閃の軌跡~翡翠の幻影~   作:迷えるウリボー

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1章 帝国の火種
8話 水面下の攻防


「帝都憲兵隊、帝都の城壁沿いに陣を配置。同時に第一機甲師団がトリスタ東の街道に防衛線を配置。以上の様子を索敵班が確認した」

 同僚とは言うが、露骨に自分を嫌う貴族兵の取り巻きどもが、これでもかと言うぐらい睨みつけてくる。その様子を見て辟易しながら模擬地形版の中、帝都とトリスタの周囲に浮かび上がった敵影を見つめる。

「……はぁ」

 七耀歴千二百四年、八月。帝国政府がマキアス・レーグニッツ帝都知事子息捕縛の罪をヘルムート・アルバレア公爵にかけ、その首を取るために始まったエレボニア帝国内戦。帝東戦役。

 そんな煽り文句で始まった馬鹿馬鹿しい戦争の状況を眺め、クロイツェン領邦軍総参謀シオン・アクルクスは、一手を命じた。

「オーロックス砦の陣を二分、それぞれ双龍橋方面とトリスタ方面へ割り当てる。陣は縦陣、よろしく頼む」

「了解」

 シオンの命令については、ケイルスが答えた。ニヤリとこちらに不敵な笑みを浮かべると、睨みつける同僚と共に部屋を出ていった。

「はぁ……」

 もう一度、シオンはため息を吐いた。別にお前に笑われても楽しくとも何ともねーよそもそも何でお前が笑うんだよ苦労してるのは俺なんだぞ、なんて罵詈雑言を心の中で浴びせてから、再び自分が指揮を執るその時を待つ。

(なーんでこんなことになってんのかな)

 急に一軍の将を担ったと思ったら、目の前に立ちふさがるのは大陸最大規模の軍隊だ。面倒なことこの上ない。

 シオンはその原因を思い出す。先ほど憎々し気に感じたせいで、思い出されたのは原因の前の親友との会話からになった。まあ、そもそもその会話も中々めんどくさい会話だったのだが。

 

 

――――

 

 

「シオン、お前何でクレアちゃんを『リーヴェルト』呼びなんだよ?」

「……ああ?」

「昔みたいに、『クレア』でいいじゃんか」

「ああ……」

 七耀歴千二百四年、六月上旬。リーブス郊外に存在するSUTAFEの詰め所。夕方までの行軍訓練を続けてくたくたになった体に鞭うち、兵士たちは夜の各州からの定時連絡報告のために会議室へ訪れていた。

「別に、細かいことを気にしなくていいだろう。クレアでもリーヴェルトでも」

「細かいことを気にしないから、クレアでいいんじゃないか。何を言ってるんだ」

 同僚たちを待つ傍ら、シオンは隣に座るケイルスの声を聞く。過去のことに首を突っ込まれたようにも感じて、親友だからこそシオンはぶっきらぼうに返す。

 クレア・リーヴェルト。一ヶ月ほど前にケルディックの地で数年ぶりの再会を果たし、昔と変わらずに言葉を交えた帝国正規軍、鉄道憲兵隊大尉。シオンとケイルスと同じトールズ士官学院を卒業した同級生だ。

 ケイルスが――ちゃんづけではあるが――クレア呼びであるのと同様に、シオンもかつて彼女を名前で呼んでいた。いつ頃から性呼びになったのか、今では思い出すのも億劫だ。

 変わらずを貫く様子のシオンに、ケイルスはため息を吐く。

「はぁー、お兄ちゃんは悲しいよ……」

「悲しくて結構。ほら、始まるぞ」

 扉の向こうから、遅れてきた同僚たちやSUTAFE上層部が幾人か、やって来る。そこには同じ八班の人間たちもいて、彼らは二人の近くの席に腰を下ろした。

「よ、班長」

「ケイルスさんも、お疲れ様です」

「お疲れ様です、サハドさん」

「レイナちゃんも、頑張ってたねえ今日の訓練」

 サハドが豪快に、レイナがにこやかに。遅れてフェイが欠伸混じりにやって来る。

「―ふぁ。班長たちもよくこんなに早く来れますね」

「お前が遅すぎるんだよ、フェイ。班長命令だ、五分前行動を心掛けな」

「はーい」

 フェイたちが最後だった。出席者が集まった会議室は扉が閉められ、進行役の合図のもと今日も変わらず情報報告が行われる。開示された情報について意見を出し合い、今後の対策を考えるなり不干渉を貫くなり方針を決める。

