「ッどああ!?」
最も近くにいる十三へ、ゴル=ゴロスは体から飛び出ている触手を一斉に突き出す。先程の男の触腕ほどの速度ではない、直前まで目にしていた動きに目を慣らしていた十三は軌道を見切り、真横へ大きく跳んでそのまま前へ体を回転させる。
掠めないように頭を丸め、肩で地面を受けて勢いを保ったまま転がっていく。十三は素早く体を起こしてゴル=ゴロスへ向き直り、手に持つ軽機関銃に乱雑に銃弾を吐き出させた。
それを見てゴル=ゴロスは触手の全てを使い銃弾を弾く。しかし狙いを持たずにばら撒かれる銃弾の全てを防ぐことは出来ず、放たれた内の幾らかがその巨体へ突き刺さる。
銃弾により空いた穴から体液を噴き出し、ゴル=ゴロスの歪んだ口角は一瞬下りる。が、噴き出た体液はすぐに固まり傷痕を塞ぎ、落ちた表情は再び下卑た笑みを戻した。
その一連の間に十三はさらに後ろへ下がり、走ってきた蓮達が十三と近い位置にまで寄る。目の前の異形に対し湧き上がり続ける本能的な嫌悪を抑え込み、一同はゴル=ゴロスを睨みつける。
「……前もこんなんだったよな!なんなんだよ俺前世で触手に悪い事でもしたの!?」
「日頃の行いだろう。そんな事より、目の前のアレをどうするかを考えろ」
「先程の魔術師の腕と似て――いや、魔術師がゴル=ゴロスより受け取った腕が、あの触手だったのでしょうか……しかし、見れば見るほど……ッ」
「さすがにあれが触手プレイとかしてくる頭があるようには見えないよね」
「そのブレなさが頼もしく感じる事があるとは思わなかったわ」
空気が掠れた管を通る様な音を吐き出しながら、ゴル=ゴロスは口を歪めて笑い続ける。
その存在感に慣れてきた蓮達は、少しずつ冷静な思考を取り戻して目の前の邪神に対する闘争心を奮い立たせる。向こうがこちらを見続けているという事は、標的とされているのは間違いなく蓮達五人全てだ。
魔術エミュレータによる自動儀式プログラムと、アッシュールバニパルの焔により召喚されたゴル=ゴロス。召喚を阻止する事が出来なかったからと言って、気を落とす様な隙を見せれば目の前の邪神の威圧感に呑まれるだけだ。
こうなってしまった以上は、この場で対処するしかない。その意識は口にせずとも全員に共有され、震えそうになる体を心の奮いで打ち消し留めた。
「あの男が待ってたのは月の魔力が満ちる瞬間――満月が最も高く上がる
「喚ばれた方法はもはやこの際どうでもいい。……触手の速度は先程の男の振るうものよりは遅いが、数が倍近い。僕と伊達以外は近付けんな」
「俺あんなの殴りに行かなきゃなんないの?普通に嫌なんだけど」
「せめて僕らに向けられる触手を引きつけろ。……さっきの野曽木の様に捕まればその分の触手は封じられる、か?最悪それでもいいぞ」
「なんで自分から捕まりにいかなきゃいけねーんだよ断固拒否だよ」
話し合いを続ける蓮達を見ても、ゴル=ゴロスはその場で汚い音を出しながら笑うだけでなんら動きを見せない。自身に立ち向かおうとする人間達を愚かと嘲笑っているのか、それとも会話の中身を理解しているのか。
触手を風に乗せるように揺らしながら、それらをこちらに向けもしないでゴル=ゴロスは笑い、その場に鎮座し続ける。その狂気が内包する意志は、人の身で推測する事は出来ない。
「……存外大人しいな。だがチャンスだ、先程の男の腕と同様の物ならばシスターの魔術が有効だろう。再付与を頼む、そろそろ魔術も切れる頃合だ」
「は、はいっ」
ユーリヤによって身に宿った幽光は、時間と共に少しずつ失われようとしていた。自身の魔力を拡散させる付与の術は、当の術者からの魔力供給が届かぬ以上元々長続きしない。
しかし男の使っていた触腕の大元が目の前の存在だったと仮定すれば、ゴル=ゴロスにも同じ術が通用する可能性は高い。銃の効果が薄いのならば、決め手となるのは魔術とそれを伴う攻撃だ。
ユーリヤが術の再展開をすべく、急ぎ構える。
「――خαααッ!!」
「うっ!?」
「うるせッ……!?」
「う、ぁっ!」
それを見たゴル=ゴロスは急激に口を開き、声を張り上げる。精神を掻き乱す咆哮に、蓮達は反射的に耳を塞ぐ為に手を動かしてしまう。
