閃の軌跡~翡翠の幻影~   作:迷えるウリボー

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17話 両価の内戦

 人口八十万人を擁する緋色の都市、帝都ヘイムダル。

 面積も人口相応。ゼムリア大陸最大級の名を欲しいままにするその都市は、しかし帝国千年の伝統の色も強く、クロスベルに存在するようなビルディングは少ない。

 そんな、地に広がりを見せ高度を捨てた都市は、全長七アージュを超える鋼鉄の騎士をミニチュアの模型を眺めるように拍子抜けさせた。

 今、シオン・アクルクスが操る機甲兵ドラッケンが、滑るような軌道の果てに死角から戦車をブレードで叩き斬る。訓練の果て、精密な操縦技術を得たシオンは器用に砲身のみに切っ先を当てた。

 砲身は半ばで折れ曲がり、車体は衝撃で地震が襲いかかるように揺れる。

『いいぞ、そのまま切り裂け!』

「……っ!」

 味方の意気揚々とした号令にしかめっ面を浮かべ、シオンはオートバランサーの起動閾値を下げた。

 相手は黄金の羅刹ではない。こちらも防御策をとらなければあっという間に転倒してしまう。

 そのまま脚を稼働範囲の限界まで上げ、勢いのまま戦車の砲塔を横なぎに蹴り飛ばした。

 大きく横に傾く戦車。

「もう、一発!」

 さらに押し出すと、戦車はあっという間に横転する。これでもう戦闘不能だ。

『斬るなり刺すなりすれば楽だっただろうに……まあいい』

 指示通り大破させなかったらか味方がやや刺々しい。が、そんなことはどうでもいい。

 シオンは画面に映し出されたマップを見渡した。現在値はヴァンクール大通り。後方には班を組んだ二機の機甲兵。周囲百アージュには敵機は映し出されていない。

 帝都で戦闘が開始してから、つまり鉄血宰相が狙撃されてから、およそ十分の時間が経過している。

 それはつまり、貴族連合が内戦の狼煙をあげてからの時間。

「……くそっ」

 苛つく頭を後頭部のシートにぶつける。反動で腰が少し浮き、シートベルトが軋む。

 今は、やるべき事をやるだけだ。

 通信機に向け、味方に向け声を張り上げた。

「周囲に敵機はいない。ここで宣言をしてもいいんじゃないか?」

『そうだな、どうせ歩兵はこの機甲兵を見てもなにもできやしないだろう』

 三機は円形に陣を組んで周囲を警戒する。

 シオン機ともう一機が剣を構える傍ら、三機目の操縦者は外部スピーカーから威圧感のある警告を告げた。

『帝都市民よ、聞くがいい。我らは貴族連合、国家の逆賊たる革新派を誅する貴族の剣である! ここに巣くう第一機甲師団を払う間、諸君は家屋内及び安全帯に避難すべし。屋外にいる者の安全は保証できない』

 さすがに帝都市民まで無下な扱いはできない。あくまで狙いは第一機甲師団を退かせて帝都を占領することだ。

 と、その時。マッピングの外、シオン機の前方二百アージュに、狭路を横切る戦車が一つ。

「アハツェンを六時方向に一体発見した。今から倒してくる」

『一体ならこっちも一機で十分だな。精々しくじるなよ、SUTAFE兵さんよ』

「了解」

 他機の索敵には引っ掛からなかったようだ。少々小馬鹿にするよな物言いに口を曲げつつ、シオンはフットペダルを押し込んで戦車の後を追い始めた。

 他の二機の操縦者はラマール領邦軍から引き抜かれたパンタグリュエル本隊の面々だ。実力はトップレベルではないらしいが、それでもシオンやエラルドに引けをとらない。

 機甲兵による強襲は、帝都の第一機甲師団を容易く圧倒していた。鉄血宰相を討ったという衝撃はあるだろうが、それ以上にこの鋼鉄の騎士の力によってあっという間に陣形を崩しているのが大きい。

