夕暮れに滴る朱   作:古闇

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一一話.登校日

 

 

 

「ふ、ふぇぇ~っ! 遅刻しちゃう~!?」

 

 

 朝にも関わらず太陽が照りつける残暑、夏休み明けの登校初日。

 昨日の会話が頭から離れず帰宅した後も夜更かししてまで、同じことを悶々と考えてしまった。

 

 結果、朝にお母さんに起こされてもなかなか起きれず遅刻しそうになり数名の人が行き交う通学路を走る。

 息を切らしながら走っていると、後ろから人とは違う四足歩行の重い足音が聞こえた。

 

 どうやらそれも走っているようで私の背後に迫ってきているの緊張がある。

 

 私はそれに構わず走り続ける。

 一歩また一歩と追いつかれないよう、疲労が溜まる足を叱咤しながら走った。 

 

 走るのに集中していると背中に視線が突き刺さる。

 

 走りを緩め、ちらりと後ろを見るとすぐ近くにそれがいた。

 

 私よりも大きく、巨体で荒い息をしている。小さな瞳からは考えていることがわからない。

 追いつかれ私の速度に合わせて並走する巨体、その巨体を操る主が声をかけてきた。

 

 

「おはよう、花音。そんなに急いで遅刻かい? 私もだ!」

 

「おはっ、ようっ、ございますっ!」

 

 

 シルバーという名前の馬に跨がった薫さんが爽やかに笑って並走しながら私に手を差し出す。

 

 

「ガラスの靴を穿いたお姫様、とうに12時を過ぎてしまったね。けれど馬車はこうして君を今か今かと待ち望んでいる。シェイクスピアも言っていただろう? 『時というものは、それぞれの人間によって、それぞれの速さで走るものだ』ってね。さぁ、この手をとって同じ時を歩もうじゃないか!」

 

 

 薫さんとは学園が違うのに私の通う学園まで送ってくれるということだろう。

 薫さんのような人と二人乗りの乗馬は憧れるし素敵だと思うけれど、二人乗りをしたことのない私は怖くてできない。

 

 学園にほとんどの生徒が集まっているはずで、二人乗りして下手な場所で降ろされたら晒し者。

 あと、薫さんのファンが怖かった。

 

 それは別として薫さんに聞きたいことがある私は、付き合わせることを申し訳ないと思いながら走るのをやめて歩き息を整える。

 

 並走する馬も私に合わせてゆっくりと歩き、薫さんの手は差し出したままだ。

 走ったことで汗をかき顔に張り付いた髪や乱れた髪型も手で軽く整え、足を止め薫さんの方を見上げる。

 

 

「あのっ……薫さん、聞きたいことが……あるんですっ!」

 

 

 薫さんは顔は手を引っ込めて両手で馬の手綱を持ち直す。

 

 

「もう少し息が整ってからでいいよ、お姫様。残念だけど魔法の時間は解けてしまったんだ。いくらでも待つさ」

 

(もしかして、それって遅刻のことなのかな……)

 

 

 言葉に甘えて、呼吸が落ち着くまでその場で呼吸を整えた。

 

 

「こころちゃんにアンナさんって姉妹がいるの知ってますか?」

 

「ああ、知っているとも。彼女もまた愛の求道者の一人、こころの話を求めて私のところへと訪ねてきたからね」

 

 

 薫さんはアンナさんのことを知っているようだった。

 

 私はアンナさんの話に一時的に納得したものの、こころちゃんが本当に見を危険に晒そうとしていることが受け入れられなかった。

 だって、私達は学生で遠い世界のお話だったから。

 

 

「こ、こころちゃんに大変なことが起きているそうなんです。私、心配で……何か知りませんか?」

 

「ふむ……レジナ女史からどの程度知り得ているかは私にはわからない。けれどそうだね、弦巻家に関わることだ……みんなに話を広げないでくれ、ご家族に迷惑が関わってしまうことだからね。私たちはいつも通りに生活して学園生活を楽しめばいいと思うよ」

 

 

 釘を刺された気がする。

 私も美咲ちゃんとはぐみちゃんにどこまで話せば信じてもらえるかわからないし、話すのも気が引けるから言うつもりもなかった。

 

 

「はい……気をつけますね……あ、あの、薫さん。薫さんはいつ頃からこころちゃんのことを知っていたんですか……?」

 

