夕暮れに滴る朱   作:古闇

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三三話.遠のく

 

 

 

 豪華客船のレストランで食事を終え、一部の人は遊ぶ。残りは体を休めるため、黒服の女性にそれぞれ割り振られた個室へと案内して頂いた。

 

 私たちは案内して頂いた人にお礼を言って解散する。

 個室に入ると内装はホテルのように綺麗でゆったりできそうだった。ようやく一息つける。

 

 就寝する準備をして体を洗ってお風呂に入り、体を拭いてバスローブを着てベッドに戻る。

 

 ガラス戸のカーテンが開いていて真っ暗な外が見える。

 疲れたし夜のバルコニーに出ることはないと思い、カーテンのレースに触れた。

 

 カーテンからガラス戸へ視線を動かし、私は硬直する。

 「あと十日」とガラスに赤いメッセージが浮かんでいることに気づき、少しして消えた。

 

 

「時間制限……いえ、今考えることはよしましょう、眠れなくなってしまうもの……」

 

 

 忘れようと頭を振り、言葉にして自身に言い聞かせる。

 

 

――コンコンコンッ

 

 

「……っ! 誰なの……?」

 

 

 外の通路へ続く扉からノックする音が聞こえた。

 

 扉へゆっくり近づき、覗き穴を見て外を確認する。

 花音が探検隊の服装のまま外で待っていた。

 

 扉を開ける。

 

 

「花音どうしたの……」

 

 

 開けた扉の向こうには誰も居なかった。身を乗り出して通路を覗いても誰もいない。

 

 幼馴染による時間が過ぎた場合の警告なのだろうか。

 気が緩んでいるときにこれは辛かった。

 

 自然と目が滲み、手で涙を拭う。

 

 この部屋に得体の知れない何かが入ったと考えると、私は一人でいるのが怖くなり、ベッドに戻って着替えを手に取る。

 しかし、人に頼るのはどうかと迷い躊躇して、その場から動けない。

 

 お風呂上がりのせいか体が冷えていることに気づき、耐えられなくて花音の部屋に向かった。

 

 花音の部屋をノックする。

 

 防音対策がしっかりしているのだろう、部屋の中から声は聞こえなかった。

 しばらく待つと扉が開いた。

 

 花音は半開きになった扉から体を隠すようにして顔を出す。

 頬がわずかに上気し、髪が僅かに濡れている。お風呂上がりかもしれない。

 

 

「千聖ちゃん、どうしたの?」

 

 「突然でごめんなさい。以前悪夢を見るって話したこと覚えてる? 怖いことを思い出してしまって一人でいるのが怖いのよ」

 

 

 花音は私の顔を見て眉を曇らした。

 血の気の引いた顔に気づいたのだろう。

 

 

「……うん、そっか、入っていいよ」

 

 

 花音は迷いを見せた後、扉を開ける。

 

 私は花音の格好に内心驚いた。

 白乳色系のナイトドレスで衣装は可愛らしいけれど、裾の短さや胸元のレースが透けていたりと艶めかしい。私の知っている花音の寝間着にしては艷やかすぎた。

 

 

「…………ええ、お邪魔するわね」

 

 

 部屋に入れさせてもらった。

 

 花音が通ったところを通り過ぎると惹き寄せられるような甘い匂いが僅かに鼻孔をくすぐる。

 今のナイトドレスに相応する香りのようだけれど、互いの家に寝泊まりしたことのある私からすれば、らしくないと思った。

 

 先程のこともあって、本当に花音か疑いを持ってしまう。

 

 

「ねぇ、いつの間にシャンプーを変えたの? 普段の香りと違うような気がするのだけど……」

 

「ふぇっ、シャンプー? 部屋の備え付けを使っただけだよ、千聖ちゃんの部屋と違うのかな」

 

 

 不思議そうなに相槌を打ち、部屋のお風呂場を開ける。

 使ってからそれほど間が立っていないのだろう、お風呂場から温かい湿った空気が流れた。

 

 幼馴染の件で神経質になりすぎたかもしれない、両手を振ってもういいと合図する。

 

 

「いえ、そこまでしなくてもいいのよ。ただちょっと気になっただけだから」

 

「はーい」

 

 

 お風呂場の扉を閉めて、奥の三人用のソファーへと腰を掛けた。私もその横へ座る。

 

 

「千聖ちゃん、部屋に戻っても寝付けなさそうなら今日はここで泊まる?」 

 

「ありがとう、ちょっと自室に戻りたくなかったの」

 

 

 何人も集まっても幼馴染は隙きを見て現れる、だったら人のいる場所にいたい。

 でも彼女が花音を傷をつけたなら、きっとここに来なかった。

 

 

「あとね、そろそろ着替えよう? その格好だと風邪引いちゃうよ」

 

 

 頬が熱くなる。

 

 花音の指摘でバスローブの姿だったことに今更気づいた。

 余裕がなかったとはいえ、共用で通る通路をバスローブの姿で動き回るなんてはしたない。これでは花音の衣装どうこうなんて言えない。

 