 貴族連合が帝都を占領するのは時間の問題だった。

「ん?」

 戦車はこちらから逃げているらしく、まだ彼我の距離はまだ百アージュ程はある。その最中、進行方向からシオンの知るどの機甲兵とも違う、蒼色の騎士が見えてくる。

「あれが……事前通達のあった、『オルディーネ』」

 その蒼色の騎士は、一見して信じられないことに直立位のまま宙に浮かんでいた。機体と同じ蒼色の奔流が背部のスラスターから星屑のように溢れており、職人の意匠がこされたような精巧で美しい機体は、比喩の意味合いもある『鋼鉄の騎士』以上に、本物の騎士人形と言える。

 ──蒼の騎神、オルディーネ。帝国解放戦線リーダー、クロウ・アームブラストただ一人が操ることができるという機体。いかなる仕様によるものか、機甲兵とは違い完全に搭乗者の動きをトレースでき、現状のように空中飛翔もでき、導力のようなエネルギー波を用いて攻防力を上乗せできるという、常識では考えられないそれはカイエン公爵を通じて紹介された。貴族連合が誇り、機甲兵部隊の頂点に立つ英雄《蒼の騎士》なのだと。

「巨大な騎士の伝承……その通りだとしたら、笑うしかできないが」

 いったい、貴族派はいつから不気味な存在と通じていたのだ。いつからテロリストのリーダーを崇められるほど堕ちてしまったのか。

 オルディーネはしばらくその場に留まっていたが、やがて体を翻すと高度を上げて、体を腹臥位に倒して飛翔体勢を取る。そのまま東の方向へ飛び去って行った。

 オルディーネの操縦者たるクロウ・アームブラストは、鉄血宰相を狙撃したのちはオルディーネを駆ってトリスタに向かう予定だったはずだ。適材適所というより感情の部分は大きいらしいが。