集中を乱されたユーリヤの術は完成する前に途切れ、狂気をそのままぶつけてくる様なその叫声に、蓮達が理性で抑えていた心中の嫌悪が再び湧き上がる。
体が竦み、体が強張った。その隙に、目の前の大蝦蟇の体が変容する。背中の表面が蠢き、触角が複数突き出る。突き出た触角の間に
「嘘だろ!?」
「翼……!?」
「飛べるのあれ」
その巨体ほどの大きさを持つ歪んだ翼を現し、ゴル=ゴロスはにたりと粘着質な水音を立てて笑う。次の瞬間、短く太い脚に力が篭りその場から真上へ向け、大きく跳んだ。
瞬間的に地から大きく離れ、巨体が星空を遮る。高高度へ達したゴル=ゴロスは重力に引かれるものの、翼を大きく広げてパラシュートの様に空気を含む事で体は浮かぶように緩やかに空中に留まる。
歪んだ嗤いと瞳を蓮達の頭上から落としながら、ゴル=ゴロスは大きく息を吸う。その素振りから、蓮は次に起こる事態を予測した。
「精神への呪言!ユーリヤ、保護ッ!」
「はい!!」
端的な言葉で次に身に降りかかる”攻撃”を蓮はユーリヤへと伝え、その一言目から動いていたユーリヤが怯んだ心を集中し直し、精神を護る為の術を速やかに展開する。
「غα――ッッッ!!」
「っくぅ……!」
「……うる、さい……!」
魔術の完成と同時に、蓮達の頭上より声とも言えない破壊的な音が威圧感と共に叩き付けられる。耳を塞いでも本能的な恐怖は湧き上がり、単なる空気の振動以上に体は震え上がった。
”殺される”。圧倒的な上位の存在から突き付けられる理屈の無い直感が、生物としての格の違いを悟らせようとしてくる。ユーリヤの魔術によって保護された精神が内の正気を支え、蓮達は体を縛りつけようとする呪言をなんとか跳ね除けた。
「何度もやられちゃ持たない!政次郎くん十三さん、撃ち落として!」
「ッ好き勝手、やらせっか!」
「蛙如きが、見下ろすな……!」
二度目の叫声が来る前に、素早く蓮は指示を飛ばす。射程が優れる銃を持つ二人に狙撃を指示し、即座に政次郎と十三は浮かぶ巨体の、空を遮る醜い翼へと狙撃銃と軽機関銃を向ける。
二つの最初の銃火の音が重なる。左の翼膜へ十三の持つ軽機関銃の無数の礫が風穴を次々に開けていき、右の翼の根本の中央が政次郎の寸分違わぬ狙いから放たれた一発の銃弾により抉り取られる。
翼の滑空によってその場に留まる事が出来なくなったゴル=ゴロスは、さしたる痛みを顔に浮かばせないまま、翼を一瞬で体の内側へ戻して落下してくる。
着地と共に、地面が大きく揺れる。地に落ちた振動によりゴル=ゴロスの体は波打ち、それに伴いその歪んだ口元が体内の腐臭を吐き出し、蓮達の鼻へ届いた。
続けてゴル=ゴロスの体が前へ傾き、その脚が膨らむ。筋肉の”おこり”の様なその初動に、誰よりも早く十三の体だけが反応し、無意識に足が一歩を踏み出し構えを取った。
「بαッ!!」
「ンだとぉ!?」
触手による攻撃かと十三が体の反応から一つ遅れて予測した所へ、ゴル=ゴロスはその巨体を地を蹴り飛び跳ねる事で突進してきた。巨大な砲弾と化したその体に対し、拳や腕による抵抗は無駄と悟る。
構える腕で頭を庇い肩を縮め、体を一つの塊と見立てて全身に力を込める。そのまま飛んでくる巨体に対し左斜めへ踏み込む。脚を杭打ち、上体全ての力を集中して突進を受け、同時に体を回すことによって勢いを右後ろへと流す。
「――ッ!!」
「十三さんッ!!」
全身の筋肉全てを使った上での防御が、肩口が壊れる感触と共に刹那で吹き飛ばされる。十三の体は錐揉みしながら跳ね飛ばされ、勢いを僅かに斜めに逸らされたゴル=ゴロスの体は着地しないまま森の木々の生える所にまで飛んでいく。
まるで爪楊枝が折れるように木々はへし折れ、幹が折れる毎に巨体の速度が落ちる。木々に突っ込んだゴル=ゴロスを蓮達が振り返って見れば、赤い瞳が森の闇の中から浮かび上がり、こちらに向き直っていた。
「全員跳べ!!」
「ユーリヤは十三さんをッ!」
「くうっ!」
政次郎と蓮が声を荒らげると同時にゴル=ゴロスが再び跳躍し、その体が砲弾となる。
