夕暮れに滴る朱   作:古闇

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三五話.幼馴染の名前

 

 

 

 芸人関連の残りの仕事も終わらせた時間は夜。

 私は薫の携帯に連絡を入れる、薫に言われた指定の時間になると仕事場を出て彼女の迎えを待った。

 

 外で迎えを待っていると一台のリムジンが目の前で停まる。

 後部座席から、貴婦人の格好のままの薫が窓より顔を覗かせる。それから、リムジンに乗るように言われて車へと乗り込んだ。

 

 車を走らせ、内装を照らすしゃれたブティックの前に停まると、薫と一緒に降ろされた。

 彼女についていき、ブティックの中へと足を踏み入れる。

 

 薫は従業員に挨拶をし、私は従業員に更衣室へ連れて行かれる。

 今から用意する服は薫からのプレゼントで寸法合わせをするそうだ。

 

 私はされるがままコーディネートされる。

 服装はチュニック、サングラスとトートバッグなど。靴も履き替え、カジュアルだけどエレガンスな格好になった。

 

 私物などをトートバックにしまい、靴は箱を貰って手さげの紙袋にしまった。

 リムジンは辺りを周回しているそうで、薫と一緒にブティックを出て外で少し待つ。

 

 私達の間の前にリムジンが停まり、ブティックから去った。

 

 車内のスモークガラスから見える景色は高級ホテル街へと変わり、セレブや著名人がこぞって宿泊するホテルに入っていく。

 匿名性の高いホテルで、従業員は仕事を辞職した後もホテルで見聞きしたことを漏らしてはいけないという契約書にサインをする。

 破ろうものならブラックリストに載り二度とこの質の業界にはつけない場所に、内心不安を抱いた。

 

 ホテルの玄関口に車を寄せ、玄関に立っていた男性がドアを開けた。ドアマンだろう。

 私と薫は車から降りてフロントを通さずエレベーターまで向かう、聞けばチェックインは済んでいてルームキーも持っていると私に見せた。

 

 エレベーターに乗り薫は上階のボタンを押す、最上階のボタンはダイニングだった。

 十階、二十階と上がり上階で止まる。エレベーターを降りて通路に出ると室内の扉は左右にに2つずつしかない、ロイヤルスイートルームだろうか。その1つの部屋に私達は入った。

 

 薫は私を先に部屋に入らせる。小奇麗な靴箱の辺りで靴を脱いで室内を進み、扉に手を掛けた。

 

 

「……!」

 

 

 ホテルの粋を集めてデザインされたと思われる最高峰のスイートルームは優美でありながら、欧米の個人邸宅を思わせる温かな雰囲気で“暮らすように過ごす”ような部屋だ。

 大きな一枚ガラス窓に近づけば他のホテルがライトアップされ高層ビル群が並び立つ夜景も目に楽しい。

 

 私は部屋の素晴らしさにサングラスを外し目を奪われていると、突如手を引かれることに驚き、サングラスを落とす。

 強引に手を引く薫は、別の扉を開けると大きなキングサイズのベッドがあり私はそこに突き飛ばされ、たたらを踏んでベッドに飛び込んだ。

 

 

 「薫! な――もがっ……」

 

 

 飛び込んだベッドで振り返り、何をするのかと声を張り上げようとすると口に何かを突っ込まれる。

 態勢が整わない私の両腕を上に引っ張り紐のようなもので縛りあげた。

 

 薫は片腕で私の両腕を上に抑えつけたまま仰向けにするとお腹の上で馬乗りになった。彼女の髪が顔に掛かる。

 

 

 「ぷぁっ……なにをするのよっ!」

 

 

 口の中に突っ込まれた物を吐き出して睨みつけた。

 

 薫は口を歪めて楽しそうに笑う。

 

 

「馬鹿な子猫ちゃんだ。女性が一人でノコノコとついてくれば、こうなることがあることくらいわかるだろう? だが仕方のないことかもしれないね」

 

「貴女こういう趣味があったわけ?」

 

 

 自身に返ってくる言葉で、私が言っていいことではないけれど、よく知る友人で同性だったからこのような展開は想像してなかった。

 

 

「全くもって愉快だ。千聖が、写真に写っている花音にしたことはどういうことだったのかな、そういう趣味は無かったと?」

 

 

 花音が好きなだけで別に女性が趣味ではなかった、今となっては言い訳にしかならないけれど。

 

 

「あれとこれとは関係ないじゃない……まさか、花音に代わって仕返しのつもりなの?」

 

「そうだね。花音は寝ていたからよかったものの起きていたら大変なことになっていたよ。信頼している相手だ、あのあと私達の関係にどう影響を与えるかわからない訳じゃないだろう?」

 

 

 親友という人間に裏切られたからには、彼女達の付き合いも影響を受けるかも知れなかった。

 

