がんばれ掃除屋ちゃん   作:灰の熊猫

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8.その眼は鋭く

(あの子は昨日まで平常だった、それは間違いない。何かされたとするなら、客室に連れ込まれた時に……だけど、されたのが昨日とは限らない)

 

 夜、いつも通りのカジノでの業務中。仕事に対し意識を片手間ほどに裂きつつ、蓮は状況を整理する。

 

(急激な体調の不良を訴えなかったという事は、遅効性の何かの可能性もある。”仕込み”は昨日以前、初日から行われた可能性がある。これまであの子を買った全ての客を疑ってかかるべきね)

 

 変なちょっかいをかけられて思考を中断させられるのは避けたい。これまでの情報収集の様に下手に話を盛り上げればこちらに思わぬ意見や手が飛んでくる可能性がある。

 いつもより話を単純化させ、ただ首を振って同意するだけで済むような状況にしながら思考を続ける。触れてくる手に関しては際どい所以外を一切意識の外とした。

 

(……さっきからどうも遠くを見てる事が多いわね……朝にラウンジで会った時もそうだったけど、目の疲れというなら常にそうなっていないのは妙だわ)

 

 ユーリヤは片手間で仕事をこなせる程に器用な立ち回りが出来ないので、余裕のある蓮が朝会った従業員の様子を主に観察していた。ただ、何か術的な要因を感知したなら、ユーリヤからはサインを送ってもらう事にしている。

 ここまで観察していてわかった事は主に二つ。しきりに遠くを見るような様子が見られるが、常にそうなっている訳ではない事。それと、何やら過敏になっている事。

 

「ひゃんっ!?」

「っと、そんなに強く触ったつもりじゃないんだが……大丈夫かい?」

「い、いえっ、大丈夫です!なんだかその、今朝からこうでして……」

「ほうほう、今朝から?いかんなぁ、そんな様子では。まるで夜だけでは物足りない、というようにも見えますなぁ……?」

「そ、そんなことは……!あっ、ふっ……!」

 

 ……声だけ聞くとちょっとこちらが恥ずかしくなるが、実際の所彼女は大した事はされていない。軽く手や頬などの素肌を触られているだけで、悩ましい声が漏れていた。

 いくらなんでもこういう場に慣れている人間が、ソフトタッチであれだけ声を上げるのはおかしい。昨日の晩に変な薬でも盛られたのかもしれないし、異常とは断言出来ないが……。

 

(……難しいわね。ユーリヤの感知も無しとなると、変調を起こしてるだけとしか見えない。何か仕込まれてるにしても、判断材料が少なすぎる)

 

 ”観察”ではなく”監視”出来るのならば、もう少し何かわかるかもしれない。だが、あまり露骨に見過ぎていれば敵に気取られる可能性もある。”様子が変なので気にかけていた”というラインを逸する事は出来ない。

 また、従業員に声をかけたり触れたりする様子を眺める限り、特定の誰かが極端に接触するという様子も見れない。少なくともこの場において、怪しい行動を起こす者はいない。

 

(やっぱり、室内で”仕掛けた”可能性が高いわね。特等客室のエリアは原則として乗客以外の立ち入りが出来ないし、私達の寝泊まりする所からもある程度離れてる。政次郎くんが目につかない場所を、私達が人通りの多い場所を見てる以上、最も怪しいのはそこ)

 

 となると、次の調査は特等客室のあるエリアに行くのが望ましい。距離が離れていて感知出来ないなら、近くに行けば問題は無くなる。

 ただ、どうやって特等客室のエリアに行くか、どこが犯人のいるエリアなのか。目下最大の問題は、この二つだ。

 リーダーの監視がある以上、シフト外の独断行動で客室へ行く事は出来ない。客室フロアまで行けなければ、まず調査も感知もしようも無い。

 仮に行けたとしても、三十を超える乗客の部屋を一人二人で総当りするのは時間的にも物理的にも現実では無い。政次郎を動かせるなら倍の効率で調査出来るかも知れないが、客が多く訪れるエリアへあてもなく潜入してもらうのはリスクが大きすぎる。