全員が別々の方向へと飛び退き、誰もいなくなった空間を巨体の影が吹き飛ばす。狙いを外した体は、その先の大地に両足を突き立て地面をめくり上げ、滑る様に体の勢いを殺していく。
その間にユーリヤは、あまりの痛みに脂汗が大量に浮かび上がらせている十三へと近付く。肩の肉が削られ骨が砕かれている十三の様子に一瞬眉間を寄せるも、すぐに治癒の魔術をかけていった。
蓮は十三の傷が癒えていくのを一瞬の目線を飛ばす事で確認し終えると、今度は真魚の方を向いた。
「真魚ちゃんここら一帯に火の壁作って!森の手前まで、円の帯状っ!」
「指定する、五秒ちょうだい」
「政次郎くん攻撃!」
「そのつもりだ」
勢いの余り着地に大きな隙を見せるゴル=ゴロスへ、政次郎はいつの間にか右肩に担いでいた四角い筒の先を向けていた。
人の顔より少し大きい程度の筒の先には、円形の四つの口が大きく空いている。無骨な筒にはグリップ以外には肩に当てる為のパッドと、筒先の覆っていた垂れ下がるカバー以外にそのシルエットを大きく変える物はない。
大地に留まるゴル=ゴロスが振り返るよりも先に、政次郎はその引き金を引く。筒の先から、推進剤を煙に変えてロケット弾が飛んでいく。
それに顔を向けた大蝦蟇が反応し、到達までに秒を要する推進弾を横に跳んで逃れる。政次郎はその動きに合わせて照準を変え、二度・三度・四度と次々に同じものを放った。
最初の一発が狙いの先にある地面に着弾し、轟音と共に炎上する。凄まじい速さで横へ逃れるゴル=ゴロスの動きを見越して撃たれた砲弾は、二発目は一発目よりも近い場所を通過し、三発目はその背に、四発目は体の真ん中へと吸い込まれた。
爆炎が巨体から上がり、身の表面を焼き焦がしていく。面を焼き払う焼夷弾はさすがに堪えるのか、先程の様な心を縛る呪詛ではない、純粋な叫声がその口から上がる。
「ふぁいあうぉーるー」
その間に真魚の魔術プログラムが完成し、森の手前を黒炎の帯が駆け巡る。円をコンパスで描く様に地を走った炎の端は繋ぎ合わされ、蓮達と邪神を閉じ込める黒炎の檻が完成する。
ただ空気のみを飲み込んで燃焼を続ける魔術の炎は、決まった形と勢いを保ち続ける。森への逃げ道は無くなり、光無き火が檻の中の大気へ自らの熱を流し始める。
「……逃げ道塞ぎか?」
「いや、突進を封じる為よ。トルコ軍が壊滅しながらもあれを撃退した時、ムハンマドの聖剣・身を焼く火炎・太古の呪術の三つが決め手になったらしいわ。奴にとって、火は天敵の筈よ」
「――なるほど、理解した。この火の檻によって森にまで突っ込む程の過剰な脚力はもう出せん。ようやくまともな土俵で戦えるな」
「……クソ、なんつー馬鹿力だ。受け流すだけの事もろくに出来なかったぞ……!」
「今の内に付与し直します!」
場を閉ざした炎の意図がわからない政次郎へ、蓮がその狙いを伝える。ゴル=ゴロスの巨体による突進は強烈だが、先程の様な全力の跳躍は勢いが強すぎる余り後ろまで突き抜けてしまう。
その先へ忌むべき炎の壁があるならば、まずわざわざ自分から飛び込もうとは思わない。その速度であれば炎の檻を突き抜ける事は容易だろうが、そうするよりは魔術師本人の命を奪う方が手近だ。
回復を終えた十三が離れた場所から苦い表情を残したまま、蓮達の近くまで戻ってくる。砕かれた肩は元に戻ってはいるが、防戦にのみ力を注いでもなお吹き飛ばされる程の、圧倒的な力の差へのショックがあった。
ロケット弾に悶え、ゴル=ゴロスは体を地面に叩きつけて怒りを見せる。その間にユーリヤが再び自身の魔力をその場へ広げ、その場にいる全員に邪を弾く光が再び宿った。
「……僕らは前に出る。三人はあの触手を遠くから牽制しろ、誤射さえしなければ何をしても構わん」
「了解、あっさりやられないでね二人共」
「誰に物を言っている。僕は左、伊達は右からだ」
「でっけえ借り作らされたからな。懐に入りさえすりゃ負けねえ、ぶん殴ってやらァ……!」
「気を付けて下さい、あの怪力は人が対抗出来る物ではありません」
「ん、おじさんの童貞が心配」
「あの、なんで俺の命より童貞が心配されてんの?」
