がんばれ掃除屋ちゃん   作:灰の熊猫

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幕間.境界の狭間にて

 月明かりが立ち込める雲に遮られ、明滅する街灯の光が照らす先の路地に、死体が転がっていた。

 ”いた”というのはその路地に死体があった事が過去にあったと示す言葉ではなく、また今現在死体が転がっているという現状の確認でも無い。

 首に傷をつけられた死体が、ぴくりと震える。開かれた目の瞳孔は開き切っており、既にその瞳には闇以外の何物も映してはいない。だがそれでも、体だけは不自然に痙攣を繰り返していた。

 やがて痙攣が大きくなり、死体の男は見えない糸に引かれる様にゆっくりと、しかし不自然な動きで立ち上がる。体はあちこちが傷付けられており、左腕は何らかの力を受けて本来とは全く別の方向に折れ曲がっている。

 男の顔は既に土気色となり、表情も折れた左腕の痛みを感じさせぬまま、瞳を虚空へと揺らし続ける。その幽鬼の如き姿は、男が闇を見つめているのではなく、ここには存在しない場所の闇が男を取り込んでいる様な印象すら見受けられる。

 

「――また一つ、駒が手に入ったなぁ」

 

 明滅する街灯がこれまでよりも強く輝き、路地の奥に居る存在に形ある影を与える。

 黒で染められた脚まで隠すトレンチコートを着た男が、不気味にゆらゆらと体を揺らし続ける死体を笑いながら見定める。

 今こうして動いている死体は、つい数分前までは家に帰る途中の、ただの一般人だった。しかし、今はこうしてトレンチコートの男の手によって物言わぬ傀儡と変えられている。

 人気の少ない路地裏に潜み、通りがかった一人きりの人間を手にかけ、自らの手駒に変える。それがトレンチコートの男が最近始めた、”駒集め”の手口だ。

 

「……クク、ゾンビってのはいいなぁ、やっぱ。どんなヤツも、簡単にオレのモノに出来ちまう」

 

 人を自らの手で殺したばかりの身でありながら、喜悦の表情を浮かべるこの男も、最近まではただの一般人だった。だが、裏サイトで見つけた”死隷術”というたった一つのドキュメントファイルが彼を変貌させた。

 やけに手の込んだ致死毒の精製の手順、それが齎す結果、簡単な(まじな)いの様な文章。冷静に考えれば狂人の妄想にしか過ぎないそれらは、男の気をどこか妙に惹きつけた。

 ある日、上手くいかない生活へのストレスから、気分転換のつもりでそのファイルの中に書かれてある内容を実践し、ちょっとした悪戯のつもりで男は常に自身をしつこく叱咤してくる上司に数滴毒を仕込んだ。

 毒を取り込んでしまった上司はその直後、異様なまでに苦しみ直に死へ至った。それを見て男は気を動転させ、何かに縋るようにファイルに含まれていた”死人を動かす呪文”を唱えた。

 冷静に考えれば生が死へと転ずる事があっても、死が生へ転ずる事などありはしない。実際、上司は動き出しこそしたものの、体に命の熱を宿さぬまま虚ろに開かれた眼を見れば、死んだままである事は一目瞭然だった。

 

(別に、このままでもいいか)

 

 力無く動く上司のゾンビを見た時、男の中で何かが失われた。

 それは倫理だったのか、正気だったのか、理性だったのか。それはもはや知ることは出来ないし、男自身もそんな事はどうでも良かった。

 その時から男は死体を操る魔術と、自身が求めるままに手駒を増やす事に情熱を燃やし始めた。気に入らない人間を自らの駒に加え、気に入った人間も自らの駒とする。

 男はそれまで以上に高速で巡り続ける自分の思考と欲求に、自らを理性的と錯覚しているものの、既にその有り様は狂人のそこまで堕ちていた。

 

「……さて、と。誰か来る前にまた”しまう”か」

 

 一通り笑い終えた後、男は呪文を唱え始め、目の前の死体にかけ始める。ゾンビはゾンビによって増やすことが出来、作ること自体は元さえあれば誰でも出来る。

 だがいくら増やすことが容易でも、隠すことは至難だ。動きの緩慢な死人はどれだけ急ぐように指示をしても素早く走る事は出来ず、元が生者である以上は行方不明者の捜索として動く警察の目から逃れ続ける事は難しい。

