夕暮れに滴る朱 作:古闇
遊園地での出来事で生きた人形のようになったアンナさんは、症状が落ち着くまで弦巻家でお世話になることになった。
私はお家に送迎してもらう話になるけれど、こころちゃんに関してまだ納得のいかないので、弦巻家の自宅で話し合いの場を設けてもらう。
家に通してもらい、私だけカフェテリアのような応接室に案内される。
それから、大きなテーブルを中心に四方に横に長いソファーが一つずつ並んでいる部屋に座って待った。
お手伝いさんがテーブルにティーセットやベルが置いて退室する。
しばらくして、着替え終わったこころちゃんとテーブルを挟んで向かい合った。
「あたしのして欲しいことは、こちらの危険なことに関わらないと約束して日常に戻ってもらうことなのだけど、お願いできるかしら?」
「嫌かな。そんなことになったら、たぶん私の意見を尊重して危ないことを話してくれなくなるよね」
以前、アンナさんと相談で納得できないことは約束しないようにと念を押されていた。教えてもくれなくなるそうだ。
「どうかしらね、その時になってからでないとわからないわ。花音の希望は何かあるの?」
「危ないことをやめて欲しいよ……せめて、学生でいる間は危険なことから手を引いて欲しいの」
「学生って、年齢的な意味かしら。成人してないだとか、子供だとか」
「そうだよ、私達はまだ学生で子供なの。こころちゃんのお父さんはとっても偉い人だから何とかできるはずだよ」
こころちゃんの家のパーティーでテレビで見たことのある政治家の大臣の人とかが来ていたからどうにかできないだろうか。
もし、場所が海外だったりしたら無理かもしれない。
喧嘩の仲裁の場所すらわからず、アンナさんを聞いたけれど教えられないと言って話してくれなかった。
「あたし達の喧嘩を見たでしょ? ああいった力を持つ人は少ないの。あたしは生まれながらにして能力が備わっているけど、あれは真っ当なモノではないわ。正気を削って身をやつし、時には人間の命すら代価とするの。そうした者に相対するとき、弦巻家に多大な被害が出てしまうわ。だからこそ、上位の力を持つ者としてあたしも舞台に立つの」
特殊な力を持つ人が少ないなら、その少ない人に頼めないのだろうか。事情を知らないからなんとも言えない。
普通でない力。一般人には持ち得ない力……ふと、一般人だけど存在感を持つオーラの纏った薫さんが思い浮かんだ。
「薫さんは? 薫さんは一般人だよね。なのに、何でこころちゃん事情を知っているの……?」
「もちろん、薫は一般人で普通の人間のそれよ。身体能力は彼女の努力の証ね。と、いうより身体能力に限らず、あたし達の周りでバンド活動をしている少女たちってポテンシャルが高いのよね」
それはわかる。バンド活動している私の周りの人達って女優、アイドル、天才少女、ファンクラブを持つ演劇部員、ソフト部のエース、DJしながら作詞と言葉にするととても聞こえがいい。
「ロゼリアの白金 燐子って知ってる? バンド活動して、一人でバンドの衣装を考え裁縫して、毎日自宅のピアノの練習して、クロスワードして、PCゲームして、読書して、勉強して、料理するときがあって……彼女はどこの空間で過ごしているかしらね? 不眠の体質なのかしら」
「そ、それはすごいね……白金さんって私達の学園の生徒だよね。でも、それって……プライベートを把握してるってことなのかな?」
「そうよ。でも彼女はあたしのことを直接は知らないわ。別件のことだけどそのうち大変なことになるかもしれない。そして彼女自身は露とも知らない。もしかすると、花音達やクラスの人が巻き込まれるかもしれない。伯父様の件がなくとも、あたしが危険から遠ざかることはしたくないの。みんな笑顔で暮らしたいじゃない」
白金さんに危険が近づいていることなのかな。でも、別の人が守って欲しいと思う。こころちゃんは強いと思うけど危ないことをして欲しくない。