 

「……薫、貴女は私をどうしたいの?」

 

「楽しいことさ。それにしても意外に諦めが早かったね、あの写真は諸刃の剣。先の言った通り知られたら私達にも影響はある訳だ、助かるよ」

 

 

 勝手な考えだけど、薫や弦巻さんなら花音を慰めてより強固な友人関係になりそうと思い、誘いに乗らない場合は花音に話すと考えていた。

 

 

「だからと、拘束は解いてくれないのね」

 

「身体に力を抜いているのは黙って受け入れるからだろう? 今から目隠しをするが口を塞ぐのはやめておくよ……それなりの付き合いだ、信頼してる」

 

「最低な信頼ね……手早く終わらせて」

 

 

 雑に扱っても嫌な顔をせず友人関係を続けているから、無茶をしないとの甘え考えもある。

 実際そのようなことをされても犬に噛まれたと思えばいい。

 

 しかし、疑問は残る。資金はどこから調達したのか、あまりにお金を掛けすぎている。

 

 キングベッドの枕の中央辺りに移動させられ、そこから逃げられないように腕を持ち上げて柱に括りつけられる。

 薫は部屋の引き出しを漁ると黒い帯で私の目を隠した。

 

 

「少し痛い……こんなことになるなんてね、思いもしなかったわ」

 

「それは私の台詞だ、あの写真には驚いたよ」

 

(何よそれ。まるで人に見せられたような物言いは……)

 

 

 だとすれば、誰があの写真を撮影したというのか。

 

 

「……ねぇ、薫が撮ったのでしょう?」

 

「私に他人の情事を除く趣味はないね、少しばかり失礼」

 

 

 そんな言い方だとますます撮影の犯人が薫ではなくなり、焦った。

 

 いきなり、甘い匂いの霧状の液体を顔に噴きかけられる。

 

 

「んっ!? なによこれ、香水?」

 

「身体と心が正直になるおまじないだ。私は向こうで待っている、楽しんでくれ…………ふふふ」

 

 

 身体を発情させるための液体だと思って血の気が引く。

 

 

「薫!? 何処へ行くの? 薫――」

 

 

 足音が離れていく薫を呼び止めるが笑いとともに部屋から出ていき、明かりが消えた気がした。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薫が部屋から出ていってからしばらく経つ。

 私はキングベッドの枕側の中央に縛りつけられたまま動けなかった。

 

 薫が私の顔に霧状に噴いた香水の成分のせいなのか、身体が熱い。少し汗ばんでいるのがわかる。

 

 

 ガチャッ…………パタン

 

 

 部屋の扉が開いた音がした。

 部屋の熱気が外に出ていったのか、少し涼しい。それなのに身体は熱を帯びている気がする。

 

 

 「薫なの?」

 

 

 パタッ……パタッ……

 

 

 質問をするも相手は何も言わずゆっくりとこちらに歩いてきた、足音はスリッパの音だろうか。

 緊張して生唾を飲み込む。

 

 もしかして薫ではなく別の人物、もしくは資金源の提供者なのかもしれない。

 けれどまさか薫に限ってとも思う。

 

 嫌な考えばかりが脳によぎる。

 

 

 パタッ……パタッ………… 

 

 

 足音が止まる。ベッドの直ぐ傍に人の気配がわかった。

 

 薫が遊んでいるならばまだいい。

 けれど別の誰かなら口を塞がれて終わり、最悪覚悟をしなければならないだろう。

 

 

 ギッ……ピトッ

 

 

 誰かはベッドにあがると、私の足に触れた。

 

 

 「ひっ……」

 

 

 こんな時に、芸能活動で仕事を貰うためにそういうことをしている娘の話を思い出した。

 

 

 ギッ……ギッ……

 

 

 ベッドから少しずつ私に近づいてくる音。

 

 初めてをここで失ってしまうのだろうか、身体が震え目元に熱い雫が流れる

 

 

 ペタッ……

 

 

「ごめんね、花音……」

 

 

 震える私の頬に人の両手が触れる感触。

 私が花音に無断でキスしなければ、こんなことにはならず、ここにはいない花音に向けて謝った。

 

 頬に触れた両手はそのまま頭の後ろにまわされて、目隠しが外される。

 部屋は豆電球ほどの暗さだったため、その誰かの顔がすぐにわかった。

 

 

「花音……?」

 

「あ、あの、こんばんは……」

 

 

 申し訳なさそうな表情をする花音。

 私は心の底から安堵し、声を押し殺して泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 拘束を解いて貰った私は、泣きながら花音に抱きついた。その際に押し倒してしまったけれど、花音は何もいわず私が泣き止むまで背中を撫であやす。

 

 しばらくあやされて、私は落ち着き、泣いたことで心が軽くなる。

 もういいと手で合図して名残惜しいけれど起き上がり花音から離れた。

 