 人払いの魔術を習得していれば、自身のホームとなる人気の少ない廃屋や地下空間を見定めてそこへ集める事も出来るが、結局の所それは自身の駒を一点へ留め、閉じ込めるだけの行為に過ぎない。

 それを解決するべく、男は再び裏サイトを巡り、自身が動き回りながらもゾンビを自在に持ち運ぶ為の魔術を探して習得していた。

 

「――ん?」

 

 呪文を唱え終えるより前、路地の方へと近付く靴音がする。男は呪文を止め、ゾンビの体を路地の壁に寄せ、動かないように指示する。

 耳を澄まし、足音の数を確認する。こつ、こつ、こつと乾いた音が決まったリズムで鳴り続ける。それ以外の種類の足音は聞こえず、閑散としたこの場に於いてその足音以外の物が隠れているとは思えない。

 一人だ。そう確信した途端、男は口端を引き上げ顔を歪める。

 しかしまだ動くには早い。動くなら、この路地前を抜けて背を向けた瞬間だ。息を潜め、足音の主が路地前に通りかかるその瞬間を待ち続ける。

 こつ、こつ、こつ。この先に何が待ち受けるとも知らず、足音が路地へと近付いて来る。男は笑い声を上げないようにするので心中必死だった。

 こういった場所で待ち続け、”獲物”がかかる事はそうそう無い。人気の少ない場所というのは人が通りかからないからこそであり、待ち伏せをして一人も駒を得られないという事も往々にしてある。

 だが、今一夜にして二つも駒が手に入りつつある。嬉しい誤算に、笑みを隠しきれない。なんとかそれを噛み殺しながら男は路地の闇に留まり続ける。

 やがて路地へとその影が差す。今だ。動きを止めさせていた自らの(ゾンビ)に向けて小声で呪文を向け、通りがかった者を同類にしろと命令を下す。

 ゾンビが動き出し、緩やかな動きで路地から出る。そしてそれに気付かぬ通行人の背を(めし)いた瞳で確認すると、呻き声を上げながら襲いかかった。

 

「ア゛ァッ――」

 

 今まさに通行人の背にゾンビが覆い被さろうとした時、鈍く大きな音が響く。その音に次いですぐに、男の潜む路地の近くの壁に何かが当たる音がした。

 男がその音に驚いて体を竦めていると、自らの操ったゾンビがその壁を背で擦りながら力無く崩折れ、地面で弾む姿が目に入ってきた。

 ……今、何が、あった?

 

「――時代遅れのオヤジ狩りかと思って蹴ってみりゃ……なんだこりゃ?えっ?死んでる?……ウッソちょちょ、ちょ待って俺全力で蹴ってないんだけど!え゛ッ!?ぜ、前科、一、犯?」

 

 地面に臥せって動かなくなっているゾンビを見つめていると、路地を抜けた先の道からどこか呑気さを感じさせる男の焦り声が聞こえてくる。

 ゾンビに噛まれた、という様子はその声からは全く見られない。ただただ倒されたゾンビと、それに伴う自分の身の心配をしているらしい。そんなバカな。

 普通、背後からゾンビに襲われたとなれば少なからず人間は動揺する。死者が動くという非現実、唐突に襲いかかられるという状況、ゾンビの持つ虚ろで生気の無い表情への恐怖。

 それなのに道にいる男は、一切そういった物を見せず何も考えずにゾンビを蹴り飛ばした、と言った。

 

「……あぁん?ちょい待て、これ俺が殺したって感じじゃねーな?あーよかっ……じゃねえや、なんだコイツ?ゾンビとか?え、なんでそんなんココにいんの?ゾンビって自然発生するん?」

 

 ふざけてるのか。呑気極まりない独り言に対し、トレンチコートの男は苛立ちのあまり舌打ちを打ってしまう。それが不味い物と理解した時には、既に手遅れだった。

 

「あ?今の音――オイ。そこに居んの、誰だ」

「くそっ!!」

 

