夕暮れに滴る朱 作:古闇
両親とささやかな食事の後、帰宅した敬太は父親から貰ったピアノコンサートチケットを封筒から取り出した。
チケットの注意事項や説明を一読したのち、幼馴染の燐子へSNSを送信する。燐子が電話を苦手としているのでSNSでのやり取りがもっぱらであった。
燐子からの応答はすぐにこなく、敬太は今か今かと携帯片手に暇を潰す。そうしている内に軽い電子音が鳴り、慌ててないようを確信した。
白金燐子
:返信が遅れてしまってごめんなさい。
Roseliaのみんなとの練習が終わって帰宅した後、ゆっくりご飯を食べていたから返信遅れちゃった(゚ω゚;)
敬太はあーっと一人ごちて納得する。
Roseliaとは燐子が所属している人気絶頂のバンドだ。ボーカルを中心に結成されており、常に上を目指す意識の高さから帰宅が遅くなりがちであった。燐子はそのバンドのキーボード担当である。
「気持ちが急きすぎたな……、『大丈夫だよ、気にしないで。直接会って相談したいんだけど、いつ頃なら予定が空いてそう?』っと」
敬太は再びSNSを送信する。お互いの家が離れているので会うにもそこそこの移動距離があり、待ち合わせをして会うのがいつものやりとりである。
回りくどいことをせず、SNSでチケットを撮影した写真を送り、ピアノコンサートに誘えばいいのだろうが、燐子の友人からピアノ関係のコンクールやコンサートから離れてしまったと聞いている。もしかすると、軽く誘った程度では断られるかもしれない。それゆえに直接会うことに選択したのだ。
:ちょっと待っててね。今、予定を確認するから(ノ ‘ω’)ノ
と、わずか数秒で返ってくる。
「……どんな指捌きをしてるんだろ、携帯操作に慣れた今でもここまで早く返せないなぁ」
:明日から休みだよね、午前中から午後二時の間なら大丈夫そう。けーくんのご都合はどうかな?
「よかった、明日の夕方にシフトが入っているんだよね。『OK りんちゃんの予定に合わせるよ』」
敬太は一先ず約束を取り付けたことに安堵しつつ、待ち合わせ場所を決めた。日にちは次の日の午前中である。
約束当日。快晴、澄んだ青空の下、敬太は乗った電車から降りて駅を出る。服装はパーカーに長ズボンと日常的な私服だ。
待ち合わせ場所は駅広場の周辺なのだが、燐子の姿はない。辺りを見渡すが、休日の朝に行き交う人々、開店しているお店、清掃員がゴミ広いしているなど、見知った面影を発見することはできなかった。
敬太は先に到着したと燐子にSNSを送信しようとポケットに入っている携帯を探る。
すると、広場に張ってあるワンタッチテントから黒髪の女の子が顔を出した。
「あ、けーくん……時間ぴったり……」
フリル付きの白いブラウス、黒いコルセット風ロングスカートを身に纏う燐子がテントの中から現れる。
「……うぇっ!? りんちゃん、どっから出てきてんのさ!」
「その、人混みが苦手で……思ったよりもみんな出掛けているから……隠れてた……」
「そ、そうなんだ、それなら仕方ないのかな……?(結構、人の視線を集めていたように思ったけど、そっちはいいのかな……?)」
きっと、周囲に気を配る余裕がなかったのだと結論付けた。
燐子がワンタッチテントを片付け袋にしまい、合流する。店舗が開く時間より早い待ち合わせで行く場所も限られる。二人は朝からでも営業しているチェーン店に移動した。
注文を受けてからコーヒーや紅茶を一杯ずつ淹れる落ち着いた空間、クロワッサンが人気のカフェで敬太と燐子は一つのテーブルの席に着く。
敬太はコーヒーをテーブル席に置くと、ボディバックからメモ帳と引き用具も広げた。
「まず一つ目の相談なんだけど、ピアノコンサートに行こうと思っているんだ。でも、マナーとか必要な服とかわからなくてさ、確かりんちゃんって、この手のことに詳しいよね」
「ピアノをしていてもコンサートの知識を持っているとは限らないよ……でも、うん……任せて……」
燐子は嫌がる素振りもなく微笑むと、ピアノコンサートについて説明してくれる。
コンサートではカジュアルな格好でも入場できること。会場は冷房が強いため上着などがあれば便利であり、ノーネクタイジャケット中心にコーディネートした格好が会場の雰囲気を壊さずリラックスできること。
音がするアイテムは避けるべきで強い香水なんかも駄目であること。天気が雨の場合、傘は受付か傘立てに預けるなどをすること。
そういった内容を燐子が話し、敬太はメモ帳にひかえていく。燐子があらかた話し終えると会話も途切れた。
「ありがとう、助かったよ」
「お役に立てて……良かったよ……」
「話が変わるんだけどさ。東京に戻ったときに生活環境に慣れなくて、それでりんちゃんが会ってくれることが心強かったんだ」
突然の真面目な話に、朗らかな空気が一変した。
「だから、お礼もある。僕と一緒にピアノコンサートに行ってくれないかな?」
田舎を出たかったとはいえ多感な年頃での初めての一人暮らし。不安も多かった。
当時、生活環境に慣れることが必須だと考え、学校で友達を作り、勉強進度の違いやバイトを申請するなどで、結局幼馴染に会うまで三ヶ月ほど時間を要すことになった。
そして、白金家の前に立ち、震える指でインターホンを押してようやく燐子との再開を果たしたのだ。
それから燐子とは今までのブランクが嘘のように打ち解けあった。
学校で友達はできたといっても、それほど親しくはない。燐子との再開以降、姉のような存在の彼女が落ち着かない日々の中、癒しになったのだ。
とはいえ、それは敬太の事情であり、燐子の事情とは異なる。燐子は「えっ……」といって戸惑い様を見せる。
それでも敬太はボディバッグから封筒を取り出し、中のチケットを一枚抜いて燐子の方へ押し出した。
「駄目、かな……?」
「…………ちょっと……考えさせて……ちゃんとお返事はするから……」
考えること数秒、燐子は困った様子ながらも敬太から差し出されたピアノコンサート引換券を受け取った。
これで一つの関門を抜け、敬太は喜びを顕わにし、お礼を言う。
「ありがとう」
燐子は未だ困った様子ではあったが、お礼を言う敬太に悪い気はしてないようだった。