「他に伯父さんのことを任せられる人っていないの?」
「今回に限ってはいないし、身内喧嘩だわ、静観が一番かもしれないわね。それは置いておいて、花音自身の世間一般の日常を守るのだって大事なことよ。弦巻家の中で一番強いのはあたし、花音はみんながいる日常を守って」
「だ、だめだからっ、こころちゃんが危険なことをやめないって言うんだったら私も協力するよっ!」
「深淵を覗いているとき、深淵もまた貴女を覗いているわ。どんな小さなことだってあたしに協力しているもの、自分の身は自身で守る力が必要よ。時間を置くから一度落ち着きましょうか」
高ぶった気持ちを落ち着けるため、飲み物を口にする。
昔の私なら言われるがまま頷き、こんな怖ろしいことに協力したりはしなかったのかもしれない。美咲ちゃんが言うように平穏が一番だから。
私がここまで頑張っているのは、ここに私の居場所があるからで、変わるキッカケをくれたこころちゃんがいなくなることが嫌なのだろう。
考えがグルグルと回る、ショッキングな出来事が多かったから身体が重い。
「まず、あちらと、こちら。日常に戻るか戻らないか決めましょうか、あたしの考えでは戻って欲しいわ……答えを聞きましょう」
「協力したいよ。だって、こころちゃんのことだもん」
「ありがとう、その想いは嬉しいわ、花音に大切にされているってわかるもの……次は協力する条件ね」
こころちゃんはテーブルの上のベルを持って音を鳴らす。
それを待っていたかのようにお手伝いさんが扉をノックして入室した。
手に持ったトレーにはお手拭きと底の深そうな銀色の四角い箱が乗っている。
お手拭きと銀色の箱を私の目の前に置いて退室する。
「こちらの事情を知るのなら甘えられても困るの、一度でも手を引っ込めたりしたなら、今日のところはこのお話はお終いだからね。さあ、その箱を開けて」
私はこころちゃんの言葉に頷いて銀色の箱の蓋に手をかけた。
蓋を開けようとすると繊維のような抵抗を覚えて強めに持ち上げる。
蓋をあげると銀箱の中には赤い液体が箱の縁まで入っていたようで液体が溢れて、テーブルに伝った。
蓋をある程度外すとぷちぷちと弾力性のあるものが切れる音と感触がして、箱と蓋にくっついていた細い肉のような何かが蓋から剥がれ落ちて箱の中へと落ちた。
ポチャリと落ちたため、赤い飛沫が飛び散って手に付着する。
生温かい。
私は蓋を箱の横に置く。
不快な感触と生臭さで、箱の中の液体だどういったものか想像できて気分が悪い。
「箱の中に目を凝らしてね、その中に短剣が入っているの。短剣の柄を持って……どんな方法でもいいわ、その刃で貴女自身を傷つけて」
こころちゃんの顔を伺う。
そこには普段の笑顔はなく、口を結んで私を見つめ返してくる。
そうまでして危険なことに関わって欲しくないのだろう。
けれど私は、こころちゃんが抱えている事を知りたかった……覚悟を決めた。
箱の水面に視線を移して目を凝らす、薄っすらと短剣が浸かっているのが見える。
私は赤い液体の水面に指を浸からせる。
「きゃっ!?」
突然、液体の中から人の手が私の腕を掴んだ。
手が引っ込みそうになるのを抑えて、少しの硬直のあと、手を液体に浸からせ短剣の柄に手を伸ばす。
柄を握った。
そして、世界が暗転する。
気づけば、私は人の腹部を短剣で刺していた。
胸の動悸が痛く、呼吸が乱れる。
目をぱちぱちと見開きをしても人の腹部に短剣を刺したままだった。
それでも、液体の柄を握っただけだからありえない。
これは幻覚だと思い込もうとする。
短剣で刺された人が短剣の柄を両手で抜けないように握る。
私は短剣を奪おうと柄を引き、少しずつ肉から短剣が抜けていく。
刺された人から声を掛けられた気がした。
短剣を引き抜きながら相手の顔を見る、苦痛で顔を歪めた私だ。
何も言わないけれど目で抜かないでと訴えられる。
私は一言謝ったように思う。それから短剣を腹部から引き抜いた。
