夕暮れに滴る朱   作:古闇

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一六話.とある男の子の実家~帰路~

 

 

 田町の父親を止める者がいなくなった今、燐子は危機的状況を迎える。彼女は図書委員という文系少女に相応しく運動が苦手である。咄嗟に見つけた水晶玉を拾い、投げつけても、放射線を描いた玉は迫り来る男に当たることなく床に落ちては硬い音を鳴らし転がっていくだけだった。

 

 けれど、岩色の全裸の男に迫られる威圧の中、思考硬直せず、抵抗できるだけでも褒められたことである。

 

 しかし、田町の父親は燐子の事情などおかまいなしに接近する。

 

 手の内を知られていることもあり、花音から渡されたライトの照射も上手く決まらない。燐子は焦り、全裸の男は勝ち誇った笑みを浮かべる。

 

 もう、燐子と田町の父親に距離はない。

 

 燐子の目前にいる全裸の男が手を伸ばし――弾かれる。囲むような結界が燐子を守ったのだ。燐子全体を楕円に囲むような淡い紫色である。

 

 燐子は自身を守ったものに驚きつつ、本能からか自然と体が逃げ出した。

 

 けれども、文学少女より、成人男性である田町の父親の方が動作は早い。燐子が反転して、逃げ出す間にも拳を数回繰り出しては燐子が纏う一枚目の結界を破壊した。

 

 そう、一枚目である。燐子が纏う結界は多重であった。

 

 走りはじめた燐子の背後から田町の父親が勢いつけて蹴りを行う。痛烈に入ったローキックは二枚目の結界を破壊する。けれども、淡い紫色を燐子はまだ纏っている。結界は健在だった。

 

 流石に勝ち誇っていた田町の父親も多重に張られた結界に面倒くささを醸し出す。

 

 田町の父親の背後から人の駆ける音がした。田町の父親は振り返り、迎撃するように構える。だが、予想に反して、相手は近接攻撃ではなく、水晶玉を投げ、田町の父親の頭部で砕け散らせた。

 

 田町の父親は、頭が割れるような痛みに苦悶に顔を歪める。頭部にひびが入り、頭から手で押さえきれない出血が片目を塞いだ。 

 

 

「燐子ちゃんをやらせないからっ!」

 

 

 手下人は花音だ。完全に温和な表情が消え、普段から想像できない鬼気迫る襲撃だった。

 

 

「この、クソガキぃいっっ!!」

 

 

 羞恥と屈辱で田町の父親が咆える。憎しみの篭った目で花音を睨みつけた。一度ならず二度も怪我を負わされたことで己を傷つける厄介な存在と認識が強まり、ヘイトが花音へ完全に向く。

 

 田町の父親はターゲティングを変え、花音に攻撃を仕掛ける。

 

 以前の映像の焼き回しのように、花音がハムスターごときの俊敏さで攻撃を避け、田町の父親の攻撃をかわす。花音は燐子との距離を稼いだ。

 

 避ける動作に慣れてきた花音は前よりも健闘し、攻撃を回避する。しかし、回避のみだけでは相手を倒せず、周囲にあるのは本や小さなろうそく立てくらいで武器になるものが見当たらなかった。

 

 動体視力による見切りの集中と連続する回避で花音は精神力と体力を擦り減らす、汗だくになり徐々に部屋の出入り口へ後退していった。

 

 

「……松原さん……! 力の限り……全力で私の方に走って下さい……!」

 

 

 花音達の反対側にいる燐子が叫んだ。花音は燐子の声に反応し、反射的に趣味の悪い血塗れた絵と陣の間に立つ燐子の下へと走った。

 

 田町の父親は花音を執拗に追いかける。

 

 花音は部屋の中央の魔方陣を駆け抜け、燐子の前で息を荒らげる。その間に、燐子が先端を赤く濡らした針を陣の中へ投げ込んだ。

 

 田町の父親は燐子の行為に苦虫を潰したような顔をし、足に力を入れ急制動をかけようとする。だが、人は急に止まれない。田町の父親は魔法陣の中へ入ってしまった。

 

 

「糞っ、すぐに戻って――」

 

 

 陣全体が赤く発光し陣に踏み込んだ田町の父親を包み込む。言葉途中の男はそれ以上喋ることもできず、赤い光と共にその場から消え去った。

 

 

「……もう、大丈夫です。……ひとまずは……ですけれど……」

 

「何をしたの?」

 

 

 花音は息を整えてから燐子に話しかける。

 

 

「……確証があったわけではないんですが……塔の最上階の絵と……この部屋の絵って……血を捧げているんです……。……ですので、私の持っている裁縫道具の針に……私の血をつけて投げ入れてみたんですけれど……成功して良かったです……」

 

 

 疲れた様子を見せる燐子。長距離移動に続き、慣れぬ連続のトラブルに燐子の限界が近いようだ。

 

 

「ほぇぇ……燐子ちゃん、いっぱい考えてくれてありがとね」

 

「……危険な行為を引き受けていただいたので……打開策が見つかったんです……ありがとうございます……」

 

 

 燐子は精一杯の柔らかな笑みを見せた。

 

 それから二人は研究所の方へと戻り、塔の屋上から飛び降りて通る出入り口に椅子や機材を移動しては塞ぎ、儀式の間から研究所の通路については燐子が仕掛けをいじることでいつでも扉を閉じれるよう待機する。

 

 塔の最上階から敵が来たなら山積みにした荷物で足止めして転移。儀式の間から来たなら仕掛けで扉を塞ぎ、救援の助けまで凌ぎきる算段だ。

 

 花音と燐子は息を潜めて待つ。

 