 男が路地裏に潜む自分に気付き、警戒した低い声でこちらに呼び掛けてくる。即座にその場を離れる事を選択し、路地を逆に抜ける。

 なんとか逃げ離れようとしたが、後ろから先程の男らしき足音がついてきていた。地理を把握している事を生かして路地から路地へと道を変えながら男を撒こうとするも、単純な速度の差か少し距離を離しても足音はすぐに差を詰めて追いかけてくる。

 自身を追ってくる男がどういう人間かはわからないが、この状況で追ってくるという事は自分を捕まえるつもりで、それが出来ると確信するだけの身体能力を持っているのだろう。

 そんな男と鬼ごっこを続けて撒ける程に、自分は体力に自信は持てない。こうなれば、下手な場所へ追い詰められるよりも、自分が有利な地点で迎撃する方が良い。男は路地から大きな道へと出て、最も近く迎撃に向いた場所へと足を向ける。

 

「待ちゃーがれオラ!逃げれると思ってんのか!」

 

 車一つ分程の幅の舗装路を全力で走っていると、男の声が真っ直ぐに背中に届く。それはつまり、自分の背が男の視界に完全に収められたという事で、この先の路地も無い開けた道ではもはや撒く事は出来ない。

 だが、それでいい。男は目的の場所に辿り着き、その最奥まで走ると即座に呪文を唱え始める。男の足を考えれば間に合うかどうかはギリギリの所だが、急いで目的の魔術を組み上げていく。

 

「待てっつってんだろテメエ!……あん?くっさ!なんだここ、ゴミ捨て場?」

 

 少し遅れて声の主が到着する。タンクトップ越しにも見える程に隆起した筋肉が上半身全体を覆う日本人離れした大男が、黒い手提げ袋を片手にこちらを見据える。

 自分が選んだ場所――住宅地より離れた、広いゴミ捨て場――に漂う腐臭を受け、その大男は鼻を抑えて周りを見渡している。その迂闊にも大男が置いた時間により、魔術は完成した。

 

「……来い、駒ども!」

「へ?」

 

 魔術の完成と同時に、ゴミ捨て場の地面から大男を囲む様にゾンビが()()()()()。自身の影を介し、自分の影と繋がっている影から死人を出し入れする魔術。それが自分の持つ、ゾンビの大群を活用する為の魔術だった。

 欠点としては出し入れする為にある程度以上の影の大きさと、”境界”を定める為に一定の光が照らしている事も必要とされるが、ある程度物が周囲に存在する屋外であれば、この魔術は事実上無制限の召喚術となる。

 自身の所持しているゾンビの十体が、大男を取り囲む。これだけの数で囲んでしまえば、どれ程大男が屈強であったとしても意味は無い。一斉に襲いかからせ、その内の誰かが動きを止めた隙に噛み付いてしまえば、どんなに噛み傷が浅くともそれだけで決着となる。

 男は周囲を取り囲むゾンビを真顔で見渡し、溜息を吐きながら頭を掻いた。

 

「あー、もしかしてお前アレか、魔術師か何か?うわ、めんどくさ」

「……随分冷静じゃねえか。それともなんだ、この非現実的な状況に早くも現実逃避か?」

「いや現実逃避っつーか……あー、なんでもいいや。アレだろ、”目撃者は消す”とかそういうテンプレ的なやつだろ?言わんでいいぞ、時間勿体無ぇし」

「てめえ……自分の状況わかってんのか。こいつらはドラマや映画やセットとかじゃねえんだぞ、紛れもなくコイツらはオレの操っているゾンビだ。……そんで、てめえもこの――」

「”お前も仲間に入れてやるよ”、ってか?マジでそういう三下的台詞言おうとするヤツ初めて見たわ。すげー、ちょっと感動したまである」

「――……」

 

 顔を引き攣らせ、どこまでも呑気に振る舞う大男へ睨む力を強くしていく。

 大男はこちらが睨みつけている事など何処吹く風といった顔で、今自身を取り囲んでいるゾンビ達の様子を再び見回した。

 

「あー、サブマシンガンでもありゃ楽出来たんだが……ま、しゃーねえ。いいぜ、来いよ」

「……なに?」

「”来い”っつってんだよ。俺を()るつもりなら、くっちゃべってねーでお前のコマだかタマちゃんだか動かすべきだろ。実は俺こう見えて忙しいの、さっさと終わらせてえの」

「……テ、メエ……ッ」

 