 話を終えて花音から離れる。

 恥ずかしさもあって、部屋の隅で着替えさせてもらった。

 

 再び同じ席に着く。

 

 

「……ところでその寝間着は最近買ったの? 花音の趣味から外れるような気がするのだけど」

 

「このナイトドレス私のお気に入りなんだ。とってもね、お気に入りなの」

 

 

 花音はナイトドレスを慈しむように撫でる。

 

 花音のそんな顔は初めて見た。話をぼかされ、雰囲気的に何処で手に入れたか追求しても話してくれそうにない。

 今の状況でお互いの雰囲気が悪くなるのも嫌でさっさと話題を変えたくなった。

 

 

「そう、話が変わるけれど花畑の丘でのあの行為は危ないわ。運動得意ではないのでしょう?」

 

「その、ね? そうでもなくなったの……最近の運動するときは体が軽いし、疲れにくくなったしドラムしていて体力ついたのかな」

 

 

 例のトーテムポール、薫や弦巻さんは運動神経抜群だから理解できる。でも真ん中で支えていた花音が今でも信じられない。

 

 人の肩に立つ芸当、二人ならまだしも三人でやっていた。三人がしゃがんだ状態から立つのも、二人が肩の乗せを完成させてからその上によじ登るとしても、真ん中の花音は相当バランス感覚を要求されると思う。

 並の運動神経の娘が曲芸みたいなことをするのか疑問だった。

 

 ましてや花音が人前でそんなことをするなんて、と考えて過去を振り返った。

 喫茶店でハッピラッキーと叫んだり、最近のズレた感性だったり、弦巻さんの暴走を微笑んで見守ったりと、疑問が解消されて花音が遠のくように感じた。

 

 

「花音はバンドやる前からドラムやっていたでしょう……変なもの食べてないわよね?」

 

「こころちゃんの家でおいしいもの、いっぱい覚えちゃった……」

   

「それは体に良さそうね……食生活費を維持できるかは別としてですけど」

 

 

 弦巻さんの家庭の食生活に影響受けると、彼女との縁が離れたときに食事の維持が大変そうだ。

 

 

「し、就職したら頑張るもん……あ、美咲ちゃんもねテニスでスマッシュ強くなったって言ってたよ」

 

「そうなの、弦巻家の食事に秘密でもあるのかしら。それで美咲ちゃんはテニスどの程度強くなったの?」

 

「美咲ちゃんと同じ部活の二年生の子から聞いたんだけど、スマッシュを受けると手が痺れるんだって凄いよね」

 

「日頃のストレスも込められてそうね」

 

 

 テニス部の活動はストレスのはけ口になっているのではないだろうか。

 

 ハロハピに問題児を三人も抱えていて、それを止めるのが美咲ちゃんか花音だった。

 三人が揃って問題を起こしたとき美咲ちゃんはそれと止められず、花音に応援を頼む時もある。

 

 理解はしているけれど、花音とのお茶を邪魔されるからとてもよく覚えている。

 

 

 「ど、どうだろうね。それでね、美咲ちゃんの目標は相手のラケットを吹き飛ばすくらい威力が欲しいって」

 

 「……それってテニスなの? 常識範疇から外れているわね」

 

 

 彼女が本当にそんなことを言ったのだろうか。変な快感に目覚めていなければいいけれど。

 

 

 「非公式なんだけど。男子学生の間でラケットは吹き飛ぶのは当たり前で、人も吹き飛ぶことがあるし、フェンスに人が突き刺さることもあって酷いときには血ぬれになるんだって。でも熱狂的なファンもいるみたい」

 

 「……人間よね、どうして物理法則を無視しているのかしら? 永遠に表に出てこないで欲しいわね」

 

 

 非現実的な事柄を現実可能、もしくは非常識に変えるなんて、まるで弦巻さんのようだった。

 

 

 「って、こころちゃんが言ってた」

 

 「……………………」

 

 

 花音の妄想の美咲ちゃん沢山の荷物を持ってどうしたのかしら。え、私の方へお引っ越し? そうなの、でもごめんなさい。ここはまだ売却予定がないのよね。辛いでしょうけれど応援だけはしているから。

 ……あら、美咲ちゃんが引っ越し屋さんの服を着てトラックに乗っているわ。悲壮な顔をしてこっちに突っ込んで来るわね。ぶつかった壁は壊れずトラックが大破。奇跡的に擦り傷程度で息絶え絶えの美咲ちゃんがトラックから出てきたわ。よし、スタッフの方々、美咲ちゃんを元いたお家にお帰してあげて。

 うふふ、そんなに首を振って泣いてお願いしても駄目よ。ほら、そんなことしているから捕まった。さようなら美咲ちゃん。次はいい引越し先あるといいわね。

 

 

 「ち、千聖ちゃん?」

 

 「……ん。ちょっと意識が遠のいていたわ、ごめんなさい。花音、別の話にしましょう? お願いだから」

 

 (どの辺りから弦巻さんの話に変わったのかしら。弦巻さんの話に疑問を持ちなさいね? ……美咲ちゃん、強く生きるのよ)