 

(とはいえ、あんまり時間もかけてられないわよね。もし既に犯人が動いているなら、早く対処しないと手遅れになるし)

 

 朝に従業員の様子を全員確かめた所、自分たちが観察している従業員以外は全て際立った不調は訴えなかった。腰が痛いとか関節が痛いとか筋肉痛だとか、そういうのはあったが。

 ただ、観察中の従業員と同様の症状や異常を訴える者はいなかった。多数の従業員あるいは乗客に手を出している、という事は考え辛いだろう。

 規模が小さく隠せるという事は、一度に狙う対象を絞らざるを得ないという事でもある。現状表面化している異常は観察中の従業員一人のみであり、複数人が何かされていたとしても感知出来るほどの進行度でもない。恐らく、犯人が意図的に対象を絞っている。

 

(……となれば、あの子を複数回買う客がいる筈。この航行中にゆっくりと”仕込み”を完了させて、何かの狙いを達成する。そう考えていい)

 

 無論ただの考え違い、あるいは誤誘導(デコイ)の可能性もある。興味をそちらに向けさせておいて、本当の狙いが別の所で進行している事も考えられ得る。

 異常の見える従業員に注意しつつ、情報収集は怠れない。中々に骨な状況ではあるが、手を抜く余裕は無い。敵が何を考えているかはわからないが、必ず見つけ、倒す。

 

「……?」

 

 観察している従業員が、客に手を引かれフロアを後にする。従業員を買っただろう客は、昨日一夜を要求した乗客の一人だ。ここまでの遠巻きな情報収集では、あの客が先日もあの従業員を買ったかどうかまではさすがに判明していない。

 ただ、それを確かめる必要はある。蓮は今いるテーブルでの会話を適当な所で打ち切り、その場から離れて先程までその従業員が留まっていたテーブルへ向かう。

 

「はぁい、おじさま方。少し寂しそうでしたので、お飲み物をお持ちしましたわ」

「おお、蓮花ちゃん。いやはや、気が利くねぇ」

 

 向かう途中に注いできた適当な飲み物を数杯持ち寄り、テーブルの客に配る。

 

「さっきのお客様は、もうお部屋に?」

「ああ、”少々負けが込みすぎたので、今日は失礼させていただく”ってさ」

「着いて行った女の人は?」

「大方、負け分を発散するつもりなんだろう。どうも彼の今回のお気に入りのようだし……余程具合が良いのかねぇ」

「……今回のお気に入り、というと?」

「ああ、彼は昨日も彼女を雇ったんだよ。大体の人は毎日取っ替え引っ替えするものだけど、彼は数人の女の子に集中するタイプでね、毎回数人としか夜を過ごさないんだ」

 

 ……怪しい。変調をきたした従業員を連続で買う、少々変わった乗客。先程の後ろ姿をパッと見ただけでは特に変な所は見られなかったが、状況が揃い過ぎている。

 となると、早い内に上手くこの場を抜け出し、先程の客を確かめに行く必要がある。……最も手っ取り早い手段は……。

 

「――ねぇ、おじさま?」

「ん、なんだい蓮花ちゃん」

「……”お相手”すると、一晩でいくらぐらいもらえるもの、なのかしら?」

「――……!そ、そうだねぇ……さ、最後までしてくれる、なら、その、10……いや、15万は、出すよ?」

「まぁ、そんなに……?」

 

 近くの客に囁く様に、”それ”を聞く。普通に抜け出すのが難しい以上は仕方ない。先程の従業員と同じ様に、客室へ連れていってもらう。

 

「……一晩で、15……」

「い、いやっ!?他の子ならともかく、蓮花ちゃんぐらいの子ならそのぐらいだって!……きょ、興味、あるの?」

「……その……優しく、してくださる、なら……」

「――っ!」

(……うぅぅ……恥ずかしいわね、これ……!)