「あんな屋上で何やってたんだ? まあいい」

 戦車とも近づいてきている。そろそろ臨戦態勢をとらなければ。

 十字路を右に曲がった場所に戦車はいる。先ほどとは違い他の領邦軍兵士もいないし、適当に戦闘不能に追い込んで逃げさせればいい。命までは奪いたくない。

 そう思って、機甲兵を操って十字路へ踏み込む。

 そこにいたのは一台の戦車と、紫色の正規軍兵士が一人、灰色のTMP兵士が一人。

 戦車の外に出ている兵士は機甲兵を見て露骨にたじろいでいる。

 スピーカー越しに警告を重ねる。

「問答はしない。死ぬのが嫌なら離れてろ!」

 直後シオンは操縦桿を操作してブレードを構えた。慌てて歩兵が銃器を打ち込んでいるが、機甲兵の体には通じない。

 慌てても逃げないあたり、さすが帝都を守る機甲師団と最精鋭のTMPだ。しかし、その勇敢さが今はもどかしい。

 戦車も後退しつつ、砲身が転回している。この圧倒的に不利な状況でも理由があるのか、諦めていないらしい。

「ふざけんなっ、こっちがどれだけ苦心してると……」

 ここまで抵抗されたら、こちらも危害を加えなければならない。

 大げさに機甲兵の脚をあげて、時間をかけて戦車近くの地面を揺らす。兵士たちが蜘蛛の子を散らすように逃げる。

 その時、近くの建物の扉が勢いよく開かれる。現れたのは、TMPの軍服を着る水色の髪の女性士官。

 彼女が勢いよく叫ぶ。

『皆さん、現状戦車では太刀打ちできません! とにかく帝都から逃れてください!』

 心臓が、ドクンと跳ねた。

 誰よりも、一番顔を合わせたくない相手だった。

『クレア大尉! それでは、貴女は……!』

 兵士の一人が叫んでいる。

 理解した。TMP隊長であるクレアを逃そうとしていたのか、この戦車の操縦者は。

 鉄血宰相が死に、それだけでも正規軍の中には士気が下がる部隊もあるだろう。だが、名のある将や統率者はそれだけで終わるはずがない。必ず反攻してくる。

 正規軍兵士には判っているのだ、ここでクレアを失うことの意味を。そして、貴族派がクレアを逃がすはずがないということも。

 クレアは表情に困惑が見えるものの、出会い頭の機甲兵にはまるで動じていない。

 むしろ、動じていたのはシオンの側だった。

 クレアが不審に視線を動かす。絶好のチャンスであるはずのシオンの機甲兵は、しかし剣を構えるだけの姿勢で止まっている。

 このままレバーを押し込み、氷の乙女を始末する。それが貴族連合の一兵であるシオンのすべきことのはずだ。

 だが、動けなかった。その一押しができない。

 シオンは頭を力任せに掻いた。そのまま外部スピーカーを切る。腕のレバー、足のペダルをあらんかぎりがむしゃらに動かした。

「クソ野郎がぁあ!!」

 転倒しかけるほど体幹を傾けて、機甲兵が戦車を踏み抜き、操縦席でない車体後方へブレードを突き刺した。

 衝撃で戦車がわずかに浮く。その間、爆発する激情はシオンの脳天から四肢へ溢れだす。

 シオンは激情に任せ、けれど精密な指先でコントロールパネルを動かす。

 左手の導力を遮断。ブレードを持つ右手を動かないよう固定。両脚をオート操作に。

 そして、体幹を大きく前へ傾げさせる。今度は敢えて転倒してしまう程に。

 クレアが他の兵士に向けて叫んだ。

『逃げて!!』

 オートバランサー発動。転倒を防ぐために機甲兵は自動的に脚を踏み出した。体動に合わせ右手も動く。固定した右手はブレードが突き刺した戦車ごと動かす。

 いかに機甲兵と言えど、戦車ごと体を動かすのは通常困難。だが上肢の導力伝達を効率化した今、機甲兵は恐ろしいほどの力を発揮した。

 戦車は先程より静かに横転した。

「……はぁ、はぁ」

 無茶な動作のせいで、過剰な負荷がかかったことを報せるアラームが鳴っている。

 シオンは正面モニターを見る。視界に兵士やクレアはいないようだが、それ以上に静寂が続いていることに気がついた。

 恐らく、戦車を横転させている間に路地裏へ逃げたか。マップモニターには小さな熱源が遠ざかっているのも確認できる。

 戦車から命からがらといった様子で兵士が出てくるが、彼らを追うこともできない。突き刺したブレードは簡単に抜けないし、現状機甲兵で深追いするほどの価値もない。

 戦車は行動不能に追いやり、必要以上に帝都市街も破壊しなかった。及第点ではあるはずだ。

 今もなり続けるアラームに嫌気がさし、シオンはブレードを手放しつつ機甲兵を操作して直立姿勢に戻ろうとする。

 緩慢な手つきでコントロールパネルを動かす。静寂の中でゆっくりと姿勢を戻す機甲兵。

 その時、鳴りやんだアラームを続けるように通信機が鳴り響く。

 三秒沈黙を保ってから、シオンはようやく回線を繋げた。モニターに映る相手は先程連携をとっていた味方二人ではない。

『こちらドライケルス広場より、先鋒隊隊長機や。アンタ、味方と距離が離れてるけど大丈夫か?』

 特徴的な訛りのある、軽い青年の声。今日の作戦にあたりシュピーゲルに搭乗し機甲兵部隊の隊長を引き受けるようになった、とある筋から連れてこられた男。

「こちらSUTAFE隊員アクルクス。戦車を一台仕留めましたが、操縦者と歩兵ははとらえ損ねました」

『ええよええよ、路地裏に逃げ込まれたらしゃーない。それよか、操縦者は怪我させずに戦車だけ仕留めるとかずいぶん器用なことやるんやなぁ』

「いえ、兵士を捕縛できなかったのは自分の責任です」

『はは、そのほうが後で狩りがいがあると思っときゃいい。重要人物がいたなら、話は別やけど』

 隊長機の男は、領邦軍の指揮官と比べ無駄に怒るでもなく淡々と用を告げてくる。

『ま、ええわ。そんな小器用くんに頼みたいんやけど、ちょいと俺の指揮から別れてトリスタ方面隊と合流してくれんか』

「えっと、そちらに向かうことなく直接ですか?」

『直接でええ。むこうの学生と教官が派手に抵抗したみたいでなあ、予想より制圧に手間取ってるらしいんや。聞いたけど、アンタらSUTAFEってそういう急な動きに対応する役目なんやろ?』

