布団に気持ち悪さを感じてベッドから抜け出る。

 

 夢で見た悍ましい自分に、掴まれた足を確認し、何もないことに胸を撫でおろす。

 

 妙にリアリティがあり、既視感ある夢見で内容を全て思い出せた。あこは今までみたことのない夢見に恐怖を覚える。静かな部屋がたまらなく怖い。

 

 その後うまく寝付けず、鍵の掛かってない巴の部屋に忍び込みベッドに潜り込んでは姉の体温を感じ二度目の就寝についた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小鳥が鳴き、カーテン越しに光が差す朝。姉に身体を揺らされたあこは薄目を開ける。

 

 

「んに~……ねむーいぃ……」

 

「久々に妹にこうして甘えられるのも悪くないんだどな。休みの今日は朝から外に出かけるって言ってなかったか?」

 

 

 巴は自身の腕に抱きつくあこの背中を揺らし再度問いかけるも、あこは重い瞼を閉じて生返事。

 

 本日はこれといった予定が入っていない巴であったが、朝遅い時間であるのでそろそろベットから抜け出したかった。とはいえ、珍しく肌を合わせて甘えてくる妹が愛おしく、今の時間を手放すのも惜しいと感じる。

 

 それから三〇分経ったところであこがようやく意識を覚醒させて、おはよーと舌足らずな声で巴に挨拶をした。

 

 

「おはよう、あこ。あたしの部屋に忍び込むなんざ、珍しいじゃないか。怖い夢でも見たのか?」

 

 

 巴は快活に笑う。一七〇センチ近い美丈夫だけあって宝塚のようだ。あこは巴に抱きついた腕を開放して上体を起こす。

 

 

「……う、うん、変な夢みちゃって。幼いあこがあこを海に引きずりこもうとしてて途中で目が覚めたんだ。それで怖くなっちゃっておねーちゃんのところに来ちゃった」

 

「そうかそうか、あこはまだお姉ちゃん離れができないと。あたしはそれでも嬉しいぞ」

 

 

 あこの頭を大雑把に撫でる巴。髪が乱れるがあこは触れ合いが嬉しいようでされるままだ。

 

 一通り満足した巴があこの頭から手を離し、あこは乱れた髪を手で整えながらベッドから抜け出た。

 

 

「う゛っ、もうこんな時間。もしかすると遅くなるかもだから、あこはもう行くね!」

 

 

 勝手知ったる姉の部屋の時計を確認したあこは足早に部屋を退出する。明日はライブハウスでRoseliaの再開ライブである。それゆえ、今週は今日だけが敬太をまともに探す時間を確保できた日であった。

 

 一方、自室の扉が閉まり、あこが下の階へ降りていった音を耳にした巴は軽いため息をつく。

 

 

(もう無いって思ってたのにな。昔のあこみたいに特定の記憶がおぼろげな燐子さんか、羽川学園で噂になっている今井さんの大怪我か。あこはどっちに触発されたんだ? 今のあこなら受け止められるって思いたいけど、不安だよ)

 

 

 巴は「夢に出てきてまであこを引きずり込まないでくれよ」と一人ごちてベッドから抜け出す。それはこの世にいない存在へ向けての言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お昼近い時間、あこは燐子と敬太が一緒に来たであろうピアノコンサート会場の前にいた。今から聞き込みを行うのだ。

 

 明から忠告を受け、自身で探しても三週間も見つっていない。それなら、気持ちを切り替えてたっていいはずだ。けれど、あこは仲の良い友人を置いて気持ちを整理し生活することはできなかった。

 

 

「もしかしたら奇跡が起きるかもしれないしね。よーしっ、やるぞー!」

 

 

 えいえいおーと気合を入れた。

 

 あこが探してない場所はほとんど残っていない。あとは敬太の実家くらいだ。今回のピアノコンサート会場は二度目の探索である。けれども、敬太と燐子が最後に会った場所なのだ。1度目では駄目でも、2度目ならば何かあるかもしれない。あこは祈るように探索を始めた。

 

 

「あの、すいません――!」

 

 

 道急ぐ若者、散歩している老夫婦、コンサート会場内の人。あこは手当たり次第に人に声を掛けては、三週間前に二人組のカップルもしくは若い学生二人組みについて何か知っていることはないか尋ねて回る。

