夕暮れに滴る朱   作:古闇

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一一話.喫茶店の裏

 

 

 

 つぐみの親が個人経営している羽沢珈琲店は街の一角にある洒落た喫茶店である。けれども約四年前、羽沢珈琲店の隣にある床屋の老夫婦が田舎に憧れて引っ越し、そこを羽沢家が買い取った。

 二つの建屋を潰して再建築するため羽沢珈琲店は一時休業をする。新たに建てられた喫茶店は以前と比べれば内装は多少大きくなった程度で、はっきりと変わったといえるとすれば一角にある洋菓子コーナーの面積が増え充実したことだろう。店主の言い分では妻が好きな菓子作りを提供できるコーナーを大きくして大部分は住居と倉庫に区間を分けたという話だ。

 

 花音はつぐみが待つであろう珈琲店のドアノブに手を掛けて扉を開ける。チャイムのベル音が鳴ると炒った珈琲豆の匂いが漂ってきた。

 

 店内を忙しなく動き周っているエプロン姿のつぐみがベル音に気づき、迎える。

 

 

「いらっしゃいませ、花音さん。お待ちしていました!」

 

 

 入店した花音に可愛らしい笑顔で出迎えた。幾度となくお店に通っている花音は馴染みのある歓迎を受ける。視界の端ではつぐみの家でアルバイトをしているイヴがにこやかに接客していた。

 

 

「お店、まだちょっと忙しそうだね。少し待っていた方がいい?」

 

 

 つぐみの背後を気にかけた花音は、花音の視線に気づいたイヴと目線がぶつかり互いに軽く手を振り合う。

 

 

「いえ、お待ちしなくても大丈夫です。あちらへお願いします」

 

 

 忙しくとも余裕があるのだろう。つぐみは手で示し、行き先を指定する。場所はクッキーなどの焼き菓子が置かれた洋菓子コーナーである。けれど、椅子もなければ扉も見当たらない。花音はつぐみに案内されるがままお菓子コーナーの奥へと進んだ。

 

 奥のカウンターの上にレジがあり、そのカウンターの横、客席から見えずらい位置の壁に掛かっている絵画の横につぐみは立つ。絵画には妖精が踊っている絵が描かれていた

 

 

「どうぞ、進んで下さい。扉は開いていますから」

 

 

 つぐみが花音に絵画の奥へ進めと誘導をしてくる。しかし、当然ながら絵画に何かしらの扉はなく行き止まりであり花音は困惑した。

 

 

「その……ごめんね、どう見ても通れるようには見えないんだけど……」

 

 

 目をパチクリさせて呟く。何度も見返しても眼前にあるのは絵画の飾ってある壁である。

 

 

「ああ、すいませんそうですよね。私も最初は戸惑っちゃいましたし。でも大丈夫です、通れるというのは事実ですので思い切って進んで下さい」

 

 

 困惑をしていた花音ではあったがつぐみの励ましを受け、歩を進める。目の前にある絵画は精巧に緻密にと描かれており、弁償するならば高額な費用を請求されると理解できる代物だ。

 

 一歩、また一歩と足を進めると近づく壁。花音は目前に迫った壁に肩を強張らせ、そして、壁との間隔がほとんどなくなり、壁の中へ体を沈めるよう吸い込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ようこそ、羽沢ブラックマーケット店へ!」

 

 

 壁に吸い込まれてどこかへと移動した花音を出迎えた言葉がそれだ。

 

 花音を歓迎した言葉の主は先ほど別れたばかりのつぐみである。けれど私服にエプロン姿ではなく、ウェイトレスの衣類に身を包んだつぐみであった。

 加えて、壁を抜けて出た先は窓のない室内であり、赤茶のレンガの壁に囲まれた酒場のようなフロアである。

 

 

「……あ、あれ? つぐみちゃん……? さっき、別れたばかりだよね?」

 

 

 花音は自身が先に壁の中に入り見送られたのにもかかわらず、目の前に先ほど別れたばかりの人物がおり混乱する。

 

 

「つぐみですよ、そっくりさんではありません」

 

 

 落ち着いてくださいとつぐみは小さく笑う。

 

 

「タネを明かしますと、花音さんの目の前にいる私は影で、先ほど私に似た人も影です。偽物と思うかもしれません。ですが、オリジナルと記憶の共有をしていますし、オリジナルと同等の行動をしますので一人のつぐみと接してもらえると嬉しいです」

 

「えっと、つぐみちゃんということでいいんかな」

 

 

 つぐみは「はい」と返事をして笑った。

 

 それから場所を移動して、木彫のカウンター内につぐみが入り、花音はカウンターに備えられた椅子に座る。花音はつぐみに飲み物を提供されたのち、襟を正したつぐみと対面することになった。

 

 

「ここの紹介をしますと、ブラックマーケットだけあってそれなりの品物があります。吸血鬼であるなら輸血パックを。グールであるなら彼ら好みの食物を。と、いった物をご提供及び買取をしています。世の中の物流は発達していますので花音さんが欲しいと思うものは限られると思いますが、解毒剤や鎮痛剤などの私生活で手に入りにくい消耗品をお売りできます。ご活用下さい」