「ええ。そういった補助や援護は自分たちの役割ですが」

『ほな、頼むでー。帝都は順調に制圧してるし、問題なくやっとるからな』

 通信が切れる。

 シオンは苦心してブレードを引き抜いた後、帝都の東の街道へ出た。

 帝都の喧騒から離れて自然豊かな街道へ出ると、機甲兵のローラー走行の振動だけが響いている。ちらほらと魔獣は見えるがこの鋼鉄の騎士に突撃してくるわけではない。軍人はどちらの派閥でも各要衝にいるし、一般人は先ほどまでの演説を導力ラジオで聞いていただろうから、まず街道に人などいない。

 一応モニターで周囲の様子は確認しているが、事実上警戒する必要もない。

「……」

 街道を真っ直ぐ進む傍ら、シオンは先ほどの戦車との会戦を思い出す。

 クレアを目の前にした時、彼女の近くの地面をブレードで叩きつけて気絶させるつもりだった。彼女を生きたまま捕縛するのは困難だが、貴族連合のためにはそうするのが理想だった。

 けれど、できなかった。容赦なく捕縛すべきという自分と、見逃せと訴えかけてくる自分。その両者が衝突した結果、半端な結果を生み出すことになった。

 クレアはさすがに操縦者が自分だとは思っていないだろうが、それでも違和感は感じているに違いない。

「……くそ」

 再三思い出すオーレリア将軍からの忠告だが、シオンは悔しさを噛み締めることしかできなかった。結局どちらも選べていない。

 これから向かうのは己の母校。いったい、どんな顔をして乗り込めばいい。

 

 

────

 

 

 街道を出て三十分ほどで、懐かしい近郊都市の街並みが見えてくる。

「久しぶりだな……トリスタ」

 獅子戦役の英雄、獅子心皇帝ドライケルスが創設したと言われるトールズ士官学院を擁する街、近郊都市トリスタ。

 大陸横断鉄道の中継駅でもあり、学生が住まう都市として小規模ながらも雑貨、書店、ブティック、喫茶店、宿酒場など施設の種類は豊富だ。導力技術は日進月歩だがシオンが過ごしていた四年前とはそれほど大きく町の情景は変わらないだろう。常に若者の活気であふれているのが近郊都市トリスタの姿だったはずだ。

 だが今、その賑わいは消えうせている。

 シオンは町の出入り口、街道の端に機甲兵を止める。機甲兵の導力を落とし、コックピットから降りる。

 地に脚をつける。今まで衝撃に揺られ続けていたからか、足が浮遊感につつまれてふらついた。一応の体裁を整えてから、こちらに近寄ってきた兵士に敬礼した。

 部隊長の命令できたことを告げると、そもそも先方から依頼されたことなのですんなり了承される。

「町の者と学院関係者は学院敷地内だ。だが学院生徒が多数逃亡している。多くの兵士が捕縛に出払っているから、学院で関係者の軟禁を手伝ってくれ」

 こちらも了解し、おぼつかない足取りでトリスタへ入る。

 馴染みがあるはずの町は今、街道の出入り口を鋼鉄の騎士に見下ろされ、何十人もの貴族連合兵が闊歩している。不自然な静寂だ。

 老若男女問わず、町の人間が学院から出てきている。もちろん兵士がついているが、今の状況では自分の家に帰れるだけましなように思えた。

 町民の中には、シオンと顔見知りの者もいる。彼らとあまり目を合わせたくなくて、シオンは足早に坂の上の学院へと向かう。

 乾いた風だけが鳴る町に、貴族連合兵のブーツの足音だけが雑に響いている。

 坂の上を歩くと、途中で学院生の宿舎が二つある。それぞれ貴族生徒と平民生徒が分かれて暮らしている。その分かれ道の十字路で、トールズ制圧に回されたSUTAFE他班の同僚を見つけた。彼にこちらの経過を聞く。

