夕暮れに滴る朱   作:古闇

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一四話.とある男の子の実家~遭遇~

 

 

 

 最上階の両扉が自動的に閉じる中、五陵塔から落ちる花音と燐子。一羽のカラスも二人に随従する。

 

 五階から三階目前に到達したところで、花音達は見えない何かに吸い込まれるようにして消えた。景色が変わり、周囲を赤茶のブロック壁に囲われた場所に切り替わる。

 

 これは花音が想定していた事態ではなかった。けれど、花音は平静を保ち、紐を通して首にかけた指輪の力を行使し、地面から一メートルの高さで静止する。

 

 ”空中浮遊”という魔法の一つだ。千聖の事件解決後、こころから新たに更新された指輪の力である。

 

 花音は燐子を上にして白い石畳の床に倒れ込むと、痛みと衝撃で呻いた。だけども、燐子が嗚咽を殺して泣いている声を耳にし、花音はすぐさま弁明を始めた。

 

 

「ご、ごめんね、説明もなくて。飛び降りる覚悟って相当勇気がいるし、時間をかけてる余裕もなくて無理しちゃって……」

 

 

 けれど、燐子は涙腺が決壊したかのように泣いてばかりいる。花音は自身に原因があることもあって、胸が罪悪感で押しつぶれそうだった。

 

 それからしばしの間、花音は燐子を抱きしめ、彼女が泣き止むのを待つ。カラスも空気を読んでか壁際で静かに待機をしていた。

 

 嗚咽が収まると、ようやく燐子が花音の上から離れ、ゆっくりと立ち上がる。花音も遅れて体勢を立て直した。

 

 沈黙が二人の間に佇む。

 

 燐子は顔を伏せ、裾を握る。やらかした側の花音は思うように言葉が出てこない。静寂の中、燐子が先に口を開いた。

 

 

「……あの……わかっていますから……。……それから……その……ごめんなさい……」

 

 

 相変わらず顔を伏せた燐子に花音はうんと返し、話題を変えるべく辺りを見渡した。

 

 周囲は大きな円形の赤茶の壁で上は高く、壁の途切れた辺りから五陵塔が四階から最上階まで遠目で見える。

 

 

「先に通路があるけど、ここは何処だろね」

 

「……松原さんもわからないのですか……?」

 

「一階辺りの宙で止まる予定だったから、この場所は知らないんだ」

 

「……一階でって……いえ、今は脱出を優先します……。……ですので……もしも話せるのでしたら……教えてください……」

 

「うん、ちゃんと話すよ」

 

 

 少々泣き腫らした目であるが、燐子はようやく花音の目を見て表情を和らげ、ありがとうございますとお礼を言う。

 

 話が終わったことで二人は先にある通路へと目を向ける。最先端の病院と彷彿させる白い金属製の通路は人二人分が横に並んでも十分な間隔があり、一本道の先には鋼鉄製と思える両扉があった。

 

 先を歩く以外で何か方法がないか二人は考える。

 

 携帯は電波が届かなく、壁の上をよじ登ろうにも支えとなるヵ所もない。花音達についてきたカラスが上空から他のカラス達を呼ぶが、他のカラス達は建物の周りで慌てているだけであり、気づいた様子はなかった。

 

 二人は、最上階の部屋から飛び降りることでこちらに来れるのではと推測する。だが、扉は閉まっていて、カラス達での扉の開閉は無理そうだ。花音と燐子は戻れないと割り切り、一本道を通ることに決めた。

 

 

(えーっと、自衛アイテムって、燐子ちゃんに渡さなくてもいいんだよね)

 

 

 車に全力で二、三度轢かれても問題ない程度には燐子の母親が毎日結界を張り直しているとの事。なので、掴まりさえしなければ燐子の方が防御が高い。そうだと、花音はこころから聞いている。燐子本人は知らないことだが。

 

 もちろん、花音の方も指輪の力で防壁がある。ただ、花音の精神力を消費して張られるので、燐子ほどの堅さはない。

 

 それから、一番先に進むのはカラスだった。花音達は後ろに続き、何事もなく奥の扉へと到着する。扉は鋼鉄製の白い両扉であり、花音達が扉の前に立つと、自動的に左右に開いた。

 

 何があるかわからない。しかし、出口を探すため二人と一羽は中へと進むしかなかった。。

 

 扉の先は広いフロアである。が、荒れ果てており、湿った土っぽい空気だ。奥の壁にあるスクリーンは大きくヒビが入っており、その下に並んでいる機材は大部分が破壊され、中央にある手術台は形を保つも幾つかの付属機材が折れている。