 時間にして一〇分経過しただろうか、最上階からの通路の出入り口の荷物が崩された。相手の姿は見えない。だが、花音たちは予定通り儀式の間へと走った。燐子が先頭で花音が後ろだ。田町の父親の走力が変わらないなら十分に間に合う距離だろう。

 

 通路を抜け、儀式の間についた二人。もう脱出口が目の前といったところで花音は二の腕を掴まれた。追いつかれるなんて、と血の気の引いた花音は振りほどこうともがく。

 

 

「わっ、わ、……もー、暴れないでってば。捕まえて危害を加えるようなことしないって」

 

 

 予想に反して女性の声。燐子も足を止め、相手の顔を確認すれば知っている姿。

 

 

「……今井さん……!? ……えっ、……ど、どうして……!?」 

 

 

 燐子のバンド仲間、今井リサがそこにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リサに敵の本拠地にこれ以上いるのは危ないからと促される。危険は取り除いたからと言われ、不安ながらリサについていった二人は何に遭遇することもなく塔の外に出た。

 

 日が暮れ、橙色に染まっている景色から怪我を負っている黒猫とカラス達が出迎えた。

 

 

「ヤマダさん、無事だったんだね! ……怪我してる、こっちに来て」 

 

 

 花音は歩み寄った黒猫の怪我を手当てする。黒猫は患部にハンカチを巻きつけられながら少年を逃がしたと伝えた。

 

 

「それって、こんな感じの私よりもずっと背の高い若い男の人かな」

 

 

 応急処置を終えた花音は身振り手振りで黒猫に少年の特徴を表す。黒猫は恐らくはそうだろうと同意を示す。

 

 花音は、この後に気がかりになるであろう神田明の件を燐子に伝えると、燐子は安堵したかのように微笑を浮かべる。一緒に行動してないとはいえ、怪物が出たのだから知り合いの安否を心配しないはずがない。

 

 それから、花音は回収したカラスの死骸を丸めた包みより解いてその場に広げ、お礼と謝罪を口にする。カラス達は仲間の勇敢さを称えたり、花音を元気づけたしていた。

 

 燐子は花音達のやり取りを眺めていたリサに視線を向けた。

 

 

「……今井さん……、松原さんが動物達と話しているのを見て……平然と受け止めるんですね……」

 

 

 入院していたのでは、との声でも聞こえそうな眼差しでリサを見る燐子。

 

 

「んー? 内心驚いてるよ。でも、怪物がいる事実よりかは可愛いもんじゃん」

 

「……怪物ですか……、黒猫を助け……田町家の当主を倒したのは今井さん……ですよね……?」

 

 

 自分で言葉にしても信じられないといった様子で燐子はリサに問う。

 

 一度田町の父親を退いたとはいえ、二度目は時間稼ぎがやっとだった。そこへ別な人物が危険はないと無傷で現れれば、狐につままれたようにも感じるだろう。何せ燐子はリサを普通の女子高生だという認識し、そのように付き合っていたのだ。

 

 

「当主かはわからないけど、全裸の変態一人と人型の土人形一体を対処したね」

 

 

 もしかして疑念もたれてる、とあっけらかんと話すリサに対し、燐子は気まずそうに頷く。

 

 

「……助けに来て下さったのはありがとうございます……。……ですが、やはり……今井さんがこちらにいる理由がわからないことには……安心できなくて……ごめんなさい……」

 

「仕方ないって、嫌なことがあるとマイナスの考えばかりなることもあるし。アタシ達、会って一年どころか半年も経ってないもんね。バンドはともかく、友人付き合いはまだまだこれからなんだし。

 でさ、話の順序があってね? 話難いこともあって、悪いんだけどちょっとしか喋れないかな」

 

 

 リサは口元で手を合わせ、片目を閉じて、ごめんねといった仕草で謝った。燐子は頷き、それでもいいですからと話の続きを催促をする。

 

 

「それがさ。燐子達と似たような経験して、怪物から逃げてー、で無事入院。最後にヘマしちゃってねー。

 でも、その時にできた伝手で燐子が危険な場所に行くって情報知ったから追いかけてきたんだ。もちろん、怪物に有効そうな物をもってね。……言えるのはこのくらいかな。

 アタシは人伝で燐子の家の事情を少し知ったけど、燐子は両親から聞いた方がいいと思うしね」

 

「……私の家の事情ですか……、……昨日の夜に決まった遠出でしたが……早すぎる情報を考えれば……私の両親が関わっているんですよね……。

 ……今までも、私は狙われていたそうですから……昔から誰かが守ってくれていた……くらいは想像しました……」

 

 

 リサがいつ知ったのかと問うと、燐子は今日ですと話す。二人は互いに、大変だったんだなといった雰囲気を醸しだした。そこへ、動物達とのやりとりが終わった花音が二人に近づく。

 

 

「ばっちり聞こえてたんだけど……聞かないことにした方がいいのかな?」

 

 

 どうした方がいいのかなとリサに訴える花音。背景に傷を負った歴戦の猫や狂暴そうなカラスが夕日に照らされ醸し出される威圧感。

 

 

「……まごうことなき動物使いだね~。サーカスとかの猛獣でもいけそうかな」

 

 

 リサの言葉にサーカスでライオンや象と仲良くする光景を想像した燐子も頷く。

 

 

「えっ? 猛獣?」

 

「ごめんごめん、つい口に出た事だから気にしないで。そうだねー、周りに言いふらさないならそれでいいよ」

 

 

 花音は燐子達の嫌になることはしないよと同意する。

 

 

「もう、することはないよね。家に帰ろ?」

 

 

 話が途切れたことで沈黙が訪れ、花音が帰宅を提案する。燐子とリサは否定することなく賛成し、そうして三人とプラスα達は夕焼けが揺れる中、家へと帰宅した。

 

 

 

 


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