政次郎は刀を構え直し、十三も両腕を曲げて拳を顔の前に出す。蓮もその場にいる全員に興奮物質を散布し、運動能力の底上げを促す。ユーリヤの精神保護と加えれば、幾分か先程の呪言への耐性にもなるだろう。
そうしている内に、ゴル=ゴロスの体を包む火は消えようとしていた。体の内から黒い液体が湧き出て、火のついた皮膚を流し、焦げた表面を再び固めていく。
その顔には先程までの歪んだ笑みは消え、口の描く曲線は全く逆の方向へ下げられている。赤い瞳も細められ、怒りの形相で自らを焼いた張本人である政次郎を見つめていた。
「良かったな、あいつの狙いは僕らしい。可能な限り気は引く、なんとか近付け」
「承知。……行くぜ」
「――今です!」
政次郎と十三は表情を引き締める。ゴル=ゴロスが動き出す前に、ユーリヤが自身の銃でゴル=ゴロスへ向けて発砲し、それを合図に二人が左右に分かれて駆け出した。
それに合わせゴル=ゴロスは触手を目の前に突き出し、扇風機の様に振り回す事で銃弾は弾かれていく。そこへ蓮が能力で触手の周囲を衰弱毒の大気で満たし、力を奪う。
それでも触手は勢いを失わないでいる所へ、真下の地面から陣が浮かび、突き出た魔力の蔦が触手達を次々に絡め取っていく。真魚の魔術による拘束が、触手全てを縛り付けてついに動きを止めた。
が、ゴル=ゴロスが表情を歪めて体を膨らませ触手に力を込めると、瞬時にその蔦が砕け散る。真魚の魔術はゴル=ゴロスの常識外の魔力により強引に破られ、再び触手は空へと解き放たれる。
「それで十分だ……!」
「ぶっ飛ばしてやんぜ、笑いガエル!」
時間にすれば一秒程の間隙にも政次郎と十三は足を止めず、お互いの武器が届くまであと少しの距離まで接近する。左右から同時に近付いて来る二人を見て、ゴル=ゴロスは政次郎へ向けて体の三分の二の触手を向ける。
その全てが常人を殺すに足る勢いで、意志を持つ異形の鞭と槍が政次郎へ襲い掛かる。政次郎は近付く足を止め、振り回される触手に対応するべくその動きを見切る。
上から降り注ぐ突きに対し、両足を浮かさずに足捌きと体捌きを組み合わせてギリギリの所で躱す。振り回され飛び掛かる鞭を、胸より上を狙う物は上体を反らし、足より下を狙う物は一瞬だけ宙を跳び通過させ、胴体を狙う物は刃で斬り捨てた。
政次郎が防戦する隙に、十三がさらに前へ踏み込む。それに対して残った触手が同様に振り翳される。
「お返しだ、ボケッ!」
政次郎よりも隙間の多い触手の群れを、左右に素早く踏み込む事で次々に十三は抜けていく。直撃コースの物は、カウンターを合わせて全力で殴り飛ばした。
ユーリヤの魔力の篭った拳で男の触腕同様に強く弾き飛ばされる触手を見て、これならば戦えると十三が確信する。しかし拳を放ち足が止まった事により、何本もの触手が殺到した。
極度の興奮状態にある体が危機感を麻痺させ、自身へ振るわれる暴力の軌道を瞬き一つ無く見させる。拳をさらに強く握り、その全てに対し拳で迎撃し、打ち飛ばす。
自身を攻撃する触手が消え失せ、目の前が開ける。強く地面を蹴り上げ、十三はゴル=ゴロスへ手が届く場所まで肉薄した。自身の全力が発揮出来る、絶対の間合い。
「ッがぁあぁらァッ!!」
自身の腕と拳に自身の持てる力を限界よりも篭めろと脳が指示する。目の前の存在を殴り殺す、一切の加減の必要は無い。躊躇という脳の制御が外れた豪腕を振るう。
ゴル=ゴロスが体を傾け、こちらを横目で見る。構わない。触手が振るわれるよりも先に拳を振り抜く。もはや殴る事しか頭に無い十三は、もはや何があろうと拳を止める気は無かった。
拳が体へ吸い込まれる。もはや肉体を突き破らんばかりの勢いで放たれる凶器が、当たった。
「――ぃッでぇ!?」
その瞬間、拳の先から
何が起こったのか、目の前を確認する。ゴル=ゴロスの無骨な手が、拳の先に置いてある。だがその手にあるのは、肉では無い。掌全体を覆う
昨日が休みだったので丸一日を費やして二話同日投稿を狙い、無理だったのがこちらの連日投稿になります(料理番組風)
参考文献「黒の碑」「アッシュールバニパルの火の石」「屋上の怪物」 ロバート・E・ハワード