 鉄血宰相への狙撃と時を同じくして、トリスタへも機甲兵部隊が突入した。トリスタの東西の街道からそれぞれ挟撃を行うといった形だ。

 だが帝都制圧の面々が貴族連合兵が中心だったのに対し、こちらは最初に突入したのが帝国解放戦線のメンバーだった。世間では壊滅したと報じられ、領邦軍にのみ秘密裏に真実を告げられたテロリストたちは、因縁があるらしいトールズ士官学院への襲撃の一番槍を買って出たのだ。

 帝都圏のトリスタと、革新派の子息や重鎮も在籍しているトールズ士官学院は帝都や正規軍の各拠点に次いで制圧の対象になる。

 だがさすがは名門トールズと言うべきか、教官人が片方の街道に出て抵抗を始めた。驚くべきこどに、彼らは十人足らずの生身で二体の機甲兵を足止めして見せたらしい。達人の力量というのは当然シオンも知っているが、機甲兵を操る身としては現実離れした彼らの力に震えを止められなかった。

 そして、反対側の機甲兵には、特科クラス七組の面々が抵抗してきたのだという。

 淡々と事実だけを告げてくる同僚に、シオンは訪ねた。

「それで、七組はどうなったんだ」

「一機には勝ちやがった。だが隊長機には負けた」

 当然だ。隊長機には、どうあがいたって真正面からは勝てるはずがない。

 そして全員が拘束されかけたところを、突如として飛来した《灰色の騎士人形》が撃退したのだという。

「……は?」

「そう言うなよ、俺だって驚いているんだ」

 恐らくはクロウ・アームブラストが駆るオルディーネと同等の機体。七組の一人がそれを操ったらしい。

 現実離れした話だが、紛れもない現実として蒼の騎神は存在している。

 やがて撤退を促した灰色の騎士人形は、遅れてやってきた蒼の騎神と対決し。

「蒼の騎士が勝った。灰色の騎士人形は逃亡、そして学生たちも奇跡的に姿を散らした」

「……そうか」

 音になり切らない相槌だった。

 七組の中には貴族生徒もいるが、帝都での様子を見る限り大人しく親の言いなりになるようには見えなかった。というより、七組の《主体的に考え、行動する》という姿勢そのものが、そもそも大人しく貴族派のお縄に着くようには思えない。

 きっと、七組以外の脱出した学院生たちも同様なのだろう。革新派と貴族派のどちらが悪いというわけではなく、内戦という行為そのものに納得ができず、例え迷いがあったとしても一筋の可能性を信じて、苦難の道を選んだ。《世の礎たれ》という学院の理念がそのまま息づいているかのようだ。

 若者であるが故の、突っ走りがちな行動。でもそれは、大切な信念でもある。

「どうした? アクルクス」

「……何でもない」

 自分はもう、選んでしまった。こちら側の道を。迷いと共に。

 ここにいたら、自分がまだ向こう見ずな学生だったら。自分は学院の仲間たちと共に戦ったのだろうか。現状に納得できず、世の礎たるために諍ったのだろうか。

 判らない。今はもう、誰もいない。全ては終わった後だ。

 

 

────

 

 

 卒業して以降、初めて踏み込む学院の敷地。

 懐かしい匂いが静寂にかき消される。

「左にはグラウンド。右には図書館。……変わらないな」

 SUTAFEの同僚と別れ、シオンは本館の正面玄関を入る。

 扉を閉じてすぐ、受付の机が暴力的に叩かれて音が鳴り、予想外だったシオンは体をびくつかせた。

「くそっ!」

 突然の男の悪態に一度心臓が跳ねるも、すぐに落ち着かせる。待機させている兵士たちを引き連れて、トリスタ方面制圧隊の隊長が、己の身分を示す防止に手を当ててわなわなと震えていた。

「猪口才なヴァンダイクめ! どこまでもコケにしてくれおって……!」

 隊長は、顔を赤くして沸騰している様子だ。それよりも、馴染みある人の名前が出てきてそちらに気を取られる。

 憤慨している隊長に話すのも気が引けたので、シオンは後列の兵士に話を聞いた。

 学院内へ残った生徒や教官陣は既に制圧しているらしい。もう抵抗している者はいないらしく、貴族生徒や平民生徒など、それぞれ残った生徒は名簿を見比べながら取るべき対処を取っている。革新派の子息であれば交渉材料に使わされるし、大貴族の子息は一先ず貴族学生寮に《保護》されている。

