夕暮れに滴る朱 作:古闇
10月の第2週目の休み。一〇時頃に、花音と燐子は隣町まで来ていた。駅を降りた二人は休日ということもあって、一層賑わう街中を歩く。
「……うぅ……人が多い……」
人混みが苦手な燐子はさっそく根を上げる。
「いつもの街並み変わらない休日だと思うけど、そんなに人多いかな?」
「……いえ、その……人混みが苦手で……」
「わかるなぁ、あんまり人が多いと目が回るよね」
しんみりと頷く花音。千聖に連れられたり、もしくは個人でカフェ巡りをしているが未だに人混みは得意でなかった。
「……まずは近場から行きます……。……あこちゃんにそれとなく聞きましたので……行き先も問題ないと思います……」
「うん、お願いするね」
「……いえ、こちらこそ……」
微笑ましく二人は笑い合う。花音は燐子と歩調を合わせ、二人は街の散策をはじめた。
燐子が話すあこの情報を元に、街の本屋にCDショップ、ゲーム店などを巡っていく。順調だった足並みだが、一つの試練に歩調が鈍った。一つの建物にあるメンズ洋服ブランド店の前で足を止めたのだ。
「ま、松原さん……本当に中に入るんですか……?」
燐子は若干恥ずかしそうに顔を赤らめる。奥手の少女らしくメンズ専門店に入店するのに抵抗があるようだ。
「うん、田町さんはここに来たりしていたって話だよね」
対照的に花音は平然とした顔でのたまう。こころ達の付き合いにより度胸が一層磨かれ、現在の行いが必要な事だと理解している花音はバイタリティに溢れていた。確固たる意志を持って入店する気合に満ちている。
「……ご、ごめんなさい……割と手当たり次第で……そ、その……男の子と本当に入ったかどうかは……わからないです……」
「でも、可能性はあるんだし入ってみよう」
「……ふ、ふぇぇ……」
花音は燐子にお株を奪われているのにも気にせず、問答無用といった様で燐子の手を引き、メンズ洋服店へ入店した。
店内は顔の整った爽やかな男性店員や二人組の青年など広いフロアで接客や服を選んでいる。女の子二人が多少騒がしく入店したことで一瞥するが、すぐに目の前の衣類に視線を戻した。
燐子は一斉に視線が集中したことで足を竦ませてしまう。それでも花音は僅かに抵抗する燐子を引っ張りシャツのコーナーへと連れ立った。
「ん~、ストリート系のコーデなら私達でも着られそうな服がいくつかあるね。けど、男の人の服だからちょっと大きい」
花音は男物の衣類を手に取ると広げて自分の前にあてて燐子に見せる。
「……た、確かにありますけど……松原さんは男の人の視線は気にならないんですか……?」
早くお店を出たそうな燐子は普段より早口である。
「気になるよ。でもせっかく中に入ったんだし、少しくらいは見ておきたいかな。燐子ちゃんって衣装作りをしてるよね、何かインスピレーション沸くかもしれないよ」
「……そうかもしれませんけど……。……もしかして、松原さん……気に入った服があったら買うんですか……?」
「ゆったりしているし、一着くらいは良いのかもって思ってるよ?」
花音の私室にあれば千聖がまた勘違いしそうなことを言い始める。
その後、花音は燐子に衣類の感想を求めつつシャツコーナーからパーカーのある上着のコーナーへ移動をする。花音は立て掛けてある衣類に触れて、燐子を伺った。
「ここまでのシュチュエーションで、何か記憶に引っかかることってあったかな?」
花音の指摘に燐子は目が覚めたといった顔をすると、すぐさまに考えた様子になる。けれども記憶に無いようで、ごめんなさいと言って首を振った。
「そっか、ちょっと強引でごめんね。お店、でよっか」
「……はい……」
燐子が頷き、メンズ洋服店に用はないとお店を出た。するとそこへ一人の男性が二人の背後に近づく。
「ごめん、そこの黒髪の女の子」
先に花音が振り返り、燐子が後に続く。振り返ればカジュアルな格好をした青年が二人の後ろにいた。
「君、白金燐子さんだよな?」
青年は確信めいた口調で、燐子本人だと断言してして話す。
燐子は自身の知らぬ異性に戸惑い、青年はすぐに返答がなかったことで続けて口を開いた。
「俺、けいの……敬太の友人の神田 明っていうんだ。少しをする時間をくれないか?」
二人の目の前に田町敬太の友人が現れた。
明の話を聞くことにした花音と燐子は明に連れられて近くのファミレスへと来ていた。二対一で着席し、席にはドリンクバーで持ってきた飲み物が置かれている。
「聞きたいことってのは、けいがどこにいるってことなんだ。あいつ、何も言わずに学校に来てないんだよ。今日もけいがいそうな場所を探してみたんだけどいなくってさ。親だって連絡がとれないし、心配なんだ。何か知っていたら教えてくれないか?」