 

 側面の片方にカテーテルや病院にありそうな器具の置かれた長机は真っ二つ、反対側に成人男性でも余裕で収まりそうな円柱のカプセルらのガラス部分は破損していた。

 

 そして、室内にはくたびれたスーツを着る一人の男がスクリーンの下でかろうじて起動させたであろう機材を操作している。突然、フロアに足を踏み入れた侵入者に「追手か!」と凄んだ声で振り返った。

 

 

「白金燐子? ……とおまけか。何故怪我もせずにこの場所にいる。あの高さから落下したなら骨折は間違いないはずだ。もしやロープでも伸ばして降りたか? だが、最上階に控えさせたマッドパペット達が邪魔するはずだ。どうやってここに来た?」

 

 

 くたびれたスーツの男は高圧的に語る。花音は負けずに問い返した。

 

 

「パペットですか? 三階から下の階層から何か来ましたけど、あの不気味な部屋に誰も何もいませんでした」

 

「なら、お前たち以外にも先に誰か来たか。最上階の扉に近づかなければ動き出さないパペット達だ。そいつを追って下に降りたんだろうな」

 

「田町さんの友人の神田明さんだと思います。神田さんはそのパペットに追われて危害はないですか?」

 

 

 男性はさあなと吐き捨て、冷たく花音を突き放す。神田明がどの様な経緯を辿ろうが関心がないようだ。

 

 

「あ、あと、私は松原って言います。貴方は田町さんのお父さんですよね」

 

 

 田町の父親はだからなんだという態度で肯定する。

 

 

「田町敬太さんはどこにいるんでしょうか? 神田さんは彼を探しに来たんです、もちろん私達も」

 

 

 花音の言葉を受けた田町の父親は自嘲気味に笑う。

 

 

「ああ、俺の作品の事か。あたかも人間みたいでいい出来栄えだっただろ? 主人に従順なり逆らうことはないんだ。が、あれの母親のみ繁殖機能を持ち、種として存続のもろいところが欠点か。

 負け犬共から金を毟り、町での試験もいいように進み、今回の件が終わりしだいいよいよ自分の会社でも興そうと思っていたんだが結果はこの様だ」

 

 

 知りたい返答ではなかった。田町の父親の言いたいことがわからず、花音達は困惑の表情を浮かべる。

 

 

「そうか、お前達はスワイプマンという存在を知らないか。彼の哲学者、ドナルド・デイヴィッドソンが考案した思想実験を現実に昇華させたものだ。もっとも、オリジナルは死に複製された異形のモノしか残らんのだがな。

 当然のことだがあの親子を引き取ってすぐのこと。母親はスワイプマンの母体を創る素材に、息子はスワイプマンとなった母親に喰わせた。お前達が探す田町敬太は存在証明された複製・コピーだ。まぁ、化け物共に破壊されてしまったがな」

 

 

 花音と燐子は頭を殴られたように事実に言葉が出なかった。田町敬太が第二の父親の手でとうの昔に殺されていたなどと。

 

 

「ふん、国家に監視された化け物共に住居を襲撃された時は散々だったが、どうやら運が回ってきたようだ。相手をしてやる。荷物の回収は後としよう」

 

 

 田町の父親の瞳が変わり危険な意思が宿った。花音とカラスは身構え、燐子は足がすくむ。それは花音が一月前の間に体験したばかりの殺意と呼ばれるものだった。

 

 

「なぜ、こんな話をした理解できるな? 死んでくれ。白金燐子、お前も同様にだ。今の俺では生け捕りにしたところでどの勢力にも無理やり奪われるだろう。なれば、スワイプマンの素材として有効利用やる、感謝しろ」

 

 

 田町の父親はくびれたスーツの懐から何か取りだそうとする。だが、花音の行動の方が速かった。

 

 花音は燐子の名前を呼び、カラスに合図。手に握っていた携行ペンライトの明かりを最大にして男の目に照射した。何か危険と出くわした際の行動を決めていたので、二人と一羽は可能な限り明かりに目を合わせない。

 

 眩いまでの明かりが室内を強烈に照らす。

 

 

「ぐぅぅうう!?? 目が、俺の目がぁぁああ!!」

 

 

 目の網膜を焼かれたのだろう。懐から拳銃を取り落とし、片手で顔を抑える。好機とばかりにカラスが田町の父親を襲い、花音は走り床に落ちた拳銃に飛び込んだ。

 