「……ふーっ……ふーっ…………」
現実世界に戻り、箱から短剣を取り出していた。
未だ胸の動悸が治まらない。
自身の顔や背中が濡れて冷たい、きっと汗をびっしょりとかいているのだろう。
「あら、取り出してしまうなんてね。温厚な家庭に育ったはずなのにあの幻覚に耐えるなんて素晴らしいわ、見事なものよ」
私の隣りにいるこころちゃんが何か話している気がする。でも、耳鳴りがしていて聞き取れなかった。
「お~い? ……幻覚のショッキングが強烈で聞こえていないようね」
目の前で手が振られているけど呼吸を整えるので精一杯だ。
「…………ふ~~~、ぅ……あっ、ご、ごめんね……? 今度は何をするんだっけ」
「短剣という刃で花音の心が傷ついたのだからあたしの負けよ、武器をその手に握れるというなら協力をしてもらうわ」
こころちゃんは困ったように笑っている。
その顔を見て、認めてもらえたことに嬉しさがあった。
「そっか……そっかぁ……」
「花音、危ないから短剣はテーブルに置いてね」
「う、うん……あれ、手が緩まない……ちょっと……待ってて……」
短剣を握った手を反対の手で開こうとするけど上手くいかない。
「落ち着いて、慌てなくていいから」
短剣を持った手をこころちゃんが両手で包んでゆっくりと取ってくれた。
次の話を進めるために、私達は一緒のソファーに座った。
一緒のソファーなのはこころちゃんが何かするらしい。
汚れたテーブルや床はお手伝いさん達が綺麗に片付けて、テーブルに水色の宝石を置いて退室していった。
「さてと、こうなった以上は花音の方向音痴は危険なことだわ。左の手の平を出して」
「え、えっと……はい、これでいいかな?」
こころちゃんはテーブルに置かれた宝石を手に取り、私の差し出した左手に宝石を置いて片手を重ねた。
「そのままじっとしててね。私から大切な貴女にプレゼントを送るわ」
淡く温かい光が零れて消えるとこころちゃんの手が離れた。
左手の薬指には水色のガラス細工のような指輪が光っている。
「こ、こ、こころちゃんっ!? これ、これって指輪っ!」
突然の事態に混乱した。
左手の薬指に指輪をはめたのは初めてで、予想外の贈り物に戸惑いと顔が少し火照る。
「指輪よ。花音は大切な人でそのくらい大事に思っているわ。無茶をするにしてもあたしの見えるところ、区域一つ分の範囲でやってね。すぐに駆けつけるから」
「あ、ありがとう! そうだね、そうしよっかなっ…………うん、うん……この指輪って、私を守るものだよねっ!」
「もっと落ち着いてからお喋りしましょ? その指輪は花音に合わせた力を秘めているわ。その身に触れていれば道に迷わないし、一定の悪意を退けることができるの。大事に扱ってね」
「……うん!」
指輪をひと撫でする。こころちゃんが守ってくれている気がして不思議と心が落ち着いた。
「花音にやってもらうことなんだけど、こちらの事情もあって一週間以内に決めるから待って欲しいの。それと顔に疲れが出ているわね、詳しい話はまた次回よ。ゆっくりしたあと、ご飯を食べて、散歩に行きましょ。非常時の避難場所を紹介するわ」
この体験をしたあとでの食事はできないかもしれない。
気が抜けて身体がだるいことに気がつく。
会話をするのもちょっと辛くなってきた。
「うんっ……ごめんね」
「大事な話をするんだから、花音のペースに合わせるのは当然のことだわ……最後に一つだけ、あたしはアンナより年上よ」
「うん……あれ? ……えぇっ!? こころちゃんって私より年上なのっ!」
「そう、実は年上だったの。そんなことを知ってしまっても、あたしの扱いは今まで通りでよろしくね」
「は、はいっ」
年下だと思っていたのに、実は年上でしたなんて困ってしまう。
これから先、今みたいに知ってしまったことを知らないように私は振る舞うのだろう。
でも、自分で望んで選択したのだからきっと受け入れ続けるのだと思う。