 

 ごくり、と大きく目の前の男は唾を飲む。一方、演技とはいえしおらしい態度で男を誘う蓮は恥ずかしさのあまり顔を反らして耳まで赤くしていた。

 自分から誘うような言葉など、経験のない蓮にとっては想像の内のそれらしいものしか考えつかない。結果的に言葉少なになってしまったが、その様子がかえって男の欲を煽った。

 

「……す、すみませんな皆さん、わ、私どももこれで失礼、させてもらうよ」

「なっ!ちょ、蓮花ちゃんナシなんじゃなかったの!?し、してくれるんだったら僕だってお金は出すよ!?」

「ぅ、いえ、その……最後まで出来るか、わかりませんし……まずは、おじさまに、教えてもらって、からで……」

「ほ、ほっほっほ!と、いうわけでしてな!?大丈夫だよ蓮花ちゃん、おじさまが優しく教えてあげるからね!……頑張ろうねぇ……?」

(……流されたら本気で最後までされるわコレ……)

 

  ◆  ◆  ◆

 

 内心の冷や汗を隠しながらなんとか場を収め、乗客の後ろを歩き特等客室の並ぶ廊下を歩く。カジノから離れる際、ユーリヤにはサインで”単独で調査する””政次郎へ代わりに連絡して欲しい”と伝えておいた。

 これで通信機で場所を伝えれば、政次郎が援軍として来るだろう。……問題は、見るべき場所だ。

 

「……おじさま、初めてここに来たのですけど、部屋の配置とかはどうなっているんですの?」

「……ん?と、いうと?」

「いえその……そういう事をするのなら、変な声を聞かれたくありませんし。その、先程のお客様の部屋が近くにあったりしたら、恥ずかしいというか……」

「なるほどぉ、見た目によらず蓮花ちゃんは恥ずかしがり屋なんだねぇ」

(見た目は余計よっ……!)

 

 なんとしてもこの乗客の部屋に着く前に、あの客の部屋の(おおよ)その位置は聞き出さねばならない。とはいえ直接聞くわけにもいかないので、慎重に言葉を選ぶ。

 

「そういう事なら安心してよ、基本的にここの室内は防音になってるし、かなり大声を上げてもそう聞こえなくなってるんだ。……蓮花ちゃんには、出来ればいっぱい声を上げてほしいしねぇ?」

「……っ。で、でも、隣り合わせとかだったりすればいくらなんでも聞こえちゃうんじゃ?防音だからって、変な声を聞かれるのは、その……恥ずかしいですわ」

「うんうん、そういう恥じらいは大事だよねぇ……でも安心してよ、あいつの部屋は番号を考えればも少し離れてるし、隣の部屋の人はまだカジノフロアで勝負してると思うしさ」

(……番号、ね)

 

 どうやら仮面の番号に応じて、割り当てられる部屋の位置は決まっているらしい。出来れば割り当ての法則も聞けると助かるのだが……その前に、時間切れらしい。

 

「ここが私の部屋だよ。……大丈夫、不安がらないでも……優しくするから、さぁ……?」

 

 肩に手を回され、抱き寄せられる。ちらりと顔を見上げれば、他人の前では隠していた欲求をもはや隠そうともせずに目と口が歪んでいる。

 もはや待ちきれないといった様に体をうずうずとさせながらも、それを悟らせないように男はゆっくりと扉を開き、足を部屋内に進める。

 

「……っ!いきなりは嫌、ですわ。するのなら……こちら、でしょう?」

 

 部屋に入ってから力が急に込められた手を、指を重ねてやんわりと制止する。心中の生理的な悪寒を隠すべく、口元だけでも笑って顔を向け、蓮は男をベッドの上へ誘う。

 

「……い、いいんだよ、ね?もう、我慢しなくて、いいよね?」

「……えぇ、いいですわよ」

 

 もはや飛びかからんばかりの様子の乗客と、ベッドに並んで座る。そう、もういい。

 