 

 とはいえ、流石に三週間の時間経過は重く、わからない、とか人物違いなど、前回より情報の質が悪かった。休憩がてら、一度昼食を挟む。

 

 再び再開し、場所はコンサート会場。その午後の部で人を捌ききり落ち着いた受付である。あこはその合間を見て、受付に尋ねた。すると、受付のお姉さんはあこの顔を見て思い出したかのように声をあげる。

 

 

「あら、また来たねー、二週間ぶりかな? 外で聞き込みしてたからちょっと噂になってたよ、君」

 

「あ、……うぅ、お騒がせしてしまってすいません」

 

 

 あこは申し訳なさに縮こまるが、受付のお姉さんはいいのいいの、と陽気に笑った。

 

 

「確か田町さんだったよね、調べ終わってるよ。それでごめんなさいね。君の番号控えていたんだけど無くしちゃってね、連絡できなかったんだ」

 

「えっ……ほんとですか!」

 

 

 受付のお姉さんはほんとだよと頷き、手帳を取り出すと視線を落とし内容を読み上げる。

 

 

「田町敬太さんで予約二名。でも、来館してなくてその日の客席は空いてる。で、従業員のうろ覚えなんだけど、コンサート中に若い男女二人が会場に入ることもなく何か話していたみたい。一目見かけただけらしくて、その後の事はわからないっていう話だったかな」

 

「話の内容はわかりますか?」

 

「ごめんね、移動中に見かけたってだけらしいからわからくって。一応、他の従業員にも聞いてみたけど知らないみたいだね」

 

 

 これ以上の情報はないと受付のお姉さんの話が終わった。あこはお礼を言って、お姉さんに応援されるのを背に受付から離れる。以降、気分が高揚したまま聞き込みをした。

 

 だが、特にめぼしい情報を発見することはなかった。

 

 

(やっぱり、りんりんから敬太の事を聞かないと駄目みたい。でもなぁ、話を持ち出して空気が悪くなるのってつらいよ……)

 

 

 男との恋愛で女の友情は壊れるというが、消えた男の話を持ち出して仲がギクシャクするようになるとは予想もしていない。燐子は敬太との関係は悪くなかったはずである。しかし、今ではタブーなまでに敬太の話はよろしくなかった。

 

 時刻は夕方。心身ともに疲れ果て、一歩歩く度に足の裏に痛みを感じる。中学生であるあこは夜一人で出歩いているところを教師に見つかるわけにもいかない。門限も近いので重い気分のまま駅に向かう。

 

 それから自宅の最寄り駅で降りて駅から出たあこは携帯を取り出し、戻すという無駄な行動を繰り返した。

 

 

(うっ、い、勢いでーって思ったけどやっぱり家に帰ってから話そう……!)

 

 

 駅周辺で足を迷わせ、自宅の道へ進んむ。先延ばし先延ばしとしている自覚はある。けれど、メールや会話で敬太の話をはぐらかし続けるという、燐子から初めて受けた頑なな態度が強く聞き出す行為を鈍らせる。

 

 

(あこが聞けばりんりんはすぐに答えてくれるし、困ったときだってさりげなく教えてくれる。それなのに敬太のことになると全然話してくれないだなんて、今でも信じられないよ)

 

 

 一度、掛け先を変えて敬太へ。が、やはり電話は繋がらない。

 

 

(りんりん、敬太のことを忘れたそうにしてるけど、事情を話してくれないとわからないよ……。大切と思える仲のいい男の子なのに……)

 

 

 忘れたいなんてないよね、と呟くと頭に痛みが走った。頭痛だ。

 

 

「~~ぃつ……なに……? 徹夜とかしてないのに……」

 

 

 あこは最近のメンタルの落ち込みに連動して体調が崩れやすい気がした。

 

 自宅の距離が縮まっていくほど頭痛が強くなっていく。辛い痛みに頭を抑え、視界は斜めに揺さぶられる異常をきたし、気持ち悪さを覚えた。そして、ようやく辿りついた自宅の前で呼び鈴を鳴らすと、ついには意識を手放してしまった。

 

 

 

 


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