「少なくとも学生同士で会ったのは花音を連れてこころが訪ねたときが初めてさ。だから、感謝しているよ」

 

「どういたしまして……?」

 

 

 学生同士じゃなかったら会っていたということだろうか。

 怪訝そうに話す私に薫さんは朗らかな笑みを浮かべる。

 

「本当に感謝しているんだよ、花音がこころにバンドのことを教えてくれたおかげでハロー、ハッピーワールドが結成した。そのみんなで集まるのが私の楽しみの一つなのだからね」

 

「私も同じです。大変なこともあるけどハロハピのみんなで集まることが好き」

 

 

 私の居場所でみんな大切なお友達だから、今はまだ学生がどうこうできる範疇から離れて欲しくなかった。

 

 

「ああっ! ……それはそうとして、お姫様お手を」

 

 

 この話はこれで終わりだというように手を差し出す。

 

 

「ご、ごめんなさい……私の乗馬が上手くなってからでお願いします」

 

「おや、ガラスの靴を穿いたお姫様ではなく大きな時計を持った白兎のようだね。優しい兎さん無事にお城に着けるよう祈っているよ。では、私はそろそろ失礼する、シルバーっ!」 

 

 

 薫さんが手綱を引くと馬が前足を上げ声高く鳴き走っていき、あっという間に見えなくなる。

 

 私はもう少し薫さんと話したい。

 でも、授業がもう始まっているだろうから無理に引き止めることができなかった。

 

 薫さんの方が私よりもずっと事情を知っていそうだ、ということを理解した。

 

 憶測になるけど、私は薫さんをバンドに誘おうとするこころちゃんに、薫さんと会ったことはあるのかと問いかけたことがある。

 それに対してこころちゃんは「今から会うのよ!」だったはず。何ヶ月も前のことだからあやふやだけどきっとそうだ。

 

 こころちゃんも薫さんもお互いを初対面だなんて言ってない。

 そして先程の薫さんの話、もしかすると二人は以前から知っているし会ってもいるのかも。

 

 

(……だからってこころちゃんがいなくなっちゃ嫌なの。死んじゃうかもしれないなんて……そんなのダメ、だよ……っ)

 

 

 こころちゃんの行いによって、伯父さんたちの喧嘩を仲裁することであかりちゃんのように救われる人がいるかもしれない。

 犠牲を抑えるのだから人の命だって助かるかもしれない。

 

 でも、こころちゃんの”死ぬかもしれない”と、知らない人の”死ぬかもしれない”とでは私の天秤が釣り合わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学園を遅刻したあと休み時間中に美咲ちゃんへ、こころちゃんと放課後に二人で話したいとSNSを送る。

 それから、次の休み時間に美咲ちゃんから約束を取り付けたと返信があった。

 

 放課後、人に見つからないよう時間を空けて天体ドームのある屋上に向かう。

 

 近隣学校で飛び降り騒ぎがあってから屋上は立入禁止で入った者は謹慎処分を受けてしまう。

 しかし、天文部だけが屋上を使用できた。

 

 中高一貫の学園で、一部の部活は中高一緒にまとめられる。

 天文部も中高とまとめられているけど部員はこころちゃん一人だけ。

 

 こころちゃんのために設立した天文部は奇人変人の巣窟と言われて人が近寄らない。

 それでも、興味本意や屋上に入り浸いために入部しようとする人もいる。

 

 けれど、花咲川の天文部は入部に条件があるらしく顧問の審査に通った人がいなかった。

 設備費用も含まれている部費は恐ろしく高額らしい。

 早い話が屋上使いたいなら学園に貢献しなさい、ということだと思う。

 

 私が高校一年の頃、認証機能のある扉や天体ドーム、屋上に修繕が入ったのは天文部が設立してからだ。

 ほぼ学生全員が大人の事情を感じてよく影で噂になったりもしていた。

 

 そのときからだろうか、街中や学校での言動や行動も合わさって「花咲川の異空間」と二つ名が定着していった。

 

 認証機能のある扉の前に着く。

 取っ手を押しても引いても扉は開かず、鍵穴は何処にもない。階段を覗く監視カメラもあって居心地が悪い。

 