 

 

 話だけで、その非公式に弦巻さんが関わってないことを祈った。

 

 それから話に花を咲かせていて気がつけば深夜。。

 流石に朝辛くなるからと、広い一つのベットを二人で床についた。      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 花音はすでに眠り、私はまだ寝付けないでいた。

 それから花音に安心できるからといわれ、ベッドの中で手を繋いでいる。

 

 眠りにつきたいのに、自然と昔の幼馴染のことを考えてしまう。

 

 幼馴染は私のことだけでなく生きている人が憎いと言っていた、なのに私を守るという矛盾。感情よりも理性的に行動できるという意味なのだろうか。

 なら、何故今になって現れたのだろう、兄さんが行方不明になったのが原因で私の前に現れたのか。

 

 兄さんが死んだことについては心の中で納得できた。

 

 幼いころに目に焼き付いたあの凄惨な光景は見ていないけれど、死臭のように似たものを感じたのは間違いではなかった。

 けれどそんなことを信じられず、花音に相談したりなど兄さんの死については否定し続けていたのだけど。

 

 幼い頃の私は過去を振り返ると、そこから身動きできなくなって前に進めなくなってしまいそうだった。

 だから過去を封印して前だけ見ていたのに、今更になって過去が私を追いかけてくる。

 

 兄さんが死んだ原因が私を迎えに来たことなのかもしれない。

 根本的な問題でなくてもキッカケになったことに違いない。

 

 間接的に幼馴染を殺し、家族の死別と離散。次は自身の家族である兄の死別。

 自身が悪いわけではないとわかっていても、あの時の行動が違っていたらと思う。

 

 思わず手に力が入る。

 

 

「…………っ」

 

 

 花音の手に爪を立ててしまい、寝入ったまま反応した……自分の親友になんてことを。

 

 大切な親友、それさえも私は無くしてしまうのだろうか。幼馴染を失い、家族の兄を失った。次は親友かもしれない。

 

 私だけの友達だった花音。頼れる友人が増え、前向きになり、私の親友となる。

 そして今、清楚な少女のなりを潜めた艶やかな彼女……なぜ花音は扇情的な寝間着を持っているのだろうと、一度は意識しないでおいた疑問が頭をもたげた。

 

 好きな男の子でもできたのだろうか、バイト先か、それとも聞いたことのない幼馴染か、バンド活動で知り合ったのか、考えれば考えるほどにありえそうな気がする。

 

 恋愛以外で扇情的な服を好んで着るのかと思えば否定できる。

 花音の家に何度もお邪魔し泊まったこともあるけれど、今のような服は見かけなかった。あったとしても隠していたのだろうか、やはり男の子か男性しか私には考えられない。  

 

 それなら私に彼氏ができたと一言あってもいい気がするが、私の現状を知っているから報告を遠慮したかもしれない。

 

 想像でしかないのに、花音を男の子もしくは男性に盗られた。そう思うと気分が滅入る。

 

 彼氏ができたとしても友情は変わらないはずなのに、私は素直に喜べないようだ。

 考えるほどにドツボにはまっていく思考を止められない、思わず溜息が漏れた。

 

 

「…………ん」

 

 

 私の溜息に反応するかのように花音が身じろぎをして私の反対側に寝返りを打ち背を向けた。

 その際に次は傷つけないようにとゆるく握っていた手が離れる。

 

 まるで今までの考えを肯定するかのタイミングに大切なものを失った喪失感が生まれた。

 

 その喪失感が嫌で、自身の上半身を起こした。

 背を向ける花音を肩に両手をかけ仰向けにすると、暗さに慣れた瞳に花音の顔が目に入る。

 

 花音は私以外にキスをしたことがあるのだろうか。

 お泊りのとき、ちょっとした事故で自身の唇が花音の唇と軽く触れたことがある。

 

 無かったことになったけれど、なら本当にしてしまおうか。

 誰かに花音を盗られたとしても見えない爪痕を残したい思いに支配されていく。

 

 花音の顔に髪が触れないよう自身の髪を片手で抑える。胸が鼓動が早くなるのがわかる。私の心の拠り所が奪われるのだからそのくらい許されるだろうと思った。

 

 花音の顔に近づく、私は花音に恋愛感情を持っているのか正直わからない。でも誰かに取られたくはなかった。そして取られるくらいならとも思う。

 

 花音の唇に近づけば近づくほどに甘い香りが強くなる。この香りが私の冷静な判断力を奪っているように感じた。けれど、もうどうでもいい。   

 

 花音の唇に触れた。

 

 自身の意思で花音とキスをした。

 

 花音とのキスをやめて離れ、冷静になり涙が零れた。

 

 どうしようもなく自己嫌悪。私は布団に潜って嗚咽を殺した。

 

 私は最低だ。花音が起きなかったから良かったものの、寝ている相手に何の承諾もなく何をしているのだろう、親友と呼んでくれた少女になんてことをしてしまったのだろうと自身の浅ましさに涙がとまらなくなった。

 

 

 

 

 


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