敬太の身を案じる明は花音達に、敬太と仲の良い友人だと印象づける。。
「……その、ごめんなさい……田町さんとは……先週出かけた先で別れたきり……知らないんです……」
「そうか、白金さんもけいと連絡がとれなかったんだな」
「……は、はい……」
燐子の声が若干上ずる。明はそれを気にした様子もなく落胆を見せた。期待していた一つの可能性が潰えたような落ち込み方だ。明の様子に、燐子も申し訳なさそうに身を縮こませる。
「ちなみに、けいと別れた場所ってのは新宿区にあるオペラシティでいいんだよな?」
「……はい……」
「そうか、俺の記憶違いじゃないわけだ。あとはけいの実家くらいだが遠いんだよな、山梨だっけか。白金さん、最後にけいと別れた時に変なことがなかったか教えて欲しい」
「……コンサート会場に入る前……田町さんは田町さんのお父さんに連れられて……帰宅したくらいしか……」
「マジか、その時から田町家に何かあったんだな。突如の一家失踪か。あいつに何があったんだ?」
「……わかりません……」
空気が重い。今の燐子は敬太との記憶が無いとはいえ、身近に起きた失踪話は重いものである。
「……やはり、失踪しかないんでしょうか……?」
「ああ、アパートにも帰っていないし携帯も通じない。おまけに先生に確認して実家の方に連絡しても誰も出やしない。今日だって実家に電話しても繋がらなかったんだぜ? 黙って学校を休むやつじゃないし、普通じゃねえよ」
「……警察には……?」
「駄目だった。嫌な話、捜索願いは遺体を引き取る身元人くらいじゃないと受理できないってさ。警察の人から探偵を雇うっていう案も教えられたけどそんな大金あるわけないし、自分で聞き込みをしたりしているわけだ。
けいの失踪と関連があると思っていた友人の話なんだが、8月に東京の新幹線を最後に行方が途絶えた奴もいるってことだし、もしかしたら何かの事件に巻き込まれたんじゃないかってな。でも、父親が連れて帰ったらしいから違うっぽいか」
それから花音と燐子は敬太が普段行く行き先やバイト先を聞かされたあと、燐子は明にお願いされてSNSのアカウントを教え合う。
その後、明はお礼を言ってテーブルの上に置いてあるドリンクバーが記入された伝票を握るとレジに向かって歩いていった。
花音と燐子はファミレス内の窓越しから明が人々の雑踏に混じっていくのを黙って見届ける。
「え、えっとね……? そろそろお昼だけどどうしよっか?」
花音は言葉を濁す。朝からあちらこちらを歩いて運動をしてお腹が空いたのだろうけれど、重い話をしたためかあまり食欲はなさそうだ。
「……そうですね……」
元気のない返事を返す燐子は花音同様食欲がなさそうだった。
あれから時間が経ち、燐子のバンド練習時間も近いので隣町の探索を止めてライブハウスのSPACEに近い駅に戻った。
街に戻る際に燐子が上の空でお互い大した話をしないまま電車から下車をして駅を出る。
「……あの、松原さん……」
二人は別れるといった直前、燐子が花音を引き留める。花音は「どうしたの」と問いかけ足を止めた。
「……ファミレスの時の話なのですが……私、怖くて田町さんと連絡とっていないんです……」
花音は「うん」と頷き会話を促す。
「……こんな大事な事になっていたなんて……」
燐子は顔を伏せつつ、不安げな様子であった。すると、花音は燐子に近づくと僅かに震わせていた燐子の手をとって両手で包む。
「大丈夫、私は燐子ちゃんの味方だから一人で抱え込まないでいいよ」
「……ありがとう……ございます……。…………あ、あの……ですね……、夜にお話とか……してもいいでしょうか……」
「もちろんだよ」
花音が花のほころぶような笑みを浮かべ、燐子の手の震えが落ち着いた。その後、何かを決心するように燐子の手に力が籠る。
「……田町さんに対する記憶に……欠落がみられるのって……無関係じゃないと思うんです……。……それも……突然にです……。
……危険性のある事かもしれないので……正直、他の人に……お任せした方がいいのではないかと……そうしたいという気持ちもあるんです……。
……ですけど……あこちゃん、田町さんと仲がいいみたいですし……事件に巻き込まれても嫌ですので……この件が沈静化するまでは……調べてみたいと思います……」
「お手伝いをさせてもらうけど、変に一人での無茶は嫌だよ? 私に相談してね」
「……そ、そこまでの……度胸はないので大丈夫かと……思います……」
思わずと苦笑いをする燐子。
そうして燐子の目標が新たになり二人は駅で別れた。
花音には今日他にも会う人がいる。首を長くして待っているだろう、つぐみだ。次は喫茶店へ足を向けた。