 拳銃を拾い上げた花音は視線を変え、田町の父親が操作していた機器を調べる。脱出口を探すためだ。

 

 足の竦んでいた燐子も敵意がカラスに集中している間に回復し、行動可能となる。燐子は、カラスと田町の父親から離れた場所で何か仕掛けがないか、移動し探索する。

 

 一方で、カラスは田町の父親を二人から遠ざけるようと、鋭いくちばしで襲い続けいていた。

 

 

「????? - ?????? - ???? - ?????? -!!」

 

 

 田町の父親は何らかの言葉を紡ぎ、淡い光を纏わせた腕を振り回しカラスの翼に触れる。突如、その触れた部位が肉を焼く音をさせながら黒焦げとなった。

 

 カラスは甲高い悲鳴を一声あげて地面に落下し、今だ目を開けることのできない田町の父親がカラスの倒れた場所に向けてがむしゃらに踏みつける。幾度かカラスへの狙いが外れるも、体重を乗せた踏みつけは一度当たれば命を奪うには十分である。遂に、その一度が命中してしまい、カラスは弱弱しい鳴き声から沈黙し、痙攣するだけとなった。

 

 時間にして三〇秒とないだろう。花音達がカラスの悲鳴を耳にした後には、カラスの命が嬲られ、絶命する瞬間を目撃のみであった。

 

 動物の命が奪われた事実に胸を痛める花音と燐子。けれど、視界は回復していなくとも相手は健在である。二人は胸の痛みを堪えて出口を探す。

 

 田町の父親は自信のスーツの内側を探り、ポケットから拳より小さい水晶体を取り出す。それを床に叩きつけて破壊すると、不協和音に似た水音を奏でながら壊れた球体から粘度ある泥状の液体が溢れ出した。

 

 水溜まりになった泥が蠢き、田町の父親の前に集まるとカラスの死骸を取り込みつつ盛り上がる。人の形を形成すると凝縮し、頭は鳥類だがその姿を現した。さながら粘土で作った鳥人間の目は濁り死んだ目のようだ。

 

 

「パペットよ、あの女二人を殺せ」

 

 

 泥人形は濁ったカラスの声で返答すると一番近い花音に対して歩みを進めた。

 

 角ばった歩き方の早歩きな速度で花音に擦り寄る。

 

 花音は田町の父親から奪った拳銃を泥人形に向けて撃とうと銃口を向ける。けれど、セーフティーの解除されていない拳銃はトリガーが引けず、慌てた。拳銃を扱うことが初めてである花音はセーフティーの存在を知らなかったのだ。

 

 泥人形が距離を詰めたことで拳銃を扱いに花音は諦める。燐子にターゲティングを移さないよう泥人形の注意をなるべく引き付けようとした。

 

 互いの距離が縮まったことで、泥人形から残飯を醗酵させたえづきたくなる不快な臭いが鼻を刺す。

 

 

(う……、甘くて酸っぱい。気持ち悪い臭い)

 

 

 泥人形が近い。花音は得体の知れない生物が自身に迫ってくる恐怖心を抑え、十分に引き付けてからその場から飛び退く。泥人形は勢いをつけて精密機器に覆いかぶさった。

 

 花音は冷や汗をかき、慣れない行動で心臓の鼓動が痛く感じたらしく手を胸に当てる。それからすぐに泥人形が通った道、先にいる田町の父親の方へと方向を変えた。 

 

 一方で田町の父親は瞼をあげることに苦労しており、目が焼かれたことで、視力が回復しきれてない。

 

 花音は泥人形が再び自身を追うのを待ってから走り出し、視界が悪くなっている男の横をスライディングの要領で通過し背後に回る。

 

 田町の父親は何かが迫ったことに気づいたようだが、拳を振りまわすも花音に命中することはなかった。

 

 背後に回った花音は両手で勢いをつけ、田町の父親を突き飛ばす。カラスが泥人形に取り込まれたのを見て、足止めにならないかと考えたのだ。

 

 田町の父親は体勢を崩し、前のめりでたたらを踏む。そこへ花音を追う泥人形が田町の父親と接触した。

 

 

「この感触、パペットか。……おい、人形の分際で何をしている! 離せ!!」 

 

 

 田町の父親は泥人形を引き剥がそうとするも、接触した部位から濁った水音を鳴らしながら人の身を取り込み続ける。底なし沼にはまった人間と同じく、田町の父親はその体を人形の中へ沈ませた。

 