 SUTAFEに配属になって二カ月もたつと、いい加減この風変わりな職務にも慣れてくる。通常の領邦軍であれば精々同じ部隊内での朝ミーティングを行う程度なのに、各州への迅速な手助けが必要なこの部隊は日に何度かこの大仰な部屋で報告会を行う。面倒なことこの上ない。

 しかしシオンにとって各州での事細かな情報は欲しいものであり、突発的に変化する国内の情勢や予兆をみきわめるにはうってつけな機会でもあった。早く帰りたいと、もっと聞きたい。二つの正反対な欲求がせめぎ合った結果、シオンの表情は妙にとってつけたような無表情になっている。それは地味に、同じ班の仲間や最近少しずつ言葉を交わすようになってきた他班の同僚にとっては笑い話の種となっていた。

 しかし、今日の報告会は平穏なものとはならなかった。何を隠そう、笑い話の種の人間が盛大に机を叩いて立ち上がったのだから。

 あまりに唐突過ぎて、隣に座るケイルスも思わず耳を塞いだ。シオンは部屋中の人間の注目を一手に引き受けることとなったが、それでもすぐに座り直すことはしなかった。

「どうした、シオン・アクルクス。すぐに席に着け。進行の邪魔だ」

 上司である議長の言葉にも、シオンはためらわず言葉をかぶせた。

「いいえ座りません。今のクロイツェン州からの報告、もう一度伺いたいっ」

 議長はため息をつき、自分に楯突く問題児の言葉に従った。

「何度言っても同じことだがな。……おい、言ってやれ」

「は、はい」

 返事をしたのは、今日のクロイツェン州との連絡役だった。彼の言葉によるものだ、シオンが机を叩きつけたのは。

「去る五月二十九日。カール・レーグニッツ帝都知事の息子、マキアス・レーグニッツの身柄をバリアハート付きの領邦軍兵士が拘束しましたが、同日夕方五時頃、ルーファス・アルバレア様のご意向により身柄が開放されたとのことです」

 一語一句、先ほどの報告と変わらなかった。

 シオンは、報告した連絡役に問い続ける。彼はラマール州出身の兵士だった。

「あんた、その事の詳細をクロイツェンから聞かなかったのか?」

「え、ええ」

「ふざけるな! 革新派の重鎮の親族を理由も判らずに拘束したんだぞ!? どうして詳細を調べずにはいそうですかと終わることができる!?」

 カール・レーグニッツ帝都知事。それは帝国の中心たる帝都ヘイムダルを統括する、初の平民出身の知事の名だ。革新派の代表である彼の鉄血宰相の盟友とも称された、清廉潔白だが油断のならない存在。その息子を拘束するなど、革新派に喧嘩を売る行為に他ならない。

 シオンは怒鳴りつけたが、この場の多くの人間は理解を得ていなかったようだ。それは知識や常識がないというより、立場ゆえの認識の違いによるものだったりする。

「シオン・アクルクス。たかがその程度の出来事に、何故会議進行を妨げるほどの邪魔をする?」

 議長が、今度こそ苛立ちを隠さずに聞いてきた。上司からの圧力にシオンは屈さず、異を申し立て続ける。普段の彼の飄々とした態度は、事の大きさに打ちのめされて完全になりを潜めていた。

「当たり前です! 万が一帝都知事の息子を理由もなしに拘束したとすれば、逆にアルバレア公爵家の威信を揺らがしかねない愚行だ! 革新派の牙を出させないためにも、早急に事実確認と他州への周知連携を執るべきでしょう!」