 

「吸血鬼? グール? 人外さんが来たりしているんだ……ちょっと怖いかも」

 

「花音さんがイメージするような恐ろしい相貌ではなく、ちゃんと私のような見かけをしていますよ。組織やグループに所属の方はともかく、はぐれや隠居者は死活問題だったりしますのでご利用いただいてます。花音さんの欲しいものは置いてないと思いますが、まずはこちらをどうぞ」

 

 

 つぐみはカウンターの下から小型携行ペンライトを机に滑らせるようにして花音へ差し出す。

 

 

「超強力な閃光ペンライトです。相手を怯ます閃光手りゅう弾の代わりとしてご使用して下さい。無理や無茶をしなければそれが一番なのですが、そうもできない状況もあると思いますし。あとこれ、説明書です」

 

「その、ありがとう。防犯グッズだと思って持っておくよ」

 

 

 花音は苦笑いをしながらペンライトを受け取る。身を守るためだからとナイフやスタンガンを渡されるよりはずっとマシだろう。

 

 

「花音さんは動物を使役できますが、室内や密室ではすぐに助けに入らないし呼べないこともあると思いますから」

 

「やっぱり、朝にジョギングとかしたりして体を鍛えたりした方がいいのかな」

 

 

 自身の戦闘力のなさを指摘された花音は迷いを口にする。一月前辺りから運動神経は向上しているが、事件性のある事柄に関わるのなら暴力に対して何かしらの備えをしたいのは一般的な考えだろう。

 

 

「ごめんなさい、少し余計なことを言っちゃいましたね。前回も話しましたが一朝一夕で身につくものでもありませんし、なにより毎日鍛錬する時間を捻出するなどしなければなりません。バンドやバイトに宿題やら予習、動物と仲良くなるための活動をしたりで日常で手一杯なのですから無理に生活環境を変えてまでする必要はないですよ」

 

 

 花音は「そうかな」と自信なさそうに相槌を打ち、つぐみは「気になるんでしたら、寝る前にストレッチでもどうでしょう」と言葉を返した。

 

 

「それでいいの?」

 

「はい。体の筋が柔らかくなりますし、日課にしてもそれほど手間な事でもないですし」

 

「うん、やってみるね」

 

 

 否定的な意見がないのは誰しも嬉しいもので、花音はやる気のある姿を見せる。

 

 

「それはそうと白金さんのことです。田町敬太さんのご友人、神田明さんと接触したようですね」

 

「え? つぐみちゃん、何処かで見てたの?」

 

「教団からの情報です。今って、白金さんの保護強化期間中ですので相応の動きがあるんです」

 

 

 つぐみは話の終わりにカウンターから書類を取り出し、「どうぞ」と言って花音に幾枚もの紙を束ねホッチキスでまとめた物を渡す。

 

 花音はつぐみから書類を受け取り、表紙の紙をめくって中身を確認した。

 

 

「この顔写真は燐子ちゃんが話してた田町さんかな? プロフィールもまとめてあるね。……神田さんもあるし、次に載ってるのは御茶ノ水さん。神田さんの幼馴染さんなんだね……ふぇっ……親御さんのことまで詳しく載ってる……」

 

「先入観ができてしまいますし、花音さんに見せるかどうか悩んだんですが、あまり素性の知らない相手と行動するのもストレスが溜まりますよね。なので、事前情報として渡しておきます。そちらに記載のある通り、田町家は父親は数少ないフリーの魔術師であり、雇われ魔術師として暴力を用いる事もあります。田町家以外の方々は白、もしくは暴力団体や宗教とは無縁の一般の方です」

 

 

 むむむと花音は難しい顔になる。なにせ魔術師という者がいるというのは知っているし、今年になって何人も見てきている。善き者であれ悪しき者であれ、術を唱え世界の常識を覆す力は頼もしくもあり厄介だということも。

 

 つぐみの話から田町敬太の父親が気がかりになった。この件に魔術師関連が関わっているならなお更だ。

 

 

「田町家のお父さんに黒い噂があったから田町さんは行方不明になったのかな?」

 

「どうでしょう、何とも言えないです。あと、もしも花音さん達が田町家関連で遠出をすることがあったのならこころちゃんや私に一報を下さい。常に花音さんや白金さんの行動を把握している訳ではありませんので、よろしくお願いしますね」

 

「そうだね、ちゃんと連絡するよ」

 

 

 相手の出方次第では危険な状況になることを理解し、花音はつぐみに頷いた。

 

 

「これで話は終わりです。その書類はここから持ち帰らないで下さいね。もうこのお店は閉めてあるので、十分に読み終わりましたら返却をお願いします」

 

「ごめんね、お店を空けてもらっちゃって」

 

「安心しちゃってください。こちらは支店で本店はちゃんと営業してますから。折角ですし、今日は寛いでいってくださいね」

 