 状況が見えないままに挑発してきているつもりとしか思えない程、大男は傲岸に振る舞う。準備でもする様に首を左右に振り、両手の指の背を交互に掌に当て、死人の集う場の空気にそぐわぬ軽快な音が鳴り響く。

 まるで恐怖を見せない目の前の大男の様子に神経を逆撫でされて、ついに我慢の限界が訪れる。呼び出したまま制止させていたゾンビ達を支配下に置き、右手を胸の前まで上げる。

 この状況で下すべき指示は、ただ一つしかない。

 

「――殺せェッ!!」

 

 手を広げ、大声でゾンビ達全ての本能を解き放つ。肉を喰らい同族を増やそうとする本能のままに、ゾンビ達は大男へと殺到し――ようとした。

 

「だァらっ!!」

 

 大男が瞬時に真後ろへ振り向き、体を回転させる勢いのままに後ろから襲いかかるゾンビへ跳び掛かり、空中で回し蹴りを放つ。

 体を回す・前方へ跳ぶ・足を振る、三つの要素を一挙動に合わせて生み出された力が後ろにいたゾンビの胴体へ突き刺さり、蹴られたゾンビはくの字に体を曲げながら横へ吹き飛ばされた。

 大男のあまりの蹴りの威力に、吹き飛ばされたゾンビの死して腐っていた体は蹴られた場所から中心に崩れ落ち、地面に打ち付けられる衝撃によりただ閉じ込められていただけの黒い血液が崩れた部分から吐き出される。

 

「げ、気持ち悪っ」

 

 大男は反対の足を地面に打ち付け、それを軸にゾンビを蹴り飛ばした勢いを留める。着地して手提げ袋を後ろへと放り、足をこちらへ向け直す時間の間に、大男の前方からゾンビ三体が並び同時に近寄って行く。

 大男は左真横に小さくステップを刻み、左側のゾンビの足を蹴手繰る。足の浮かし始めを鋭く蹴り飛ばされた事で左側のゾンビはバランスを崩し、そのまま地面に前のめりに倒れた。

 倒れ込んだゾンビの体が障害となり、大男を追う二体のゾンビの足が一瞬止まる。その瞬間を見定め、大男は体を傾けながら屈み、足を止めたゾンビへ目掛け体を一気に真横へ伸ばし、無防備な顎へ自身の右足底を打ち込んだ。

 

「っしゃぁ、ぅらッ!」

 

 その力のままにゾンビの頭は空へ向けて吹き飛び、遅れて体が引かれて浮き上がる。蹴り飛ばされた体は隣にいるゾンビに当たり、二体はまとめて地に転がる。

 蹴手繰りを受けたゾンビが大男の足元で蠢き、手を伸ばして地面に在る軸足の足首を掴もうとする。が、それよりも早く大男は瞬時に体の向きを直して右脚を地面へと引き戻しながら、それと同時に左足を上げる事でその手から逃れる。

 右脚が地面に付くと共に、高く上げられた左踵の軌道が頂点に達した所で勢いを翻す。脚力に重力が合わさり、そのまま掴もうとしたゾンビの後頭部へ向けて踵が叩き込まれた。

 辺りに不自然に高い音が響き、ゾンビの頭が不自然に凹む。倒れたゾンビは最後にびくりと体を大きく一度だけ痙攣させ、そのまま臥した。

 

「あー、そいや蓮がゾンビの対策とか教えてくれた事もあったな。なんだっけ?」

 

 大男がふと思い出した、とでも言うように訳の分からない独り言を漏らす。

 その間にも倒れたゾンビ達を避けて、新たに二体ゾンビが大男の両側面から、一体が背中から回り込んで近付く。それを一瞥した大男は一歩後ろへと下がり、体を右へ大きく捻る。

 

「ま、いっか。――っつおらァッ!!」

 

 捻った体を逆方向に回転させ、その勢いのままに左から近付くゾンビを右脚で、後ろにいるゾンビを左脚で、右から近付くゾンビを右脚で。蹴り足と軸足を高速で切り替え、一回転が終わるまでの間にそれぞれの胴体を蹴り飛ばしていく。