「そもそも、クロイツェン領邦軍より伝えられた情報が以下の報告に違いなのだ。帝都知事の息子が犯罪を犯したが、ルーファス様の寛大な温情により事なきを得た。他に何がある」

 そんな都合のいい話があるか、馬鹿野郎。

「だからその事実確認をすべきだと――」

「いい加減に口を閉じたらどうだ、アクルクス」

 できる限り冷静に、それでも苛烈な言葉で自分の意見を解こうとした青年に、重苦しい声が乗りかかった。

 シオンの斜め後ろ、数席分の距離が開いたその場所にいたのは、SUTAFE所属以来なんどか火花を散らしていた貴族だ。

「……ローレンス」

 エラルド・ローレンス伯爵家嫡男は、議長よりも圧のある瞳をシオンに向けている。シオンの言葉が止まったのをいいことに、捲し立てる。

「重要なのはヘルムート公爵閣下の為された判断ではない。その事態に対し我々がどのような決断を下すかだ。議長をはじめ、貴様以外のほとんどの人間はこの件について不干渉を決めた。それがSUTAFEの意向だ」

「……判ってないようだから言うぞ。だからその必要性を説こうと――」

「そんなに推理ごっこがしたいのであれば、休日に一人でも行えばいいだけの話だ。どれほど奇声を上げようと、SUTAFEの方針は変わらん」

「っ……」

 沈黙がその場を支配する。誰も何も言わず、ついには議長がわざとらしく咳ばらいをし、再会を促す。シオンは何も言い返すことができず、ただ周囲から流れるどうでもいい他州の情報に耳を傾けるだけだった。

 やがて会議を終えると、人々は疎らに会議室を去っていく。議長は面倒くさいようで我関せずを決め込み、今日のクロイツェン州の連絡役も気まずそうに会議室を後にした。

 後に残るのは、先程の問答の続きを見たい野次馬と、当人たちと、その取り巻きや同僚くらいである。

「無様だな、アクルクス」

 エラルドが近づいてくる。

「聞けばケルディックでの任務も、勝手な個人の思想で動いただけのものだったとか。組織の中において勝手を貫く、腫瘍らしい行動だ」

 シオンも立ちあがった。エラルドの正面に立つ。互いの傍には取り巻きとケイルスやフェイがつき、それぞれを睨み合う。

 普段仕事場に立つ大人であれば滅多にとらない行動だが、各州から寄せ集められたこのSUTAFEでは統制も取れ切っておらず、若者らしいいざこざが起きることも稀にあった。

「ローレンス、あんたはこのままでいいのかよ」

「なに?」

「ここ数ヶ月であんたの力量はそれなりに把握したつもりだ。あんたが貴族派主義に傾倒しただけの馬鹿じゃないってことくらいはな」

「……」

「あんただって事の重大さは判っているだろう。もう一度言う、このままでいいのか」

 場合によっては貴族派全体まで影響が及ぶ、それだけの爆弾だ。解体もせずに放置しておくなど、普通の精神ではできやしない。シオンはそう思う。

「その問いに答えるつもりはない。それよりも、『貴族派主義』などとこの四大領邦軍の集まる場所で大きく言えたものだ。それとも、頭がただの猿並なのか」

 珍しく、シオンの脳髄から袋が破れる音がした。数年前、学生だった頃に封印した威勢のよさが戻ってくる。

「上等だ。やんのか?」

「その猿並の頭を解剖したくはあるな。付き合おうではないか、ちょうどいい対局(ゲーム)がある」

 言うと、エラルドは踵を返して会議室の扉へ歩く。

「付いてこい、シオン・アクルクス。貴様と同班の者も何人か連れてな」

 

 

――――

 

 

 そんなわけで、シオンは勤務後就寝までの時間を使いエラルドと対局を行っていた。十数分程前、頭に血が上ってしまった自分を恨みつつ、もうやるしかないと腹をくくって盤上の戦局を睨みつける。