「お言葉に甘えてゆっくり読ませてもらおうかな」

 

「わかりました。それと花音さんはお昼ごはんぜんぜん食べていなかったですよね。なので、読んでいる間に食事を準備してもいいですか? 私のおススメがあるんです。量は軽め、普通と重め、とあります」

 

 

 お昼どきに食事をする気分でなく、たいした食事をしていない花音。つぐみに指摘されてみれば確かにお腹はすいている。

 

 いいのかな?、と花音は迷った仕草をみせるも、つぐみが遠慮しなくていいですよとジェスチャー。花音は頷き、つぐみの言葉に甘えることにした。

 

 

「普通でお願いしようかな」

 

「はい、ちゃちゃっと作っちゃいますね!」

 

 

 つぐみは自身あり気に答え、意気揚々と店の奥へと引っ込んでいった。

 

 花音はつぐみが料理をしている間に手にした資料をめくり、田町の父親についてを重点的に読む。詳しく確認すれば、田町の父親は暴力組織に手を貸したとか、その組織名や他者に危害を加えた疑いがありなどよくない情報ばかりが載っている。

 

 母と息子が気づいているのかを花音はわからないが、そういった関連で行方不明になったのではと勘繰りたくなるような内容だった。

 

 その黒い面もある一家に危険だという思いが花音に芽生えた。いっそのこと田町敬太のことを真剣に探さないでいいのではないかと黒い思いがよぎる程度には。

 

 けれど、燐子の手伝いをすると決めたからには花音は田町敬太の情報を探すだろう。なによりこころに止められていない。それと、確かにこんな書類は外に持ち出せないことも知った。

 

 しかし、田町一家を見つけてしまった場合、自分自信や燐子を守るため、田町敬太であれその母親であれ、疑いの目を隠し接するだろう思うと気分が下がる。参考にするは鉄面皮の千聖だ。本人に決して言えないが助かることがままある。

 

 そうこう考えている内に店の奥から調理のいい匂いが漂ってきた。揚げ物だろうか。なにとなく嗅ぎなれた匂いは、肉屋であるはぐみがよくコロッケを差し入れにもってくるせいかもしれない。

 

 昼より空腹は強い。先ほどの重い気分も多少薄れ、匂いに気をとられているとつぐみが料理を手にして戻ってきた。

 

 

「お待たせしました! テケリコンソメスープ、トマトとシャンタク鳥のチキンサラダ、ミ=ゴとシャンのミックスフライ・タルタルソース添え、黒い仔山羊ミルクのパンです! 少量のお飲み物はザイクロトルティーです! 特にこのパンに使用したミルクがとても貴重な品なんですよ!」

 

 

 つぐみはそれぞれの手にお盆を持ち、一度二つのお盆をカウンターに置く。まず先にフォークとナイフを花音の前に用意し、それから料理の載った皿を綺麗に広げた。

 

 目の前には美味しそうなミックスエビフライ定食が広がり匂いも大変よろしい。可愛い定員さんも微笑んでそこにいる。花音は手にある書類を一旦、横の椅子に置く。姿勢を正し、口をほころばせそうになるも一瞬表情が固まった。

 

 

「どうしたんですか?」

 

 

 つぐみが花音の様子に疑問を感じて尋ねる。

 

 

「ううん、ちょっと湯気に断末魔というか、叫び声というか、なんか変な感じがして……」

 

 

 出された料理をよくよく見れば、こちらを威嚇するかのようなプレッシャーを花音は受ける。漂う湯気はどこかムンクの叫びのようにも見えた。

 

 

「きっと気の所為です。これらの食材はこころちゃんがとても偉い方々から許可を頂いて、遠い場所(にある惑星)で食用に養殖したものだそうなんです。一応ですけど、野生で見かけるモノは食用ではないので食当りで生命に関わりますから注意して下さいね」

 

 

 目の前の料理に怖気づく花音につぐみはさらりと話す。

 

 当然つぐみはこれらの食材の元となった生物を知っている。もちろんどのような存在かなども。今の時点では当然花音に言わない。どのような存在か知ってしまえば食べてくれないだろうと知っているから。

 

 

「えっ……野生だとそんなに危険があるの?」

 

「はい、食用としての有り様は珍しいと思うんです。それに捕獲となると水中にいるサメを素手で捕まえる程度の緊迫感はありますし。ですので冷める前に召し上げってもらえると嬉しいです。なによりこころちゃんの提案で養殖されたんですから」

 

 

 最後の念押しにこころの名前を出される。食べますよね?という声が聞こえそうな圧のつぐみに、花音はふぇぇと情けない声を出しつつも、用意されたおしぼりで手を拭いてナイフとフォークを手に取った。

 

 

「……頂きます」

 

 

 花音は意を決し、目の前に置かれた料理から再び浮き上がった叫びを、私は何も見ていないのだと言い聞かせ、湯気の立ち上る料理に手をつけた。

 

 

 

 


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