 教官陣は比較的従順だったそうだ。逃亡した教官も複数名いたそうだが、残った者は生徒の身の安全のために積極的に投降しているのだという。

「だというのに……ヴァンダイクめぇぇ……!」

 が、従順なふりしてやたら隊長の頭を沸騰させている者が一人。

 ヴァンダイク学院長。文字通り学院のトップであり、帝国正規軍の名誉元帥でもある。

 シオンが学院に在籍していたころから学院長だった人物。一見して人当たりのいい好々爺だが、経歴からしてそんなどこにでもいるような爺でないのは明らかだ。

 学院長からの人となりを知っているシオンとしては、今の状況で貴族派の隊長を沸騰させるのはおかしくないと考える。

 大方、大人しく従っているような態度をとっているが容赦なく主導権を握っているのだろう。生徒や町人の安全を最優先にしつつ、貴族連合が動きにくいように煙に巻いているに近いない。

 やるなあ学院長、と後ろで笑いつつ、しかしどうするかと考える。貴族派に属する自分としては、追い詰められた貴族派の隊長というのはどんな馬鹿をしでかすか判らないというのを知っているから。

 少し気は引けたが、埒が明かないと思いシオンは手をあげた。

「あの」

「なんだ、貴様は!」

 威圧的な隊長だが、オーレリア将軍と比べると子猫のような可愛らしさだった。怖がらず、進言を続けた。

「自分は帝都制圧隊より援軍に来ました、シオン・アクルクスです」

 SUTAFEを名乗るのは話が止まりそうだったので止めておいた。

「既に報告は受け取っている! 無駄口などいいからさっさと動け!」

「いえ、自分はトールズの卒業生なので。現在の学院長ヴァンダイクとも面識がありますし、自分が話をしたほうが良いのではと思い、具申したのですが」

「なに……」

 シオンの話に声を潜めた隊長は、投げやりな態度だ。

「ふん、やってみるがいい。愚か者同士、仲良く話ができるといいな」

「……ええ」

 多数の兵士が見守る中、ぽっと出の自分は特に干渉もなく歩いた。

 二年間通い続けた学院だ。学院長がどこにいるかなど、聞かなくても判る。

 本館へ入って右の通路へ、曲がり角を行った先にある学院長室だ。

 扉を手の甲で二回叩く。

 扉の奥から、優し気な老人の声が聞こえた。

『入りたまえ』

 言われたとおり、学院長室へ入る。表彰状や旗、応接のための椅子などもある部屋の奥、豪奢ではなく年季の入った机の奥には、筋骨隆々とした体躯を持つ白髪の好々爺。

 彼は、椅子を回転させて後ろを向いていた。

「隊長の遣いの者かね。悪いが、茶を出すことくらいしか──」

「お久しぶりです、ヴァンダイク学院長」

 声を遮って、シオンは今日初めて喜びの感情を顕わにした。

 好々爺は、少し戸惑った挙動でこちらへ振り返る。

「君は……」

「覚えていませんか? 学院長」

「覚えているとも。久しぶりだね、シオン君」

 ヴァンダイクは学院長であり、学院生徒のことを差別も優劣もつけずよく見ている。それにシオンは学院の問題児だった。忘れる筈がない。

 シオンも、問題児とは言われるが目的をもって学院へ入学した。革新派の重鎮であるヴァンダイクにも、自分から話を聞きに行く機会もあった。その度に堅苦しい教頭殿に「気安く学院長室に来るんじゃない」と叱られていたが。