 腰を入れず勢いのままに外回し蹴りと内回し蹴りを交互にこなす事で、体の回転の失速を最低限に抑え、大男は一瞬にして近付いて来る三体のゾンビを一瞬の辻風の如く蹴散らした。

 

「……うそ、だろ」

「コオッ――オイオイどした、こっちは手も使わずにやってやってんだぞ。まぁ触りたくねーだけなんだけど」

「て、めッ!」

 

 余裕を表すように大男は片側の口角を上げながら、力を入れていない両手をひらひらと地面へ向けて横に振り、さらに挑発してくる。”自分の方が圧倒的に強い”とでも言いたげなその様子が、さらに神経を逆撫でていく。

 目の前にいる大男は見た目以上に危険だ。ゾンビに一切臆さない事もさる事ながら、一流の格闘家の様にまるで隙が無い。まともにやるだけではダメだと確信し、自身のゾンビ達に再び指示を飛ばす。

 無事なゾンビ三体を大男と自分の間に横に並ばせ、倒されていたゾンビが()()()()()()()

 

「……あん?ありゃ、浅かったか?」

「バカが、そいつらは元々死体なんだ!どれだけ殴っても動かせるに決まってるだろ……!」

「あぁそっか、そりゃそうだな。やべーどうしよ、さすがに木っ端微塵にすんのは抵抗あんなー」

 

 大男を警戒しながら、傷の無いゾンビの足をその場に止め、地面より立ち上がった()()のゾンビを逃げ場を封じるように徐々に近寄らせていく。

 先程の様に囲みながらも数を分散させては再び蹴散らされるだけだ。それを悟り、ゾンビ二体を三組に分けて動かし、片方は前に出ているゾンビの背面斜め後ろに配置させている。

 近寄ってきた所を回し蹴り一つでまとめて吹き飛ばすなら、背面に位置しているゾンビを近寄らせる。前蹴りで大きく突き飛ばすなら、他の二組を近寄らせる。自身へ強行突破を仕掛けてくるのならば、前に固めたゾンビ達を盾にして凌ぐ。

 どれだけ男が屈強でこちらの襲撃を凌いだとしても、動きを止める事の無いゾンビ相手にいつまでも体力が持つ事は無い。絶えずゾンビを動かし続ける限り、いつか必ずその体は捉えられる。

 このふざけた男は確実にここで殺し、駒にする。そのつもりで、口を歪める。

 

「あー!そうだそうだ、思い出した!」

「……?」

 

 ゾンビの群れに躙り寄られながらも、それでも一切表情を険しくしていない大男が唐突に顔を明るくしながら、拳を掌に置いて軽い音を出す。

 今度は何をする気なのか。大男の動向を見逃さない様にしながら、ゾンビの間合いに届いたなら一気に襲いかからせるつもりで、大男の行動を待った。

 

「いやさ、知り合いにこういうの変に詳しいヤツがいてさー。前に聞いたんだよ、『ゾンビってなんで動くの?死んでんなら体動かす脳も動いてねーじゃん』って」

「……はぁ?」

「そしたら蓮の奴えらいウッキウキで解説し始めてなぁ、ゾンビの成り立ちから生態までえらい早口で説明してきたんだよ。口挟む余裕も無かったんで、そん時は黙ってテキトーに聞き流してたんだけど。まぁちょっとでも聞いといて良かったわ」

「…………」

 

 うんうん、と腕を組んで顔を縦に振る大男は、今にも襲いかかられそうという状況に全くそぐわぬ様子で過去を思い返している。というか、詳しい知り合いって何だ。まさか、この大男も魔術師なのか。

 そう思い改めて注視しても、神秘を追う時間があるならばその全てをジム通いに費やしているのではないかと思わせる程に筋骨隆々な大男の見た目は、全く裏側へ身を置いている者には見えない。

 こちらが怪訝に思っている間に、大男が言葉を継ぐ。

 

「転がったまんまのソイツ見て思い出したわ。『脳が指示を出すんじゃなくて、脳”へ”指示を出しているのよ。死にかけの状態のまま保持されている脳に対し、魔術によって付与された外付けの汚れた魂や、あるいは操る術者の指示を魔術により届かせ、それを受けた脳が体が動かす。まぁ、簡単に言えばラジコンよ』――ってさ」

 