 泥人形が胸をもがいて苦しみだし、体が一回り大きくなる。田町の父親は泥人形に取り込まれたのだ。

 

 だが、泥人形の行動は止まらない。泥人形は、田町の父親の魔法、カラスを痛めつけた時と同様の呪文を唱え、片手に淡い光を纏わせ、花音に向けて一歩踏み出した。

 

 けれども、その頃には花音が再び拳銃を構えていた。泥人形の一連の流れの間に、拳銃のセーフティーを外していたのだ。

 

 

「こ、このぉ!」

 

 

 気合を入れる一言で、拳銃から銃弾が発砲され、人形の腹部へ撃ち込まれる。一、二、三発。続けざまに高い銃声を室内に響かせた。

 

 しかし、初めて経験する拳銃の扱いだからだろう。一発目以降は反動から照準が大きくぶれて、二発目からは当たらなかった。泥人形は腹部に小さな穴を開けながらも、一歩一歩と、大股で前進を続ける。苦痛に怯む様子もなかった。

 

 花音に迫った泥人形が、一回り大きくなった手で花音を掴もうと手を伸ばす。

 

 捕まることを恐れた花音は泥人形の手を避けようとする。けれど、伸びる手は届いてしまった。

 

 だが、水色の防壁が泥人形の手を遮り、花音への接触を阻む。障壁により弾かれた手は虚空を掴んだ。

 

 花音はチャンスとばかりに銃口を相手の胴体に向ける。

 

 真近な距離であり、思わぬ障害により攻撃を弾かれ体勢が整っていない泥人形。花音はトリガーにかけた指を引き続ける。

 

 一発目の弾丸は腕を。

 

 二発目は腹部へ。

 

 三発目は胸に当たって、それ以降も連続して命中し、銃声が鳴り響く。連発の命中で泥人形は怯み、次々と風穴をあけては後ろに退いた。

 

 拳銃に入った弾丸を撃ち尽くすと、トリガーの引く音だけが鳴る。空の薬莢が床一面に散らばっていた。硝煙の臭いが立ち込める。

 

 相当数の弾丸を身に受けた泥人形は、左右に揺れると前のめりで倒れた。体全身を痙攣させた泥人形は、口の端から濁った泡を吹き、不快な泥の臭いを強めた。

 

 花音は何歩か歩いて泥人形から距離を取り、拳銃を固く握って、その場にしゃがみこむ。強いため息を吐いた。緊張が解けた束の間、花音から離れた場所で、ガコンッ、という音が鳴った。

 

 花音は慌てて音の方へ視線向ける。そこには、胸を撫で下ろす燐子とスライドした壁があった。燐子が出口の仕掛けを見つけ解いたのだ。

 

 花音の視線に反応した燐子は、落ち着いた状況に気づき、花音の下へ駆け寄る。

 

 

「……松原さん……お怪我はありませんか……?」

 

「うん。ちょっと緊張が抜けてこうしているけど、怪我はないよ」

 

 

 まぬけた声で花音は笑う。燐子は安堵の声を漏らし、あの、と小声で花音に手を差し出した。

 

 燐子の助けを借りて立ち上がる花音。確認も含め倒したであろう泥人形をじっと見据える。

 

 

「…………そっか、私ってこの人を――」

 

 

 それ以上言わせまいと花音の口を燐子は片手で押えた。

 

 

「……彼は敵です……。……松原さんは私にできないことをしてくれたんです。……仕方ないんです。……それよりも遅れてごめんなさい……扉、開きましたので行きませんか……?」

 

 

 花音の口を塞ぐ手を離し、ごめんなさいと謝る燐子。燐子は花音の気持ちを憂いでいる。一人だけに責任を負わせまいと言葉を重ねる。

 

 花音は、燐子の必死な気遣いに、そうだねと一言頷き、意識を切り替えた。

 

 

「ね、燐子ちゃん。原因追及の手掛かりが目の前にあるかもしれないけど、どうしよう?」

 

「……満たされましたから、もういいんです……。……それよりも私は……日常に戻りたいって思ってます……」

 

 

 再度燐子の気持ちを確認した花音は田町敬太の件から手を引くことを心に決めた。燐子にこの話題を振ることもないだろう。

 

 花音と燐子は荒れた研究所を探索することなく、燐子が見つけた出入口に入り先へ進んだ。

 

 

 

 

 

 燐子と花音の姿が見えなくなってしばらく時が経過したのち、泥人形の顔にヒビが入り、顔が割れ、男の顔が現れた。

 

 

 


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