 行うのは帝国内の地形を模した兵棋演習だ。ある一定の条件下を設定し、二者が別の部屋に別れ架空の戦場で戦力を指揮し戦うもの。ゲームマスターがその結果を記録し、互いへ戦力さに応じた結果や明らかになった敵戦力のみを伝え、目的を達成するために知恵を絞る。作戦本部などで良く行われる演習だ。

 シオンが驚いたのは、こんな本格的な帝国の地形盤SUTAFEに用意されていたことなのだが、どうやら少し前にエラルドがラマール領邦軍から受注したものらしい。

 シオンはエラルドとの会話を思い出す。

『ルールは単純。貴様がクロイツェン領邦軍総参謀、私が帝国正規軍総参謀となり、己の軍隊を用いて互いの首を取ることだ。互いの首を取る、つまりヘイムダルもしくはバリアハートを占領すればそちらの勝利となる』

 時期は七耀歴千二百四年、八月。先ほどの喧嘩の発端となった帝都知事の息子の拘束、それに端を発したと仮定した未来で生じた、帝都の帝国正規軍とクロイツェン領邦軍による『帝東戦役』。現実では通常起こり得るはずもないなんとも皮肉たっぷりなこの戦いを持って、雌雄を決しようとエラルドは言うのだ。

『開戦時の戦力は今の互いの戦力を弁え、互いに明示する。未知の国との戦いであれば未開示で行うこともあるが、これは同じ国内の内紛だからな』

 なるほど考えられた対局だ。互いに互いの初期戦力を熟知はしてはいるが、果たしてそれが安直なわけではない。用意されたブロックは歩兵(人型)機甲師団(戦車型)空挺師団(飛空艇型)など多種にわたり、それを細かに分裂できるため実際の戦場のように多様に配置することができる。ゲームマスターは地形、季節、戦力など多彩な因子を見て対戦相手の選択を表し、結果を決定する。

 ちなみにゲームマスターはエラルドの取り巻き一人とケイルスが勤めている。さらには互いの部屋に取り巻き一人とフェイが監視するように見ているため、野次馬が余計なことを言わない限りは極めて公平に大戦が成される。

『ほら。確かにこちら(領邦軍)の戦力を記録したぜ』

『受け取ろう。ただし……隠し札については話が別だ』

『隠し札?』

『エレボニア帝国は大陸西部最大規模の国家だ。既存の戦力以外にもまだまだ予算・兵力・資金力――主に資金力を持っているだろうことは明白だ。我々一兵卒が把握していないものがあることはな。だからこその隠し札。その兵力は、互いに知らぬものとして戦場に投入することができる』

 なるほど、そのためか。盤上に戦場以外の場所を載せるのは。つまりさらなる奇襲の一手としても隠れた戦力を投入できる。

『へえ。了解したよ。ちなみにどうして俺が正規軍側じゃないんだ?』

『……答える義理などないな』

 その言葉を最後に、両者は部屋を分かれた。数分の待機時間を持って、対局は始まったのだ。

 十数分、盤の中では数日分の対局の結果、状況は五分と五分となっている。シオン側――クロイツェン領邦軍はケルディックを起点として帝都へと至るトリスタ方面の街道に防衛線を引き、さらにはケルディック東に存在する双龍橋という正規軍拠点側にも陣を敷いた。一先ず帝都からやって来るであろう第一機甲師団と双龍橋からの戦力を迎撃している。こちらから存在が見えるのは、索敵により判明した第一機甲師団の動向だけ。内戦が始まって数日、今はまだ互いの出方を伺っているような状況だ。

 ――だが、そう単純な足し算引き算の考えだけというわけではないだろう。なにせこのゲームにはありとあらゆる因子が加えられる。単なる遊戯盤の遊びでは終われない。

 ――何のために、エラルドはわざわざこの内戦のストーリーすら決めたのか。

 それはすなわち、内戦の開始時期やストーリーすら因子になるということだ。

 まず、内戦開始時期は現実の今より二カ月ほど後。今の帝国の情勢を考える。この帝国東部で重要なのは東部国境線、クロスベル州を挟んだカルバード共和国との政争だ。元々両国はクロスベル州を我が物にせんとするために何度も争ってきた過去を持つ。そのため東部国境線には正規軍の陣が敷かれるようになり、ついには『ガレリア要塞』という巨大な要塞が発展するにまで至った。そこに現在駐屯している第五機甲師団は本来共和国方面を警戒していたのだが……