 大男が指を立てながら”知り合い”の言葉を思い出すように、その図体に似合わぬ口調でかつて聞いただろう言葉を繰り返す。ゾンビの動く原理など特に気にもしなかった男にとって、それは初耳の事だった。

 

「『脳が腐りかけているからそれに伴いゾンビは自然と動きも鈍くなるし、脳に破損があればその分体は動かせなくなっていくのよ』。まぁ、つまりは――」

 

 指を回して薀蓄を自分のもののように語る大男へ、さらに一歩周囲のゾンビがゆっくりと近付こうとする。その前に出された足が地面に触れた瞬間、大男はそれを見もしていないにも関わらず、自らの速度を瞬きする間にゼロからトップスピードへと変え、横から迫る一組のゾンビへ向けて弾かれた様に跳びかかった。

 

「――頭カチ割りゃいいんだ!」

 

 指示の魔術を出すよりも速く、巨躯が空を昇る。体が宙で左へと回り、右脚が顔面へ打ち込まれて吹き飛ぶよりも先に一瞬遅れて左の踵が傾いたこめかみへと届いた。

 一つの音と錯覚する程の短い間隔で連続した鈍い音が響き渡り、重なる二つの衝撃がゾンビの首へと伝わり、そのまま圧し折られる。曲芸染みた豪脚が地に付くと共に男は体を沈ませ、その勢いのまま手を地面に付いて体を回転させる。

 後ろへ待機していたゾンビが被さるように襲いかかるも、それよりも早く男の体が屈んだまま回り、地を擦る右の水平蹴りがゾンビの足へと届く。蹴り飛ばされたゾンビの体が、踏ん張るという意志も見せずに逆へと倒れようとする。

 

「まだだっつの!」

 

 大男は両手を地面へついて、倒れそうになるゾンビへ背を向けながら左脚を跳ね上げて胴へ打ち込む。それだけでゾンビの体は倒れる事すら許されないまま宙に浮き上がる。

 そのまま大男は手を軸に体を起き上がらせながらも、その向きを浮いたゾンビの正面へ戻す。体が起き上がり切るよりも先に、姿勢を横にしたまま地に引かれるゾンビの頭部へ向けてミドルキックを放ち、頭部を捉えた脚をそのまま地面へ叩き付けた。

 地面に杭の如く打ち込まれたゾンビの首はあってはならない方向へと曲がり、少しして力を失った頭から下の体全てが地に沈む。死したまま動かされる体は直後に僅かに腕を痙攣させるも、すぐにその力すら失われた。

 

「フゥゥ――ッシ。たまにゃ足技も悪かねーな。今度館長と仕合う時までに練習するかね」

「あ……あぁ……?」

 

 目の前の光景が信じられない。目の前の大男はゾンビや魔術にも一切物怖じせず、死者とはいえ人型である相手に対し、一切の迷いも容赦も見せないままに命を潰す程の暴力を振るっている。

 それを可能とする膂力は確かに尋常では無いが、行動自体に不明瞭な所は無い。問題は、それを何食わぬ顔で自らの意志で行い続けるという大男の頭の中だ。

 相手がゾンビとわかっているとはいえ、”人を自らの手で殺す”という行動に対して何も感じる所を見せていない。

 狂っている。自分の事も棚に上げ、トレンチコートの男はそんな感想を抱いた。

 

「しっかしゾンビってーのは脆いな。頭砕くまで動くっつっても、組手相手にもなりゃしねえ。……なんか萎えたな、こっからは練習相手(サンドバッグ)にするか」

「ひ、ひぃっ……!」

「あ、そうだ、そこのお前。なんか魔術撃てるならそっちも頼むぜ、正直魔術対策って俺よく知らんからな。実戦形式で練習出来るんなら願ったりだし、ワンチャン俺も殺せるかもだし……これこそウィンウィン、って奴だな、ウン」

 

 真顔でそんな事を言ってくる大男が怖くて仕方が無い。魔術師でも無いただの男が、こちらを完全にただの練習相手と見定めてこちらに軽く声を掛けているというだけの事が、男の口を震えさせる。