「――ごめんなさいね、おじさま?」

 

 自分から顔を寄せ、吐息を軽く口へ吹きかける。

 

「――ッ!?お、ァ……はっ――!?」

 

 ただそれだけで目の前の男は体から力を抜かし、意識を手放した。

 重力のみが意識の無い体を引っ張り、蓮がベッドに押し倒される形になる。蓮は男の意識が無い事を確認し、体をよじってベッドから抜け出す。

 

「……ふう、まぁこんなもんでしょ。さすがは”紳士”なおじさま、ベッドまで我慢してくれてありがとね?」

 

 同じことをするにも、部屋に入った直後にいきなり襲われていれば、意識のない成人男性をベッドで寝かすのに一手間かかる。楽に寝かせられた事に少々安堵しつつ、蓮は部屋を出る。

 部屋から出て、早速先程の従業員を連れた乗客の部屋を探し始める。わかっている事は仮面の番号に応じて……恐らくは番号順に、それぞれの客室が割り当てられている事。それと、隣の部屋は無人という事。

 今眠らせた男が”十七番”、先程の男が”十二番”。単純に並んでいると考えれば、五つ離れた手前か奥のどちらかの部屋のとなる。まず、奥側の部屋から調べてみる事にした。

 

(……何か、違和感があるわね)

 

 その部屋の前に着いた途端に、言い様のない何かを感じる。通常の人間であれば覚えの無い様な、というよりは覚えを()()()()()感覚。

 

(――”人除け”)

 

 ごく小規模なものだが、人除けの魔術の感覚だ。本来は建物一つの周辺まるごとに敷く事も出来る、無意識の内に場所を他者に避けさせる魔術。

 この部屋の前にのみ働いている所を見る限り、この部屋が大元である事は間違いない。他にも隠蔽の術が働いているのか、こうして部屋の前に立っていても何か感じる事は無いが。ともあれ、政次郎に連絡を取ってからすぐに突入すべきだ。

 

「政次郎くん、客室の百二十――」

 

 髪から小型マイクのみを取り出して、要件だけを告げようとした時。

 ぽとり、とマイクを持つ手に細長い物が落ちてくる。

 

「ッ!!」

 

 咄嗟にマイクを持つ手を振るえば、()()はマイクに噛みついて地面に落ちた。

 手ほどの大きさで、指よりも細い姿。それが静かに地を這い、うねっている。

 姿を判断する前に、目の前の扉が静かに開き、部屋の奥から影が飛び出してきた。

 

「くっ!」

 

 体が反射的に頭まで左腕を跳ね上げ、丁度その位置に飛び出した影が絡み、腕を締め付ける。腕に巻き付く様にしたそれが、部屋の内側へ強く蓮を引きずり込もうとする。

 無理に逆らえば腕が折れてしまうと一瞬の内に理解させられた蓮は、引っ張る力に従い自分から室内に飛び込んだ。

 

「――ほう、新入りの蓮花とか言ったな。何やら誰かと連絡していた様だが、わざわざこんな部屋に何か用かな?」

 

 部屋の内に入り、この部屋の主の声が蓮を出迎える。そちらを見れば、最低限の照明が部屋を薄暗く照らし、部屋の主と横たわった従業員が奥にいるのが見える。

 だが、その男は明らかに通常の人間では無かった。魔術師であるという前提を除いても、彼には身体的に既に異様だったのだ。

 微かな明かりを男の()が反射し、その眼の中の瞳孔は()()()()()()()縮み、こちらを見据えている。

 

「……”蛇人間”……!」

 

 人の形と、蛇の特徴を備えた異形。それが今、蓮の目の前にいる者の正体だった。

 




この回を書くのにわざわざ援交や風俗の相場を調べましたが、途中でいぶすた本編の金額を参考にすればいい事に気付きました。
こいは小説ぞ 使える資料ば何でん叩っ込まねば 読者に申し訳ばなかど

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