 だが近年、その緊張は南の小国、リベール王国が提唱した帝国・共和国・王国の三国による『不戦条約』によって緩和されている。故に、数年前よりバリアハート方面に回せる戦力が全てではないにせよ増えているということだ。単純に考えてシオン側が不利に働く状況だ。

 次に、内戦勃発までのストーリー。シオンからすれば、開戦理由はアルバレア公爵が帝都知事の息子を拘束したという愚行によるものだ。基本的に貴族派が革新派と戦うのであれば、他の四大名門の協力も取り付けたいものだが、こんな愚かな理由で開いた戦局に加わるとは思えなかった。特にサザーランド州のハイアームズ侯爵は穏健派だし、ノルティア州のログナー侯爵は義理人情に厚い。とても正当な理由なしに協力を取り付けるとは思えない。これも、シオンに不利に働く状況だ。

(ふぅ……)

 だが、そう悪いことばかりではない。他の領邦軍の協力は取り付けることができなくとも、仮に正規軍が他州の拠点から集結するならその隙を他州領邦軍が狙うだろう。自分たちの利のために。

 ――この戦いにおいて注意すべきは、侵攻方向後方の双龍橋方面。それに注意しながら帝都を制圧する必要がある。

「全く……仮想とはいえ、俺が帝都を制圧する日が来るなんてなぁ」

 ぼやきつつ、ケイルスと取り巻きその一にクロイツェン領邦軍の戦況を伝えていく。表情を隠し切れない取り巻きが憎々しげにこちらを睨んでいるあたり、少なくとも互角以上の戦局は維持できているのだろう。

「正規軍側、戦線を維持したまま一個中隊の戦車の破壊に成功。正規軍が穀倉地帯中域まで前進したぞ」

「了解。合わせてトリスタ方面防衛線も後退。双龍橋の一個大隊をケルディック経由でバリアハートへ戻してくれ」

 ケイルスの報告にシオンが答える。

 内戦開始から一ヶ月ほど。クロイツェン領邦軍は双龍橋を占拠することに成功したが、代わりにトリスタ―ケルディックの戦線は少しずつ後退している状況だ。戦線以外の各方面からの奇襲も警戒しているが、今のところそれが実現した様子はない。互いの戦力はじりじりと削られ、残存していると思われる戦力も同程度。

(さて……開戦から一ヶ月。互いに動くとしたら今だ)

 エラルドだってこちらの、自分(シオン)の戦略的思考が馬鹿ではないことは判っているはずだ。先ほどの戦況因子を見極め、互角の戦力を用いて五分五分の戦いを演じることも理解しているはずだ。

(戦況を変えるのは……エラルド自身が言っていた『隠し札』)

 互いの陣営に存在する『財力』を駆使して用意される未確認の戦力。互角の状況を打破するとしたら、それ以外にはない。

 推測する必要があるのは、向こうの隠し札の正体。そして自分の隠し札の使い方。

 現状、主な戦線は常に帝都東のトリスタ―ケルディック間で開かれてきた。互いに占領目標である帝都・バリアハートには届いておらず、表向き戦線を破り一方の街を占拠したならほぼ勝利が確定するといっていい。小規模な側方からの奇襲にも対応できているし、正規軍側の優位手である双龍橋方面はこちらの采配によって既に潰している。

(正規軍側の隠し札……今回の内戦……四大名門も他国の増援も頼めず……投入できるのは正規軍内の戦力)

(けれど貴族派の領内では下手な動きをすれば感づかれる……ノルド高原の第三機甲師団? いや、それも駄目だ。共和国軍に牽制される)

 一度のさらなる対局を経て、エラルドが奇襲より戦線を推し広げていることが気になった。たまの奇襲はあったのだがあくまで小規模。どうにも『主戦場は防衛線』なのが気になる。奇襲の可能性を意識させつつ隠し札として防衛線に戦力を投入――と意識させて、やはり本命は側方からの奇襲に思えてくる。