 自分のしたことが恥ずかしい。

 ベッドの上でお互い対面し、沈黙。先に花音が口を開く。

 

 

「千聖ちゃんごめんね? 変なことになっちゃって。私が千聖ちゃんと話したいってこころちゃん達に相談したらこんなことになっちゃった」

 

「弦巻さん? 話したいならメールとか、声掛けとかでもしてくれればいいのに」

 

 

 弦巻さんの名前が出たことで、この部屋は彼女の家の人が用意した部屋だと思われた。

 普通の家庭や裕福の家庭でも、こうも他人にこれだけのゲストルームなんて用意できないだろう。

 

 

「うん、やっぱり気づいてなかったんだね……千聖ちゃん、私を避けるんだもん」

 

「避けることなんてことしていないわ。最近は、花音から声を掛けてくれるようになって嬉しかったし、会話も毎日のようにしていたじゃない」

 

 

 花音は眉を曇らし拗ねた……可愛い。

 

 

「え~、船でお泊りしたあとから、だんだんと千聖ちゃんの様子がおかしくなっていったんだよ? 上の空だし、目を合わせてくれないこともあるし、お話だってすぐに終わらせちゃうこともあったし……本当に心配したんだからね?」

 

 

 言われて見れば心当たりがあった。

 花音には自分なりに振る舞っているつもりではあったけれど、時間が経つにつれて重症になったらしい。

 

 

「………………そ、そうね、そうだったわね。自分のことなのに言われるまで気づかなかったわ。ごめんなさい、反省してる」

 

 

 私の演技はボロボロだ、かといって今まで通りに接すことができそうにない。

 特に近くで直視されると、とても恥ずかしいことのよう。

 

 

「あとね、船で泊まるときの千聖ちゃん、すっごく怯えて私の部屋に来てた。いくら怖くてもバスローブの格好でお部屋の外を出歩かないよね、本当に怖いことだけ思い出してそうなったの?」

 

「それは……」

 

 

 お互い親友同士だ。普段の私を知っているからどうしても違和感を拭えないのだろう。

 

 

「それとね、薫さんからの伝言で縛ったことや素直になったらアレを処分するって言ってたけど何の話かな?」

 

「突っ込まないでくれると嬉しいわ……」

 

 

 詳しく話せば本末転倒、当たり障りのない話で納得してもらえるだろうか。

 

 

「ねぇ、千聖ちゃん……教えて?」

 

 

 瞳を潤ませ上目遣い、お願いの姿勢も私好みで心を撃ち抜かれた。

 

 

「…………うん」

 

 

 素直に頷いた。

 

 

(いえ、「うん」じゃないわ、少し落ち着きましょう!)

 

「ほんとに? やったぁ、嬉しいよ!」

 

 

 笑顔でグッとガッツポーズ。

 

 今の花音も心のメモリーに焼き付けておかないと……花音アルバムがまた一つ増えた。

 

 

「いえ、その……今のは……ちょっとね?」

 

「えー……」

 

 

 笑顔が消え、ものすごい不満そうな花音の視線。

 

 

「……怖いことなのよ」

 

「千聖ちゃんのためなら頑張れるよ」

 

「でも、花音の身に何かあったらと思うと辛いの」

 

 

 優しい娘だから、人のために頑張るなんてことはわかっている。

 でも巻き込んで何が起るかわからない、花音の傷つく姿が今の私に耐えられそうにもなかった。

 

 

「ねぇ、千聖ちゃん」

 

「なにかしら」

 

「怖いのって、もしかして幽霊の海来(あこ)ちゃんっていう女の子のことなのかな?」

 

「その名前、何処で聞いたの……」

 

「あ、やっぱり。あんまり怖がっちゃうと可哀想だよ」

 

 

 花音はふんわり笑うけれど、私は笑えなかった。

 

 

「最初に出会った時は驚いたけど、ちょっと仲良しになったらその娘が教えてくれたの。千聖ちゃんと幼馴染だったけど幽霊だから怖がられるって最近私の所に来るんだ。私のノートに筆記用具を操ってメッセージで会話をするんだよ。帰るときに最初は”十”で今は”三”の数字を数えてくるけど、何のことかわかるかな?」

 

 

 海来は花音にどうやって取り入ったのかわからないけれど、花音は多少なりとも気を許してしまっていることが雰囲気から理解する。

 警告を受けていたから、足が竦んでいても海来に会いに行くつもりではあった。

 

 しかし、海来が花音に会いに行っているなんて予想もしていない。

 連れてきてもいい、は。連れてこい、のことなのだろうか……動きを予測できない。

 

 この問題は解決しなければならない、下手に隠すくらいならと洗いざらい白状することにした。

 

 

 

 


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