 頭を蹴り砕かれたゾンビ三体は、どれ程思念を飛ばしても既に動かせなくなっていた。包囲した状態でも指すら触れられなかった男を、手数が減った今の状況でどうにか出来る気がせず、何よりも既に大男の持つ、今この状況は日常の一コマに過ぎないとでも言うような穏やかな雰囲気に、気圧されてしまっていた。

 

「……オイオイ、その調子じゃゾンビ以外手ぇ無いの?はぁ、それなら諦めんのもしゃーねえか。多分内側に持ってるゾンビ毒のナイフなんざ、知ってりゃ当たるワケねーしな」

「ッ!?」

「お、マジで持ってんのか。さすが政次郎曰く”その内使えるムダ知識”。蓮のドヤ顔に付き合わされる手間と大体同じぐらいの価値はあんな。つーか情報のアドでマウント取んのちょっと気分いいかもしれん」

 

 ゾンビを増やす為に懐に隠し持っているナイフへ藁を縋る様に手を伸ばした所で、男の指摘が突き刺さる。

 ゾンビ毒とは魂の感染症の様な物であり、大元の毒を体に打ち込めるのならば、その手段が飲み物に仕込んだ物であっても、ゾンビの口内であっても、今手を伸ばそうとしたナイフであっても、等しく同様に相手をゾンビと化す事が出来る。

 しかしそれは結局の所、ゾンビの手数で押すか不意を打つかの二つしか手が無い事を意味する。影の魔術を手に入れてからはひたすらゾンビを増やす事だけを考えていた自分に、それ以外の手は残されていない。

 自身の手が全て見抜かれている以上、もはや勝機は万に一つよりも低い。逃げ出したくとも、自身の影をゴミ捨て場の影に繋げる為に自分の後ろは壁となっており、目の前には大男が立ち塞がっている。

 

「……ふーん、随分と逃げたそうだな。けどダメだぞ、まだ俺満足してねーんだから。俺の脚技の実験台を最後まで動かしてもらわなきゃ困るぜ。俺が困る」

「あ、あぁっ……」

「逃げたら殺す――のはちょっとめんどいし、その手前ぐらいの思いをさせる。まぁ俺も政次郎(オニ)じゃねーからな、抵抗出来なくした上で指一つ一つ折るぐらいで勘弁してやるつもりだけど、アレめっちゃ痛いぞ?オススメはしねーなー」

 

 もはやゾンビを動かす気すら折れそうになっている所へ、大男はこちらを淡々と恐喝する。

 口の震えはもはや歯を鳴らす程の大きさとなっており、人生で初めて感じる”狩られる立場”に対する恐怖が本能から湧き上がり続ける。もはや自分に、選択肢は残されていない。

 万に一つを、神へ祈る。神などこれまで信じてもいなかったのに、この時だけは都合良く自分に味方する存在を信じたくて仕方なかった。

 

「ッ、やれえぇぇっ!!」

「ッハ、上等ぉっ!」

 

 自棄になり何も考えず、ただゾンビ全てを一斉に大男へ向け襲い掛からせる。

 大男はそれに、玩具を与えられた様な顔で応えた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「――終わりか。ったく、これじゃ館長んトコの道場に殴り込みかけた方が楽しめたかもな。……つっても、今あの人館長辞めてるしなー。流石にジョークで済みそうもないし、素直に組手頼んだ方がいいかね」

 

 周囲に自分以外の影が既に立っていないゴミ捨て場にて、大男――十三は、ゾンビを使ってきた魔術師の気絶した胸倉を片手で掴みながら、靴に付着したゾンビの体液や血を地面に擦って落としていく。

 もはやゾンビはその場に居らず、辺りには頭を砕かれた死体のみが乱雑に転がされているだけとなっていた。ゴミの臭いと死体の放つ腐臭が混じり、その場には澱んだ死の空気が重く佇む。

 既に意識を失っている魔術師の体へ向け、十三は一つ溜息をぶつけた。

 

「はぁ。ったく、オイタするならもっとマシな術とか情報とか集めろよな。この辺で動くとなりゃ、ちっと調べりゃ政次郎(オニ)とか(ヘビ)が出るって知られてそうなモンだが……そういう意味じゃお前随分運が良かったな。ほれほれ」

 

 十三は魔術師の胸倉を揺すりながら、強引に頭を前後に振らせる。何も聞こえてはいないだろうが、それでも無反応の相手に話し続けるのはちょっと寂しいので、ポーズだけでもそれらしくさせた。