(そうか……正規軍側の隠し札はTMPだ)

 鉄道憲兵隊( TMP )。帝国各地の鉄道を基盤として行動する正規軍組織。彼らの実力なら隠密的にバリアハート市のアルバレア城館を占拠することも不可能ではない、かもしれない。

 そしてTMPが動くなら、都市や街は占領対象でなく保護対象になるはずだ。それに歩兵ゆえにケルディックを防衛線が解除されない状態で保護する意味もないだろうし、TMPの効果的な投入はバリアハートに限られる。

(一応RF社経由で新たな戦車を補給する可能性もあるけど、それよりもTMPのほうが効果的な奇襲になる。意識するのはそちらだな……なら)

 黙考の後、幾つかの戦況変化を受けてシオンは一つの指揮を下した。

「先ほど収集した双龍橋方面の戦力を中心に歩兵小隊を大規模に編成。補給物資を潤沢に用意して、穀倉地帯の南を西へ移動。出発より五日後を目安に、アノール河を上流し電撃的に帝都守備隊を制圧する。あくまで歩兵部隊の制圧だ。戦車部隊までは相手にしなくていい」

 元々歩兵部隊に帝都を占領する能力があるはずがない。あくまで効果的な奇襲で正規軍を動揺させるのが目的だ。無事歩兵部隊を捕虜後は、トリスタ防衛線の解除と引き換えに解放する。そうして前線を押し広げ、最終的には第一機甲師団を無力化する。

 元々が圧倒的にこちらが不利な内戦だ。どうにか互角まで持ち込めれば御の字だろう。

 できることは尽くした。後は奇襲に警戒しつつ、五日後を見極める。

 一日目、前線で戦闘があったものの防衛線は保った。

 二日目、変化はなかった。嫌なくらい静かに。

 変化があったのは三日目だった。

「明朝、謎の戦闘部隊が中隊規模の戦力を持ってケルディックを襲撃した」

「……はぁ!?」

 対局開始して初めて声を荒げた。伝えたケイルスも、苦々しい顔をしていた。

 理解ができない。今このタイミングでケルディックを襲撃だと?

「……防衛線の五割を、戦闘部隊への対処・拘束へ割り当てろ。戦闘部隊の戦力も分析してくれ」

 返答の後、ゲームマスター二人はエラルドの部屋へ向かっていく。壁の向こうのエラルドがムカつく笑みを浮かべている気がした。

 ゲームマスターが待ってくるまでの時間が珍しく長く感じる。次にゲームマスターが自分に伝えてくるのは、ケルディック防衛線の結果と戦闘部隊の戦力だ。野次馬の同僚たちの困惑が伝わってくる。

 数分後に来たケイルスは、少しばかり悲しげな顔をしていた。

「……ケルディック防衛の結果は……失敗した」

「なんだと? 戦闘部隊はそんなに一騎当千だったのか」

「戦闘部隊の詳細を伝えるぞ」

「ああ」

「戦力は……帝国政府に雇われた猟兵団、『北の猟兵』」

「はぁ!?」

 二度目の叫び声。あまりに予想外の事態だ。

 猟兵団とは、ミラを対価に様々な依頼を引き受ける部隊の総称だ。並の傭兵部隊よりも高い練度を誇り、依頼の内容は犯罪性の有無を問わない。一般の人間には死神と同義の存在。さらに『北の猟兵』は元軍人が多く存在高ランクに位置する猟兵団。

「戦闘の結果、北の猟兵はケルディックで補給を行った。……ケルディックは死傷者も出た計算だ」

「っ……」

 最悪の結果だ。ケルディック防衛に回した戦力は殺しを辞さない猟兵団に殲滅されてしまったし、ケルディックも占領された。しかも前線に集中していた戦力は前後を挟まれ孤立した。