 少し待っていると、こころちゃんが下の階段から登ってきた。

 こころちゃんに合流したあと、こころちゃんが屋上の扉を押すとそれだけで扉が開いた。

 

 外へ出る。

 

 こころちゃんが先導して中央まで歩き、夕日に照らされながら私の方へと振り返る。

 

 

「美咲から聞いたわ。花音、話って何かしら?」

 

「……あ、えっと……少し前、こころちゃんの妹にあったよ」

 

「妹ね、誰のことかしら?」

 

「と、とぼけてもダメだからね。アンナさんっていう妹がいるよね」

 

「弦巻家にあたしの妹はいないわ。もしかして妖精さんが妹を創ってくれたのかしら、花音はどこにいるか知っているの?」

 

 

 弦巻の姓はないけどアンナさんは血の繋がった妹のはず、黒服の人からも確認はとっているのにはぐらかされた。証拠を見せないと話が進まなそう。

 私は自分とアンナさんいる写真と携帯を取り出し黒服さんとのやり取りした文章をこころちゃんに見せた。

 

 

「これ、私の隣に写っているのがアンナさんだよ。それに黒服さんからやり取りした記録だってあるからね」

 

「アンナ=サルヴェ=レジナ、実のあたしの妹ね。花音と会っていたなんてびっくりっ、楽しくお喋りできたなら嬉しいわ!」

 

 

 純真な少女のように楽しく笑う。いつもと変わらないこころちゃん。

 何も知らなければこんな話をしないでよかったのに、知ったからには話さないと後悔するし知ることができてよかったと安堵する私がいた。

 

 

「そのアンナさんがね、こころちゃんに大変なことが起きそうだって話してた。大丈夫だよね? こころちゃんいなくならないよね?」

 

「大丈夫よ、あたしはいつも通りこの町にいるわ。でも、花音は不安だからあたしと話したかったのよね。そうでしょ?」

 

 

 こころちゃんは優しく笑みを受けべて私を安心させるようとする。でも、そんなことしても安心できない。

 事実を指摘されて私の不安が身体に現れはじめた。自信が少し震えているのがわかる。

 

 

「……うん。みんなと楽しく過ごしていたいのに……こんな、こんな不安は嫌なの……お、お願いだから、危ないことはやめようよ……」

 

「花音、ありがとう。楽しいってことは幸せよね。でもね、その幸せもいずれ別れがくるわ。だったら、一番笑顔になれることを選びたいじゃない」

 

「答えになってないよ……私は今がいい。今じゃないと、きっと未来の私に潰されちゃう……」

 

「今を求め続けるのも大切なことよね。今も笑顔でないと、そのうちに今が過去になって未来を食べてしまうわ。それはとても大変なことね」

 

「そうだよ……だから、危ないことはやめよう? 私ができることなら何でもするよ?」

 

 

 何でもというけど、自分自身が求められたことにどの程度応えられるかわからない。

 それでも引き止めることができるんだったら頑張りたい。

 

 

「あちらはあちらで、こちらと違い、貴女は貴女で、あたしと違う…………人間って難しいわね。ねぇ、花音。花音って紅茶好きよね、天体ドームにお茶できるスペースや器具があるから一緒に飲みましょ。花音が落ち着くまで『今』は一緒にいることができるわ」

 

 

 こころちゃんは私が話す前に素早く腕を掴み天体ドームに連れていく。腕を引っ張る力は強い、導かれているようで抵抗する気はなかった。

 

 天体ドームに入る。

 

 内部は教室ほどの広さがあり、よくわからない機材が置いてある。流し台や蛇口もあって水道が通っているようだ。

 私は部屋の隅の長いソファーへと座らされた。

 

 こころちゃんは紅茶を淹れる準備をして電気ケトルでお湯を沸かす。慣れた手つきで紅茶を淹れる工程を終えた。

 

 カップが置かれたお皿を差し出されて受け取る。こころちゃんは私の横へと座った。私は紅茶を一口飲む、ちょっとだけ塩気があった。

 

 

(こころちゃんが言う『今』っていつまでなのかな……)

 

 

 今はきっと長くないのだろう。

 こうして話してみたけれど感情ばかりが先にきて、こころちゃんを説得できる気がしなかった。

 

 美咲ちゃんやはぐみちゃんを巻き込む覚悟が持てない私はあとのことをアンナさんに託すことにした。

 

 

 

 


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