 だから、ヴァンダイクはシオンの考えも、素性もよく判っていた。シオン独自の考えがあって、領邦軍に入隊したということも。

「三年ぶり、ですね。学院長は……変わらなくて安心しました。大方、さっきの隊長ものらりくらりと交わしたんでしょうけど」

「ほっほっほ。爺には大層なことは判らんのでな」

「またまた……」

 シオンは笑みを浮かべた。この人は変わらない。ここ最近の沈んだ日々の中では、それが唯一の幸のように思えてくる。

「君は見違えたようだね。体つきも逞しくなった。きっとその実力も、学院の頃とは比較にならんほど成長しているのだろう」

「まあ、一応は軍隊で鍛えましたからね」

 話したいことはたくさんある。

 けれど状況に変わりはない。

 シオンは顔を引き締めた。

「申し訳ありません学院長。俺は今、貴族連合の一員です」

「判っている。君は君の信念のためにここに来たのだろうからな」

「今日からトリスタ及びトールズ士官学院は、貴族連合の管轄になります。どうかご理解をいただければ」

「仕方あるまい。どうか、町民たちを刺激せぬようにお願いしたい」

「貴族連合の兵士たちが一定数駐留します」

「認めよう。あくまで、他の者と同様の扱いにはなるが」

「……隊長は、学院長にどんな要求を?」

 元教え子とは言え、あまりの二つ返事ぶりにシオンは呆れる。

「今の君と同じ要求だ」

「なのに跳ね返してたんですか……絶対悪ふざけでしょ」

「はっはっは、学院とトリスタをああも蹂躙されれば、このくらいしないと溜飲が下がらんだろう」

「とか言いつつ、本心では隊長を沸騰させて逃亡した生徒たちが逃げやすくしてたんでしょうに。とんだ好々爺ですよ」

 仮にも帝国正規軍の名誉元帥、ただで転ぶほど優しくはないということだ。

 こちらも、私人としても軍人としても危ない橋は渡りたくない。

「できるだけ配慮するようにします。それで、納得してくれますか?」

「君はそう言うと思ったから要求を飲んだのだよ。今なお学院の理念を体現している君だからね」

「え」

 思いもしなかった学院長の言葉に、シオンは怖気づいた。

「お、俺は世の礎なんて……体現できてないですよ」

「できているとも。君は君自身の信念のの果てにここにいるのだから」

 自分の選択を、シオンは悩んでいた。今でさえ、本当にこれでいいのかと問い続けている。

 旧知の中の、それも尊敬する人に会うこと。トリスタ制圧のために引き受けたが、諸手をあげて臨んだわけではない。自身のことを言われるのは、きっと多少なりとも責められるのだろうと、シオンは考えていた。

「別れる前に。再会した教え子にこの言葉だけは送らせてほしい」

 だが今、革新派の重鎮であり、有角の獅子を掲げる母校の長は、純粋に喜びという感情をシオンに向けている。

「内戦の行為や、正当性。そして君自身の正義。それを決めるのはいつだって君自身だ。とやかく言うつもりはない」

「……」

「今はただ、君が元気でいてくれて嬉しい。私が言いたいのはそれだけだ」

「はい……」

 シオンは部屋を出た。

 手短に部隊長に報告して、意外に褒められたのも気にせず。

 人目を避けて、学院本館の屋上へ向かった。

 在籍していたころからよく通っていた、大好きな屋上。

 空は青い。だが、冬の空。夕暮れが近づいてきている。

 手ごろな柵に両手を預け、シオンは眼下の風景を眺めた。

 人の少ない、トリスタの町。遠くに見える機甲兵。

「元気でいてくれて嬉しい……多くの人を傷つけて」

 大切な人を裏切って、自分さえも裏切った、後悔だらけのこの道で。

 尊敬する人に言われた。元気でいてくれて嬉しいと。

 後悔と、怒りと、悲しさと、喜びが溢れ出す。

 もう、今抱える自分の感情が何なのか判らなかった。

「ちくしょうっ……」

 天を仰ぐ。流れるものは、どれだけ溢れても濁った空を綺麗にしてくれない。

 気持ちが、泥沼に飲み込まれていく。

「俺は……どうすればいいんだ」

 七耀暦一二百四年十月三十日。

 後に『十月戦役』と呼ばれる、泥沼の内戦が始まった。

 

 







ぐちゃぐちゃな心境の中で、内戦の狼煙が上がる。
次回、第三章「灰色の戦記」
第十八話「十一月の空」です。


ps 活動報告に最近のお悩みを報告。特に作者の方など、お暇だったら読んでいただけると嬉しいでござる。

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