 そこからの結果は誰の眼から見ても明らかだった。双龍橋方面の部隊もガレリア要塞方面とケルディックの北の猟兵により奪還され、トリスタ―バリアハート間の戦力も投降せざるおえなくなった。しかも、戦車などは鹵獲された形で。

 後方の戦力がいなければアノール河からの奇襲も意味を持たず、残るはバリアハートの戦力のみ。

 全ての戦局は覆されてしまった。ケルディックの占拠と言うありえない方法によって。

「……内戦開始より四十二日。帝国正規軍がバリアハートを占拠。帝東戦役、勝者は帝国正規軍だ。」

 ケイルスが静かに次げる。劣勢ながらも勝利を確信していたのが一転、シオンは敗軍の将となってしまった。

「無様な結果だな。シオン・アクルクス」

 拳を握り締めていると、エラルドがこちらへ近づいてきた。出会った時から変わらない威圧的な表情は、今はこの上なく怒りを覚えてくる。

「おいローレンス。どうしてケルディックに『猟兵』を投入した。帝国内での内戦に外部の猟兵を投入したのは何故だ」

「それが最も効率的だからだ。言っただろう、『隠し札』は兵力だけに限らないと。その資金を用いて効果的な

戦力を効果的な舞台に投入した。結果が全てを物語っているだろう」

 猟兵は戦闘のプロだ。資金を使うなら妙な部分に頼るよりは現実的だが。

「だからと言って殺しを厭わない猟兵を町村に投入するだと? 馬鹿げている」

「勝利条件はバリアハートの占領。そのために、障害となる防衛線を排除した。ただそれだけのことだ」

「っ!」

 非常すぎる言葉に、シオンの体が反応した。周囲の人間の制止も聞かず、右手でエラルドの胸倉をつかみにかかる。

「……訂正しろ」

「空想とはいえ故郷を蹂躙されたことが憎いか?」

「仮に敵の領地だとしても、同じ人間が住む土地だ。ましてや同じ帝国の住人だ」

 殴り合い一歩手前の状態になっても、エラルドの冷徹な表情は変わらない。

「そもそも貴様がもっと利用できるものを利用していれば、この戦況も変化していたはずだ」

「利用できるものだと? これ以上どこに戦力が――」

「例えばラマール領邦軍。開戦の理由が理由な以上サザーランド・ノルティアは不可能だろうが、ラマール領邦軍はアルバレア公爵以上の貴族派筆頭、カイエン公爵の軍だ。アルバレア公爵に恩を売る目的で、妙な理由をつけ参戦要請を受け入れる可能性があった」

「っ……」

「例えばリーブス。リーブスは皇族の直轄地だが、そこにあるこのSUTAFEは四大名門共有の資本。協力はラマール領邦軍よりも確実だっただろう」

 言い返すことができない。冷静になれば、確かにその選択もできないわけではなかった。愚かな開戦を理由に、我が身を守るために妥協してしまったとも言える。

「そして例えば……俺と同じように猟兵団を使役する、などだろうな」

 可能性に行き着くことすらなかった選択肢。だが最後のそれだけは、認めたくなかった。

「だが貴様は、どの選択も取らなかった」

「……」

「猟兵団は貴族派も革新派も使役する可能性はある。否定はすまい?」

「否定は……できない」

「今回の帝都知事の息子の拘束も、似たようなものだ。表向きの清廉さは違えど、中身の愚行はどちらの派閥も行いうる」

「だから……なんだというんだ」

 煮え切らないシオンの言葉にエラルドの眼が燃え盛った。

「貴様にそれが出来ないのは……貴様が貴族派にいながら平民の利を考える半端者だからだっ!」

 声を荒げると同時、エラルドは右手でシオンの胸倉を掴み返そうとする。左から殺気を感じたシオンが反射的に左手を上げると自然両者の手が弾き合うことになる。

 転瞬エラルドが胸元にかかるシオンの右手を左手で掴み、それをひねり上げた。その回転に合わせ体を捻じると、隙を見逃さないエラルドが足払い。シオンは転び体勢を崩しかける。