 

「まぁサンドバッグよりは蹴り甲斐あった、かねえ?動きはショボかったが形は良かったし、本気で蹴れたし。……あ、つーかここの処理どうしよ。政次郎――はダメだな、なんかネチネチ言われそう。蓮にでもメールしとこ」

 

 左手でズボンのポケットから電話を取り出し、カメラで周囲の状況と魔術師の顔を写した後、今の位置情報と今撮った写真を蓮宛に開いたメール画面で添付する。『なんか遭遇した、処理頼む』と二言だけを打ち込んだ後、送信した。

 蓮のセーフハウスからの距離を考えれば少し時間はかかるだろうが、夜が明けるまでには間違いなく辿り着けるだろう。自分は傭兵(てつだい)であり、後処理は蓮や政次郎に任せる方が楽だし、それが筋というものだ。

 人気が少ないとはいえ誰かが通りかかることも考えると、この倒れたヒトガタしかいない状況は大変目に悪い。十三は魔術師から手を離し、適当に地面に転がっている死者達を、出来る限り丁寧に蹴り転がして隅に寄せる。

 その上に膨らんだゴミ袋を被せ、大型の粗大ゴミを動かして影を作る。腐臭も混ざり、余程の酔狂な人間でも無ければこの場を探ろうとは思わないだろう。一時凌ぎに過ぎないが、蓮が来るまでの間ならこれで十分な措置だ。

 

「ほい、これで終わりと。……まぁなんだ、散々暴れたんだし満足はしたろ。蓮がどうするか知らんけど、ド悪人がこの程度で済まされるんだから、ヤな世の中だぜ」

 

 魔術師も同様にゴミ袋の海に沈め、その上から特に臭いゴミ袋を選んで被せていく。ついでに重めの家電を動かし、呼吸に支障を起こさせない程度の角度にしてゴミ袋の上へと乗せた。

 人の営みの中から外れた者の身の程にはそれなりに合った有様だろう。こんな事をした所で何一つとして得られる事は無いし、死者の意志を代弁したと思い上がるつもりも毛頭無いが、靄がかかりかけた心の気晴らしにはなった。

 

「……さて、と。やる事はやったし、急ぐか。被害者(アンタら)には悪いが、俺には俺の生活があるんでな。シスターじゃねえけど、道中で祈るだけはしといてやるよ」

 

 最初に地面へ放った手提げ袋を背負い、何事も無かったかの様に十三は踵を返す。

 ゴミ捨て場の腐臭より抜け出て、真っ当な道の空気と肺の中の空気を入れ替える。

 雲に遮られた先の星々へと顔を向け、目を瞑りながら十三は道の先へと歩いていった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「伊達さんですね、一時間遅れです。延滞料お願いします」

「いやその……スンマセン。その、ちょっとそこでオヤジ狩りに遭いまして……あ、ウソじゃないんです、マジなんです」

「……というか、なんですかこの匂い?……うっ」

「その、ゴミ捨て場まで連れ込まれまして……決して俺が不潔とかそういうんじゃなくて、いつもはもっと隅々まで洗ってるんで。その、これもウソじゃなくて、決して俺の体臭じゃないという事だけは理解して欲しくて」

「…………」

「…………スンマセンした」

 

 その後十三は、カウンターから身を離して鼻を摘み眉間に皺を寄せ続けるビデオショップの店員に対し、体を小さくしてただ謝り続けた。

 




真タイトル「がんばれ無職ちゃんZ ~延滞ギリギリ!ぶっちぎりの臭い夜~」

小説情報の「39話(完結)」がムズムズしたので、キリを良くしました。
第四部として考案していた「真・バイオ無双編」がいまいちクライマックスで盛り上がらず形に出来なかったので、そのノリを閑話一つに落とし込んだものです。
一杯格闘する→文字数が過多→読む面倒さが顔にまででてくる→需要がいくえ不明
尺が某アニメ旧版みたいに延ばされ「やめろ悟空!お前は時間が限られているんだぞ!」という悲鳴が天から届く前にやめました。

残念ながら第四部の予定は(今の所)ありません。考えてはいます。
これだけははっきりと真実を伝えたかった。

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