 しかしシオンも足払いに逆らわず飛び、背面から落ちるぎりぎりで足を組み替え背負い投げに近い姿勢となった。

「うぉ!?」

「ぐぅ!?」

 結果、背負い投げに逆らったエラルドも重心を崩され、二人してうつ伏せで地に倒れ込むことになる。

 少し荒くなった息を整え、顔を上げながらムカつく貴族様を睨みつける。

「ローレンス、てめぇ……」

「ふん、思考だけでなく体術まで同じとは……反吐が出る」

 エラルドはそれ以上目を合わせることもせず、わずかに面倒くさそうな表情を顕わにして立ちあがった。

「貴様がどちらにもなり切れん半端者であるかぎり、戦場に出ても価値のない的にすぎん。そのことを肝に銘じておくことだな」

 人ごみをかき分け、勝手についてくる取り巻きを従えて、伯爵家嫡男は静かにその場を去っていく。

 シオンはその様子を見届けてから、胡坐をかいてばつが悪そうにため息を吐いた。数秒絶たずにケイルスが両手を打ち鳴らし、野次馬たちの注目を集める。

「はい、取り敢えず見世物は終了だ、皆お疲れ様。明日に備えて宿舎に戻ろうぜ」

 のろのろと、同僚たちは去っていく。やがて残るのは八班の同僚たちだけ。

「お疲れさん、班長。見てて中々楽しめたぜ」

「ははは、サハドさん。見守ってくれてありがとうございました」

 近づいてきたレイナが、水の入ったコップを持ってきてくれる。

「シオンさん、お疲れ様でした。この地形盤は私とサハドさんで片づけておくので、ゆっくり休んでくださいね」

「ごめんね、レイナ。恩に着るよ」

 遅れてフェイがやって来た。

「班長もすごいね。あのローレンス相手に喧嘩売るなんて。すごいよホント、すごい」

「フェイ、お前絶対思ってないだろ」

 水を喉に流し込みながら、一同は解散となった。

 静かになった演習室で、ケイルスだけが残り、同じように胡坐をかいて座る。

「珍しくきれてたな。まあバリアハートで罪もない帝都知事の息子さんを拘束したってんだから、分からなくはないけど」

「あぁ……久々に頭が沸騰しちまった。ストレスかな……」

「ま、お前の心境じゃそうなるのも判るよ。サハドさんとか俺みたいな単なる食い扶持じゃなくて、目的があって入隊したお前ならな」

 言われて、シオンは口を紡ぐ。ああもエラルド言われたままなのが、気に入らなくて仕方がなかった。反論のしようがないのが余計にそう思える。

「のんびりやるしかないんじゃね? できることを、少しずつさ。少なくとも、八班のみんなは理解者になってくれるよ」

「ああ、そうだなぁ……」

「そゆこと。じゃ、先に宿舎に戻ってるぜ」

 ケイルスが去っていく。

「……」

 その後少しばかり静かに胡坐をかいたまま沈黙を続けたが、自分の考えをどれだけ反芻してみても、良い案などというものは浮かんでこない。

 今まで多少なりとも自分の革新派よりの考えを馬鹿にされてきたが、それでも殆ど激昂なんてせずにのらりくらりと生きていた。しかし初めて『中途半端』という言葉を使われたのもそうだが、エラルドに言われたというのが想像以上に腹が立つ。

「仕方ない」

 今は親友の言葉を借りて、のんびりとやれることをやろう。

 一先ず無理やりに気を引き締めて、自分の頬を叩いて立ち上がった。

 だが宿舎に入ったところで、またも自分に割り当てられた部屋に入る前に、心をかき乱されることになった。

「げ……」

 その原因は、個人に当てられたポスト。目の端に見た自分用のそれには、一つの封筒が入っていた。

「マジかよ……」

 公共機関などではなく、個人から来たもの。律儀に『シオン・アクルクス様』と書いてあり、帝都ヘイムダルの長く細かい住所が記されている。

 そして住所の隣には……

『クレア・リーヴェルト』

 あくまでも個人名。ある意味エラルド以上に心をかき乱す存在だった。

 

 

 


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